枝豆
店の中を風が通りすぎてゆきます
西暦2000年の今日、『たにし』が閉じてからもうすでに22年以上も経っている。今年の夏は本当に暑かった、枝豆をつまみにビールを飲んでいた時、ふとあの『たにし』の雰囲気とおばさんの事があぶり出しのように浮かんできた。それはいつもの『お茶割り』を飲みながら、たまたま枝豆の話になった時のことだった。
『枝豆の薄皮が豆と一緒に口に入ってくると食べにくいんだよなぁ〜。』
『食べた後の豆の殻を別にしない馬鹿な奴がいると、間違えてしまうじゃないか。そんな時、本当頭にくるよ!』
…等々と枝豆を話題に話がはじまる。そしてたいてい決まって、譲さんの…
『そういえばサー、俺の田舎で馬鹿な奴がいて、枝豆を…云々』
『そういえばサー、大学の劇団の友達で…云々』
とその枝豆をお題としての物語、しばし聞き入る。終わるまでちゃんと聞かないと、譲さんは不機嫌になるのが常。
話が一段落すると、今度は石橋さんの番。いつものようにショートピースをくわえながら、枝豆の話題を続けて話はじめる。たとえば、うんちく風に
『豆のゆで方は、ゴホンゴホン(くわえタバコでせき込むながら)…とすればいいんですよ。』
『ほらほら、石橋さん灰が飛ぶって!もう、タバコのみの喘息持ちなんだから!』、『本当に止めればいいんだよ!、体にも悪いんだから』とせき込んだ石橋さんに対して、謙さんはしかめ顔でいつもの悪態の合いの手。
全然気にせず、石橋さんは続ける。
『そうすれば、薄皮が豆に付いてくる事がないんですよ。』
或いは、どこかの店で出てきた枝豆の話など。
たいていは、その枝豆だけで僕らは小一時間ぐらい盛り上がっていた。おばさんも手の空いているときは僕らの馬鹿げた話に耳を傾けている。時には一言話に加わることもあった。
枝豆の話題が一巡した時、おばさんが
『作井さん、枝豆てどんな豆だか知っているの?』
ぼくは、全然見当も付かなかったので
『枝豆って言う豆なのかなぁ?』と答えると、
『作井さん、枝豆は大豆なのよ。』
『たにし』での会話はたいてい普通の出来事から始まり、そしてそれに誰かのエピソード、うんちくなどがどんどん付け加えられて盛り上がる。損得もない話に腹を抱えて笑うこともよくあった。そこには仕事の憂さを晴らすことも、悩みの相談も無かった。
よくよく考えると、たわいもない話を『お茶割り』の肴に延々としていたんだ。25年以上も後の今の僕が行く現実の場所と比べると『たにし』ははるかに楽しく懐かしい所だった。
思わず、大人の世界から離れてあの時の『たにし』の事を思い出すと、少し胸が騒ぎ、何とも言えないセピア色の塊が目の前に広がってくる。無性に、あの頃に戻ってのれんをくぐりガラスの引き戸を開けたくなってしまう。
まさに『我がよき友よ』の一節にある”夢を抱えて旅でもしないか、あの頃へ”があてはまるだろうか。
おそらく、今の僕にとって『たにし』はチルチルとミチルの探す青い鳥が棲む『幸せの国』なのかもしれない。
思わず中に吸い込まれてしまうような気がする
2000年11月 作井 正人