Heldenlied 〜ギガ計画の顛末〜 Vol.I.
口上この度、貞広先生より、私の過去の北海道ツーリングについて、回想録執筆の依頼があった。 第1回・第2回ツーリングは私の手元に未発表のレポートがあり、それに加筆修正の上発表するが、第3回〜第9回については、何の記録も残っていないので、私の記憶をたどりながらのレポート作成になることをお断りしておく。 さてそもそもの事の起こりは、1986年8月に遡る。 NTRC会員の、NTRC会員による、NTRC会員のための、第41回信州ツーリングに沸いていたころ、当時R命館大学3回生だったS愚衛門君が北海道ソロツーリングを敢行、一躍時の人となった。その後、枚方の不良少年君も北海道上陸を果たした。彼等にそそのかされるまま、私も88年に初上陸するが、その後多少のブランクを間に挟みつつ、私一人が憑かれたように北海道に上陸し続けている。 何がどうしてこうなったのか、私も一度、じっくり回想してみるとしよう。
A.D.1988 第一次ギガ計画
プロローグ「ギガ計画」、それはかって大教授ビアスが、武装頭脳軍ボルトの総力を結集し、一挙に地球征服を達成すべく実行した一大プロジェクトであった。道半ばにしてその野望は費えたが、私は形を変えて、彼等の見果てぬ夢を受け継ぐことにした。 当時、貧乏暇なしの安サラリーマンだった私には、北海道ツーリングも、地球征服に匹敵する大事業に思えたからだ。そこで、私が数次に渡って実行した北海道ツーリングにも「ギガ計画」の名を冠し、その顛末を書き記す。
BGM 狂気の呼吸(交響組曲・超人メタルダー)
I. Rubicon「ギガ計画」は、フェリーの予約から始まった。 さらに、不足物資の調達・旗艦「GIGA-VOLT」の整備・職場への休暇届提出等に追われ、楽しくも慌ただしい日々を過ごし、ついに迎えた1988年8月14日午後3時5分、排気音も高らかに「GIGA-VOLT」は下宿を発進、ここに「第一次ギガ計画」が発動した。 敦賀港へ向かう道すがら、タンデムシートに荷物を満載したバイクを多数見かける。この時期、ライダーのすることは似たようなものらしい。5時過ぎに敦賀港に到着。すでに多くのバイクが列をなし、乗船開始を待っている。やがて日も暮れ、夜の帳が降りた時、種々様々な排気音と共に、私達は船中に移り、名々のバイクは手際よく固定される。しかし、秩序正しい行動はここまでで、私達二等船室の乗客は、それこそ血眼になって自分のスペースを確保しなければならない。 そんな騒動も一段落つき、私は港で仲良くなった名古屋ナンバーの二人組と連れだって、缶ビールとつまみを手に甲板へ上がった。つボイノリオ氏に師事し、多少なりと名古屋についての知識を得ていたこともあり、ローカルな話題でけっこう盛り上がったが、さすがに私が「飲んでりゃーすか・・・」のCMコピーを口にした時、明らかに彼等の顔色が変わった。そうこうするうち出港時間となり、船上と岸壁とで互いに名残を惜しみあう光景が展開される中、私達の視線はフェリーに乗り遅れた一人の気の毒なライダーに注がれていた。 ともかくも、まだ遠い大地に向けて、私達はゆるやかに、しかし確実に進み始めた。果たしてこれから先どうなることか・・・サイは投げられたのだ。
BGM DRAMA (J9HARD SERENADE)
II. First Contact8月16日午前5時、朝日に照らされた鰊御殿に迎えられつつ、フェリーは小樽へ入港した。船中で夢を語り合い、意気投合した人々とも、ここでしばしの別れである。道中の無事を祈り再会を約しつつ、私達は散っていった。 私はR5を東へ進み、札幌駅前で朝食を済ませ、時計台と旧北海道庁を見た後、旭川を経て層雲峡に到着した。有名な観光名所なのだが、嵐山のような交通ラッシュもなく、何やら肩すかしをくったような気分になる。 石北峠を越え、網走に入り、博物館網走監獄を見学後、「ログハウス夕日の家」に宿泊する。ガイドブックの、ライダー向け格安宿泊所案内のコーナーでおなじみの所である。しかし、偶然とはなんと恐ろしいものか。相部屋になったメンバーには、かっての「今夜はシャララ」のリスナーや、高校時代につボイ氏の講演を聴いたことがあるという、とんでもない奴等がいた・・・。
BGM STEPPING-OUT (ペリカンロードIII)
III. The Burning Point8月17日、知床を目指すはずだった私は、急遽宗谷岬へ向かうことになった。 「夕日の家」で、姫路ナンバーのライダーに「北海道に来たんやったら、宗谷岬に行っとかなアカン」とか「宗谷岬に行かんかったら、ライダーとちゃう」等と、そそのかされたためである。 オホーツク海とサロマ湖を賞でつつR238を北上し、これまた有名な「えさしYOU」で休憩がてら土産を買い、猿払原野を通り過ぎ、午後3時過ぎ宗谷岬に到着する。潮風に乗って、ウォッカとピロシキのにおいでもしてくるかと思いきや、右も左も「日本最北端」のオンパレードである。「日本最北端の食堂」でカニ入りみそラーメンを食べ、「日本最北端の土産物屋」で土産を買い、稚内駅前に出る。 今夜はステーションホテル(駅寝)かと思っていた時、V−MAXのライダーが私に声をかけてきた。聞けば、私と同じフェリーで上陸したそうである。また、私と同じく宿を探していた札幌のフェーザー君とも協議の結果、駅近くの旅館「さいはて」に素泊まりする。 宿に落ち着き夜の街へ食事に出かけるが、会計はV−MAX氏持ちである。ハイ水リスナーは、たかる相手を選ばない。なお、稚内駅近くには「おまん」という、関東人が喜びそうな名前の店があることを付記しておく。
