WH体験記

僕の体験したWHライフを書きます。これからWHをに行こうと思っている人は参考に!!


 @ビザの申請
   
 Aアルバイト(日本で)
   
 B学校探し
   
 Cオーストラリアへ!
   
 D語学学校
   
 Eホームステイ後の生活の仕方を考える
   
 F新しい家での生活
   
 H仕事探し
   
 H遊び
   
 Iラウンド
   
 Jファームステイ
   
 Kクリスマス〜帰国



 @ ビザの申請


ワーホリガイドブックを見ながら意外と自分で簡単に出来ます。

 
僕がビザ申請したのは確か2月くらいだった。本当はカナダに行きたかったのだが、ビザの締め切りが12月(確か)。
そこでどこの国に行こうかと迷ったがオーストラリアに行こうと決めた。理由はビザの締め切りと物価の安さ。
オーストラリアはWHビザが一番取りやすいんじゃないだろうか?
受け入れ人数も多いし、ほぼ100%ビザ取得可能だと思う(多分)。

ハッキリ言って目的なんかいらないと思う!行きたいから行った。現実逃避でも傷心旅行でもいいじゃないか!
理由はあとからついてくると思う。
けど、何をしたいある程度考えておくと折角ある時間を有意義に使うことが出来ると思う。

                 

 A アルバイト(日本で)


WHでは、金はあって困ることはない!現地で働いて稼ぐことも出来るけど時間がもったいない!
日本からなるべく多くのお金を持っていくことをお勧めします。


僕がWHに行こうと決めたのは大学3回生の冬だった。それからWHに行くまでの約3ヶ月間、
レンタルビデオ屋、パチンコ屋家庭教師とアルバイトを3つ掛け持ちして月19万稼いで資金を作った。
かなりへとへとだったのを覚えている^^。
レンタルビデオ屋は、大学に入学した時から働いている、
サークルのような職場だったので有り難いことに多少のシフトの融通は利いてくれたが、
パチンコ屋は仕事の厳しさにびっくり!毎日、僕より年上の人たちが店の面接に来ては採用されていた。
しかしほとんどの人は2,3日で辞めていく。入れ替わりが激しいなんてもんじゃない。
一度など、住み込みで働いていた人が夜逃げしたこともあった。
働いて色々な事を経験したがすごく人生勉強になった。
兎にも角にも、約100日間、一心不乱に働いたおかげで貯金も合わせて出発前には80万位貯まっていた。

           

 B 学校探し


学校と一口に言ってもいろいろあります。
大学編入を目的とした学校、スピーキング・リスニング中心の実践志向の学校、
楽しい経験を生徒にしてもらう異文化エンジョイ型学校等々。
自分の目的とする英語は何か、を考えて学校を選ぶ必要があると思います。
学校に申し込む費用は1か月分がいいと思います。
もし自分に合わない学校だったら2ヶ月から学校を変えることができるし、延長したくなれば2ヶ月目からの学費を払えばいい。
もし一括で半年分の費用を払ってしまったら費用を返してもらうことはほぼ不可能ですが、
延長したくなったらほとんどの学校で受け入れてくれます。


その辺の留学センターに相談に行けば学校は紹介してくれると思う。でも、それでは面白くない。
手数料を取られる場合もあるし、それだけで学校を決めるのは何だか折角のWHなのに・・・・と僕は感じた。
そこでインターネットを使って学校を探した。「語学学校ガイド」のようなものを買ってきて、
自分の行く国の学校のURLを打ち込み、ホームページにアクセスする。そして、詳しい資料を送ってもらうようにメールする。
資料には、授業カリキュラム、サポートシステム、授業料等が紹介されている。
学校の雰囲気も分かるし僕はその中から気に入った学校を選んだ。
あと、資料の中に日本語の案内が入っているかどうかで、
日本人に対するサービスの大きさ小ささも推測することが出来ると思う。
僕は、オーストラリアの10数校の資料の中から、シドニーのチャイナタウンにあるひとつの語学学校に決めた。
決め手は学費(自分の場合)。あとWHメーカー用の授業があるかどうかだった。

                

 C オーストラリアへ!


