たにし会、幼稚園バスで富士山へ
手前の席で園長先生がVサイン
たにし亭が店を閉じてからだったか、或いはその前からあったのか憶えていませんが、「たにし会」というものがあり、特に誰がメンバーというわけではありませんが、たにしのお客さんだった人たちで作っていて、今でも忘年会や石橋家での花火大会を開いています。ただ僕は東京を離れてから出ることはできなくなりましたが……。
その催しの中のひとつに、たにし亭が閉じてから間もなくのことだったと思いますが、富士山の山小屋に行くことになりました。確か遠藤先生の知っておられる山小屋だったと思います。しかし、これは珍道中でした。何せ使用したバスが幼稚園のスクールバスなのです。園長先生がたにしのお客さんで貸してもらったのですが、保母さんも何人かついて来て“花”を添えてくれた上に、運転手さんまで貸切でした。幼児バスにはもちろん初めて乗りましたが、座席が小さいので横に座るしかありません。従って、一席に一人しか座れないのです。お尻が挟まった感じでした。そこに飲ん兵衛どもが乗り込んだのです。途中で酒を買い込んだりしましたが、幼児バスに酒を大量に持ち込むのだから酒屋さんも驚いたことでしょう。高速道路を走っていると、並走している大型バスの乗客がこちらを見てビックリしている様子がありありと分かります。何せビールや日本酒を皆が幼児バスの中でぐい飲みしているのですから。
横向きにならないと座れません(石橋さんは用心深く非常口に=ゴルゴ13と同じ? 実はここが前向きに座れて一番楽)
山小屋での焼肉パーティー
富士山に入って急坂になり舗装もなくなると、バスが動かなくなってしまいました。その元凶は吉田さんと幼稚園の一人の先生ということで皆の意見が一致し(体型が似ていたのです)、二人は迎えに来ていた山小屋のジープに乗り移りました。するとバスはすんなり動いたのですから、皆の見解は合っていたことになります。
山小屋ではジンギスカン鍋を囲んでのパーティーです。もちろんお茶割りも出ます。ところで、小屋の人の話では、寝床の中で幽霊の出る一角があるという。なんでも、かなり以前のこと、そこで首吊り自殺した人があり、以来、幽霊を見た人が何人もいるというのです。シラフだと身震いするところですが、酔っ払いに怖いものはありません。皆がそこに寝たいと言い出します。しかし、真っ先に駆け込んだのは僕でした。後は幽霊の出るのを待つのみ……心は踊るのですが、ところがその寝床は足の長い?僕には短すぎて窮屈でたまりません。とても寝られそうにないので誰かに代わってもらいました。決して途中で怖くなったわけではありません。しかし、その夜は幽霊より怖い、イヤ、面白いことが起きたのです。
その夜、石橋さんは何故か皆から離れて入口近くにあるソファに寝ていました。石橋さんのイビキは有名です。僕の部屋に泊ることも度々なので慣れてはいました。しかし、その夜のイビキはいつもとは変わったものでした。やはり環境が変わるとイビキも変わるものなのでしょうか。往復で音が出てくるのはいつもと同じなのですが、いつもは単純な音の繰り返しなのに、その夜のはピーヒャララとか、スースカタンといったような音楽性?に富んだ内容です。可笑しくて可笑しくて笑ってしまいそうです。しかし、笑い声を立てると周りで寝ている皆の安眠を妨げると思い、布団を被って笑いをこらえていました。しかし、イビキは延々と続くのです。遂に我慢の限界が来てしまい、「クックック」というものから「アッハッハ」と大声になってしまいました。すると、寝ていたと思っていた周りからも笑い声が起こったのです。皆も僕と同じく笑いをこらえていたというわけです。それからは誰はばかることなく思いっきり笑いました。それを知らぬ石橋さんはいつまでもイビキを続けているのでした。
翌朝、山小屋で食べたおにぎりは今でも覚えているほど絶品でした。ここには翌年もやはり幼児バスで行きましたが、近くに新しい道路が建設中で開けた感じで、それ以来行かなかったと思います。ちなみに、二回とも作井君は京都にいて、富士山には行っていないと思います。
2000年4月 中村譲
去る朝、山小屋前の広場にて