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NTRC-SFX-FORCE


Norio Tsuboi Riders Club
特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥こと吉川敏彦




目次

Case File 1 夢想

Case File 2 篠山

Case File 3 船上

Case File 4 酒田

Case File 5 鶴岡

Case File 6 越後

Case File 7 会津

Case File 8 日光

Case File 9 湖畔

Case File 10 北上

Case File 11 祭だワッショイチンカッカ

Case File 12 最北

総括その1

Case File 13 函館

Case File 14 北上U

Case File 15 留萌

Case File 16 札幌

Case File 17 東進

Case File 18 標津

Case File 19 帰路

総括その2

The Data Of Project Giga millennium





Case File 1 夢想

第九次ギガ計画の際、札幌で出会ったK・Y君がことあるごとに私にこう言った。
「どうして、片道だけでも陸走しないんですか?」
熟熟惟るに、私はいつも海路北海道へ直接上陸しているが、それはまた本州の北半分をパスしているということだ。もったいない話である。しかし、私は旧ハイ水リスナーの常として、暇と性欲はあっても金は無い。そこで、敦賀から秋田までフェリーを利用し、天候と資金の許す限り東北地方をまわることにした。

「第十一次ギガ計画」のプレイベントたる東北地方ツーリングを、 「The Operation of Poison Apple and Seven Little People」 と命名する。
これは、今年が「科学忍者隊ガッチャマン」のTVシリーズ終了から20年目に当たるので、シリーズの末尾を飾った総裁Zの最後の作戦である「毒リンゴと七人の小人作戦」(青いリンゴ状のバリアーに包まれた反物質小惑星を、七台の宇宙トラクターで誘導し、地球にぶつける)から取ったものである。一週間予報によると、東北地方の天候はすっきりしないらしいが、実際はどうなるか分からない。ここは「おじゃる丸」を見習い、自分に都合良く解釈することにしよう。

Case File 2 篠山

7月23日午前11時15分、「第十一次ギガ計画」は発動した。

R372を東へ走り、10年ぶりに篠山へ行く。今年の4月に復元・公開された、篠山城二ノ丸大書院見学のためである。城郭建築における殿舎の復元例として、実に優れたものであった。見学後、青山歴史村へ足をのばす。ここの受付のおばさんは、よくしゃべる楽しい人で、いい時間つぶしになる。さらに、安間家資料館を見学、外堀にそってそぞろ歩きつつ、駐車場に戻る。城跡周辺の武家屋敷街は、昔の名残をとどめつつも、部分的に現代風な改築がされるなど美観を損ねているケースが見受けられる。観光名所として売り出す以上、度を超した改築にブレーキをかける必要があろう。

再びR372を東へ、R9から京都市内へ入り、花園橋〜途中越を経てR138に出る。思えばこのルートは、12年前、初めて北海道へ向かうべく走ったルートであった。
日が暮れたので、琵琶湖バレー前のレストラン「アサヒ」(ザマー見ろ。太字にしてやった。)でカツ丼を食べたのだが、これが最悪の代物で、とても12年前を回想し続けるどころではなくなった。また、R8はバイパスができているわ、敦賀のフェリーターミナルは改築ついでに移転しているわで、どっぷりと過去に浸りたい私にひたすら「現実」が突きつけられた。
今日はターミナルで野宿のつもりだったが、ここも11時過ぎには閉鎖され、私はやむなく敦賀駅前に戻ることにする。その時、私を案内してくれたのは、出港したフェリー「すずらん」の見送り(というより冷やかし)に来ていた、愉快な地元ライダー二人組だった。駅に着いたら着いたで、ヒッチハイカーのY・K君と話しすぎ、結局3時間しか寝られなかった。

Case File 3 船上

7月24日午前9時30分、「ニューしらゆり」は敦賀を出港した。車ばかりか、バイクの台数もまだ少なく、船室でゆったりと過ごすことができ、前日の寝不足も解消した。

それはそれでよいのだが、やはりフェリーの中ではライダー同士でわいわいやりたいものである。時期を外すと、フェリーの中は静かすぎて物足りない。

通算走行距離252.1km

Case File 4 酒田

何故こんな時に、天気予報が当たるのか!?
7月25日、しっかり雨が降った。
それも走行開始から1時間もしないうちにだ。

通り雨だったので、私はR7を南下し、17年前「おしん」ブームに沸いた山形県酒田市に向かった。
途中、遊佐町で、「旧青山本邸→」という看板を見つけ、レトロ建築愛好家の私は、一も二も無く寄り道し、やっと酒田に到着した時、空はどんよりと曇っていた。 迷子になりながらやっとたどり着いた本間美術館で、菓子付き500円也の抹茶を飲んでいるうち、ぽつぽつ降り出した雨は、本間家旧本邸を見学中、本降りになった。 そのうち、多少小やみになったものの、雨の降る中長距離を走らないのがこの私だ。 私はとっとと市内の「ホテル新栄」に宿を取り、荷物を降ろして落ち着いた(というより居直った)。 自前の傘を濡らすのが嫌だったので、私はホテルの傘を借り、てくてく歩いて旧鐙屋(あぶみや)の見学に行った。 ここは、日本有数の廻船問屋の遺構で、国から史跡指定も受けている。 ここでも抹茶(菓子付き300円也)を飲み、ホテルの宿賃(6195円)を、明日からどうやって埋め合わせようか・・・と、現実的なことを考える。

今日一日で、とりあえず酒田のめぼしい大商人宅を一巡したのだが、いずれも庭園の向こうから近代建築がにょっきりと頭を出している。 もう少し規制を厳しくしても良かったろうに。 また、今日はあちこちで、地元の人々と話す機会があったが、皆いい訛りをしていた。 しかし、酒田という町は夜が早い。 それに、安くて美味い店も無さそうだ。
今日はさっさと寝ることにする。

通算走行距離374.8km

Case File 5 鶴岡

7月26日、相も変わらずすっきりしない空模様である。

通勤ラッシュの始まったR7を南下し、鶴岡市に入る。
山形県下で唯一の現存藩校・致道館(ちどうかん)等々の、レトロ建築で知られる城下町である。 市役所の駐輪場に旗艦「VULLGAIYER」を置き、まずは致道館へ行く。 入場無料というのが、実に有り難い。 質素な造作にも好感が持てる。 この致道館、創建当時は今の鶴岡駅前にあったのだが、現在地に移転するに当たって、全館瓦葺きにすることが悲願だったとか。 泣けてくる話である。

