荒井沙知さんのライブコンサート


森さん(ギタ森)、さっちゃん、吉田さん


渋谷ライブ

沙知ちゃんのコンサート、『たにし』の常連達で示し合わせて何回か行ったことがある。当時、”荒井沙知”という名前でフォークのシンガーとして活動していた。
遠藤先生もご出席されることが多かったと記憶にある、なんで遠藤先生が思い出されるのかと言うと、失礼ながら若かった僕にはフォークのライブと遠藤先生の優しい笑顔が妙にミスマッチと感じていたため、特に遠藤先生の事が沙知さんのライブの記憶にオーバーラップされたためだろう。
沙知ちゃんのコンサートを聴きに行く事が主なる目的で、終わってからの会食(ほとんど飲み会)は二の次であったはず。ただし、その日の重要度の順位は人により異なるやも知れなかった。
特に思い出されるのは、東京に台風が直撃した日にコンサートが渋谷で予定されていた時の事。土砂降りの中、みんなで待ち合わせ靴の中までビショビショ、明治通りをバスで渋谷へ向かった。暴風波浪警報中の渋谷は人通りも少なく、当然その日のコンサートはガラガラ、我々の団体は一番前の席に陣取ることができた。何人かのシンガーが順番で演奏、”沙知ちゃん”が確か最初の方だったと思う。演奏が終了し彼女が退席すると同時に一番前の席に座っていた10名位が”かたまり”のように移動退席、ああ哀れ次の演奏者よ!。大雨の中全員、無言の合図で『キエフ』へ直行、焼酎ならぬウオッカで大乾杯となった。


お茶の水ライブ

年末の押し迫った頃、中村さんの会社も休みだったのでその日は12月の29日か30日だったと思います。前日にあさひ荘に泊めてもらい、目の覚めた二人は昼過ぎに宝軒へ、相変わらずの話をワインを飲むほどに、気が付いたらすでにマルスワイン(一升瓶入りの白ワイン)を一本以上開けていました。まだまだ夕方まで時間があったため、再びあさひ荘へと…。次に目が覚めたときはすでにあたりは真っ暗。

何とか時間には間に合うように電車には乗れましたが、ワインを飲んで寝過ごしていた二人は、皆さんとの約束の場所に行くことはできず、直接会場へと向かいました。御茶ノ水駅を降りて歩いている時に、『差し入れを持って行こう』ということになり色々と探しましたが、年末のことでなかなか気の利いたものがなかった。ちょうど、八百屋の前を通りかかると、売れ残ったと思われる業務用の10Kg入りの”芋”が特価で置いてありました、何を思ったか、中村さんその10Kgの芋を購入、1,000円以下だったと思います。当然、芋を担ぐのは若い僕の役目、泥は付いているし重いし会場までの道のりがかなり遠かった。

ライブが終わり、楽屋へ慰問に芋を持って行くと、当時売り出し中のフォークの皆様が勢揃い。当然その中にも、かなりの名前の通った方もおられ、現に我々はその有名な歌手の方にお茶も入れて貰っていました。(沙知さんも有名でしたが。)
そんな業界の方達を前にして、いくら”差し入れ”といっても、”花束”でもない泥だらけの”10Kgの芋”をフォーク歌手『荒井沙知』としては受け取れる訳にはいきません。

食べ物ですので、捨てるわけにもゆかず、独り身の中村さんにも猫に小判。芋の行き先は、僕の実家となりました。


体半分は森さん、さっちゃん、石橋さん、伊藤さん、本屋の中村さん



2000年2月  作井 正人


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