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初日いきなりぼったくられる。 インドに着いたのは夜中の12時を回っていた。 ガイドブックには「空港を出たらわらわら物乞いが集まってくる」と書いていたが、遅すぎて誰もいない。逆に不気味に感じた。そして外は電気がついておらず真っ暗。とても怖い。どうやって町に行こうかと思った。 今思えば空港で一泊してもよかった。 でも、これはやばいと思って、俺は明らかに怪しいタクシーに声をかけた。 運転手は、1メーター4ルピーとか言った。おっ大丈夫かなと思って乗せてもらうことに。 しばらく走ってから彼はトータルで街まで1000ルピーとか言い出す。 やっぱりぼったくりタクシーだった! 普通なら200ルピーしかかからないのに。しかし、そのとき、俺はインドの相場も分からなかったし、何せ外はまっくら。 牛の群れが道路を横切ったり、道で人が寝ていたりして余りにも危険。 おまけに店は全部シャッターが下りていて、運転手曰く「夜のカルカッタはとてもデンジャラス。ナイフを突きつけられることもある」とか。 それに、暗闇の中にごみをあさっているおじいさんが見えて、本当にヤバイと思った。 そういうわけで、仕方なく1000ルピー払うことにした。 しかし、タクシーで安宿街に到着したがどの宿も閉まっていて、泊まれない 今思えばノックしたらシャッターを開けてくれたかもしれない・・・。 しかしその時、運転手はマザーハウスから近いホテルを知っているという。 絶対にタクシーとつるんでいる。ボッタクリホテルだ!と思ったが泊まるところがないので仕方なくそこにいった。 到着すると1000ルピーに加え、運転手は厚かましくもチップを要求してきた。俺は相場がわからず、100ルピーあげる。全員、「マジで?」という顔で目を丸くしている。 後から分かったが、インドにはチップの週間はなく、あっても1〜2ルピーでいいそうだ。なんという出費だ。 案の定、そのホテルは、通常のホテルの倍の値段で、400ルピーもした。で、めっちゃ汚い、蚊が多い、おまけに、宿の人がチップが欲しいのかなかなか部屋から出なくて本当に疲れた。 「インドは暑いですか?」とか聞かれて「はい」って言ったら、勝手にエアコンのスイッチを入れる。そして100ルピー追加。すぐに断ったが・・・・ そんなこんなで朝になったのでさっさと宿を後にした。 |
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安宿街のサダルストリート。 世界中からバックパッカーや旅行者が集まる。 ここにのインド人は達が悪そうで、常に「ハッパ、ハッパ、オンナ、オンナ」と声をかけてきたりする。 しかしサダルには日本人も多く、着いたばかりの頃は安心感が。 ちなみに外国人を対象としているため現地の物価よりやや高め。 |
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俺が泊まったセンターポイントゲストハウス。 正直かなり快適なホテルだった。インドにしては清潔、安全、そして親切。 といってもシャワー室にネズミのフンが落ちていたが・・・・^^;。 各フロアごとにスタッフが常在していて、部屋に不審者が入らないように監視してくれている。 写真に移っているインド人はホテルのスタッフだ。 俺は彼に洗濯を頼んだ。しかし洗濯物を受け取る比に部屋を変わった。彼と会えなくて、「どうしたらいいんだろう?」と従業員に尋ねると、 彼はあわてて服を持ってきてくれた。 俺はインド人は何を考えているかよくわかっていなかったので、もしかして、服を持ってばっくれるんじゃないか?と疑ってしまったのだ。 少しでもインド人を、いや彼を疑って申し訳ないと思った。 そういうわけでチェックアウト時に一緒に記念撮影させてもらった^^。 |
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外国人が集まるブルースカイcafe。ラッシーがおいしい。氷が入っていないのでお腹に当たることもない。俺は毎日ここに寄った。 ブルースカイは旅行者同士がぶらり立ち寄る情報交換の場となっている。店の中には常に日本人はいた。 バックパッカーの話を聞いていたら、俺の体験した事など本当にボッタクリのうちに入らない。 色々と聞いたが、びっくりしたのが「デリーで日本のタバコを勧められたので、吸ったら中身が麻薬になっていた。意識が朦朧として目が覚めたらマフィアの経営しているホテルの中にいた。ホテルを出ようとしたら、囲まれて法外な金額をクレジットで払わされた」 「旅行会社を紹介されてそこに行ったら、またまた押し売り的な商法で旅券を売りつけられた。そこでは多分騙されているだろう日本人の女の子も働いていて、熱心に旅券を勧めてきた」(被害を受けた本人談) いやいや、恐ろしい限りである。 |
