酒飲みの詭弁


 作井君に「たにし亭の思い出をメールして下さい」と言われていたのですが、ボケてしまった頭には昔のことはなかなか思い浮かべることができません。そこで古い日記に何かないかと探してみましたが、たにし亭については常時通っていたせいか特に記す必要がなかったらしく、それらしいものは見あたらなかった....ところに、一カ所みつけました。1975年1月28日の項。高橋義孝の「酒呑みの詭弁」という随筆に「たにし亭は日本一である」と書かれているとのこと。この本はたにしに置かれてあったとある。ちなみに日記には「山口瞳の”酒呑みの自己弁護”と同じようなタイトルであるのは、いくら師弟の仲とはいえ宜しくない」と生意気にも書かれていました。
 なお、この日はたにしを出た後、石橋、石井、久保(彼は今どこにいるのだろう。南朝天皇の子孫と称していたが)の3氏と「梅もと」(鬼子母神の脇にあるラーメン屋。好きなラーメンだった)に行ってビールに餃子、ラーメンを食したとある。梅もとはこの頃、餃子を始めたらしい。日記の最後には「”たにし”の借金返済」とあるから、貧乏な僕にも(であるからにして)借金が許されていたものらしい。また、この頃の日記には将棋の成績が記されていて、それによると、石井さんにはほとんど勝っていたようですよ(ゴメンね!)。


鬼子母神の電停前


鬼子母神の電停前


1999年4月   中村 譲

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