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updated 05/28/98

98年4月はハードディスクの衣替えの季節



4月11日 ハードディスクがいっぱいになった。 特に、340MBしかない、Aドライブが後30MBしかなくなった。
 本当はAドライブがもっと大きい方がいいわけで、只のIDEでしかない、Windows 3.1用に作られた9821 Xsのために苦労する。 増設している1GBのBドライブも残り30MBを切っている。 某氏と対策を練る。
4月15日 日本橋にて1.2GBのIDEハードディスクを購入する。 このごろは、3GB以上が当たり前なので、小さいハードディスクはこれしかなかった。
 なんとか、今の環境を残して、移植しようといろいろ考えるがうまい手が浮かばない。
4月18日 Noteパソコン用のWindows95 OSR2のCD-ROMと共に某氏と導入作業を開始した。
 OSR2は只のIDEの限界を超えて、540MB以上のハードディスクを扱える。
 Aドライブのバックアップをzipで取ってから、ケースを外してハードディスクを付け替える。 電源を入れ、ディスクから起動し、FDISKで領域を確保して、カレントドライブをハードディスクに換えようとしたが、無効なメディアです、の返答が返ってくる。 何度やっても、入れ替えたBドライブにだけ入れない。 その他の、SCSI接続のハードディスク内は閲覧できるので、わけがわからない。 そこで、SCSIボードや他のボードを外し、とはいってもサウンドボードと高速RS232Cボードで全部で3枚なのだが、またまた、電源を入れ、ディスクから起動し、FDISKで領域を確保してみる。
 今度は、ハードディスクが認識されていた。 CD-ROMドライブが認識されているのを確認してからOSR2のCD-ROMを挿入、セットアップを開始する。 長い時間が経過した後、再起動を行い、Windows95の起動を確認する。
 しかし、大きな問題がここから始まるとは、作業をしている二人にはとても想像できなかったのだった。
 電源を落として、SCSIボード他を差し込み起動させる。 エクスプローラで見ると、zipドライブが存在していないし、外付けのハードディスクであるBドライブをで覗くとフリーズしてしまった。 zipドライブを外して、再び電源を入れ、エクスプローラでBドライブを覗くとまたもやフリーズしてしまった。
 リセットして、コントロールパネルを開きIRQ, DMAを検討する。 サウンドブラスタを前はIRQ5にしていたのを思いだし設定するも、リセットしてBドライブを覗くとまたもやフリーズしてしまった。 ハードディスクの接続を替えたり、外したりしてそのつど、フリーズをくらってしまう。 ボードを全部外して一枚づつ動作を確認することにした。 やはり、フリーズしてしまう。
 はてしない、試行錯誤の後再インストールに踏み切った。 ボードを全部外してから起動させ、CD-ROMを読み込ませる。 その間に、コンビニに行き飲み物と、おやつを調達した。 すでに、作業を始めてから4時間がたっているのだ。 戻ると、すでに読み込み終わっていた。
 先ず、高速RS232Cボードを組み込む。 これは、どう調べても、フリーズの原因になり得ないと判断したからだ。 ドライヴァをインストールし、コントロールパネルを開いてIRQ, DMAを確認する。 サウンドブラスタを組み込む。 コントロールパネルを開いてIRQ, DMAを確認すると、IRQは5になっていた。 リセットして音を確認する。さあ問題の、SCSIボードだ。 二つの、外付けハードディスクを繋いで挿入し、電源を入れる。
 これで動かなかったら、もう今日はやめて寝ようという気持ちが、起動を始めたモニタを見る二人の目の中にうかがえる。 熱い気持ちでエクスプローラを起動しBドライブ、Cドライヴを見る。
 フリーズしない!
 試しに、Bドライブの中の時計ソフトを起動してみた。 ちゃんと出てきた。 コントロールパネルを開きデバイスマネージャをみると、SCSIドライバが存在していない。 理由が分からないが、僕の古いSCSIボードとWindows95のデバイスドライヴァが合っていないようである。 その上、zipドライヴは 最後まで認識されなかった。 結局、SCSI-2のボードを買わねばならないことを確認して、ハードディスク増量作戦は終わったのである。 すでに、午前2時半になっていた。