BGM 漂流〜スカイハリケーン(ケーシー・ランキン)
IV. Another Encounter8月18日、日本海に沿って南下し、札幌を目指す。 ひたすらまっすぐな道の106号線から見た利尻富士の美しさは、筆舌に尽くし難い。羽幌町の「吉里吉里」で昼食を済ませ、雄冬でダートに泣かされつつも、夕方ごろに、札幌駅前に到着した。塒のあての無いライダー達が続々と集結しているが、その中に、ススキノのソープランドの割引招待券を配っているTZRのライダーがいた。私と、福山ナンバーのGSX−Rチェンジマンバージョン君は招待券をちゃっかりとポケトに入れ、翌日の早朝、そのソープランド「ニュー貴族院」に行くことになり。まずは壮行会というわけで、私・チェンジマン君・TZRくんとその同行者GSX−R仮面ライダーBlackバージョン氏とで、狸小路の「屯田の館」へ行く。 私達4人は、一番安いセットメニューの「羊蹄コース」に白い御飯とビールを付けて、この暑いのに石狩鍋をつついている他の客を尻目に、「お前も屯田兵にしてやろうか〜〜〜〜!!!」と、ハイ水宴会さながらのノリであった。 なお、この時の私達のお茶目ぶりは一枚のポラロイド写真となってこの店の壁に張られ、原本は今もなお、私の手許にある。
BGM DOWN TOWN (EPO)
V. ビシュムの紅い唇私達4人は大通公園でキャンプし、夜中の2時ごろまで騒いでいた。そして、寝不足気味の目をこするつつ、私とチェンジマン君は「ニュー貴族院」へ向かった。 しかし、わかりやすいようでわからないのが、札幌の市街地である。私達は道行く人(仕事帰りのオカマさんもいた)に尋ねたが埒があかず、思い余ってタクシーに乗ったのだが、朝も早よから、寝不足だか欲求不満だかわからん顔をして、ソープランドを探す男二人というのは、およそ絵になるものではない。 やっとこさで、「ニュー貴族院」に到着。私はマネージャー氏に「メグミ嬢」(TZR君の相方)を呼べとだだをこね、数時間待ちぼうけをくう。しかし、そうまでしたかいがあって、私は至福の時を過ごすことができ、受動的なSEXになじみすぎると、通常の夫婦生活に支障をきたすというのは事実だということを、身をもって理解できた。 「兄弟」と生き別れになって、早や12年近く。今ごろ何処でどうしている事か・・・。
BGM 裏銭湯の入り方教えます(猫の水差し)
VI. Dangerous Nightまたしても一人になった私は「GIGA−VOLT」を夕張に向けた。「仮面ライダーBLACK」ロケ地巡りのためである。夕張めろん城(シャドームーンの秘密基地・悪魔峠の怪人館)・石炭の歴史村(暗黒結社ゴルゴムのロボット基地)を駆け足で見物し、慌ただしく札幌駅前へもどる。そして、そこには新たな出会いがあった。 東京のGPZ君・岩手のFZR氏・長崎のVFR君・電車待ちの地元住民君と私とは何故か妙に気が合った。しかも、GPZ君とFZR君はそろそろ「たまっている」らしく、夜の巷へナンパに出かけた。しかし、GPZ君は「知り合いの女」の家へ行き、FZR氏は一人寂しく夜を過ごしたという。私達は一体、何をしに北海道へ来たのだろう。
BGM シューティングスター(千葉美加)
VII. Last Run8月20日、北海道での最後の一日である。 この日はずっと小樽で時間をつぶす。三角市場をうろつきまわり、土産物の発送をする。「京都から来ました」と言った途端、古都保存協力税問題について質問される。観光地のもめ事は、やはり気になるらしい。三角市場に限らず、北海道で買い物(魚・農作物)をすると、二度と錦市場へ行きたいとは思わなくなる。とにかく安いのである。 そうこうするうち、陽は西へ傾きつつある。今夜は、小樽の街はずれの「遊陽館」に泊まる。相部屋になった人々と、地図やガイドブックを広げて作戦会議をするうちに、最後の夜はふけていった。布団で寝るのは、3日ぶりである。
BGM MIDNIGHT TRAIN (JJ9 EVERY NIGHT)
VIII. Bye Bye Summer8月21日午前10時、小樽出港の時が来た。 ここで、大学時代の同級生・U君と再会する。彼は北海道は二度目らしい。「遊陽館」で一緒だった名古屋のCBR嬢達と、遠ざかる小樽の街を見つめ続ける。誰もさよならは言わない。「また来るぞーっ!!!」と心から叫んでいる。しかし、無情にも時は過ぎ、周囲の光景が次第に箱庭めいてくる。そして、運命の8月22日午後5時、フェリーは敦賀港に入港する。人々は手際よく吐き出され、拡散し、それぞれの家へ、もとの生活へと帰っていく。とうとう、さよならを言うことなく・・・。 私の胸には、北の大地への憧憬がくすぶり続け、それを押さえ続けることができぬ私は、新たな構想のもと、「第二次ギガ計画」の青写真作りに着手した。人はこれを妄執というのだろうか?
To be continued ・・・
記2000年1月16日
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