ベトナム・タイニン省での医療支援日記

1日目はCBR(Community Based Rehabilitation)に参加しました。
簡単に言えばお宅訪問です。自宅を訪問して経済状況や家庭環境や家屋環境を調査しながら、子供が今どんな状態に置かれているのかを調査するのです。

写真は家に向かう途中の一風景です。あたり一面水田で牛がいます。
これも行く途中の風景。のどかです。
CBRで訪問したこの子供は、先天性の心臓疾患があるようでした。見るからに顔色が悪く、チアノーゼもみられます。
母親に尋ねると、今でも一週間に一回くらいは倒れることがあるそうです。2日ほど学校に行きましたが、授業中に倒れてしまうので行けていません。

4年前にホーチミンの病院で診察してもらった時、心臓の手術代が1850ドル(20万円程度)かかるとの事で、それが払えないためにそれ以来病院に行っておらず薬も飲んでいないとの事でした。

両親とも日雇いで農作業を行っているためにどうしても安定した収入が得られないとの事です。

この子の望みを聞くと「学校に行きたい」と答えました。
母親は、自宅で文字を練習するためのノートを作っていて、表紙には「自分の家学校」と記されていました。

正直「20万円くらい俺が何とか・・・」と思ったのですが・・・。

母親は子供に対してこのように関わる一方で「この子はもう先が長くないから新しい命がお腹に宿っている」と言っていました。「子供の前で・・・・」と通訳のベトナム人は怒っていましたが古くからベトナムにはこういう考えが根強いそうです。
この子は先天性の視力障害でした。生まれてすぐに両眼から膿が出たそうです。

両親は日雇いの労働者で月収は30万ドン(大体3000円くらい??)です。子供がよくなるかも・・・という淡い期待を胸に1000万ドンの借金をして病院に通わせているそうです。

写真は家ですが、床は土。衛生的にもいいとはいえません。トイレも便器があればまだいい方で、中には川に板を渡しただけのトイレや、三面を囲っただけであとは雨が自然洗浄してくれるだけのトイレもありました。

CBRに参加してみて、「金があれば・・・・」「介護者がいれば・・・」という問題が多かった気がしました。
それが日本に生まれていればこんなにならなかったのに・・・・と思うことが多くて辛かった。
2日目は診療所で診察を行いました。医師や看護師と一緒に患者さんを診察して、何か指導やアドバイスを送りました。
写真は診察室の正面の黒板です。

ちょっといっぱいいっぱいになりすぎて写真がとれませんでした。

僕がみた子供で記憶に残っているのは・・・・・・。

まず、水頭症の女の子でした。頭は普通の子供の5倍くらいに膨れていて、手足の関節は拘縮(固まっていること)しています。
下半身は拘縮が重度のために、衣類を着せることができません。もう思春期に入るくらいの年頃でしょうか?うっすらと生えかかっている陰毛をみて、たまらなくつらい気持ちになりました。

一緒に僕に指導してくれた経験年数が僕の10倍くらいあるPTは「このくらい重度になるともう先は長くないから、簡単な指導をして」と言いました。父親に教えたのは、服を着られるように肩のROM訓練(関節が固まらないように動かすこと)と、便や尿でむれないように股関節のROM訓練でした。

もう1人の男の子は左右で足の長さが違いました。理学療法ではこういう場合は足底板や補高靴を履くよう指導します。しかし、そこまで考えてベトナムではみんなサンダルかはだしであることに気付きました。どうしよう・・・・・・。でも、とりあえず「できるだけ短いほうのサンダルを高くするように。特に今成長期だから変に体が曲がってしまうよ」と言いました。でも、これで本当に良かったのでしょうか??

他にも色んな子供を見ました。口蓋裂の子供や精神遅滞の子供。でも、彼らに指導しようとしても日本の病院や教科書の価値観では通用しない!!