続いては、穴場的存在の風間家旧宅・丙申堂。 酒田の旧鐙屋の解体修理の際、担当スタッフが参考にしたほどの建物である。 広大な板の間の中央の大黒柱やタンス付き階段等、島原の角屋を彷彿とさせる。 なお、重文指定の鶴岡カトリック教会も近所にある。

城跡にとって返して、大正ロマンの香り漂う大宝館。 水堀に優雅な姿を浮かべ・・・、と言いたいところだが、今日は曇り時々雨である。 ここも入場無料、ああ有り難や有り難や。

そして本日のハイライト・致堂博物館。 ここは入場料700円だがそれでも安いと私は思う。 明治村ほどではないにせよ、近隣から移築された時代も様式も異なる建築物が軒を連ねている。 その中の旧庄内藩主御隠殿で、庭を愛でつつ菓子付き400円也の抹茶を飲んでいると、またしても雨が降ってくる。 半ば諦め気分で、「風情よのう〜」と、茶をすする。 致堂博物館見学は、長年の悲願の一つであったが、それを達成しての抹茶の味はまた格別・・・と思っていたら、お行儀の悪いお子様がドカドカとやってくる。

今日の昼食は、博物館受付の隣の「三味庵」で、「ツーリングマップル東北」おすすめの「麦きり」なる物を食する。 何とも不思議な食感を楽しんでいると、そこへ品性下劣なオバタリアン御一行が出現、ライダーが珍しいのか、かき氷をむさぼり喰いつつネットリとした視線を投げかける。 どうせなら、もっと品のいいご婦人に見つめられたい物だ。 悪霊退散!!! 因みに、鶴岡市内では、旧藩士菅家の庭園も公開しているが、予約申し込み制なので今回はパスした。

再びR7を南下したが、天気予報ははずれたようだ。 いっそこのまま越後村上までGO!!と思ったが、村上も安い宿はない。 そこで鶴岡YHの一泊夕食付きコースにする。 鬱蒼とした木々に囲まれたモダンな建築なのだが、「静か」ついでに少々「暗い」。 節電に励んでいるのはいいとしても、スタッフも静かすぎる。 宿泊客が、私の他にフルムーン旅行とおぼしき老夫婦一組だけとあっては、調子が狂いもするのだろうが・・・。

通算走行距離432.7km

Case File 6 越後

7月27日、上陸3日目にして、ようやくさわやかな朝を迎える。

R7〜345を南下し、AM8:30過ぎに新潟県村上市に入る。 日本最北端の茶の産地にして、世界で初めて鮭の人工孵化に成功した15万石の城下町。
ついでに現皇太子妃の本籍地である(いや、だったと言うべきか)。
イヨボヤ(鮭の方言)会館と若林家住宅を見学して、さっさと通過するつもりだったが、村上城跡(標高135m)へ登り、ついふらふらと村上城跡保存育英会へ立ち寄ったのがうれしい誤算だった。

私が「姫路から来ました」というと、すかさずここのおじさんが、「村上と姫路は、つながりがあるんですよねぇ。」と切り返す。 慶安2年(A.D.1649)に村上に移ってきた松平直矩は、何を隠そう姫路藩士だったのだ。 約1時間ばかり、歴史談義、城郭談義に花が咲いたろうか、若林家や、最近無料公開を始めた成田家でもそうだった。 歴史的施設の接待役は、こうでなくてはなるまい。

R345〜113〜県道21を経て、新発田市へ入る。 赤穂四十七氏の一人・堀部安兵衛出生の地である。 新発田城跡には、新潟県の城跡では唯一昔からの建物(隅櫓と櫓門が各一棟)が残り、内部を公開していた。 さらにそこから足をのばせば、名園の名も高い清水園がある。 私と入れ替わりに団体客が出ていったところで、貸し切り気分を味わいつつ散策を楽しみ、菓子付き450円也の抹茶をすする。 清水園に隣接して、足軽茶屋があるが、風流三昧を楽しむ殿様に比べ、なんと質素な生活を強いられていたことか・・・。

さて、新潟県と言えば変態老人、もとい「豪農の館」である。 今日は日が暮れるまでに会津若松へ移動したいが、その道中に「市島邸」というお屋敷があり、寄り道をする。 ここの一番の名物は「湖月閣」なる大広間なのだが、平成7年4月1日の新潟北部地震で全壊してしまったとか。 他の建物も、応急処置で持ちこたえているらしい。 抜本的な修理・復元が出来ればいいのだが。

R460〜49〜252を経て、PM6:30過ぎに会津若松へ到着。 会津若松城北出丸跡をうろうろしていると、見知らぬ紳士が声をかけてきた。
「今夜の宿をどうしようかと思ってます」と私が言うと、その紳士は同行の女性をも巻き込んで宿探しをしてくれた。 何でも、その紳士はGPZ1100に乗るライダーで、バイクに乗っている人間の苦境を見過ごせなかったとのことだった。
というわけで、今夜の宿は、東山温泉松島閣滝の湯と相成った。 明日は一日中会津観光、財布の紐がまたゆるむ・・・。

通算走行距離669.8km

Case File 7 会津

7月28日、「小原庄助さん」に習い、朝風呂で一日が始まる。

まずは宿にほど近い「会津武家屋敷」。
会津藩家老・西郷頼母邸を中心に、様々な建造物が軒を連ねている。 この家老屋敷、太秦映画村あたりのセットより、遙かに出来がいいと思うが、復元のベースとなった資料の出典がなかったのが気にかかった。

続いては、「御薬園」。
会津戦争の際、官軍の治療所にされたところである。 ここの御茶屋御殿で、庭園を愛でつつ菓子付き500円也の抹茶を楽しむ。 今日も朝からカンカン照り、売店で買い物もせず、試飲用の薬草茶(もともとこの庭園は薬用植物園の機能も備えていた)をガブ飲みし、会津若松城へ入る。 只今、本丸南走長屋と干飯櫓を復元中、来年春には一般公開されると言う。 城全体からすれば微々たる物だが、それでも7億円以上の金がかかっているという(篠山城二ノ丸大書院は12億円以上)。 城内の茶室・麟閣で菓子付き500円也の抹茶(またか)を飲む。 この麟閣は、千利休の息子・少庵の手になる物で、長らく城外で保存されていた物である。