大まかな帰国の時期が分かっていればチケットは帰りの便も合わせて1年FIX等が良いと思います。
現地到着後、右も左も分からない、という人のために、
ほとんどの学校で空港〜ホスト先の家までの送迎サービスをやっています。


空港に着いたとたん、「うわっどうすればええねんろ?」って右往左往することが少なくない。
しかし、生活を始めて1週間程経ち、地理に慣れてくれば、
「なんであの時この場所が分からなかったのか?」と思うこともある。
語学学校に通う人は、空港からホスト先へ車で送迎サービスをしてくれる。
しかもかかる費用はどこの学校でも大抵$100だ。やる側は多分ぼろ儲けだろう^^。
もし安全と効率を優先して、疲れる思いをしたくないと思う人はこのサービスを受ければよい。
しかし僕は、自分でホスト先まで行くことにした。
欧米では、住所は〜st、〜Rdに沿って、一側に偶数の番地、
反対側に奇数の番地で家が並んでいるという非常にシンプルな仕組みになっている。
それさえ分かっていれば簡単に家にたどり着けるはず。
僕の向かうホスト先はバッファローst.127だった。
迷いながらもバスに乗ってついた場所はバッファローst.6。
ガーン。それから1時間近く歩いてホスト先にたどり着いたのでした。

           

 D 語学学校


WHメーカーにとっての学校の目的は語学留学の学生とは若干目的が違ってきます。
英語の勉強、異文化経験に加えて、情報収集、人脈つくりも入ってきます。
語学学校がWH生活のスタート地点になることが多いです。


スチューデントビザで来ている学生にとって、生活の半分以上が語学学校での勉強なる。
毎月出席日数が決められていて、遅刻や欠席でそれに満たないと次の月のビザが発行されないからだ。
それに対してWH学生は自由なもの。みんな1〜2ヶ月で辞めてしまうし、遅刻をしても何の咎めもない。
遅刻が多かったのもWHの学生だった。
学校は大体語学力によってクラス分けされているが、どこでも大体下のクラスは日本人だ。
そしてランクが上がっていくうちに韓国人や台湾人が増えてくる。
そして上級クラスには、数えるほどのアジア人(日本人・韓国人含む)と英語圏以外の西洋人しかいない。
国ごとにどんな人物がが学校に来ているかを観察してみると、
日本人は明らかに一般人。つまり普通の人らが来ている。これは日本の所得の高さのゆえんだと思うのだが、
総国民中産階級、普通の人でも留学できるということだ。これって結構すごいかもしれない。
その他、タイなどのアジア人は上流階級が多く、
韓国人は兵役逃れで遊学に来たお金持ちのボンボンや兵役を終えてやっと大学1年生になった20代半ばの学生など。
台湾人にも裕福な人が多く、一部は自動車を町で乗り回し現地での評判は良くなかった。

他の国の生徒は「選ばれた自分達が国を背負っているんだ!」という気持ちが強く、
自分達のスキルを上げるために必死になって勉強をしていたが、日本人は少し働いたら誰でも外国に来れてしまう。
どうもぼんやりとしている人たちが多いように感じられた。国民性もあるのかもしれない。
主観的に書いているようだけどこれは留学に行けばみんな感じることだと思う。

学校では同じ日本人同士すぐにいろんな人と仲良くなれる。この時の出会いが一生の付き合いになることもある。

学校があったシドニーのチャイナタウン

           

 E ホームステイ後の生活の仕方を考える


WHの生活の仕方はホームステイ、ゲストハウス、フラットシェア、ルームシェア等があります。

ホームステイ
ホストの家に住みながら、異文化生活を日常そのままに体験できる形態です。
食事を作ってくれたり、いろいろなところに連れて行ってくれたりとたくさん楽しい思い出を作ることが出来ますが、
居候の形なので勿論その家のルールには従わなければなりません。
例ばタバコは外で吸う、食事の時間は6時等、その家によってルールはあります。
ホストファミリーとの人間関係が上手く行けばとても楽しいと思いますが、
ホストファミリーと上手くいかなかったり
(セクハラをされた、食生活が合わなかった、家族間でトラブルを抱えていた、などなど)すると最悪です。
ほとんどの場合紹介してくれた学校やサービスセンターを通してホスト先を変えてもらうことが出来ます。

個人的な印象としては、ホームステイ先では
家族のように受け入れてもらえると最初から期待していかないほうがいいと思います。
文化や習慣の違いもありますが、ホスト先は大抵、提携している学校から金をもらって受け入れているため、
意外とビジネスライクで割り切っている場合も多く、ほったらかしということも少なくありません。
それと、ホスト先は過去何人も学生を受け入れたりしているのでもう流れ作業的になっていることもあります。
お土産に日本っぽい物を渡そう渡そう!と思って箸や扇子を持って行っても、
家には山盛り箸や扇子が置いていた、ということもざらです。

数多くある生活の仕方の中では費用は一番高いのは仕方ありません。
ホストは、老後一人で暮らしている方や、子供が自立して何か社会に役に立とうとしている夫婦の方が多いのは事実で、
外国人に理解のある方が多いと思います。そういう考えをもたれているのはすばらしいと思います。

