京都紀行

 
 作井君が就職で京都に行ったのは、たにし亭が店を閉じた翌る年の3月のことで、たにしの近くのスナックJでおばさんも含め皆で送別会をしたものです。そして東京駅で僕と吉田さんと山形のJちゃんとで見送りました(これはその時ではなかったかもしれませんが、そういうことがあったのは確かです)。東京で生まれ育った作井君にとって関西に行くことは心淋しいものがあったでしょうし、20年以上経った今でも馴染んでいないようです。それにしても、たにしが閉じた直後に東京を離れるとは、彼はたにしの申し子だったのかもしれません(持ち上げすぎか)。従って、たにしはもう残っていないから京都に行けるという気安さはあったのではないでしょうか。Jちゃんへの心残りは別にして。その年、僕も長年住んだ鬼子母神から猫と共に引っ越しました。もちろん、たにしがあったら引っ越すことはなかったでしょう。
 ところで、作井君が京都に行った直後、会社の独身寮の近くで「わらび取り殺人事件」がありました。わらび取りに来ていた主婦二人が殺されたというもので、犯人はまだ見つかっておらず時効になっているのではないでしょうか。これが彼とどう関係があるのかって?。それは想像にお任せします……(石橋流だとムニャムニャ)。ヒント=「直後」「近く」「主婦(ただし年齢不明)」。
 たにしが店を閉じた後、飲む所がなくなり勉学に専念できた吉田さんは目出度く司法試験に受かり、故郷の長崎で弁護士事務所を開き、豪邸を新築して奥さんの両親と共に三世代生活を送っています(かなりのローンがあるようです)。全く、たにしは色んな人の人生に大きく関わったようです。同じ銭湯に通っていた吉田さんですが、先日、長崎で会ったら「“先生“と呼ばれるのが当然のようになった」と話していました。その先生は奥さんに事務所まで車で送ってもらっていました。先生は運転免許証を取る気はないということです。
 僕もその後、博多に島流しになり、もう14年も“お務め“を続けています。博多に来てからのことですが、5月のゴールデンウイークに石橋さんと京都で会おうということになり(両者からみると中間地点です)、当時作井君が借りていた一軒家にお世話になりました。まだ妹のアヤちゃんが赤ちゃんの時です(今年中学生になりました。お姉ちゃんのカナちゃんはもう中学3年生です。若い頃女性に恵まれなかった作井君に、神様は女の子だけを恵んでくれたのでした)。京都で会うのはその年だけのつもりでしたが、その後も毎年同じ時期に京都紀行が続いています。途中から石井さん夫妻も加わるようになりました。石井さんは最近は自宅の猫の世話係がいなくて奥さんのサトちゃんが来れません。お陰で古都は本来の静寂さを保っています。いずれにしても、作井君の奥さんには迷惑をかけっぱなしです。彼女の度量が大きいので助かっています(諦めているのかも)。


川下りを見ながらのバーベキュー(1995年5月)


清水寺にて(1995年5月)


伏見にて(1999年5月)



 毎年行くのですから、いくら見る所の多い京都とはいえ大抵は行き尽くしました。それに、あまり人の多い所には行きたくないので(僕だけですが)、行く所も限られます。そんな中で毎年長岡天神では長時間ビールを飲んでいます。ここはこの季節、ツツジが見事です。数年前まで三味線を持った流しのおばさんがいましたが、最近は見なくなりました。また、キリンビールや伏見の「鳥せい」で食事したり、亀岡市の河原でのバーぺキュー、郊外の佐藤養鶏場で買ったものでの鳥スキなど、ほぼ同じことを毎年飽きることなく繰り返しています。しかし、それでも時には嵯峨野、鞍馬、清水寺、八坂神社など有名な所を巡ったりしています。最近、作井君の近所に温泉ができたので今年はそこに行くことになるかもしれません。「足」は作井君運転の車です。昨年から自慢のナビ付きの新車になりました。
 今年もすでに京都への切符を購入しました。作井君、由香里さん、またお世話になります。連休期間中、僕や石橋、石井各氏へ連絡したい方は作井家まで。
    

 2000年4月16日  中村譲


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