長岡京ガラシャ祭


 天正6年(1578年)、細川忠興(ただおき)へ嫁いだ明智光秀の三女「玉」(細川 ガラシャ夫人)を象徴した市民の祭りとして、毎年11月の第2日曜日に行われる。
 戦乱の南北朝時代である暦応2年(1339年)に北朝(足利尊氏)方の細川頼春が築 城したと言われ織田信長の時代に細川藤孝によって大改修が行われた勝龍寺城が、 平成4年に勝竜寺城公園として復興整備されたのを記念して始められたのが、 長岡京ガラシャ祭である。
 祭りは、お輿入れ行列や歴史文化行列、町衆祝い行列などが市中を巡行し、楽市 楽座なども行われる。

 

 細川ガラシャ

 本名を「玉」(たま)といい、明智光秀の三女として、1563年に 生まれた。16才で織田信長の命により、細川藤孝の長男忠興のもと に嫁ぎ、丹後宮津に移るまでの3年間を勝龍寺城で過ごした。
 父が起こした本能寺の変で幽閉され、後に秀吉の計らいで復縁 した。しかしながら、苦難の生活を強いられた彼女は、心の平安 をキリスト教に求め、洗礼を受け「ガラシャ」と呼ばれるように なった。やがて、関ヶ原の戦いの時、石田三成の人質になるのを 拒み、自殺という悲劇的な最期を遂げた。

(長岡京市教育委員会資料参照)


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