昼食後、日光方面へ出ようかと思ったが、芦ノ牧温泉で雨になり、結局市内へ引き返す。 飯盛山と旧滝沢本陣を見学し、塩川町の会津の里YHに宿を取る。 ここは自宅改造型のYHで、古びた座敷に通される。 やはり、日本人には畳である。

通算走行距離729.5km

Case File 8 日光

7月29日、天候が持ち直したので、再度日光へ向かう。

旧南会津郡役所を見学ついでに、パンフレットを物色する。 周辺には面白いスポットが数多く、いずれじっくり訪問してみたい。 只、素通りするのもつまらないので、旧本陣、阿久津家を訪ねる。 しかし、ここは現役の民家で、外部からの見学者を受け入れる態勢が不十分だったので、場所の確認にとどめる。

さて、今回の「The Operation of Poison Apple and Seven Little People」では、私が幼少の頃から一度行きたかったところを片端から回っているが、日光二社一寺もその一つである。 世界遺産に登録され、祭神たる徳川家康が今年の大河ドラマ「葵〜徳川三代」の主人公であったりと、人の集まる条件が整いすぎた中へ、乗り込んでいくことになった。

さて、日光二社一寺(日光東照宮・二荒山神社・輪王寺)の料金は複雑怪奇なもので、頭の悪そうな観光客が受付のおねえさんとケンカをしかけていた。 それを横目にしつつ、私は聞こえよがしに、「すみませ〜ん、二社一寺の共通拝観券大人一枚くださ〜い」と叫び、悠々と通り過ぎた。 ところが、この共通拝観券たるや、味も素っ気もない代物なのである。 これにはいささか拍子抜けした。 輪王寺宝物殿では、御神体の徳川家光座像を本邦初公開、これに限らず、今年の日光は初公開が多い。 さらに逍遙園(しょうようえん)・三仏堂を巡り、「今週のハイライト」日光東照宮に到る。ついに陽明門と御対面である。 噂通りの小さな門だった。 世間で思われるほど、東照宮は巨大建造物ではないのだが、日本人の優秀さを如実に示す一大モニュメントである。

別料金を払い、「奥宮」を見物、「眠り猫」もここにある。 奥へ進み、石段を登りきったところに、家康の墓所がある。 この石段の中程に、「東照公御遺訓」の有名な一説「人の一生は・・・」の立て看板がある。 何の嫌みだろうか? 続く二荒山神社に来た頃はもうヘトヘトで、別料金で公開中の「神苑」なる所に、半狂乱の態で転がり込む。 ここの茶店で、菓子付き350円也の・・・以下略。 茶店の婦人の申すらく、ここの飲み物は境内の湧き水を使用している由。 しかも、件の湧き水を、売り物にさえしている。 せめてもの腹いせにと水飲み場のヒシャクでガブ飲みし、吹き出る汗を拭く間も無く、本日の目玉・大猶院(たいゆういん)へ行く。 東照宮に遠慮した規模、デザインとのことだが、ギンギラギンの東照宮より、シンプルな大猶院の方が個人的には好感が持てる。 さて、何故ここが「目玉」なのかと言えば、大猶院内のシークレットエリアたる「奥の院」が、初公開されているからである。 次の公開の予定は未定とかで、私はたまちゃんの父親の如く、シャッターを切りまくる。 ここの係員も話し好きな人で、調子に乗った私は、徳川家光の墓所(大猶院は家光を祀っている)の前で、「ここの仏さんの死因は年いってからの女道楽でしたよねぇ」等と、物騒なことを口走ってしまう。 さて、係員氏の申すらく、「葵〜徳川三代」の影響もあり、今年は例年以上のにぎわいらしいが、中には「秀忠はどこに祀られているのか?」とトンチンカンなことを聞くスットコドッコイもいるらしい。

駆け足とはいえ、一巡するのに3時間以上もかかってしまい、郵便局のATMが使用不可となり、しかも市内には2件しかないYHも今日に限って満員である。 家光のタタリか?困り果てていた私に声をかけてくれたのが、とあるクリーニング店の御主人。 これから配達に行く家の人が、安い宿を知っているのでかけあってもらえるよう話して下さるとのこと、トントン拍子に話が進み、私は民宿「りんどうの宿」に世話になる。 手許不如意な私を気の毒がって、素泊まり料金3500円で、朝食まで付けてもらえた。

地獄で仏と言うべきか、東照大権現の御加護と言うべきか、嗚呼有り難や有り難や。

通算走行距離878.2km

Case File 9 湖畔

7月30日、宿の御厚意により、朝食を有り難くいただき、「仮面ライダークウガ」を見ながらアイロンかけをし、ATM作動開始までの時間をつぶす。

もと来た道を引き返し、炎天下の福島県内に到る。 猪苗代湖畔の洋館、天鏡閣を見学し、ソフトクリームを食べてホッと一息ついたのが大間違いだった。 澄みわたる青空の下、優雅な洋館の庭園にへたりこんでしまったら、もうどこにも行きたくなくなった。 事のついでに、会津民俗館、野口英世記念館をハシゴし、カルトツーリング情報誌「ジパング・ツーリング」おすすめの「ほりい荘」に宿をとる。 折しも、G習院D学の演劇部が合宿中で、旅のライダーは私一人であった。 ここは、風呂が自慢ということだが、ちと写真写りが良すぎたようだった。 しかし、建物の古びたたたずまいは、いかにも「田舎の湯治場」である。

通算走行距離1041.7km

Case File 10 北上

7月31日、今日はとにかく距離を稼ぐことにする。

と言いつつ、米沢市と関川村に立ち寄るのが私の偉いところである。 米沢城跡の上杉記念館、関川村の旧渡辺邸と東桂苑はしっかり押さえておく。 東桂苑見学後、ちかくのレストランでざるそばを喰ったが、これがなんとも不味い代物だった。 怒りにまかせて、私は「道の駅笹川流れ」でカレーライスを喰ったのだが、こっちの方がよっぽどうまかった・・・。

