交番事件

1974、5年の頃、学生だったI君と僕は彼の下宿でウイスキー(ホワイトだったと思う)を一本飲み干し、酔った勢いで目白にある日本女子大の寮に行こうと意見が一致していた。ちなみにI君の下宿は早稲田大学の西門のほぼ真ん前でとても便利なところにあった。

都電の早稲田の駅から、当時首相だった田中角栄の屋敷を右手に見ながら豊坂を登り、日本女子大の寮までたどり着いた。しかし時間は遅く寮は既に閉まっており、酔っている二人の前には高い塀が遮っていた。とその時、I君は塀際に駐車している自動車の屋根に登って塀を越えようとしているではないか。

塀の上には鉄条網、I君は車の屋根をベコベコにしながらその鉄条網の塀に手をかけて格闘している。彼の手は、鉄条網で血だらけだった。上から覗くと塀の内側の女子大の寮の敷地は道よりさらに低くなっている、ましてや向こう側に車など止まっていない。一度中に入ったら出られないと酔ったながらも判断した。やっとの事で血だらけの彼が塀を越えることをおもいとどめさせた。

目的が達成できず二人は下宿へ帰ることになった。その帰り道、目白通りから豊坂に折れる道の角に交番がある、多分今でもあるだろう。丁度巡査がいなかった、また、交番脇の歩道橋の階段の下の”白い自転車”が目に入った。高校時代に、”ジドロのよっちゃん”と呼ばれいていたI君は突然”白い自転車”に手をかけた。二人乗りして、坂を降りれば下宿まではあっと言う間だろう。酔って疲れている二人は事の善悪も判断できずに自転車に乗りかかった。

その時、交番の奥からお巡りさんが現れ。「おい!何をしているんだ。」危うく名前まで聞かれそうになったが、暫くしぼられた後、何とかごまかし急場をしのぎその場を逃れることができた。

学生時代の思い出ですが、車の屋根をへこませたり大変悪いこと致しました。

2000年5月  T.Y

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