ゲストハウス
この形態でWHを過ごす人はあまりいないと思いますが、安宿での長期滞在です。
出入りが激しいのでいろんな人と出会えると思います。費用も意外とかかりません。
ただ、大抵の宿では忙しい時期には料金が上がり、
暇な時期には料金が下がり、オーナーのさじ加減によって宿泊費が毎週変動します。

フラットシェア
アパートやマンションを数人で借りて共同生活するものです。
張り紙や掲示板を見て相手を探すのもいいし、友達と数人で借りるのもアリです。

ルームシェア
一つの部屋を数人で借りて共同生活をするものです。探し方はフラットシェアと同様に行います。
ルームシェアは、部屋を借りるので、家主がいます。
フラットシェアは2LDKなら2LDK全てを借りるので家主としょっちゅう顔を合わすことはないようですが、
ルームシェアでは毎日顔を合わすことになります。他の部屋を借りているルームシェアメイトとも顔を合わすことになります。
その家の中のルールがあるのでそれに従わないといけません。


僕は、語学学校に4週間通ったが、3週間目からルームシェアを探し始めた。場所はボンダイにした。
理由は、バスでビーチをみてとても気に入ったから。
日本人用のフリーペーパーや情報センターを利用すれば簡単に場所が見つかることは分かっていたが、
「現地の生活をエンジョイしたい」という変なこだわりがあったので、新聞「シドニーモーニングヘラルド」を買って
そこの「シェアメイト募集」の欄から探すことにした。一つずつ、値段や場所を確認しては電話をする。
そして、とても親切なオーナーのいるシェア先が見つかった。
電話でも英語のつたない僕にゆっくり、分かりやすく話しかけてくれる。
ここなら楽しい生活が過ごせそうだ!そう直感的に感じた。

場所はボンダイジャンクションでボンダイの中心から歩いて2分。最高!しかも日本人は僕だけだという。
英語の勉強もできる!しかもシェアメイトは若い女性ばかり!ハーレムか?
家の見学にも行ってオーナーは僕の事を気に入ってくれた。
しかし次の日ショックなことが。オーナーから電話がかかってきた。
「Satoshi、とても、とてもすまないが、シェアメイトが嫌がっている。英語が話せる女の人がいいそうだ。ソーリー、ソーリー」
ガーン。しかし、オーナーは続けて親切にこういってくれた。
「ンフー。Satoshi、ボンダイジャンクションは無理だが、ボンダイビーチに私が妻と住んでいる家がある。
よかったらそっちに来ないか?」なに〜?ビーチの近くならそっちのほうがいい。
次の日に喜んで出かけた。家はぼろいが、ビーチから本当に近い。
オーナーは「ンフー、Satoshi、実はもう一人日本人がいるんだ彼と一緒に部屋に住めば家賃は半額でいいよ」と言った。
またもガーン。なるべく日本人を避けるようにして今まで家を探してきたのに、こんなオチとは!
しかし、僕はその日本人と二人で共同生活をすることになった。
彼とはとても仲良くなり、今でも連絡を取っている。多分一生の友達だろう。

           

 F 新しい家での生活


一般的にどこのシェアでも1週間〜2週間分毎に家賃を支払うことになります。
合鍵をもらって家を出入りしたり(セキュリティの面からドアが2重になっている)、
冷蔵庫のスペースを決めて、自分で料理を作ったりします。この辺りは日本の生活とあまり変わりません。
リビングルームには家の住人が集まってきて、夕食時にはゆっくりとくつろいだり、テレビを見たり、
色んな話をしたりします。やはり人間関係が重要!



僕のオーナーはジョセフといって、ユーゴスラビア移民の男の人だった。
彼の妻はピップと言って中国系のマレーシア人だった。
彼は家を何軒か持っていて、僕らのような人間に部屋を貸してその金で生計を立てていた。
家には古い家具や電子レンジが山積みで、常にジョセフは修理していた。
二人ともとても真面目で、環境にとても配慮していた。
例えばジョセフ曰く「Satoshi、ボーイ、オーストラリアにはとても水が少ないんだよ。
だから水は大事に使わないといけないんだ」なるほど!そうなんだ、と妙に納得した。
そしてそのためにこんな事をしていた。
洗濯機の排水口が切れている。洗濯するときに、排水口からでてくる水を10個くらい用意してあるバケツで受け止める。
その水は靴を磨いたり、洗車につかわれる。そして、どうしようもないくらい黒く濁った水は、トイレを流すのに使われる。
なんて無駄のない!僕はマジで感動した。ココリコの番組に投稿すれば、即採用だろう。
しかし、家に遊びに来た友達はみなびっくりしていた。
「そんなことしているのこの家だけだよ」と言っていたが、
おそらく僕はそのうち日本で一人暮らしをはじめてもジョセフがやっていた作法に従うことだろう。

