目白・目白駅


新しい駅への工事中の目白駅(1999年1月撮影)


多分意志を持って、目白駅を降りたのは昭和48年、それまでは僕にとっての目白駅は単に通り過ぎるだけの駅だった。クラブの練習を終えた後、友人のアルバイト先で酒を飲む約束をしていた。2001年の今では駅が新しくなりすでにないが、ホームから階段を上がった改札の手前左側に線路を真下に見下ろす事が出来るトイレがあった。そこで用を足していると、「おーいと肩を叩かれた」驚いたことに、偶然にも隣に居たのは約束をしている仲間の一人だった事を今でも覚えている。

その時から目白駅は僕にとって、何十年たった今でも、わくわく、どきどき、胸がときめく、大きな存在となった。今でも、車窓から高田馬場を過ぎて学習院の緑が見え始めると胸の中に不思議な気持ちがうごめいてくる。ましてや改札を出る機会がある時などは、昔の映像が急にダブり始める。気持ちの中にもしかしたら…とほんのかすかな期待感が不安そうにおそるおそる頭をもたげる。

授業をさぼってクラスの仲間と日本女子大へ遊びに、合コンで仲良くなった女子大生との茶話会。改札を出ると、学習院大学、川村学園、日本女子大の学生達であふれる駅の前、当時の僕にとっては眩しいくらいだった。一浪してからの学生生活、クラス・クラブの友人も女子大生も全て、あこがれだった大学生活の中にいた。それまでの高校時代は『〜君』、女子大生の彼女たちからは『〜さん』と呼ばれる事に気分も新鮮だった。そんな目白で僕には忘れることのできない出会いがあり、青春があった。

2001年9月2日  作井 正人

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