初めての『たにし亭』

初めて『たにし』に行った時のことです。人づてに目白通り(不忍通りとの分かれ目のそばに)にたにし亭という美味しいおでんやさんがあると聞いていました。当時から酒に目の無かった馬場とぼくは是非一度いってみたいと思い、たしか74年か75年の秋頃だったと思います二人で目白通りを何度か探してやっと行き着けた思い出があります。

昼間のたにし亭、一見普通の家のようだ


本当に行き着いたという表現があたっていると思います、何故かというと普通おでんやさん(呑み屋)なら明らかに入り口でその雰囲気が判りますが、『たにし』は一見普通の家のようで、昼間に探しても知らない人には探し出すことができないでしょう。ぼくも昼間は何度も見落とし、やっと『たにし』を見つけたのは、のれんが目印となったことです。ただ、この時点では『たにし』に入いれたということと違います。

夜になると、のれんがでる


ふつうみなさんはここの引き戸を開けてはいる


白熱電球の暖かい明かりの漏れているお店の、のれんの脇からガラスの引き戸を開けるとカウンターはお客さんで満員状態。開けたとたんにカウンターに座っているお客さんのほとんど全員の視線を同時に浴び、カウンターの中に居るおばさんからは『ごめんなさい一杯なの』…
『たにし』のカウンター座る事ができたのは、その後、何回も挑戦してたまたま席が空いた偶然のチャンスだったと思います。また、入り辛かったのには中のお客さんたちの視線を一斉に浴びること、お品書き(メニュー)に価格が書いていないことでした。

『いらっしゃい』とおばさん


その日のお品書き、無くなったものから消してゆく


当時、学生だった我々の頭にあるのはまず飲み代。いったいこの店はどの位かかるのか?そのころぼくの吸っていたタバコはハイライトで80円で、セブンスターが100円の時代。学食のカレーが80円、喫茶店でコヒーが150円〜250円位だったかな?国鉄の一区間が30円〜40円だったと思います。

やっと見つけた席に馬場と座ることができ、おばさんが確か『いらっしゃい、何にします』と声をかけてくれたと思います。『うんー酒にするか、ビールにしようか?』と迷っていたがどちらも一本幾らかの値段が判らない…
周りを見渡すと、ほとんどのお客さんが飲んでいたものは寸胴のガラスのコップに茶色い液体と氷が入った飲みものでした。おばさんにこれは何ですかと聞くと『お茶割り、焼酎をほうじ茶でわったものなの』…
これなら、そんなに高くは無いだろうとそのお茶割りをたのんだのが最初でした。

   2000年1月   作井 正人


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