部屋は、ルームメイトと二人暮し。といっても二人で怪しい関係になったのではなくてベッドは二つあった。
ずっと二人でいるのでノープライベート。何でも話をしたり、エロ本の隠し場所まで知っている仲になった。
毎日のように飲みにいってた。

 
ルームシェアをしていた家


部屋の中。奥のベッドがシェアメイトのヘッド。手前のめちゃめちゃ汚いのが僕のベッド。
毛布を買うのが面倒だったので、ベッドの上で寝袋を被って寝ていた。

           

 G 仕事探し


ハッキリ言って、ワーホリがいい仕事に就けるのはとても稀だと思います。
WHの決まりで、語学学校も仕事も3ヶ月しか出来ないことになっているのです(守っていない人もいましたが・・・・)。
WHは長期間働けない上に人数も有り余っている、そういうわけでWHは使い捨て状態でした。
しかもWHメーカーは英語が喋れない人も多く、彼らは仕事出来るのは、日本語でも出来る仕事。
というわけでジャパニーズレストランになってしまいます。
ジャパレスは、大体時給5〜6ドルで、与えられる仕事はキッチンハンド(皿洗い)ということも珍しくありません。
店側もその辺は良くわきまえてきて、使えない人がいたら即刻首にしたり、
「労働者の権利」とか言ってたらどこでも雇ってもらえないような状況でした。
まあ店にもよりますが・・・しかしこれが外国人の店や事務系の仕事になると時給は倍くらいになります。
英語は喋れて損はない(当たり前?)!

仕事の探し方は、
@情報センターやフリーペーパーで求人を探す
Aコネを使って知り合いが仕事を辞めるときに引継ぎで紹介してもらう
B履歴書を持って「position vacant(スタッフ募集)」と書かれた張り紙がある店に飛び込む(結構外国では普通らしい)
等があります。履歴書は日本のように1枚1枚手書きで書く必要はなく、ワープロで打ち込むだけです。



僕は、片っ端から飛び込みで求人を探す方法をした。理由はそれが一番面白そうだったからだ。
毎日飛び込んでいて、最初は上手に喋れなかった英語もいつの間にか自然と出てくるようになった。
やっとゲットした仕事は、ボンダイビーチのサンドイッチ屋だった。
ボスの名前がソーニャとか言ってたのでおそらくイタリアかどこかの人じゃないかと思う。
仕事を始めると貯金は急に減らなくなる。僕は英語が余り上手くないので肉体労働専門の閉店作業を主にやったが、
接客もやらせてもらってた。しかも夜はボスが家に帰るので一人っきり。
英語も上達したが、生きた英語でお客とやり取りできるのがすごく楽しかった。

           

 H 遊び

 
オーストラリアには自然が多く、ダイビング、ゴルフ、サーフィーン、などなど
値段や地理的な条件から日本ではなかなか出来ないようなスポーツもお手ごろな価格ですることが出来ます。
食べ物でもさすが移民国家、「オーストラリア料理」に加えて、いろいろな国の料理を手軽に食べることが出来ます。


ビールが安くて美味しかったので毎日のように飲んでいた。
ビクトリア・ビターというNSW州で一番売れているビールは、ビールなのに甘くて何倍でも飲める。
街には交差点ごとにパブがあり、終末になると、バンドを呼んでコンサートをしたり、
知らない人同士でプール(ビリヤードのこと。なぜかルールは8ボール)をしたりしている。
横で飲んでいるおっちゃんと普通に仲良くなったりして暇になるとパブに行ってた。

シドニーのオックスフォードストリートはL.A.の次にゲイの多い町で有名だが、
「オーベリーズ」というオカマバーは、梅田の「ベティちゃんのお店」的で、
カウンターの中で踊ったりトークショーをしたりしてかなり楽しませてくれる店だった。
一般人もたくさん見に来るらしいが、僕が行った時は、ノーマルは僕と連れの二人だけ。
僕は親切なおじさんが酒を奢ってくれるというので言葉に甘えて3杯もお代わりした。
アルコール度が強くて強烈に甘くて、色がピンク色の酒が等が出てきたが、
後に連れから「奢ってもらうってことは、オッケーしたっていうことなんだよ」と知らされ大ショック。
その後電話が何回かかかってきて話をしたが、意外といい人だった。
しかし、もし向こうが気があったのなら、僕は彼をもて遊んだことになるかもしれない。スマン!

