Volunteer at motherhonse in Kolkata India

マザーハウスでは写真の撮影は原則として禁止されていますがここの写真はシスターの許可を得て撮影しました。ご了承を!

 写真は俺がマザーハウスで1週間ボランティアした施設。名前はダヤダンという。知的障害、身体障害の子供たちが生活する施設だった。仕事内容は、子供を風呂に入れる、服を着せる、寝かす、一緒に遊ぶ、ご飯を食べさせる、等・・・。そして、施設の中の雑用もした。施設は規模が小さくボランティアは7人で共同作業を行う。施設規模が小さい分、子供たちと接する機会が多くとても楽しかった。日本人は俺ともう一人の女の子。後はフランス人が多かった。日本人は普通にマザーテレサの家でボランティアするが、外人はクリスチャンが、しかもカトリックが多い。日本は仏教徒が多く、生活には神道が根付いている。そのため多神教的な考えになりキリスト教もイスラム教も拒絶なく受け入れる。しかしながら欧米人はやっぱりキリスト教徒がここに来る。宗教がその人の人生に深くかかわっているんだなぁって思った。
 子供たちはとても人懐っこいく、ちょっと俺が床に座ってたらどんどん体をくっつけてくる。身体障害の子は比較的しっかりしていて、英語を喋るボランティアと接しているからかかなりの英語を喋れた。俺は身体障害の子達の将来ことを考えたら精神障害の子と分けた方がいいのに、と感じたが、これは俺がとやかくいうことではないかもしれない。
 俺は理学療法士の資格が役に立つかもしれないと思ったが、この時施設は改装中だった。改装が終わりみんなで部屋の片付けを手伝っていると、手製の平行棒や音楽療法に使う太鼓がでてくる。「おっ!これでやっと俺の能力が活かせる!!」と思ったがもう帰国前日だった。とても残念^^;



 ダヤダンで最後の日に子供たちと撮った写真。最後の日、俺は別れがすっごく名残惜しかった。。子供たちとシスターに内緒で遊び道具を隠し持って一緒にはしゃいでいたりしたが、子供に「実は今日が最後の日なんだ」というと、意外に意外。彼らは「そうか、元気でね」と俺に握手を求めて右手を差し出してきた。驚くほど冷静。目頭が熱くなってきてた俺にとっては少し意外だった。
 そう、良く考えれば彼らは今まで何千人ものボランティアと出会っては別れている。手伝いに来ては数日〜数週間で出て行くボランティア。俺はそんな大勢の中の一人に過ぎないのかもしれない。子供たちにはシスター以外に信じられる人がいるのだろうか?俺はたった1週間のボランティアで彼らのために一体何ができたのだろう?俺が日本に帰ったも子供たちはここでずっと生活している。彼らのことがすごく気になる。彼らは一体どうなるんだろう?そう考えてしまった。



 カリガートの入り口にて。 説明に入る前に・・・・本当に申し訳ない。施設の前でのピース写真は不謹慎でした。すみませんm(_)m
 ここは「死を待つ人の家」といわれる。ターミナルケア病棟のような感じ。末期状態の人たちが道でのたれ死ぬのではなく、誰かに見取られて死ぬためにこの施設に運ばれてくる。俺は1日だけこの施設でも働いた。

 俺は理学療法士の資格を持っていると申告すると、片麻痺の人のマッサージを頼まれた。リハビリをしないと片麻痺はこんな風になるのか!とびっくり。麻痺側はカチカチ。でも随意運動はできるがその人は起き上がろうともしない。多分高次脳機能の方も障害されているのだろうか?ヒンズー語しか話せない人で意思疎通が難しい。他にも右足部が壊死を起こしていて土のようになっており、うじが沸いている人がいて「うわっ」と思った。ボランティアがピンセットでウジを一匹ずつとりだしている。

