Heldenlied 〜ギガ計画の顛末〜 Vol.II.



イントロダクション

1988年8月22日午後8時30分、全走行距離1572kmを以て、夏の北海道ツーリング「第一次ギガ計画」が終了した。

それから9ヶ月、また北海道ツーリングが話題に昇るシーズンとなった。私はまたいそいそと行動を開始したのである。「第二次ギガ計画」のために・・・。

BGM 明日への旅立ち(超時空世紀オーガス)


I. Wiederaufbau

「第二次ギガ計画」は当初、現地走行4泊5日の日程を組んでいた。しかし、北海道を目指す連中は年々早手回しになっており、帰りのフェリーを一便繰り上げ、日程を短縮し、しかも「二等寝台」を利用する羽目になってしまった。消費税導入の折から、痛い出費である。プンプンプンプンプンプンプン。

日程を短縮した分、1日あたりの密度は濃くなるだろうか?等と思いつつ、買ったばかりのガイドブックにアンダーラインをしたり、良さ難を作成したりの日々が始まった。旗艦「GIGA-VOLT」も就航以来2年近く過ぎており、早いうちから整備に着手した。地図を拡げては、北海道の広さと私の休日の少なさに、ため息をつくばかりの私がいた。

BGM HEAD BREAKER (ペリカンロードIII)

II. 友よ!海を越えて

「今日は九州県人会かああっ!?」
8月13日、敦賀港で乗船を待つバイクを見て、私は思わず叫んだ。九州地方のナンバーのバイクが、圧倒的に多かったのだ。

その中の一人、福岡ナンバーのXS1100S君は笑福亭鶴光のファンで、実に私とウマが合い、1985年に終了したサンスペをなつかしみ、ロクでもない話をしていた。その隣にいたのが、北九州ナンバーのFZR250の二人組で、キャンセルが出るのを待っている、世の中をナメてかかったとんでもない連中であった。

大体、夏に北海道へ行こうとする者は、何ヶ月も前から準備をしていると思われがちだが、中には「勢い」だけの連中もいる。姫路ナンバーのCBX1000氏・舞鶴ナンバーのMTX125君もそうだった。余談ながら、MTX君は、NTRC第41回琵琶湖一週ツーリングの参加者だったそうである。さらにそこへ乱入してきたのが、北海道へ娘さんを尋ねに行くという、あるお父さんであった。FZRコンビの一人と近所同士ということで、えらく二人で盛り上がっている。このお父さんの娘さんは、北海道へツーリングに行ったまま、住みついてしまったのだそうだ。

乗船開始時間となり、一足先に私とXS君は船上の人となる。二等船室に場所を確保し、甲板からキャンセル待ち組の乗船を見守る。一人、また一人と乗船するうち、いつしか私は「あと○人」コールを始める。気分はすっかり、比例代表区の開票速報であった。

やがて全員が無事乗船、しかも彼等は「ドライバー室」という、二等船室など足元にも及ばぬ、贅を尽くした一角を与えられたのだ。何とも不条理な話である。とにもかくにも、乗船を祝して、甲板でドンチャン騒ぎが始まる。その席上、仮面ライダーとガンダムが好きで、戦隊シリーズの悪の女幹部を愛し、AVにもこだわる私は、「宮崎努」という有り難迷惑なニックネームをつけられる。

北海道は初めてというFZRコンビに、ススキノの想い出話をしていると、コンビの一人S・N君が上陸したらすぐに連れていってくれと言い出した。早めに大金を使ってしまえば、後々気が楽だというのが、彼の言い分だった。結局私は納得し、XS君も一緒に行くという。えらいことになったと思いつつ、最初の夜は更けていった。

翌日は、記念撮影と作戦会議に明け暮れる。夜はラウンジでカラオケ大会があったのだが、参加申し込みをしそこねた私と九州勢は、ぼやくことしきりである。

フェリーはすでに奥尻島の沖合、しかし、私は寝つかれずにいた。

BGM 鶯谷ミュージックホール(笑福亭鶴光)

