穴埋め企画・総括 Project Giga Act.1



I.

今でこそ、北海道リピーターと化している私だが、以前は「北海道」と聞いて心惹かれる場所は、函館と松前だけだった。歴史地理学者のなりそこないとして、全く不勉強な話だが、小樽がその昔「北のウォール街」と称され札幌以上に繁栄していたこと、小樽運河の保存の是非を巡り長年に渡って住民と行政が対立していたことも知らない有様だった。

S愚衛門君や故枚方の不良少年の影響で漠然と北海道を意識し始めたのが、1987年。この年は結局冬のボーナスの一部と郵便局の定期預金にまわすだけで終わったが、翌88年、「仮面ライダーBlack」の夕張ロケが追い風となり、満を持しての北海道初上陸となった。しかし、知床半島周辺をパスしたため、道東へのこだわりは、その後長く尾を引くこととなる。

時間と天候に恵まれなかった第二次・第三次ギガ計画を経て、93年より、ギガ計画は漸く年中行事として定着する。月並みな表現だが、上陸を繰り返す度に、新たな発見や出会いがある。年に1回とはいえ、北海道の空と大地に身をさらすことは、せせこましい路地裏まわりや、暗愚な上司の下での昼夜逆転のデスクワークに就いていた私にとって、いいリフレッシュでもあった。

北海道の広大さ故に、ギガ計画はマンネリ化を免れていたが、いささかマニュアル化されたきらいはある。そこに加えて、ギガ計画発動という「既得権益への執着」が頭をもたげてきた。それはやがて、ギガ計画の上に、瓶様な影を落とすことになるのだが、神ならぬ身の私は知る由もなかった。

II.

ここに、一冊のツーリング情報誌がある。

ジパング・ツーリング」2000年4月号。この本に掲載されていたあるレポートに、私は衝撃を受けた。「プリンス青柳」なる大学生の、北海道ツーリングレポートなのだが、一読して私は失笑し、そして考え込んでしまった。いかにも今時の大学生が書きそうな、知性や教養とはやや縁遠い、軽いノリの文章ではある。しかし、そこには、初めて北海道に轍を刻んだことへの、率直な感動があった。

熟熟惟(つらつらおもんみ)るに、過去10回発動されたギガ計画は、数多の思い出と共に、膨大な情報をも私に与えることとなった。それは次回へのステップとなる以上に、私の目を曇らせてはいないだろうか?

「原点回帰」もまた、重要課題である。

記2000年6月17日





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