 片麻痺の人のマッサージが終わって休憩を取りに行こうとしたら、インド人スタッフが片麻痺の人を歩かせようとしていた。そインド人の介助方法を見てびっくり!病院実習の成績がかなり悪い俺が見て、これはやばいと思ったから相当やばい思う。インド人スタッフは四脚杖を健側に持たせて、健側だけでケンケンで歩かせようとしていた。しかし、麻痺側は筋緊張がめちゃくちゃあがり、屈曲共同パターンを起こしてる。その人が健側で踏ん張るたびに麻痺側は上肢も下肢も屈曲共同パターンが増強していく。インド人スタッフがうしろからかなりの介助をして少し歩いては休み、少し歩いては休み、という状態だった。そんなむちゃくちゃな!!しかしこの施設には片麻痺の人に付けるための装具もない。杖もぼろぼろ。環境も、器具も、そして専門知識も圧倒的に不足している。だから彼はやむをえずその方法でやっていたのかもしれない。俺は、そのインド人の人に対してリハビリの仕方について熱く語ってしまった。

 しかしインドを放浪している日本人は、何故かみんなカリガートに行きたがる。おそらくマザーテレサの家の中でもカリガートはとても有名だからだろう。そのせいかボランティアはむちゃくちゃ日本人が多く、しかし英語を上手に話せる人はあまりいない。だから日本人は日本人で固まって裏で洗濯をしたり皿を洗ったりの雑用の仕事になる。コリアンもコリアンで固まって、裏方の仕事をする。そして、英語がやっぱり中心言語なので欧米人が仕切る。その様子をまるで「アジア人をこき使っている欧米人」のように見えてしまった。しかし、日本人は英語がへたくそだから仕方ない。
 施設の規模が大きいので全て流れ作業。しかも雑用が多いので下手したら、延々何時間も皿を洗っていたりひたすら洗濯物を干していたりする。俺は、別にカリガートが悪いわけじゃないけど、日本人のあまりの多さ、そして規模の大きさを考えて、ダヤダンのように小さな施設のほうが遣り甲斐があって面白いなって感じた。



 マザーハウスで1週間ボランティアをして感じたことは、日本人がめちゃくちゃ多かったことだ。話をしていると、やっぱり医療関係者が多く、看護士、作業療法士の勉強をしている学生さん、準看をしていた人、NPOで来た医学生達のための「医療の原点を学ぶための旅」などなど。それにホームステイとボランティアがセットになっているツアーもあるらしく、俺は知らなかったので正直かなり驚いた。そしてどこもかしこも日本人という状況に辟易したのも事実。
 でも、日本人がこんなにたくさん、クリスチャンでもないのにマザーハウスに興味があるっていうことは、日本人としてすごく誇りに思えたし、日本の未来に希望を感じた。

 自分にも当てはまるんだけど(これを心理学では「投射=自分の欠点を相手に見つけ出して、それを攻撃すること」という^^)ここでボランティアをして思ったことは、インドという貧しい社会や差別やら色々と違いはあるにせよ、障害を持った人や末期症状の人のお世話をする機会は日本でもある!!ということだ。それを俺はこの旅の途中で感じた。みんな足元をみないで遠くを見つめて、やれインドだ、やれカリガートだとボランティアに来る。でも、その人たちの中で、日本でターミナルケアの手伝いをしたい、と思う人が何人いるんだろう?
 もしかしたら、バックパッカーの中には、インドムードを味わいたいためにここに来て、ただ怖いもの見たさで「死を待つ人の家」で数日間働いて、こんなものを見た、こんなことをした、と武勇伝にしたいだけの人もいるかもしれない。でも、動機はどんなことであっても、ここで何かを感じたなら日本に帰ってからも自分の生活に活かして欲しいと思った。
 偉そうに書いてしまいました。勿論これは俺自身にも当てはまることです。俺も理学療法士として病院で働きます。俺は、ここでの体験は絶対に一生忘れません!!