Heldenlied 〜ギガ計画の顛末〜 Vol.III
口上つボイノリオ先生ではないが、今回は言い訳から始める。 この度報告する「第三次ギガ計画」は「つまらない」のである。ほとんど書くことがない。 その点は、まずご承知願いたい。
第三次ギガ計画「第三次ギガ計画」は、前回から3年のブランクを置き、'92年8月11日の発動となった。GW中、帰省ついでにフェリーの予約こそしておいたが、行きは敦賀発小樽着、帰りは釧路発東京着という、とんでもなく変則的なものになってしまった。 そこで、北海道に上陸早々、予約を取り直し、小樽発敦賀着のチケットを手に入れた。結果としてこれは成功というのも上陸初日は大雨で、ついに札幌で一泊することになったからである。 札幌での宿は、ライダーハウス「くろねこや」。当時、札幌駅から最も近かったライダーハウスである。 近所の人の話では、札幌の開拓が始まった当初からの建物らしく、言われてみればどこか懐かしいたたずまいをそこかしこに残していた。また、ここの向かいには「札幌市指定有形文化財・旧簾舞(みすまい)通行屋」という、内地ではほとんど知られていないあろう古建築もある。札幌という町も、歴史的建造物がかなり残されている。(ススキノのド真ん中にさえ!) 翌8月14日、多少天候が回復したので、少しでも遠くに行こうとしたが、昭和新山あたりでまた雨が降り出し、とっとと小樽へ引き返す。今回は、現地行動2泊3日の超短縮日程なのである。だから冒頭の言い訳をさせてもらった。 雨の中、小樽駅前の三角市場へ駆け込む。果物屋のおばさんは、私のことをよく覚えてくれていた。土産の発送を済ませ、もうどこにも行きたくなくなった私は、結局駅前の某銀行前で野宿をすることにし、隣に居合わせたライダーと寿司を食べに行き、ついでに銭湯に寄る。 余談ながら、小樽は知る人ぞ知る銭湯天国で、対人口比に見る銭湯数は北海道一とのことである。外観・内装に様々な趣向を凝らして入浴客を楽しませてくれており、今回寄った「稲穂湯」も「歴史の証人」たるに相応しい建物だったが、'97年4月6日に消失してしまった・・・ 今次ギガ計画は、まさに「強行」であり、高い交通費を使って富良野メロンの買い出しに行っただけ、というのが正直な感想である。翌日、小樽を出港したが、同じ船内には、第41回NTRC天橋立ツーリング参加者のK・S君等、多数の旧ハイ水リスナーがいた。しかし、彼等にとって、ハイ水リスナーであったことは、拭い難い過去の汚点であり、重くのしかかる十字架らしい。 8月16日、定刻通り敦賀に到着、あまりの天気の良さに物も言えない。ともかくも、「第三次ギガ計画」は終わった。三代目旗艦「VULLGAIYER」に、北海道の土を踏ませることができただけでも、よしとするか・・・。
記2000年6月17日
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