本名を「玉」(たま)といい、明智光秀の三女として、1563年に 生まれた。16才で織田信長の命により、細川藤孝の長男忠興のもと に嫁ぎ、丹後宮津に移るまでの3年間を勝龍寺城で過ごした。 父が起こした本能寺の変で幽閉され、後に秀吉の計らいで復縁 した。しかしながら、苦難の生活を強いられた彼女は、心の平安 をキリスト教に求め、洗礼を受け「ガラシャ」と呼ばれるように なった。やがて、関ヶ原の戦いの時、石田三成の人質になるのを 拒み、自殺という悲劇的な最期を遂げた。