なんとか陽の暮れる直前に秋田県入りし、「象潟町青年の家」に宿を取る。 予約の際「贅沢なことは望みませんから」と言ったら、先方はそれを真に受けて、暑苦しい部屋を用意してくれた。

翌日は、「みちのくの小京都」角館町へ行く。 町内の武家屋敷、青柳邸から、西郷隆盛とおぼしき「謎の元勲」の写真が発見され、話題となった。 他にも、昔からの家は何軒か残っているのだが、一般公開されているのはごくわずかである。 表構は昔風でも、内部の家屋を今風に改築したケースも多々ある。 相続税が金納出来ず、家屋を物納しても、それが観光施設として公開されるというのは、よくよくのことであろう。 行政サイドが規制の網をかぶせても、住民の理解と協力が無ければならず、、さもなくば不毛な論議が続くだけである。

Case File 11 祭だワッショイチンカッカ

8月1日、角館観光を終えた私は、その足で青森県弘前市に入った。

今日は「弘前ねぷた祭」の初日。 私も見物人の行列にまじる。

太鼓の音が響き、「ヤーヤドー」のかけ声共に、各町内自慢の「おらほのねぷた」が巡行する。 「芸術作品」とも言うべきねぷたばかりではなく、「おじゃる丸」のねぷたも、まったりと進む。

弘前市内のサウナで一泊、翌日朝っぱらから「VULLGAIYER」をひっくり返し、近所のバイク屋まで押して行くハプニングもあったが、午前中に弘前城跡・石場家・藤田記念庭園を訪ねる。 藤田記念庭園でアイスティーを飲んでいると、そこのウェイトレスが、昨日巡行していた「おじゃる丸ねぷた」の話をしていた。 わたしもそこへ入り、ひとしきり盛り上げる。
午後も市内観光を続行、夕陽が西の空を染める頃、ねぷたが集結し始めたのを見た私は、弘前での連泊を決意、偶然飛び込んだビジネスホテルで、「ねぷた料金」を取られる。

ところが、翌日何故か私は朝9時近くまで寝てしまう。 家を出てからというもの、変に寝起きのいい毎日だったので、この辺で少しはゆっくり寝ろという天の声だったのかも知れない。

青森市内へ入り、少し早い昼食後、青森駅前の藤田呉服店で「ねぶた祭」の「ハネト」の衣束のレンタルの手配をする。
時間つぶしがてら、商店街をうろつき、何気なく入ったほんやで「おじゃる丸のまったり人生のススメ2」を発見、どこの本屋でも品切れだったので、早速買っておく。 さて、そうこうするうち、あたりにはねぶたの運行開始を待ちきれない「ハネト」の姿がチラホラしている。 私もいそいそと藤田呉服店に戻り、着付けをしてもらう。

私の場合、レンタルセット(浴衣・オコジシゴキ・タスキ)に、草履・白足袋・鈴・袋を付け総額5670円になった。 本来花笠をかぶるのが正装だそうだが、そこまでやっているのは一部の人だけのようだ。もし、来年くることが出来れば、上から下までフルセット買い取りで身を固めることにしたい。 さて、集合場所に行ってみると、思った通りと言うべきか、「株式会社マ印神内商店」のシャケバイター御一行様の姿があった。
「ねぶたヴァージン」私は、ベテランである彼等について行くことにする。 初心者らしく、大人しくしているつもりだったのだが、いざ運行が始まると、私は周囲の誰よりも大きな声で、

「ラッセェラー、ラッセェラー、ラッセラッセ、ラッセラー!」

と叫んでいたのである。 もともと、私の入ったねぶたには、ただでさえ元気者がそろっていたのだから、声も大きくなろうというものである。 しかし、ゴールまで残り50mというところで、私の声帯も限界となった。 「鉄」ならぬ「プラチナ」の声帯を持つこの私が・・・。 ねぶた祭恐るべし、である。

そして、私には、さらに深刻な問題があった。 今夜の寝床である。
ベテランの「ハネト」集団は、青森港近辺に集結し、巨大なテント村を形成して「ねぶたウィーク」をすごすのだが、1日限りの私にはそこまでの「覚悟」が無く、青森駅で駅寝でも・・・、と軽く考えていた。 ところが、世の中はよくできたもので、青森駅前は「ジベタリアン」対策の散水のために水びたしとなっており、やっと乾いた所を見つけたら、今年は暴走族が騒ぎ始めた。 結局私はR7沿いの「青森健康ランド」に移り、「ねぶた料金」を取られる羽目になる。

しかし、それさえ無ければ、ここはライダーにとってはいい所である。 靴用のロッカーは縦長で、ヘルメット用のロッカーもある。

通算走行距離1785.3km

Case File 12 最北

8月4日、青森市森林博物館を見学し、下北半島を北上する。

今日は夜中までに大間に到着できればいい。 道すがら、恐山に寄る。 全くの期待はずれ。
旧ハイ水の「霊媒コーナー」の方が、はるかにマシである。 「ウ、ウ、ウウウー、アー私はアキノ氏だああー!!」
とりあえず、「立ち寄った」証拠として、般若真経手ぬぐいを購入、県道4号線を走り、薬研温泉と奥薬研温泉をハシゴする。 どちらもアブが多く、ゆっくり入浴するには少々辛い。

R279へ出て、本州最北端の地、大間崎を目指すが、ジトジトと雨が降り始め、津軽海峡越しに北海道を見ることはおろか、連続テレビ小説「私の青空」ロケ地巡りもままならぬ有様である。

旅行くライダーの常として、「端っこ」はしっかり押さえておきたかったのに、結局大間崎とその周辺については、写真一枚撮影していない。 これで来年再訪する口実ができてしまった。

今日は港で夜を過ごすつもりだったが、夜中のフェリーが欠航するため、港をロックしてしまうとのこと、大急ぎで目の前に停泊している最終便に飛び乗った。 それから2時間そこそこで、函館入港である。 なんと呆気無いことか・・・。

