遠藤せんせい


中央が遠藤先生


遠藤先生の事でまず最初に思い出すのは、先生のその優しい笑顔です。本当にどんな人に対してもいつも優しく接しておられました。常連の中でも大先輩のお仲間のお一人で、大抵は早めにご来店され、お目にかかるのは遅くまで残られた時、或いはたまたま遅くにおいでになるときでした。先生のお宅は『たにし』のお近くで、地名でいうと目白台2丁目、歩いて5〜6分の所でした。ただ、お帰りは遅くても10時前にはお店を出られていたと思います。

先生は、上野動物園に勤務されていたとご本人以外から聞いていました。また、TBSの子供電話相談室の先生役を長い間されておられたのも、その優しいお人柄からでしょう。

遠藤先生が最初に注文されるのはお刺身でした。そのマグロを実に美味しそうに食べられておられたことを覚えています。『たにし』のお刺身はマグロが定番、切り口がきれいに角張ってまさに新鮮そのもの。当時の僕には高値の花のその刺身。おばさん曰く『あたし、毎日河岸(魚河岸の事)行って仕入れているの。』ということです。僕は確実に3回だけはその刺身を注文しました。ところが、おばさんは僕が注文する度に『あら、作井さんお刺身注文するの初めてね。』と言われたことは鮮明に覚えています。まあ、僕にとっては希にしか食べることができなかった刺身です。

遠藤先生と話した内容を思い出そうとしても、一体何を話したことやら思い出せません。しかし、何度も隣で話していたことだけは覚えています。それは、当時20代の若造に対しても自分のご意見を押しつけずに、にこにことほほえんで最後まで話を聞いて頂いた事だからだと思います。はっきりと覚えていることは帰り際に家に来ないかと誘われることです。つまり先生のお嬢さんが当時の僕と同じくらいの年頃だったそうで『作井さん、家(うち)の娘どうですか?』と言われたことは何回かあった。それで帰り際に『作井さん、これから家(うち)へおいでよ』と…
それを遠くで見ている中村さん、顔をしかめて首を振りながらさかんに『断れ』とサインを出す。したがって、僕はいつもやんわりと上手くお断りしていました。

また、遠藤先生には以外だと感じたことがあります(失礼)。当時先生のご年令は50代の後半、僕から見たら大先輩、その先生が荒井沙知さんのライブコンサートには必ず出席されることでした。沙知ちゃんと言えばフォークソング、当時多くのご年輩の方は聴く音楽ではなかったからです。でも先生はいつもにこにこ笑って、沙知さんのコンサートを聞きに行かれていました。また、その後の飲み会も当然にっこり笑顔でご出席。



ライブコンサートでの荒井 沙知さん(中村 譲 提供)


下段、左端が遠藤先生(中村 譲 提供)


僕が就職して京都に赴任するとき、石橋さん幹事の送別会を近所のスナック『JOY』で開いてもらいました。すでに『たにし』はその時には店を閉じており、久しぶりで皆さんが会合する事も手伝ってか多くの常連にきていただきました。おばさんも差し入れのお茶割りご持参でのご出席、とても楽しかった宴会でした。先生からは餞別にとネクタイピンを頂きました。多分動物園のオリジナルのものだと思います、チータが走っているデザインで今でも思い出の品と大切にしています。

2000年3月  作井 正人


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