おばさんのご冥福をお祈りいたします



17日におばさんが亡くなったと石橋さんから電話を貰った。
『エー』と一言。

おばさんが2007年3月17日に他界されました。

この『たにし亭』のHPを喜んでくれていたおばさん、まだまだお元気な頃だった。『ホームページに山口瞳さんの書いてくれた絵を使ったら?』とおばさんから話があった。さっそく、石橋さん、石井さんとおばさんのマンションへ出かけ山口瞳さんの絵を石井さんが写真に撮った。その時もおばさんが喜んでたくさん昔の写真を貸してくれた。

5年前だったかな、米寿のお祝い(私は京都にいたので行けなかったけど)はマンションの一角にあるレストランで、おばさんは元気に喜んでおられた。

その後、おばさんの具合が少し悪くなりはじめた頃、石井さんがノートパソコンをわざわざ購入た。おばさんにHPを見せるために・・・。石井さん曰く『おばさんは、もうろうとした時でも、ホームページを見るとシャッキとして目が輝いていたよ!』

目を閉じると30年前の『たにし』の光景、店を通り抜ける風、おでんの湯気、カウンターの一人ひとり、そしておばさんの声と姿が、今そこにあるかのように思い出す。子供のような願望だけど、タイムマシンがあったらあの頃に戻って、おばさんに会って、昔の皆に会って、おでんをたくさん食べたいと夢見る。

おばさんは誰にも分け隔てなく平等だった、お金が無くお茶割りしか注文しない僕のような学生も社会人にも。そして、おばさんは僕らを上から見下ろすような、態度もものの言い方はしなかった。

唯一、おばさんが怒るのは人に迷惑をかけたり、偉そうな態度する時だけ。みんな、おばさんの前ではとても『良い子』にしていた、『悪い子』は即刻に出入り禁止となるから。僕がおばさんから出入り禁止となった時も、全員おばさん側で全くの孤立無援だった。後々話に聞くと、出入り禁止となったのは僕だけではなかったようだが・・・。

アルバイトをして貰った小切手の換金に困っていた僕に、頼んでもいないのに奥から通帳とハンコを渡してくれたおばさん、ありがたかった。僕たちの話を聞いていないようでも、黙って聞いてくれていたのだ。

『たにし』がなくなってからも、僕らはちょくちょく集まっている。30年以上の付き合いの友人たちがおばさんのおかげで続いている。

会うと、おばさんと『たにし』の話題。みんなの心の中には、延々とおばさんと『たにし』があり、これからも生き続ける。こんな素晴らしい、仲間・友人の輪を作ってくれたのは、おばさんであり『たにし亭』だと確信している。そして、僕もみんなも、おばさんから『たにし亭』からたくさんの事を学んだ。

このホームページはこれからも続けます、みなさんと僕の心の中にはおばさんがいつまでも元気にされていると信じています。

どうぞ、皆様の中でおばさんへの想いを投稿にとお考えの方
sakui@mbox.kyoto-inet.or.jp
まで宜しくお願いいたします。


本当におばさんありがとうございました。

おばさんのご冥福を心からお祈りいたします。



3月21日のお通夜





お通夜の後、仲間有志でおばさんの思い出を。はじめは、だまっていたそれぞれも昔の話をして、おばさんの思い出を話すうちいつしかだんだんと

30年前の昔の表情になっていた。










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