節季払い(附け払い)の吉田さん
今では長崎で弁護士をされている、吉田さんの話です。当時の吉田さんはまだ20才代の後半で、早稲田大学を卒業後、司法試験挑戦中で弁護士事務所に勉強を兼ねてアルバイトをしていました。吉田さんは『たにし』の常連では中村さんの一歳年上で(大学も同じ早稲田大学出身)、中村さんは『吉田さん』と呼び、吉田さんは『中村』と呼んでいた関係でした。
台所の電話の前で飲みながら、席の空くのを待っている吉田さん。
吉田さんの住まいはと言うと、僕も何回か泊めて貰ってはいましたが、『たにし』に近い高田一丁目の交差点を鬼子母神電停へ向かって行く道を右に折れたところにある、みかみ荘です。あの時代(1970年代までは)にはありがちな、玄関には住民たちの靴が脱ぎ捨てた状態、廊下沿いに6畳位の部屋が両側ならび洗面所と便所が共同、学生・独身者向けの一般的なアパートでした。学生時代の和敬塾(大学生向けの寮、入寮には品行方正であり学力試験があると聞いている。カテドラル教会と『たにし』の間)時代から『たにし』に通っていた吉田さんにとって、そこに住んだのは卒業してから『たにし』に行くのに便利なのが理由とも聞いていました。
吉田さんは、『お茶割り』も飲んでいましたが、常連の中では珍しく、最初の一杯はよくビールだったことが多い。また、おばさんにはとても受けが良く、常連のお客さんにも受けが良かった吉田さんはの行動はよくみなさんの行動規範にもなっていて、『吉田さんがやっていることは間違いない』、『吉田さんが行く所ならば問題ない』など…後々これが問題の台湾旅行事件の引き金になったんですが…
庭から台所の様子(おばさんのお風呂はこの庭にある離れにあった)
そんなおばさんに受けの良い吉田さんはおばさんの家の風呂を頂いて、風呂上がりに奥の台所の方からタオルで汗を拭きながら登場する。『いやー、風呂上がりのビールは旨い、おばちゃんお風呂有り難うございました』とカウンターに座り、『おばちゃん、お刺身お願いしますね』、その後すぐに『おでんをお願いします、袋と、卵と…』またしばらくして、『おばちゃん、お茶飯まだある?とって置いてね』と我々に比べては結構いいものを次々に注文している。
手前に積み重ねてあるお皿はおでん用
『たにし』での支払いは基本的に現金払いが原則です。当時の時代としても、『たにし』としても驚くのはJCBの看板がありクレジットカードでの支払いもOKとなっていた、ただし、クレジットカードで支払っているお客さんは僕の記憶にはない。
のれんの横には立派なJCBの看板
支払いについておばさんの方針は当日現金払い。なじみの薄いお客さんがよくこの事を知らないで『附けて置いて』に対しては『うちは附け払いはやっていないんです。』と断っています。また、よく飲み屋ではありがちな、話にうち解けた隣に座った酔客の勘定を支払うような行為は絶対御法度。事情を知らないお客さんが時たま、帰りがけに『この方の分も一緒に…』と言う事があると、おばさんの答えは決まって『うちでは自分の分は自分で払って貰ってますから』。そんなしつけの厳しい『たにし』で吉田さんは特例の『附け払い(節季払い);年に二回の附で支払い』が認められ、大先輩の常連など同かあるいはそれ以上の特権を持っていました。
ただし、支払いの日には大変、『おばちゃん、今日ボーナスが出たから、今までの払うね!(ちょっと尻上がりの長崎弁のアクセントで)』と吉田さん。半年分の吉田さんの附け代を計算するのに、おばさんは老眼鏡をかけ、大きな五つ玉のそろばんを取り出し、おばさんの独特の帳面をめくりながらそろばんをはじいている。その時間かなり長い、常連たちがお茶割りのおかわりやおでんを注文したくても、全員じっと我慢。間違えてでもおばさんに声をかけたなら、機嫌を損ねてしまう可能性がある『今お勘定を計算しているのでちょっと待っててね!(声のトーンかなり厳しい)』ならまだ良い方…
やっと計算が終わり、おばさんが吉田に金額を言い渡す時に我々の耳はダンボ、いくら高くは無い『たにし』でも半年分の吉田さんの日々の注文(かなり料理の注文多い)も塵とつもれば山である。『アァーボーナスほとんど無くなっちゃったよ!』と吉田さん。
おばさんの帳面:和紙を分厚く綴じたおばさん自作の帳面にクレヨンの様なもので名前と注文したものが書いてある、現金払いの我々の注文もその帳面に書かれているが、何度か覗いては見たものの、お客の名前と注文したもの書かれているはずだが、独特の略語で書いてあるのかおばさん以外は解読困難。
五つ玉の大きなそろばんでお勘定をするおばさん
ここまでも吉田さんがおばさんの信頼を得ているのには理由があります、それは和敬塾時代に『たにし』の台所でアルバイトをしていたことでした。だからこそお風呂も入れてもらい、附け飲みもできたんです。また『たにし』では、おばさんに信用があることは、常連達にも信用があることなのです。
今では弁護士の大先生の吉田さんも、当時は万年司法試験受験生(失礼!)。毎年試験になると2ヶ月間くらい『たにし』に顔を出さなくなる吉田さん、常連たちの話題も『吉田さん、今年はどうでしょうね?』と心配そう。試験結果発表の頃になると『ウーン、僕は針のむしろですよ』と吉田さん。無事に合格されたのは、『たにし』が78年に店をやめてから数年後でした。本当におめでとうございます…
2000年1月 作井 正人