木を削って杖を作るところからはじめないといけないくらいの環境に衝撃を受けました。
2日目の午後から3日目にかけて、小児施設(平和村)に行きました。

写真のPTは子供に対してのリハビリの仕方を看護師に指導していました。

僕も指導しよう指導しようと思っていたのですけど、結局最後まで子供と遊んでしまいました。

ここの病院でも僕はすごい衝撃を受けてしまいました。

まず、同行のOT(作業療法士)が集団レクリエーションとして「シーツでボール運び」とか「風船バレー」とかを行いました。そうすると親も含めて盛り上がること盛り上がること。親達が声を合わせて歌を歌いだすほどです。

盛り上がるのは勿論いいことなのですが、集団レクをはじめてやったという事にショックを受けました。
この写真の機械は、なんと腰椎牽引の器具です。運動療法室(??)を見ても、まるで上田敏(という日本のリハビリの走りの先生)の教科書に載っている白黒写真のような、そんな光景でした。

さらにビックリした事に、先輩PTが若い片麻痺の患者さんに指導していたのですけど、「低い台からの立ち上がり」という超古典的理学療法、もしかしたら素人さんでも考えつくのでは??という内容の訓練を指導されて、涙ぐんでいたのです。

OTが麻痺側をつかった訓練を指導すると、そこそこ動く手なのに「今までこっちの手はつかっていなかった」との事です。服を着替える事などは親がやっていたのです。

入院している子供の親たちも、ベトナムの慣習もあって自分で食べる力を持っていても全部介助してしまうそうです。

「障害のある子は全部世話をする」「障害のある子供を世間に見せたくない」というベトナムの考え方もあってか、リハビリの意識が日本よりもかなり希薄だと思いました。

まだ、筋肉や骨などの概念よりもツボや経絡の考えが根強いそうで、「訓練をしていたらいつかは元に戻るという考えを持っている人が多い」と先輩セラピストがおっしゃっていました。
3日目はベトちゃん、ドクちゃんで有名なツーズー病院の見学をしました。

病室の一風景です。
写真に写っているのは全て障害児。脳圧が高くて頭蓋が変形している子供や、アザラシ肢症の子供、強皮症のように全身の皮がぼろぼろで引っかくのを止めるためか身体拘束されている子もいました。
左の子もその中の1人です。僕の持っていたサングラスを手に取ると、自分でかけました。
その後はデジカメも奪われてカメラマンよろしくシャッターを押されまくりました。

子供達はみんな人懐っこいし、かわいい子達ばかりでした。

「もっと早く手術をすればよくなるのじゃないか??こんなに大きくなるまで治療しなかったのは何故ですか?」と同行したメンバーの1人が尋ねました。それに対する答えは

「ベトナムでは、奇形児が沢山生まれている。お金もかかるし全ての子供が治療されるわけではない。どうしても将来性のある症状の軽い子供が優先される。」

との事でした。
症状が重く、将来性のないこの子供達は何もされぬまま死を待つのみなのでしょうか・・・・?

この子達の笑顔もいずれは過去のものになってしまうのでしょうか??

それを考えると本当にやるせなくなりました。一体日本で僕は何をしているのでしょうか??

まとめ

証明はされていないとの事ですが、ベトナムでこれほど沢山の奇形児が生まれているのはベトナム戦争の枯葉剤・ダイオキシンの影響が少なくありません。ここにとてものせられないような、奇形児のホルマリン漬けもツーズー病院で沢山みる事ができました。

この医療活動を通じて思ったことは・・・・・まず、これって医療の原点なのではないか??ということです。CTもなく、MRIもなく、血液検査もなく、視診や問診で推測して診断する。日本でいつの間にか曇っていた眼が開けた気分になりました。

それと、やっぱり、この子供達の将来を考えると正直いたたまれません。夢があり、希望があって、明るい未来があって、笑顔を持っている。そんな子供達の命の価値はこんなにも軽んじられていいのでしょうか??

僕は日本に生まれていて日本で働いている。彼らはベトナムの病院にいる。すごい違和感を感じました。

大部分の人がそうであるように、自分の生活の安定だけを考えて生きていくこともできますし、周りに無関心でも仕事はできます。でも彼らと対峙したときに、本当にそれでいいのか??と思ってしまいました。

正直人生観変わった。そんな体験でした。