総括その1

家を出てから二週間、「The Operation of Poison Apple and Seven Little People」は終了した。

今にして思えば、いささか宿賃を使いすぎた感があり、それが財政を圧迫しているが、内地で宿を取ればそんなものと、諦めるしかあるまいか。

また、今回は、他人の情けに助けられることも多々あった。 日本もまだまだ捨てたものではない。 そんなこんなの2週間、これまで写真でしか見たことのない物の現物をこの目で見ることができたが、やはり現地へ行ってわかることも多く、寄り道も楽しかった。 ただ、いささか「駆け足」の感もまた無きにしもあらずで、継続課題も発生した。

たとえば、新潟県内の変態老人、もとい豪農の館巡りである。 次回は公開されている物は、ことごとく見ておきたい。 そして今回のハイライト、ねぶた祭。 やはり祭は「見る」よりも「出る」ものである。 すごい、楽しいとは聞いていたが、次回は青森港あたりにゲリラキャンプを設営し、開催期間中皆勤したい。 しかし、そのためには、また社会復帰を見送ることになりそうだが・・・。

くどいようだが、ねぶた祭は「クセ」になる。 青森市民の皆様が、実にうらやましい。 「観光化した」との声もあるようだが、どうかいつまでも、「参加可能」な伝統行事であって欲しい。

弘前に於いては、弘前城を一周していない 。岩木山も、遠くから眺めただけである。 (その間中、「帰ってこいよ」の一番を歌い通しではあったが・・・。)

本レポートをここまでお読みになった皆様にとって、一番の疑問点であろう事にお答えしよう。 新潟の少女監禁事件の犯人宅、そして事件の最中に官官接待の舞台となった温泉宿と瓢湖は、事前の情報収集不足のため、今回は見送りのやむなきに到った。 また、日光いろは坂については、純粋に時間の問題である。 私が「峠のまったり者」だからというわけではないので、念のため。

しかし、東北地方の人にとって、よほど「姫路ナンバー」は珍しいのだろうか? 私が駐停車をする度に人だかりができ、無遠慮に指さしては、声高に騒いでいるのである。 また、今回は網を広げすぎたので、次回はもう少し定住型、一点集中型のプランを検討したい。 そしてもう少し「自分」の写った写真を撮影することにしよう。

余談ながら、私が今回このルートを取ったのは、会えるものなら会いたい人がいたからである。 それは、テレビ朝日系のバラエティ番組「8時だJ」の人気コーナー「出張ダンスアカデミ−OH!YEAH!JI組」に出演していた、秋田南商店街、鬼怒川温泉街オヤジ組の面々である・・・。

Case File 13 函館

8月4日午後10時20分、フェリーは定刻通り函館港に到着した。

小樽に比べ、ひっきりなしに船舶の出入りのある函館港は、人の動きも活発である。 私を含め、何人かのライダーが、時間つぶしと雨宿りを兼ねて待合所のベンチに陣取っているが、座り心地の悪さと騒々しさのため、おちおち寝てもいられない。 それでも、タフなライダーは、ややこしいかっこうでグースカ寝ている。

そうこうするうち日付けも変わり、雨も小降りになったので、私は市内のライダーハウス「ミートハウス」に早々と宿を取る。4年ぶりの利用である。 ここは、1泊目は900円、2泊目以降は500円となっており、長期滞在者には有り難い所である。 また、路面電車の駅にも近く、市街地へも出易い。 上陸初日こそ雨に降られたが、翌日は路面電車と徒歩、翌々日はバイクで市内観光を楽しむ。

さて、私が今回楽しみにしていたのが、トラピスト・トラピスチヌ両修道院である。 有料公開をしているわけでもないのに、何故か案内板がデカデカと出ている。 門前にささやかな売店や資料室を設けているが、俗世間との接触はそこまでで、内部では厳格な戒律の下に、祈りと労働の日々が続いている。 申し訳程度の買い物し貸せず、あまつさえ写真撮影までして帰ってしまった私は、何というバチ当たりであろうか。

ここでザンゲをもう一つ。 函館にはハリトリス正教会(愛称ガンガン寺)というロシア正教の教会がある。 ここは、建物の維持費として、200円の寄付金を募っているのだが、こともあろうに私はそれを支払わなかった。 とは言え、私に金が無かったからではない。 先方の釣り銭が不足していたのだ。 それならばと、私は写真集を買い、小銭を使わないですむように(合計1000円)したのだが、それでもダメだった。 もっとも、ここで一般人の目に触れるのは、玄関を入ってすぐの礼拝室のみなのだが、悪いことをしてしまったという思いは、今も消えない。

宿には、車で来ている宿泊客がおり、彼の運転で箱館山に夜景を見に行った。 「二輪車通行禁止」も何のその、多数のライダーがバイクでやって来ている。

箱館山の夜景は、「百万ドルの夜景」と言われるが、全くその通りであった。 しかし、ヒネクレ者の私は、敢えてこう言う。
「カメの背中の友引町」と。(参考:うる星やつら2ビューティフルドリーマー)

Case File 14 北上U

8月9日。朝から快晴。今日からいよいよ北上する。

8月12日に、留萌で、大の悪友Y.I君と再会する予定なので、まずは小樽を目指すことにする。 R227〜228を経て江差に入り、開陽丸・横山家・中村家(以上外観のみ)を見物、数年前に解体修理を終えた旧檜山爾志郡役所を見学した後R229を北上する。
途中、平田内温泉の混浴露天風呂「熊の湯」に寄る。 渓流際の岩のくぼみが湯船となっているのだが、先着のバカ者が湯を薄めすぎており、(湯加減用の水を注入するホースが湯船に入ったままだった)私はポチャンとつかっただけで脱出した。

このR229は、「親子熊岩」をはじめとする奇岩怪石がズラリと並んでおり、気に入った岩を見つける度、私はバイクを止めて写真を撮っていた。 しかし、道路工事もいたるところでやっており、トンネル2本にまたがる片側相互通行もザラであった。 冬の訪れが早いので、内地のように年度末に予算の使い切りを兼ねて工事ができないのもわかるが、観光シーズンを外そうとは思わなかったのか?
これだからお役所というのは・・・。

イライラしながらの北上ではあったが、思いがけない発見もあった。 かつての鰊番屋を転用したとおぼしき「鰊御殿」という旅館や、北海道有形文化財指定の佐藤家である。

そうこうするうち、旗鑑「VULLGAIYER」は泊村に入った。 泊原子力発電所をめぐって揺れ動く、あの泊村である。 原発誘致の見返りとして建設された、およそ不似合いな「箱物」が軒を連ねている。 これ等の建物が、近い将来「壮大な墓標」にならないと、誰が断言できるであろうか?