           

 I ラウンド


ラウンドとはラウンドトリップの事で、車や電車、バス、バイク、何でもいいのでゆっくりと大陸を旅行することを言います。
WHと言えばラウンド、と言われるかどうかは分かりませんが何故かほとんどの人が一度はやるようです。
僕はWHの間ほとんどシドニーに滞在していましたが、
一つの町でバイトをして、金が溜まったら次の町に行くという方法で1年かけてらうんどしている人もいました。
ゆっくりと人生を考えたり、自然の雄大さを感じたりととても贅沢な旅です。


僕は、グレイハウンドバスで
シドニー→キャンベラ→メルボルン→アデレード→カンガルーアイランド→アリススプリングス→エアーズロックリゾートという
オーストラリア半周旅行をした。バスで一晩を越すことも普通で、枕か毛布を持っていくことをお勧めする。
深部動脈血栓症になるかと思うくらい座席が狭くて身動き取れないのだが、みんな旅慣れしていて熟睡している。
ラウンドの醍醐味は一瞬の出会い。自分と同じように旅行していて偶然同じバスになる不思議が面白い。
2度と会うことがないかもしれないのに本音で全力で会話できる。
相手が日本人なら本当に日本語や日本の情報を懐かしく思うはず。

アデレードで泊まったゲストハウスでは日本人がとても多く、
ほとんどはバイクでオーストラリア一周をしている人たちばかりだった。話を聞いていると、すごい。
みんな色んな夢を持ってここに来ている。「俺以上のロマンチストがいる!」とびっくりした。


ラウンド中にエアーズロックで仲良くなったドイツ人。スーパーマリオに似ている。
ドイツ人は気質的に日本人と似ていて根が真面目だ。

           

 J ファームステイ


ファームステイで、アルプスの少女ハイジや、牧場の少女カトリ(誰も知らんか)等の
ハウス名作劇場のような楽しく壮大な生活をしたいのなら、情報センターで金を払えば確実にできます。
しかし、WWOOF(Willing Workers on Organic Farms)制度を使えば無料で、
食費を出してもらいながら農場生活を送ることが出来ます。
つまりその名の通り農場でのアルバイトでです。

炎天下でものすごくでかいカボチャをピッキングしたり、鍬で畑を耕したり文字通り肉体労働です。
全国のWWOOF加盟農場が記されてある農場は情報センターで手に入れることが出来ます。
あとは、場所や募集、最低滞在日数等の要項を見て 電話でアポイントを取ればいいでしょう。


僕が行った農場はドイツ系移民の若者が経営するオーガニック野菜の農場だった。
知的・精神障害者の人たちも働いていて一風変わった農場だった。
障害者の人たちは、大自然の中で生活をすることによって治療になることが多いらしい。
オーナーのドイツ人はリルキーと言う人だったが、当時の僕と同い年もしくは年下のように思われた。
こき使われると予想していたが、V.I.P.扱いで本当に恐縮した。
最後の日にはリルキー一家の夕食にも招いてもらい、本当に楽しい毎日を過ごさせてもらった。
あまりに待遇が良すぎて金を払おうかと思った程だった。

           

 K クリスマス〜帰国


キリスト教の影響を受ける国では、クリスマスは新年よりも重要な日のようです。
日本やアジアでは若者だけのイベントで、本当にめでたい日なのかどうか分からない今日この頃ですが、
AUSのクリスマスはそれまで過ごしてきたクリスマスの中でも心から祝っている!という気持ちを強く感じました。
まず、主な店は全て閉店します。24時間営業のColes(大型チェーン店のスーパー)も閉店します。
そして、家族で集まって夕食をとり、イブから正午にかけてパブではコンサートが始まり、みんなノリノリで踊り出します。
夜が明けるとビーチにはいつも以上に人が集まり、祭り状態でした。

日本に帰る日が近づいてくると、携帯電話の解約やシェアを出る日を決めたり色々と準備をする必要があります。
リコンファームも済ませるのを忘れずに。



僕はクリスマスイブにオーナーのジョセフやピップ、シェアメイトと夕食を食べた。
真面目で勤勉なジョセフがクリスマスにパーティーを開くなんて意外だったし、
落ち着いてみんなで食事をしたことがなかったのでとても楽しかった。
帰国の時にはたくさんの友達が見送りに着てくれたのだが、僕がリコンファームの時に英語を聞き間違えており、
出発時間が50分(フィフティー)だと思っていたら15分(フィフティーン)だった。
折角見送りに着てくれた大勢の友達を尻目に5分くらいで別れた(笑)。