和敬塾とたにし亭の想いで



 目白通りのたにし亭は私の学生生活4年間のお酒の飲み方についての教師でありました。 少し東にあります和敬塾という学生寮に昭和42年から45年までおりました。  入塾してまもなく先輩たちが今では世間で批判されておりますかなり荒っぽい歓迎をしてくれたのがたにし亭でありました。  寮では、毎年5月寮祭を開催いたしましたが、45年には、私が西寮委員長ということで、おばさんのところへ、機材、材料の貸し出し交渉にいったことが思い出されます。  そのときおばさんは、代金は原材料のみしか受け取ろうとはせず、ずっとおでんを調理してくれておりました。さらに、お酒、ビールの差し入れがあり、ほとんどの売り上げが委員会の収入になり、寮の施設改善に供したのでした。  今は、もう50歳を越えてしまい、昔の気力もずいぶん消えてしまいましたが、当時のおばさん、先輩、同僚たちのことを思いだし、しばし思い出に浸っております。


和敬塾の正門、たにし亭より目白通りを江戸川橋方向へ歩いて7〜8分位


2000年3月    名古屋市名東区つつじが丘    十二 俊一郎(じゅうに しゅんいちろう)


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