暗澹たる思いを抱きつつも空腹には耐えられず、「道の駅オスコイ!かもえない」で夕食。 奇岩怪石を愛でつつ積丹半島を北上するも、神威岬を目の前にして陽が暮れガソリンも乏しくなった。 北海道のG.S.は、都市部を除けば閉店時間が以上に早い。 青くなった私は、やっとの思いで閉店間際のG.S.を見つけたが、その時すでに夜の帳がおりており、私は積丹岬を見残したまま、結局「道の駅よいち」で野宿をする。

翌日、大渋滞のR5を通って札幌にはいる。 いつものように駅の南側に停車し、いつものように「雪印パーラー」に行く。 一連の騒動で、企業イメージを大いに損ねた雪印だが、大入り満員の盛況である。 しかしそれを嘲笑うかの如く、相次いで不祥事が発覚している。 「スノーブランド」の名声は、どこまで墜ちていくのだろうか?

今日は、札幌駅北口で駅寝をする。 昨年もそうだったが、ライダーは私一人で、あとはチャリダー・トホダーばかりである。 かつてのにぎわいを知る私にとっては、隔世の感がある。

Case File 15 留萌

8月11日、朝から雨。 ウンザリしつつ荷造りをし、R231を北上する。

雨・風・腹痛にさいなまれつつも北上につれて風雨も弱まり、留萌に入る頃には、レインコートは生乾きになっていた。 北海道の天気の極端さに救われた形である。

留萌での宿は、「ミツバチハウスARF」宿賃無料・ガス水道完備・交通至便と、言うこと無しのライダーハウスである。 北海道上陸までに金を使いすぎたので、ここで長期滞在し、少しでも金を浮かせたかった。 留萌来訪は、2年ぶり3回目である。 今回初めて知ったことなのだが、ここは数の子の生産日本一で、ヤクルトスワローズの若松監督や、「毎日香」のコマーシャルソングや「がんばれ元気」で有名な森田公一氏の出身地でもある。 ただのシュールな港町ではなかった。

雨降りの日には、間違ってもバイクに乗らないのが自慢の私が、万難を排して留萌入りしたのは、本レポートで何度も名前の出た私の大の悪友Y・H君と合流するためであった。 ところが、Y・H君は、マシントラブルをおこしたため、結局合流は果たせなかった。

この「ARF」の近所には、夕陽の名所として有名な黄金岬の他、海水浴場も多く、退屈することはない。 また、一昨年は解体修理中だった増毛町の旧本間家が一般公開を開始しており、北海道最古の鰊番屋であることが判明した佐藤番屋も、来春公開の予定である。
さて、「ARF」では、まいとし8月19日を「バイクの日」と定め、会費500円で飲み放題喰い放題の「ライダー祭り」を開催し、町おこしの一翼を担っている。 17日頃から、続々とライダーが集結し、18日には、向かいの信用金庫にまでバイクがあふれた。 大挙集結したライダーの中には、私の大学の後輩もおり、彼等と海水浴に見せかけて、密漁に出たりもした。

ただ、18日にARFに来たライダー全員が、祭り前日の高揚感を楽しめたわけではない。 この日、一人の老ライダーがARFに宿を取った。 宿泊手続きの際、「今日は夜通しにぎやかで、寝られませんよ」と念を押されつつ、件の老ライダーは早々と床に就いた。 ところが、夜がふけるにつれて、宿泊客のボルテージは上がる一方、ついに老ライダーは、夜の夜中に荷物をまとめ、ARFを出て行った。
「オレがバカだった。」の一言を残して・・・。
若いライダーからすれば「一緒に騒げないアンタが悪い。」と言うところだろうが、私の心には引っかかるものが残った。

ともあれ、18日は大にぎわい。 山と積まれた肉や魚介類・果物は、あっと言う間に参加者の胃袋に消えてゆく。 なお、この日参加者には、カレンダー付北海道地図ポスターが配られた。 祭り自体は、案外早くお開きになったが、一部有志は黄金岬に場所を移し、二次会に突入、そこでは正視に耐えられぬ光景が繰り広げられていた。

翌日以降、「ARF」はもとの静けさをとりもどし、自堕落でまったりとした毎日が続く。 そして、8月21日深夜、本レポートの冒頭に登場したK・Y君が、「ARF」入りした。 それから2日間、K・Y君を留萌各所へあんないし、ついでに「SAFTY・SUMMER・HOKKAIDO 2000」の赤旗を手に入れる。
これは、キャンペーン期間中、参加バイク店で「交通安全宣言」なる物に署名もらえるのだが、数が少なく、入手困難な代物である。 20世紀最後の夏に、いい土産ができた。
留萌で最後の夜となった8月23日、私とK・Y君との間で、よからぬ相談がまとまった・・・。

Case File 16 札幌

8月24日、私とK・Y君は札幌の有名ライダーハウス「大自然オートハウス」に移動した。

その道中、ほくれんのG.S.「JAいしかり」で、2000年度版「JIG.ZAG」3冊を入手した。 昨年度のものより楽しい内容になっており、しかも100円の募金だけで済んだので、満足感もひとしおである。

このライダーハウスを利用するのは6年ぶりになるのだが、オーナーは私のことをよく覚えてくれていた。 6年の間に、屋根は補強され、布団も大量に用意されている。 そして何よりも、「ススキノ情報」の充実ぶりには、目をみはるものがあった。 ここを拠点にススキノへ出かけたライダー達の、金を惜しまぬ悲喜こもごものレポートの数々もさることながら、何よりも私の目を引いたのは、大量にプリントアウトされた、ソープランドのH.P.であった。 森喜朗が、サミットや国会でバカの一つ覚えのように騒ぎ立てる前に、IT革命は確実に進行していた。