III. Destruction

8月15日、すきっ腹をかかえて札幌駅前に到着、おちゃらけ軍団は思い思いに散って行く。後に残されたススキノ直行トリオは、FZRコンビのT・O君を大通公園に待機させ、「ニュー貴族院」におしかける。マネジャー氏は、ちゃんと私を覚えてくれていた。しかし、「メグミ嬢」は、もういなかった・・・。今回の私のお相手は、24歳のラン嬢である。彼氏がFZR1000に乗っており、自分も免許を取りたいが、その暇が無いという。しかも、恐ろしいことに、彼女も鶴光と仮面ライダーのファンであった。「乳頭の色は?」等と言いつつ、やる事はやり、最後に髪を洗ってもらったが、その時私の目の前にはラン嬢のお万さんが・・・。

大通公園へもどり、噴水の前で仮面ノリダーのポーズで写真をとり、私は帯広方向へ、三人組は稚内へ向かう。時を同じくして、台風14号が道東方面直撃のコースをとって、急速接近中であった。私が日勝峠にさしかかった時、ついに台風の前ぶれがやって来た。ただでさえ霧の多い所なのに、雨と風に見舞われた上、道路は一部工事中。言うこと無しである。思い余った私はメガネをはずし、「すっきりしたぜ!」と北条明(電脳警察サイバーコップ)を気取りつつ、なおも東進するも、帯広のすぐ手前で力尽き、R38沿いの「かにの家Part2」に転がり込む。無料宿泊所とはいえ、商売上手な所であった。

「台風14号、明日上陸。」

このニュースを聞いた時、「第二次ギガ計画」最終決定案は崩壊した。

BGM 超獣戦隊ライブマン M−21・10

IV. Return of Giga-Volt その1

8月16日、一時的な雨上がりを見逃さず、私はR38を北上し、R12を経て札幌へもどることにした。それは得策だったのだが、そのために私は見るつもりのなかった所を見ることになった。

その一つが、麓郷の森。あの「北の国から」のロケ地である。入場料こそ無料だが、売店でしっかり消費税を取られる。狩勝峠の売店でステッカーを買った時は、無税だったのだが・・・。

夕方、札幌駅前に到着、大和市のAX−1氏・名取市のGPZ君・大阪のKL250君と意気投合し、狸小路へ食事に行く。しかし、昨年行った「屯田の館」は家事で丸焼けになっており(どうやら地上げ屋の仕業らしい)やむなく「えぞ御殿」に行く。ここで私は、税込みとはいえ、5000円以上使ってしまった。腹ごしらえができたところで、AX−1氏とGPZ君はススキノのソープランドへ、私とKL君はサウナへ行く。そこのテレビニュースでは、暴風雨の圏内に入った釧路と根室の様子が報じられていた。下手をすれば、私もその中にいたのかもしれなかったのだ。もっとも、今夜の私は駅寝だが。

BGM 金田一耕助西へ行く(悪魔が来たりて笛を吹く)

V. Return of Giga-Volt その2

ポツポツと顔を打つ雨に起こされた8月17日、この日もまた、空を見上げてため息をつくことで一日が始まった。

モーニングセットを食べながら朝刊をひろげると、宮崎努の事件と双璧をなしていたのが、横山やすしの暴力沙汰であった。KL君はともかく、AX−1氏とGPZ君は、余りピンとこないらしい。

腹ごしらえを済ませ、支笏湖へ行き、R36へ出る。札幌方面へ向けて走っていると、フェリーで一緒だった京都のチャリダー5人組が排気ガスを浴びながら弁当をひろげていた。彼等も札幌へ行く途中だという。二,三言葉を交わした後、羊ヶ岡展望台へ行く。ここの名物・クラーク博士の銅像の前で、仮面ノリダーとキタキツネ男が戦ったのだ。

