”なべさん”のくれたお土産
『たにし』が看板になると、時たま”なべさん”がみんなを泊めてくれることが何回か有りました。(前出)
『たにし』で飲んだ後、さらに”なべさん”宅で飲んで雑魚寝状態になった後は、都電の走る音で皆が朝になった事を知るのが常でした。
当時、僕以外は皆さん翌日には当然仕事が有り、それぞれ自分の会社の時間に合わせて”なべさん”宅を出て行きます。また、石橋さんに関しては特に会社が近くなので、最後まで寝ていられる時間が長かったと記憶しています。
しかしながら、なにぶん僕は学生の身分何時に出ても良かった。社会人になって既に20年以上も経つと、僕がいつまでも残っていたことはかなり”なべさん”にご迷惑をかけたことが解った。つまり、僕が家を出ない限り、”なべさん”は会社に行けなかったのだ!!
そうこうする内、とうとう時計も10時近く、さすがの僕も学校に行く時間となりました。当時、”なべさん”は三楽オーシャンのワインの宣伝をされていたので、家には”メルシャンワイン”のデカンタが相当あったんでしょう。
家を出ようとすると、『おい、作井!ワイン持って行けよ。』
といつもの口をすぼめて笑顔を浮かべたちょっと低く小な声で…
伊勢丹の紙袋にデカンタのワインを一杯詰めて手渡してくれました。
明治通をワインの紙袋を持ってとぼとぼと学校に向かうと、丁度着く頃にはワインの重みで紙袋が破れそうになっていたものでした。
”なべさん”の家から帰ってくると、学校の研究室の冷蔵庫にはワインの在庫が一週間ほどはあったものでした。当時の内山先生は寛大でそんなことでは一度も叱られることはなかったです。
”なべさん”がワインを担当されている間、2〜3回位は袋一杯のワインをお土産に貰ったと思います。
2001年6月 作井 正人