ペレ・サヨナラゲーム`77
サッカー日本代表がコンフェデ杯をかけてオーストラリアに勝ち、後はフランスとの決勝と世間は騒いでおります。日本のサッカーも強くなったものだと思う日々…
ふと、20年以上も前に『たにし』のある場面が目に浮かびました。
いつものように”お茶割り”を飲んでいると我らが”なべさん”がサッカーの話を、ちょっと嬉しそうに話し始めた。
『こんどさー、国立競技場でペレのさよなら試合が有るだろう。』
『“皇帝”ベッケンバウアーも来るんだよ!』
少し間を空けてから、いつもの”なべさん”特有のにやっと笑ったしたり顔で、ちょっと口をすぼめてこう言いました。
『おーい、みんなで行こうよ!』
と持っていた紙袋から、オレンジ色のスタッフバッチを取り出して
『これさー、仕事で手に入ったスタッフのバッチなんだ。これを着けるとベンチ入りが出来るんだぜ!』
と、カウンターにいた数人にスタッフバッチを配りました。勿論、中村、石橋、吉田の手中には貴重なバッチがあっという間に滑り込んだことは言うまでもありません。
当時のサッカーの人気は野球、相撲などと比べるとそれほど高くはなく、『たにし』での話題にはあまり登場しなかった頃の話です。
このバッチは大会委員専用のバッチ、これを着けて入ればベンチなど何処へでも行けた。
数日後、バッチを握った我々は千駄ヶ谷駅で落ち会い、徒歩で国立競技場に向かっていました。今ほどのサッカー人気では無かった当時ですが、やはり神様のペレのさよなら試合との事で千駄ヶ谷の駅からは人波がつづいていました。本当にこの小さなオレンジのバッチで入場できるのかな?身分証明書もない我々が…と思いつつ。
警備員にバッチを示すと、やはりバッチは本物、EXECUTIVE COMMITTEEと書いて有る通り。数時間も前から長蛇の列に並んでいる本当のファンには申し訳ないが、彼らを横目に、我々はいとも簡単ベンチに入ることが出来ました。ベンチとは”ペレ”、”ベッケンバウアー”、その他の有名選手を目の当たりに見ることの出来る場所です。僕も何度もそこで本物の”ペレ”にもすれ違いました。やはり”なべさん”のバッチの威力は凄い、一同無言で感じた次第です。
”なべさん”のお陰で、熱狂的なファンでもない我々が、ファンならば涙を流し喜ぶようなベンチに入れた思い出です。試合の内容はだいぶ昔のことであまり覚えていません、ただし、ベンチから観客席を見ると確かに超満員でした。当然、試合の後は飲みに行ったはずですが、何処へ行ったのやら…
インターネットより(サヨナラゲームの日時の思い出は不確かでしたので、インターネットで調べました。)
1975年からの2年半、彼の名声と衰えない技巧は、米国人サッカーへの目をひらくとともに、各国の大物スターのNASL参加をも促し、リーグの人気を高めた。ペレの引退した77年には“皇帝”ベッケンバウアーがコスモスに加わり、78年のシーズンには、コスモスは最高で7万1,219人、1試合平均でも4万7,856人の観衆を、ジャイアンツ・スタジアムに集めるようになった。
そう、この時はアメリカのニューヨークコスモスというチームに所属しており、 このチームでの来日サヨナラ試合となった訳である。ベッケンバウアーもこのチームに所属していて、一緒に試合に出ていたはずである。
77/09/14 ペレ サヨナラゲーム イン ジャパンNY コスモス 対 日本代表 国立競技場
2001年6月 作井 正人