R12へ出て、北海道開拓の村を見学後、またしても札幌駅前へもどる。ここで私はフェリーで一緒だった(と言っても私はまるで覚えていなかった)熊本の750刃君に声をかけられる。私・刃君・神奈川のCBR君・枚方のオフローダー君とで、札幌ビール園へ食事に行く。私以外の3人は、実によく食べる。なお、刃君はあの関島秀樹氏を知っていた。関島氏は、熊本では通好みの歌手らしい。

結局、今夜も駅寝である。

BGM 風のアルペジオ(関島秀樹)

VI. そして船はゆく

8月18日、今日はフェリーに乗るだけである。

昨日と同様、モーニングセットを食べながら、「宮崎努」一色の朝刊を読む。横風の吹きつける中、小樽に到着。市指定文化財の旧遠藤邸が期間限定公開、さらに、旧青山別邸も有料公開を始めていた。旧遠藤邸は、表側しか残っていないが、旧青山別邸は、かっての大富豪の栄華の跡をよく残していた。

また、あの北一硝子が、とうとう美術館をオープンした。その名も「Museo-Dell'arte-Veneziana」早い話が「ヴェネチア美術館」。ヴェネチアに点在する宮殿の名を冠した部屋に、ヴェネチアン・ガラスの名品を展示し、宮殿の生活様式を再現している。ガラス会社の副業らしいと言ってしまえばそれまでだが、見る方としては気が気でない。「御自由にお持ち帰り下さい」と言わんばかりの展示法をしているのだから。

三角市場で土産の発送を済ませ、運河周辺を散策し、小樽港へ向かう。そこでは、あのXS君がキャンセル待ちをしていた。今回もまた、キャンセル待ちも全員乗船。京都のチャリダー5人組、行きのフェリーで一緒だったVT君もいる。今回のツーリングは、たいしてあちこち見られなかった分、様々な人に出会えた。

8月19日、またしてもカラオケ大会があり、私とXS君はしっかりと申し込み、自慢のノドを披露するも、人妻の色香に目がくらんだ審査員のせいで、私達は優勝を逸した。私が内心穏やかでなかったことは言うまでも・・・ありませんでした。

8月20日午前6時、敦賀港入港。私達は散り散りになる。当時、私は予定変更の連続だった今次ギガ計画を回想し、与えられた日数の少なさを呪っていたものであった。

その後、程なくして、私は「究極の選択」を、自らに課すことになる。

BGM 輝きと煌めきのあいだ(交響組曲・超人メタルダー)

エピローグ

今回、つボイ先生についてよせられた声。

「つボイノリオって、バイクエッセイストですか?」(敦賀港にて、熊本の某ライダー)

「つボイノリオ? なつかしですねー。今、何やってんですか?」(札幌駅前にて、名古屋ナンバーのオフローダー夫婦)

「私、知りません」(ススキノにて、ニュー貴族院のラン嬢)

また、NTRC第41回琵琶湖一週ツーリングの参加者や、第3回蛤御門の変なコンサートでセーラー服を売りつけられた奴等、思いがけないつボイ教徒との出会いもあった。

北の大地の風の中、私は多くの人と出会い、そして別れた。それを繰り返したいために、私は北を目指すのだろうか・・・。

BGM 機動戦士ガンダムII哀戦士 M-24

あとがき

初期の「ギガ計画」の記録写真を見る度に、つくづく私は「若かったんだなあ・・」と思ってしまう。

平成の御代も、いつの間にやら12年。今回のレポートに登場したXS君や、S・N君、T・O君も、今では身を固めている。新日本港フェリーも、この当時は「ライダー難民船」と言われていたものだが、今では豪華船が就航するようになり、敦賀や小樽のターミナルビルもリフォームされた。私がよく食事をした札幌駅前の「エル・ポヨ・ロコ」も、姿を消してすでに久しい。

「大人の古い昔話は、まるで遠い日のアルバムのようなもの」という歌もあるが、それでも私は「ギガ計画」の記録を残し続けるであろう。想い出とはいつでも取り出せるようにしておくものだから・・・。

記2000年2月12日



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