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朝の風景。インド人は朝集団で井戸水を使って外で水浴びする。 インドの空気は本当に不思議。 道で寝起きしている人もいれば、大金持ちもいる。信じられないような生活を送っている人もいる。身分差別も数え切れずあるのに、インドは全てを包み込んでいる。混沌としているのに一つにまとまっている。 道を歩いていたら、「俺は生きている」と不思議に感動してしまった。 彼らは、この土地も、水も、空気も共有している。苦しみも悲しみも分かち合う。どんな時もこの悠久の国は微笑んで見てくれる。インド人の心には壁がない。 誰かが誰かを必ず助ける。全てがつながっているような感じがする。俺がインド大好きになった本の一つに、遠藤周作の「深い河」がある。その本に出ていたが、インドの仏像は、日本や中国の仏像とは違い、苦しみで顔が歪んでいる。インドの仏像は、人の痛みや苦しみを変わって受けることで愛を与えるのだ。 この気持ちは他のどこの国でも感じることが出来なかった。こんなに貧しい国なのに、何故かとても優しい気持ちになった。 |
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時々インド人は金が欲しいがために日本人や外国人に話しかけてくる。しかし、本当に興味を持ったり、親しみを持ったから話しかけてくる人も大勢いる。 タゴールハウスで道に迷ったとき、学生のカップルの男の子が英語が分からないのに、俺に「こう行って、こう行って」と全身アドリブで地下鉄への行き方を一生懸命教えてくれた。 ある小さい子供は、俺を見ると、「ナマステ(こんにちわ)ってこうやるんだよ」と胸の前で両手を合わせるやり方を追いかけて教えてくれた。 ある時、通りすがりの小さな子供に「ナマステ」をすると、その子は喜んで抱きついてきた。 彼らをみると、インド人を警戒せざるをえない自分をすごく申し訳なく思った。 |
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インドではたまに旅行者を見て、同じ日本人として恥ずかしくなることもあった。 ある夜などクリケットのインド・パキスタン戦でみんな盛り上がっていた時に、ある日本人の若者達が、明日帰るからと外でビールを飲んでいた。一人の日本人は、酔っ払っていてインド人に向かって「パーキスタン!パーキスタン!」と叫んでいた。さすがにこれはやばいやろう。インドとパキスタンの対立はかなりひどく、核兵器まで作っているというのに。その対立は多分韓国と北朝鮮の比にならないのではないか?それなのに。俺は、「うわ、一緒の人間に思われたくないわ」と思って最初一緒にいたが、さっさと彼らから離れた。 また、海外、いや日本でもありふれた光景ではあるが、やっぱりここもいた日本人女と白人男のカップル。マザーテレサの家でオリエンテーションを受けているとき、二人はべたべたするわ、説明中に水を飲むわ。あまりにも態度悪すぎ。「うわ、やばい、こいつらきしょっ」と思った。 そういえばここで仲良くなったインド人も俺に「日本人の女友達を紹介してくれ」と言っていた。旅先で外人と女の話をしていると、よく「僕は日本人のガールフレンドが日本にいるよ。たまに会いに行くよ」と言われる。俺の女友達は国際交流会館に「女の子の外人の友達募集」の張り紙を出したのに、男ばかりからめちゃくちゃ連絡がきたという。「どうして?仲良くなりたくないの?」って感じで。 日本人の女はなんでこんなにもてるんだろう?俺はどうも日本人の女の子はもてるというよりか舐められているような気がしてならないのだが・・・・。 |
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この季節、インドはとにかく暑かった。本当に息をするだけで力が失われていく感じだ。水(ミネラルウォーター)をガンガン補給して、1日5リットルは飲んだ。しかし、本当にスポーツドリンクが欲しいと思った。水では物足りない。でもこの 旅でかなりの汗をかいたので、新陳代謝は活発になり肌は絶対に綺麗になっているはず^^! あと、空気が悪くて旅の後半喉を痛めたのか、咳が止まらなかった。 それにしても1週間は短すぎる。デリーでタージマハルを見たかったし、「深い河」の舞台であるバナラシにも行きたかった。日程的に不可能ではなかったけど、せわしなく動き回ったら逆に全部消化不良になると思ったし、やめておいた。結果的にずっとカルカッタにいて正解だったと思う。マザーハウスもあちこち回るよりも一箇所で長くいたので子供たちとも打ち解け情がわいた。 でもやっぱりもっと旅したかった。カトマンドゥにも行きたかったし、ネパールのほうにも行きたかった。貧乏旅行をしている人たちを羨ましく感じることもあった。 次また機会があれば、是非、是非、また来たいと思う。そう思ったインド旅行でした!! |