「たにし会」の将棋大会


正面右側鬼子母神参道、左側石井さんの実家


 1974年頃のことでしょうか。たにし亭に来始めてまだ間もない石井さんの家に初めて遊びに行きました。石井さんの家は僕の住んでいるアパートから鬼子母神の境内を挟んでトイメンといった所にありました。彼の二階の部屋に行くと、たくさんの本の下に将棋盤がありました。かなり古いもので、飴色になっていました。銀杏で作ったものとのこと。しかし本来の用はなさず、長い間、本台として使われていたのです。
「将棋を指しましょうか」と聞くと駒がないとのこと。それで僕のものを持ってきて指し始めましたが、彼は駒の動かし方が分かる程度で所詮僕の相手ではありません。かなり不愉快な表情でありました。
 それに懲りてもう指してくれないかと思っていましたが、その後も結構付き合ってくれるのです。それどころか、時には負かされることもあるようになりました。何と、彼は密かに将棋の勉強を始めていたのです。彼の部屋には将棋の本が並べられて行ったのでした。それだけではありません。道具にまで凝り始めたのです。黄楊(つげ)でできた漆の盛上げ駒(数種類)、本榧(かや)の七寸盤。独身で自宅にいて、たにしで飲むので金のかからない彼にとって、やっと本以外に金の使い途を見出したかのようでした。その上に、通信講座で初段の免状まで取る始末です。免状のない無級無段の僕など及ぶべくもない存在になったのでした。しかも、高価な駒に触ろうとすると「手垢が付く」と怒られる有様でした。従って、折角の高級駒・盤で将棋を指したことがないのは、今でも残念なことであります。

 これはたにし亭が閉じてからのことですが、彼は千駄ケ谷の将棋会館で将棋大会を催すことになりました。第一回のたにし会将棋大会です。将棋会館で将棋を指すなど凄いことです。これは両国国技館で相撲をとるようなものです(?)。たにしのおばさんも将棋が分からないにもかかわらず来てくれました。確か「たにし杯」も出たような気がします。石井さんに勝ったTさんは「初段に勝ったから俺は二段だ」と喜んでいました。しかし、第一回の優勝者は全勝だった不肖僕めなのでした(かなり自慢げなのだ)。
 その後、たにしの座敷でも将棋大会を開いたり、再度将棋会館で行ったりして参加者も多様になりましたが、僕が東京を離れてからはどうなっているのか分かりません。


第一回将棋大会の「優勝盃」(?)


 そういえば、たにしで飲んで閉店になった後、別れがたい連中で鬼子母神裏にある「富士の湯」の前の飲み屋(名前思い出せず。田舎や?)に行って将棋を指したものでした。盤はそこの主人の手作りのものでした。酔っているので、自転車の佐藤さんの引っかけ手によくはまっていました。そんな時の佐藤さんの嬉しそうな顔が思い出されます。この飲み屋の主人にはダービーの弁当を作ってもらいました。「安くて豪勢なものを」とかなり無理な注文でした。たにしのメンバー5人ほどで行ったのですが、カブラヤオーが逃げ切ったダービーで、調べてみると1975年のことになります。

 
 また、石井さんとは何回か鬼子母神の境内で縁台将棋をしたものでした。もちろん、彼の高級な盤・駒は使わしてくれません。僕のプラスチック製の駒と折畳みの盤でした。そんな時、猫の「お軽」は足にじゃれついたり、時には盤に飛び乗って駒をバラバラにしたりして我々と共に遊んでいました。今でも鬼子母神の木の葉の音が耳に蘇って来るようです。貧乏だったけど(石井さんは別)、全くのどかな、良い頃のことでした。

鬼子母神正面


 2000年4月    中村譲


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