おばさんとの会話2



●電気野球と”高田牧舎”

戦争の話から、学徒出陣、安倍球場の話題となった。(安倍球場は当時早稲田大学の野球場でした、現在はの会議場、図書館などの施設になっている。)

たにし亭は目白通り沿い、神田川・早稲田から見上げると丘の上に位置していました。つまり、『たにし』から神田川に向かっては急坂となっていた。

おばさんは、『安倍球場は日本で初めて電気野球をはじめた所なのよ。”うち”の庭から見えたんだから。』

『おばさん、電気野球て何のこと?』

『ナイターの事を、昔は電気野球て言ってたのよ!』

そして、

『昔は、神田川から早稲田大学のまわりは何もなかったんだから。そのころ、神田川の回りで牛を飼っていたのよ、”高田牧舎”は牧場だったんだから。』

(高田牧舎とは大学正門近くで喫茶店・食堂を経営していた。昔から高田牧舎とは面白い名前だと思っていたが、牧場だったとは初めて知った。)


ギタ森さんと店の前で


●奥に行っててね!

『たにし』に来る常連たちは殆ど一人で来るのが通例、僕もすでに一人で行くようになっていた。一人の時は必ずカウンターに座れる方法がある。

ある日、店に入るとカウンターが満員だった、おばさんは『いらっしゃい作井さん、奥に行っててね!』。

台所電話の横にお茶割りとお通しを用意して貰い、立って飲んで席が空くのを待っている。また、入り口のガラスから透けて見える人影で、席が満員だと判ると座敷の団体が出入りする木戸からそのまま台所に直行。時たま、台所の電話の横で立って飲んでいると、座敷のお客さんに注文をたのまれることもある。そのうち、お客さんが帰って席が空くと、誰かともなく『作井さん、空いたよ!』と呼んでくれる。

ある時、この事を知らないカップルが向かいの公園で席が空くのを待つことにした。お客さんが帰った筈なのに見に行くとカウンターは満員まま。不思議に思いながら、人が出る度に確認したが同じ結果の繰り返し、2時間ほど暗い公園でブランコに乗って待ったらしい。熱々のカップルだったので、それも良かったかも知れない。

奥で待つ渡辺さん


●洞爺丸台風

9月の初めだったと思う、アメフトのクラブの仲間が北海道に夏休みに行ってたが台風で青函連絡船が欠航して帰れなかった話をしてた。そしてその昔、青函連絡船を沈没させた台風の話題になった時。

おばさんが『あの船には”うち”のお客さんも乗っていたのよ。』とぽつりと言った。

出典)http://www.river.or.jp/kwmame/suigai/suy10.html

洞爺丸台風(昭和29年9月)

北海道と本州を海底で結ぶ青函トンネルが着工されるきっかけとなったの、死者・行方 不明者1761人のかけがえのない生命を奪った洞爺丸台風だった。この台風は台湾付近から 加速しながら北上、9月26日未明に九州南部に上陸した後、猛スピードで中国地方を縦断、 山陰沖から日本海を北
上して夕方から夜半にかけて北海道西岸を走り抜けた。典型的な “風台風”で、被害は主に強風によるものだった。中でも函館港内で洞爺丸が転覆、世界 海難史上第2位の大惨事となった。

この台風は速度がきわめて早く、奄美大島西方で80km/h、宮崎西方で 100km/hを観測、 そのスピードのまま日本海を北上した。九州通過時には970hPaだったものが、日本海上で むしろ発達、北海道西岸では956hPaを記録したほど。被害はもっぱら強風によるもので、 日本全土に及んだ。

洞爺丸は強風のため、函館港内で乗客を乗せたまま長時間待機していた。夕方になって 風が急に弱まり、晴れ間も見え始めたことから「出航可能」と判断、乗客乗員1334人と貨 車8両、客車4両を乗せて岸壁を離れた。ところが、その直後に天候が急変、湾内には40 m/s の強風が吹き荒れ、7mを超える波浪が押し寄せた。このため、船は押し流されて浸 水、積んでいた貨車が転倒してバランスを失い、七重浜沖に座礁・横転した。この沿うな で乗客乗員1092人が死亡、83人が行方不明となった。1隻の船の遭難としては、1912年に 大西洋繧ナ氷山と衝突して沈没した英国の豪華客船タイタニック号事件に次ぐ世界第2位 の大惨事となった。

青函連絡船ではこのほか、十勝丸、北見丸、日高丸、第十一青函丸の4隻が沈没した。 函館海洋気象台の発表によると、沈没の直接の原因は、56m/s の突風により、むしろ津軽 海峡の西口から進入した強力なうねりによるものという。

この台風では、北海道各地で烈風による倒木被害が相次いだ。岩内町では台風接近中に 火災が発生、猛烈な風にあおられて全町の約八割、3300戸を焼失する大火災も起きた。

〔被害の状況〕
●死者・行方不明者 1,761人
●負傷者 1,601人
●家屋全半壊・流出 8,396棟
●家屋半壊 21,771棟
●床上浸水 17,569棟
●被害船舶 5,581隻


お茶割りを作るおばさん


●ムカデ事件

譲さんと一緒に飲んでいたとき、珍しくお客さんが少なかった。足首からふくらはぎにかけて、冷たいものがあがってくる感じがした。おかしいな思い、ズボンと足を確かめたが何もない。また、二人で話をしていると、暫くしてまた同じ様な感覚がした。変な感じが続くのでトイレに行って見てみたが何もない。席に戻って、話をしている時に今度はさらに強い感覚がした。ズボンの上から触ると、自分の身体ではない”何か太くて長い物”が確実にズボンの中にいた。席から立ち上がり『ワー』と叫んで、そこを振り払うと15cm以上あるムカデが足下に落ちてきた。

おばさんは動ぜず、『作井さん、ムカデが寄ってきたのは不潔にしているからじゃないの?』と一言

その時、僕はムカデを見たのは初めてだった。『たにし』は決して不潔な店ではなく、毎日開店前におばさんが丁寧に掃除をしていてる。床は隅々まで掃き掃除がなされ、水打ちには気持ちの良いものだった。そして、入り口の曇りガラスの引き戸、窓ガラス、そのガラスの桟までくまなく水拭きがしてあり埃が全然なかった。『たにし』に一番で行くと、水打ちされた床と古いけれど清潔なガラスからおばさんのお店を開ける気持ちが伝わってきた。多分ムカデがいたのは、『たにし』のまわりがまだ木や草の多い自然が残っている所だったからだろう。



2000年3月  作井 正人


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