おばさんの逆鱗に触れる

 昔々のある夜の出来事である。
 たにし亭に入ってカウンターに座ると、いつになく奥が騒がしい。お客の誰かが苦笑しながら言った。「作井君が座敷で歌い始めてね」。聞くと、不動産業のIさんが熟女を連れて来て(2人以上だったと思う)、奥の3畳の座敷(見取り図参照)

飲み始めたところに作井君がやって来て座敷に誘われたらしい。そこまでは良いのだが、作井君得意(?)のY歌を所望されて、人の良い(酔っていたせいだが)作井君は調子に乗って放歌高吟を始めたとのこと。
 ここまでは飲み屋だったら良くある話であろう。しかし、この夜は舞台が悪かった。よりによって、ここはたにし亭である。何と言っても、店を取り仕切っているのはおばさんである。そのおばさんの表情には明らかに怒りの色が見える。それを見て青ざめるのは、普段からおばさんの性格を知っている常連である。いつもは陽気な常連の頭に不吉な予感が走る。「このままではただでは済まないぞ」と口に出す人もいる。これまでおばさんの逆鱗に触れ、出入りを禁じられた人を見ているからだ。「哀れ、作井君の運命やいかに」。日ごろからおばさんに「静かにして!」と注意されることの多い僕だけに、他人事ながら作井君の行く先が案じらる。そんな人々の心配をよそに、熟女たちの嬌声に誘われるかのように作井君はいつまでも大声で歌い続けてい
るではないか。嗚呼そして……。
 そうした中、作井君の楽しい宴はやっと終わりを告げたのであった。おばさんの厳しい怨嗟の視線を浴びながら。そして満足そうに帰る作井君の背中に浴びせられた言葉は「作井さん、もう二度と来ないで!」。この言葉の重みは長年おばさんと付き合っている常連には十分わかる。しかし、たにし亭に通い出してからそれほど時間が経っておらず、しかも酔いの真っ只中にある作井君にどれほどの理解力があったと言えるであろうか。この疑問の正解はすぐに分かった。何故なら作井君は翌日、たにし亭に早速その姿を現したからである。
 翌日、作井君が来る前にたにし亭で交わされていた会話(ほんの一部、勿論おばさんに聞かれないように)。「果たして作井君は来るだろうか」「夕べのあれですからね。来ることはないでしょう」「しかし、かなり酔ってましたからね」「おばさんの言葉に懲りたようには見えませんでしたね」。そんな最中である。な、なーんと作井君が現れたのである。賑やかだった店の中はいきなりフリーズ状態になった。中には頬が引きつっている人もいる。その日は作井君にとって幸い(?)なことに席が空いていた。しかし、その席は針のムシロであったろう。いつものように皆にあいさつしても誰もが頬がこわばって形ばかりのあいさつ。無論、僕も。しかも、おばさんに注文しても当然無視される。ここに至ってさすがの作井君も事の重大さに気づいたのではないか。しかし、もう手の下しようはない。判決は言い渡されているのである。
 ここで断っておきたいのは、常連にとって作井君が憎いわけでも何でもない。ただひたすらおばさんが怖いのである。皆おばさんから睨まれたくない。ここで作井君と親しく言葉を交わすことは、取りも直さずおばさんを敵に回すことになる。そうなると、おいしい焼酎やおでんを味わえなくなる。それが怖いのである。その結果、それぞれの態勢は自然と作井君に背中を向ける格好になったのだ。君子危うきに近寄らず。
クワバラ、クワバラ。
 さて、そうした状態がどれほど続いたであろうか。アメフトで鍛え、どのような状況になってもめげない作井君は、我慢強くそこに30分以上は座っていたのではないか。しかし、その時間は他のお客にとっても忍耐の時間である。何せ店内は沈滞したムードである。おばさんと作井君の両方の顔色も窺わねばならない。恐らく気の弱いお客だったら発狂していたかもしれない。ともかく酒を楽しむという状況ではない。やがて遂に作井君は意を決したかのように立ち上がった。そして何も言わず帰って行ったのである。店内にはホッとした空気が流れる。やがて誰からともなく笑い声が起こる。「ちょっと気の毒だったかな」「しかし、さすがの作井さんもシュンとしてましたね。懲りたことでしょう」「もう帰って来ないのかな」。おばさんも「ちょっと薬が効きすぎたかしらね」と言ったような気もするが、果たしてどうだったか。しばらくはこんな話が続いて、やがて人々の頭から作井君のことは消え去った頃……。


羽織に着物の中村さん、右端は石橋さん



 作井君から僕に電話が入っているという。電話に出ようとする僕に、おばさんがニコニコしながら「作井さんに早く帰って来てと言って」と有り難い言葉。作井君にとっては天の声である。電話は目白駅からかけているという。「中村さん、僕はどうしたらいいんですか」と今にも泣きそうな声。「バカ、おばさんに一言“すみませんでした”と謝ればいいんだよ」。それからの作井君は宙にも舞う気分だったであろう。幾ばくもなくたにし亭に戻って来たのだった。常連から「作井さん、良かったね」と声をかけられホッとする作井君。勿論その前には待望のお茶割が置かれたのだった。メデタシ、メデタシ。
 それからの作井君はもうたにし亭でY歌は歌わなくなった…と言いたいところだが、どうも歌っていたような気がする。しかし、今ではY歌はほとんど忘れているのは確かである。逆に、さんざん聞かされていた僕の方が良く覚えている始末だ。    
               2000年1月   中村 譲


戻る