4月20日 J&PにてSC-98IIIP(SCSI-2 Interface Boad)を購入する。 ボードを入れ替え、ドライバをインストールし再起動させてエクスプローラを開いてみたら、zipドライブは認識されているのに、Bドライヴは内容が文字化けして1GBのディスクが4GBの内容量と出ている。 困った。 いろいろ試すが、変わらない。
 Gateway G-6からインターネットにつなぎI-O DATAのサイトを探し、サポートページのFAQを調べる。 こんな問題で悩んでいる人はなかったので、ユーザー登録してから、メールを出す。
4月21日 インターネットに繋いでみると、返事が来ていた。 ハードディスクの自動解析のサポートソフトで調整できるようだ。 貰った回答のとおりにやってみたが、だめだ。
 自動解析の画面ををよく見ると、認識と登録のふたつの欄がある。 二つのディスクとも認識は「O」だが登録は「X」になっている。 登録欄を「O」に変更して起動しなおすとついに正常に認識された。
 I-O DATAからの回答によると、使用中のOSでフォーマットしなおした方が今後とも安定するだろうとあったので、フォーマットしてすべて再インストールすることにした。 必要なソフトのCD-ROMやフロッピを集めて、明日取りかかることにする。
4月23日 ようやくソフトの再インストールが終わる。 何年も残っていたDOSのゲームやよくわからないものは全部消去してしまった。 設定が必要なアプリケーションがいくつもあり、面倒だったがこれで今日から普通に使えるようになった。
 長い2週間だった。
 というわけで、現在の状況は
MachinePC9821 Xs
CPUAMD 586
OSMS Windows95 OSR2
となってしまった。結構ちゃんとうごいているのが不思議な感じである。
5月14日 今月に入ってアクセス数の伸びが少ない。 いろいろ考えてみて、前から気になっていた行間のつまりを大きくして見やすくなるようにした。 リストの場合はその行に含まれる物の大きさに行間が影響される事を利用して、先頭に付けているボタンを少し拡大して行間を広げた。
 もう一つ、フレーム内に表示されると、そのページのURLをブックマークに簡単には追加出来ない事も気になっていた。 思い切ってブラウザ内全体に表示されるように、リンクのアンカータグ内を全部変更した。 エディタの置換が使えないので、いちいち、張り付ける。
 出来上がりを確認していて驚いた。 つながらないリンクがいくつもある。
5月15日 リンク先を一つずつ確認して、テキストを書き直す。 とても一日では出来ない。
 ファイル構成を見やすく、使いやすく、管理しやすくしたために、ファイル名やディレクトリをかえたとおもわれるサイトが結構あった。 これは引き続き調査していく事にする。
 定期的に徹底的にリンク先を調査しないといけない。
5月20日 突然、INDEXページの化粧直しをする。
バックグラウンドを白にして、ページメニューを書き換えた。 手作りの感じはいいのだが、何かゴチャゴチャしているようでやっぱり気に入らない。 近日中に再度作り直そうと思う。
5月27日 相当数のリンク先の確認をした。
しかし、このごろ、繋がりが悪くてWEBサイトの表示が遅く、一つのサイトの確認に時間がかかりすぎる。 困ったことである。
 久しぶりに買った、INTERNET MAGAZINEのプロバイダ接続マップで見るとそれほど接続が細すぎるという感じはしないのだが、kyoto-inetの加入者も多いので皆が大きいファイルをダウンロードするなら1.5Mの上流との接続ではとても足りないのは当たり前か。
6Mぐらいで接続してくれんかなあ。
5月28日 今月になって、"Far Eastern Economic Review"が毎週届く。
ずうっと以前、インターネットを始めた頃に"Far Eastern Economic Review"のホームページに行ったときアンケートに答えてどうせ外国のサイトだからと思い住所を書いた覚えがある。 2年近くたって航空便で送られ始めるとは思いもしなかったのだ。 でも金は払っていないから、サービスだと考えて気楽に香港から送られてくる雑誌を読んでいる。
香港も返還後は苦しくて、サービス誌を送って予約の獲得に必死なのだろうなあ。
先週の地域トピックの欄に朝日新聞のUNOが廃刊になり花田編集長が辞めることが出ていた。 この事が先週の日本を代表するニュースだとは知らなかった。


梅雨の季節は活動も梅雨入りへ

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