『たにし』の夏
左より、新太郎先生、木原先生、佐藤さん 暑いので引き戸を開けている。
あれから20年以上も経つと日本人も本当に贅沢になったものだと実感する。当時は家庭に冷房が有るのはとても珍しい時代、富と文化の象徴である三種の神器と言われた”3C”の中で、カラーテレビが家庭には普及しはじめてはいた頃。したがって、自家用車、冷房などの普及はまだまだ。余談だが、当時の週刊誌のカラーのグラビア広告はカラーテレビの広告が全盛であった。2000年の今日、週刊誌の広告にカラーテレビなどの広告は殆ど皆無である事はご承知の通り。
したがって、夏は暑いのが当たり前、皆汗をかくことに慣れて抵抗がなかったんだろう。ご多分に漏れず、『たにし』にも冷房はなかった。ただし、隣の喫茶店『ロンシャン』と向いの『なずな亭』には立派に冷房設備完備、入ったときには涼しくてまさに天国だった。
冬から春へ、昼間の時間がだんだんと長くなり、過ごしやすい季節になる。『たにし』で開店から一時間くらい飲んでいてもあたりはまだまだ明るい、5月のこの頃は最高の季節、お茶割りが特に美味い。やがて、じめじめの梅雨が終わり目白通りに蝉が鳴く頃になると暑くてたまらない季節となる。
その頃になると、『たにし』では入り口の引き戸と窓を全開にする。唯一の涼をとる電化製品は窓の上に掛かっている、回転式の扇風機だけだった。それでも、おでんの鍋から立ち上る熱気がある店の中で、暑くて苦しかった思いではない。記憶にあるのは扇風機から順次送り出されてくる風と開いた窓・引き戸を通り抜ける風がても涼しく気持ちよかった事だ。開いた引き戸から風で揺れる”のれん”が涼しげだった。
外から大汗をかいて『たにし』に入って来ても、暫くお茶割りを飲んでいると知らぬ間に汗が引いていた。また始終、窓、引き戸を開けていた割には、今と比べて車が少なかったのか目白通りの騒音、排気ガスなどの記憶もなかった。そして、もう一つ夏になるとおばさんを含めた和服ファンが浴衣に衣替えする事だった。
左より、ソバ森、石橋、作井、ゆき、中村(敬称略) 後ろの窓と入り口は暑いので開けている。
2000年5月 作井 正人