寝床を確保し、荷物を降ろした私達は、夕方前に札幌の中心街へ移動したのだが、バイクの置き場に困ると思い、私の旗艦「VULLGAIYER」でタンデム走行した。 運転はK・Y君である。 ラーメン横町で腹ごしらえをし(反町隆史が来た店だった)、銭湯で身を清めた後、私のなじみの「11:PM」へ行く。 今回の相方は、北海道大学OGの「エリカ」嬢である。 よかったよかった。

翌日、朝もはよから五右衛門風呂を沸かし、朝風呂を楽しんだ後、私達はススキノへ「別の朝風呂」に入りに行く。 目指すは「気まぐれ天使」。 お相手は22歳の「まりあ」嬢である。 朝からいい汗をかかせてもらった。

K・Y君は北海道脱出を明日に控えており、ここでしばしの別れとなる。 彼は小樽へ、私は富良野へと、互いの愛車は東西に進路を変えた。

Case File 17 東進

8月25日、札幌を離れた私は、夕張で遅い昼食を取り、日高でソフトクリームをなめた後、当初の予定通り「おじゃる丸」の再放送が終わる頃、富良野に到着した。

今日の宿は、昨年一ヶ月近く世話になったライダーハウス「宝来」である。 オーナー夫妻は、いつまでたっても私が来ないので、心配していてくれたとか。 有り難いことである。

夕食を済ませた頃、ついに雨が降り出した。 翌朝になっても雨はあがらす、私は連泊のやむなきに至る。 これで宿賃が2000円かかり、しかも、よせばいいのに、同室のメンバーと二番続けてささやかながら酒宴を張ったので、私の財布の中身は寂しくなるばかりである。

話は前後するが、私は今年も「株式会社マ印神内商店」でアルバイトをする予定だった。 ところが、同店の人気は異常に高く、すでに6月半ばで定員いっぱいとなっていた。 困った私は、ARFで見つけた「シャケバイター募集」のビラに一縷の希望を託して、電話をかけたところ、トントン拍子で話が進み、来る8月30日までに標津へ移動することとなったのだ。

しかし、時間はあっても金はない。 さいわい27日は快晴だったので、私は池田町にある、素泊まり一泊300円のライダーハウス「一福」へ移動する。 ところが、私の持っている「ツーリングマップル北海道2000年版」には、まるで見当違いの場所に「一福」の名前が記されていた。 やっとの事で到着したら、夜になってからまた雨が降る。 運と金の無さを嘆いたところで始まらない。 翌日、多少天気が持ち直したので、私は屈斜路湖へ進路を取った。

ここへ来たならやることは一つ、「コタン温泉」での「おバカな写真撮影」である。 しかし、それもつかの間、またしても雨。 とっとと宿に戻る。

今日の宿は、2年ぶりの宿泊となるライダーハウス「ぽんと」である。 もう少し客が増えるかと思ったが、私と他には、女の子二人組のライダーだけである。 しかも、私が寝ている部屋は、かつて大の悪友Y.I君と、ワイワイ騒いだ部屋である。 何の皮肉か・・・。

翌日、ウソのように天気が回復、コタン温泉・砂湯をハシゴし、「おバカな写真」を撮影する。 因みに砂湯とは、埼玉県桶川市の女子大生殺人事件の主犯・小松和人の水死体が発見された場所の、すぐ近くである。 コワ〜〜〜。

Case File 18 標津

8月29日、私は標津に入った。

そのついでに、昨年世話になった神内商店に立ち寄る。 パートのオバチャン達は相変わらずお達者で、私を贔屓にしてくれていたFさんにいたっては、腰を抜かして喜んでくれた。

今回の私の就業先は、「株式会社やまじゅう前川商店」である。 仕事始めは9月1日と相成り、それまでこれといってすることもなく過ごす。 私達アルバイターは、同じ敷地の中にあるライダーハウスCUBS(カブス)を宿舎とし、ここから通勤するのだが、「ユニーク」というか「濃い」というか、とんでもない顔ぶれがひしめき合っており、私が「普通」に思えてならなかった。 面白いのは、彼等の多くが、ギター・三味線・ラテンパーカッションを得意としていることで、仕事が早じまいになったときなど、様々なセッションがなされ、ついに私も、18年ぶりに「ギレン・ザビのテーマ」(劇場用ガンダム第一作のラストで使用)のギター演奏に再チャレンジする始末である。

前川商店では、今年工場を新築し、新しい体制で鮭のシーズンを迎えた。 ラインは「現場」と「整品」に大別され、前者は鮭の腹切り〜イクラの加工までを、後者はイクラのパッキング・箱詰めを行う。 私は「整品」に配属されたのだが、過去2年間のバイトを通じ、鮭の血と海水にまみれることに快感すら覚えるようになった私にとっては、欲求不満もつのりがちであった。 時々、「現場」から助っ人に来たメンバーも、「現場では爽やかな汗をかくけど、整品では嫌な汗をかく。」と言っていた。

ここで突然苦情のコーナー。 こらーっ!!整品で責任者ヅラをしていた島崎某!! 私はお前に文句があるんだ!!

まぁ皆さん聞いて下さい。 お前は整品のラインの某女工(性格ブス)の実兄であるところから「あにー」と呼ばれていたが、それでは「宇宙刑事シャイダー」のヒロイン・アニーと音が同じで、まぎらわしいやないか!! それだけでも腹が立ってならんというのに、お前はいつも露骨な依怙贔屓ばっかりしてただろ!? しかもその対象が、お前と似たり寄ったりのヒゲ面のデブ男ばっかりやったやないか!!

お前はっきり言うて「デブ専」とちがうんか!? 一応結婚はしとるようだが、そんなもん偽装結婚やろ!? 何?認める?今さら遅いわこの変態野郎!! たとえお前が満座の中で、野村沙智代のヘアヌードをズリネタにして一発コイて見せたところで、許してやらんからそう思え!! プンプンプンプンプンプンプン!!

