ダンディー”なべさん”
『たにし』では”なべさん”が酔って乱れたことを見たことがなかった。したがって、おばさんに注意されたり、叱られている”なべさん”は知らない。いつもスーツにネクタイとダンディーな雰囲気で登場、お茶割りを楽しく飲んでいました。ただし、『たにし』以外での飲み方に付いては此処では申し上げられない。しゃべり方もさわやかで、良く人の話も聞いてくれる。『だけどさぁ、中村』、『だけどさぁ、石橋さん』、『だけどさぁ、…』と話し出すのが癖だったような気がする。
『たにし』で一緒に盛り上がり店が終わりの時間になると、我々は何回か泊まらないかとのお誘いを受けた。”なべさん”は向かいの『なずな亭』の前に止めてある車に我々(石橋、吉田、中村、作井;敬称略)を乗せ、狭い雑司ヶ谷の道を猛スピードで自宅まで連れていってくれる。当然、飲酒運転、ちなみにその車はベンツのワゴンだった。
ただし、我々にお呼びがかかるのは奥さんが里帰りで留守の時だけ、家に入ると直ぐに”なべさん”はワインを出してくれます。コルク抜きがとても独特のもので、”なべさん”自慢の道具でした。”なべさん”はワインのボトルを手に取り、自慢の道具の針をコルクにさします。そして、必ず我々に講釈をしながら、嬉しそうにそのコルク抜きのポンプを動かしてます。その度に『…』と目のあった誰かの名前を呼び、『こうやって空気を入れると力もいらないし、コルクが自然に抜けるので便利なんだ!、いいだろう!』と瓶から中の空気の圧力で抜け出てくるコルクを見ながらとてもご満悦。我々は、道具より中のワインの方に興味があったんですが…。後報によると、その空気注入式のコルク抜きはボトル爆発の事故が多くその後に使用禁止になったと聞いています。
ワインを飲んでいると、ある時トイレから凄い音と悲鳴が聞こえた。吉田さんが便器の横の床板を踏み抜いたのだ。行ってみると、便器の横の床に大きな穴が空いていた。なんでも、気張っているときにくしゃみが出たので割れたとのこと。一同、思わず大笑い。
ただし、その時の”なべさん”宅はかなり老朽化して古くなっていたため、たまたまトイレの床も壊れやすかったんでしょう。その古い家の風呂は”今さん”が造ったもので、柱などかなりこだわりを入れていたと聞いていました。その後、家を新築されたました。
また新築の家で、例によってワインを飲んでいると”たまご”大好き人間、中村さんの登場。何かぶつぶつ言いながら、台所に行きおもむろに卵焼きを作り始める。卵には”うるさい”だけあり、その卵焼きが結構美味しい。
中村さんは大の”たまご”好き、本人曰く『子供の頃は遠足、運動会、病気の時しか食べられなかった。』という子供時代の辛い経験から”たまご”への執着・思い入れがとても大きい。ある時、『たにし』で彼がおでんを注文して、皿の上に”たまご”だけを残していた。一時間以上もその”たまご”に手を付けないので冷えたままになっている、僕は、中村さんは卵が嫌いなんだ思い『頂戴!』と言うと同時に食べてしまった。実はその逆で、本人は大好きなものは一番最後に食べる主義。食べ物の恨みは怖いもの、20年以上たった今でもまだ言われている。多分、これから先も一生言われ続けるでしょう。
朝になると、夜中に大いびきをかいていた”石橋さん”がまず最初にご出勤、それぞれ続いてお帰りになり最後に学生の僕が渡辺宅を出る、そんな楽しい合宿を何回かさせて貰った。
それから数日後の『たにし』、”なべさん”が中村さんに、『おい、中村!女房がすごく中村のこと怒っていたよ!』と話している。原因は、卵焼きを作って新築の台所を散らからし、後かたづけしていなかったため。また、その昔にトイレを踏み抜いた吉田さんはお咎めがなかった。『中村!お前は評判悪いけど、石橋さん、吉田、作井は女房に評判いいんだよ!(笑い)』と”なべさん”。
常連ルートより入り台所の電話の横で立ち飲みで待つ渡辺さん
ある時、僕は卒論の資料を『たにし』の帰りに酔っぱらって無くしてしまった。がっくりして、『たにし』でその話をしていると、”なべさん”『作井、明日時間あるか?』と聞く。翌日、必要なものを全て”なべさん”の会社でコピーして貰った。感謝!感謝!あのころ、街のコピーは一枚30円位、ただで200枚以上プリントしてもらった。
いまさん、なべさん、木原先生
左より渡辺、石橋、中村、作井(たにし亭最終日)
ある時”なべさん”から聞いた話だと思うが、おばさんが田中角栄の秘書を一喝した話がある。
『たにし』から歩いて2〜3分位の所に、あの有名な目白の大御殿がある。ある日、その第一秘書なる男が『たにし』に来て、自らが秘書だと、威張り散らしお茶割りを立て続けに飲んでいた。権威を傘に話しているので常連もおばさんも嫌気がして不愉快。時折タバコを振り回すので、おばさん何度もおでんの中にはいるからと注意していた。でもさすがお茶割り焼酎がベース、ピッチを考えずに飲んだその秘書は遂に腰が抜けたらしい。そこで、おばさん常連達に『表に出してよ!』と一言号令。今まで我慢していた常連達、待ってましたとばかり大いに張り切り、秘書を店の外に引き吊り出した。翌日、菓子折を持って詫びを入れに来たとのことだが、おばさんそのまま追い返した。おばさん権力に屈せず、常連達の溜飲大いに下がった。
たにし最後の日(昭和53年7月7日)塀の上で花火をあげる渡辺さん
2000年3月 作井 正人