たにし亭それから


たにし亭ありき、のれんを準備完了のおばさん

店を畳んでから、1ヶ月ほどして第一回目の『たにし』会を宝軒で大盛況で行い。店の座敷には、宝軒亭主の森さんが貰い受けた『たにし』ののれんが掛けてあり、かなり気合いの入った第一回『たにし』会がスタートしました。まだ、店を畳んでからそ
れほど日が経ってはいませんでしたが、面々久し振りに顔を合わせるのかとても嬉しそう子供のように大はしゃぎでした。おばさんもニコニコ”お茶割り”を持参で参加。

当時、僕も就職前の学生、それに夏休み、大いに暇を持て余していました。その当時話題になっていた『毎日が日曜日』と言う言葉を思い出して、おばさんに自分の暇な事を何の気無しに話しかけました。つまり、「おばさん、僕は毎日が日曜日ですよ!」

おばさんは「あら、あたしもそうなのよ!」

言葉に出してしまった後から、同じ暇でも大違い「しまった!」と大反省の瞬間でした。

また、森岳史・さち夫妻がギターを持参で参加。たしか、この時に即興で作った『たにしのおばさん』の歌が大受けだったことです。その歌とは、今までおばさんに注意されたこと、叱られたことなどを思い出しながらおばさんの言った事、言ったであろう事などの即興の連続。

(前奏)
たにしのおばさん言ったよね(ギターの伴奏)

(ギター伴奏無し)
中村さん!大きな声を出さないで頂戴、注文が全然聞こえないから!

(一同笑い)

(ギターの間奏)

たにしのおばさん言ったよね(ギターの伴奏)

(ギター伴奏無し)
今さん!もう三つ半よ!
(一同笑い)

(ギターの間奏)

たにしのおばさん言ったよね(ギターの伴奏)

(ギター伴奏無し)
中村さん!あたし、中村さんの高い声を聞くと頭が痛くなるの!
(一同笑い)

(ギターの間奏)

たにしのおばさん言ったよね(ギターの伴奏)

(ギター伴奏無し)
遠藤先生!もうお刺身おわりよ!
(一同笑い)

後は、吉田さん、ナベさん、に続き殆どの皆さんの日頃の行動が歌になって続くのです。

第一回『たにし』会楽しいうちに終わり、それ以来『たにし』会が定期的に現在まで続いています。

その後、僕も就職をして東京を離れることになりました。帰郷している夏休みのある日、石橋、中村さんと千歳橋の横の酒屋でビールなどを買い込みおばさんの所を訪ねたことになりました。おばさんは簡単なおつまみを用意してくれ、懐かしい”お茶割り”も飲ませて貰いました、場所はあの懐かしい台所で。

常連達は時折おばさんの所に顔を見せに行っており、おばさんも”お茶割り”を一升瓶に入れては、突然の訪問に用意をしていたことです。


おばさんを訪問している、石橋、森(台所で、飲み物持参)1986年12月5日


また、ある時、椿山荘での結婚式の後友人達と歩いて目白に帰る途中、おばさんの向かいの『なずな亭』でコーヒーを飲むことにしました。僕は京都に行って3年にもなるので、懐かしさのあまり友人達を店において、おばさんに会いに行きました。

いつもの引き戸を叩いておばさんの名前を呼ぶと、離れの2階からおばさんは降りてきて台所で”お茶割り”とおつまみでもてなしていただきました。

今になって友人に結婚式の日時を確認した所、1982年10月3日だということなので、その時まではまだ昔の『たにし』のまま残っていたことです。



のれんの無いそれからの『たにし亭』



たにし亭の場所に建てられたマンション


2001年9月  作井 正人


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