結局私は予定を短縮し、10月7日に標津を発進することになった。 しかし、考えてみれば、これはこれでよかったかも知れない。 私は当初、10月いっぱいバイトをするつもりだったが、そのころには格安のライダーハウスはほとんど休業しており、フェリーに乗るまでの宿賃だけでもバカにならない。 さらに、雪でも積もるようなことにでもなれば、脱出がますます遅れてしまう。

私は完璧な身辺整理と礼に適った挨拶の後、前川商店を後にした。

なお、私の滞在中、「日本列島ダーツの旅」の取材チームが「CUBS」に来た。 私を含む何人かがインタビューに答えているのだが、10月25日に放送された本編では、しっかりカットされていた・・・。

Case File 19 帰路

10月7日、私の心とは裏腹に、絶好のツーリング日和である。

14年間愛用している「KUSHITANI」の冬物ジャケットの下は、うっすらと汗ばむほどなのだが、山道にはいると、やはり寒い。 R241沿いの某レストランで、やや遅めの昼食。 表を見れば、未だに居残っているライダー達が、傍目も振らずに走っている。 日没が早いのコーヒーブレイクどころではないのだろう。 私も夕方に足寄町へ入り、「大阪屋食堂」に宿を取る。

宿泊客は、私の他にもう一人だけ。 客足が落ちたので、今年のライダーハウスとしての営業を、そろそろ終えようとしていたと、御主人が話していた。 私のお目当ての「エゾ鹿定食」が品切れだったので、今夜は「ジンギスカン定食」にする。

翌日、「仮面ライダークウガ」を見た後発進、「道の駅足寄湖」からエゾ鹿肉のパックを発送し、富良野の「宝来」に移動する。 その道すがら、小雨と侮りレインコートを着なかったのが悪かったのか、少し風邪気味になったので、連泊して養生する。

10月10日、札幌入り。 実家に土産を発送し、市内の旅人宿「NADA」に投宿。

外国からの客も多い宿である。 私と同室になったのは、アメリカ人とシンガポール人だった。 「旅人宿」とは、旅行者として北海道にやってきた人が、ついつい移住してそのまま宿泊業を開業した、というパターンの宿が多く、経営者のカラーやこだわりが魅力となっている 。私は札幌で泊まったら、必ずドンチャン騒ぎをしていたが、この日は初めて静かな夜を過ごした。 ワイン片手に読書にふける等、かつて無かったことである。

10月11日、「おじゃる丸」を見終わってから発進、小樽へ向かう。

天気がいいので、積丹半島へ足をのばそうかと思ったが、小樽駅前で空はドンヨリと暗くなる。 こんな空模様の時に景勝地に行っても仕方ないと思い、市内をうろうろして時間をつぶし、最後の宿「小樽グランドホテルクラシック」にチェックインする。
ここは、市内の歴史的建築物にも指定されており、一度泊まってみたかったところである。 荷物を降ろすなり雨が降り始めたが、ホテルの御厚意により、「VULLGAIYAR」をホールへ移動させてもらうことができ、雨ざらしにせずに済んだ。 夕食はホテルの向かいのレストランで食べたがこれは失敗。 なお、寝酒は余市ワインの"Zweigeltrebe-Blush"である。

さて、小樽市では、アメリカの原子力空母キティホークの入港を10月13日に控えており、賛成・反対それぞれの立場から様々な意見が上がり、板挟みになった小樽市長は、出張と称して東京へ逃げ出す有様である。 沖縄のアメリカ海兵隊員による少女暴行事件をきっかけに、「沖縄の痛みを分かち合おう」等と、今さらながらの声があがり、昨年は別海町で海兵隊の実弾演習が実施されている。 また、小樽市は3年前にも米軍空母インディペンデンスが入港し、大勢の見物人が訪れ、少なからぬ金を落としていったことがある。 今回もマスコミをにぎわしていたのは、感情的とさえ言える反戦論と、見物人や米軍兵士の買い物を当て込む地元商店街役員のそろばん勘定である。

評論家の受け売りのようで恐縮だが、日本も独立国たらんと欲するならば、どこの国にも頼らず、独自の防衛体制を持つことは必要であろう。 「日米安保反対」と叫ぶのは簡単だが、仮に日米安保条約が撤廃されたとして、その後日本をどうやって守るのか? 聞こえて来るのは、「非武装中立」だの「話し合い」だのと、甘美な響きの言葉だけである。 人間は神様ではない。 何をするにも、「力」の裏付けを必要とする存在なのだ。 クリントンとて、米軍の戦力無くして、中東和平の仲介などするものか。 私は決して、「安保無き日本」に、過剰な幻想を抱かない。 世界に冠たる平和ボケ民族の日本人にとって、「平和を守るためのリスク」は、考えることさえ避けて通りたいテーマ、パンドラの箱である。

さて、10月13日、船は定刻より30分早く舞鶴へ入港した。

例年なら、多少の肌寒さを感じるはずなのに、今年は異常に蒸し暑い。 地球は確実に狂っているのだろうか? シャケバイはいつまでできるのだろうか?

私も来年は37歳。 いつの間にかいい年齢になった。 帰る道すがら、一つの決断が固まりつつあった。

総括その2

今次ギガ計画は、「原点回帰」がテーマだった。

そこで、私の趣味でポイントを選び、アルバム3冊分の写真を撮影したのだが、どうもカタログ写真のような物ばかりになった。 「生々しさ」が足りないのだ。

私の決断
その1.往路は青森まで陸走する。
その2.「ねぶた祭り」は皆勤を目指す。(少なくとも2日は出る)
その3.「北海道の離島」に上陸する。
その4.「出稼ぎ」はしない。
その5.次回「ギガ計画」を持って、最終計画とする。

第十二次ギガ計画発動まで、残すところ8ヶ月。

「ザジレス・ゾ、ザギバス・ゲゲル!!」((C)仮面ライダークウガ)


The Data Of Project Giga millennium

実施期間:西暦2000年7月23日〜10月13日

全走行距離:4615q

諸費用(円): 出発前準備 150,135(敦賀〜秋田、大間〜函館のフェリー代を含む)
収入: 出発時総予算 228,763
バイト料(手取り分) 200,356
429,119
支出: 交通費16,750ガソリン代19,834
入場料18,990社会勉強費25,500
宿泊費63,245飲食費127,012
書籍費72,96博物館図録代530
入浴料70,60コインランドリー使用料1,550
通信費68,10土産物23,528
地方発送費10,720 メンテナンス3,360
写真プリント代23,080雑費・その他25,940
381,205




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