『ダブル・ファンタジー』(村山由佳)  

ずっと以前にこの作家の本を買いながら、ちらちらページを開いて見ても、もうひとつ読む気になれなくて、置いておけば誰かが読むだろう、と若い人の来る部屋の本棚に立ててほうっておいたのでした。  

最近になって、標記の本が毎日寄る駅の改札口を出たところにある本屋に平積みになっていて、分厚い本なのに結構売れている様子なので、泊り込み仕事の夜、日本語にもなっていない若い人の論文を十幾つ読む義務を果たす合い間に、いやになるとこの本を読んで少し気分を変えて、という形で読んでいました。まぁ、論文の合い間に読むにふさわしい本だったかどうかは別として(苦笑)・・・  

車中でも読み継いでふと気が付くと、内容にふさわしくカバーもかなりのもので、うっかり目隠しカバーもつけずに通勤の往き帰りにこの本広げていたのはかなりヤバかったかも(笑)。  

とはいえ、別にこの本、いかがわしい本ではありません(「いやらしい」、と言う謹厳な人はあるかもしれないけど)。オジサンたちが読むような週刊誌に連載されたということですから、ちょっとある種のエンターテインメント的サービスに過剰なところはありますが、まっとうな中間小説だろうと思います。

最初読み出して、ニナガワさん(ほんとかしら)みたいなのが出てきて、主人公の奈津がいいようにされて、狂ったような境地にのぼりつめるあたりまで読んで、なかなかいいじゃない、と思ったのは、過去にパラパラとページをめくっただけで、なんだか中途半端にお行儀のいい作品そうだなぁ、それならこういう中間小説より面白くなくても純文学読むほうがマシかなぁと思って、読みもせずに投げ出していた感じが、この本ではパッと突き抜けて、行くところまで行っちゃったな、という「抜けた感じ」がしたからでした。  

いや、ここに登場する主人公自身が作家(脚本家)で、自分が「突き抜けられない」ことにジレて、とうとうエイヤッと突き抜けちゃう、という、それがこの作品を貫くテーマにもなっているので、それは書かれた内容や文体とも(少なくともこのあたりまでのところでは)一致していたのです。  

それにしてもなぜニナガワさんなんだろう?いや、シェイクスピアを歌舞伎仕立てにして海外でも高い評価を得て「世界の〇〇」といわれるような、むかしは別の職業についていたのに、そこそこ年をくってから突然才能を爆発させて、いまじゃ舞台でそれだけ集客できるような才能のある演出家はこの男しかないというような人で、仕事に厳しくて、感情的に激しやすく、カッとなると怒鳴ってそこらの灰皿でも何でも人に投げつける、なんて書いてあって、ニナガワさんを思い浮かべない人がいたとしたらお目にかかりたい(笑)。  

これってアリなの?(笑)  

こういう書き方をする理由っていうのを考えると、可能性としては;

(1)作家自身がホントに現実の世界でニナガワさんとこういう関係にあって、それを作品の中で赤裸々に描く暴露〈自爆?)モデル小説、

(2)作中の主人公を女性脚本家に設定したので、彼女が突き抜けるためのきっかけを与えるのが、彼女からみて?したがって読者も納得する?隔絶した才能の同業或いは類似のナリワイの主でなければならないという作品を書く上での必然から、ニナガワさんのイメージを借りて描いた、

(3)現実の世界で作家がニナガワさんと親しいけれども、別にこういう関係ではなくて、ただニナガワさんが若い才能ある女性作家を可愛がっているような関係で、本人も了解の上で、「ニナガワさんに固有の表徴を使わせてもらいますよ」、「ああ、別にいいよ」、ってなわけで、週刊誌連載小説でもあるし、わざとスキャンダラスなモデル小説的スタイルを装って書いた・・・

・・・等々、といったことが考えられるのではないかしら。  

でもネットでちょっと調べてみると、この作家がインタビューかなにかで、以前は現実世界での夫がこの作家の作品制作に、この作中の主人公の夫と同じように干渉(あるいは「参加」)していたことを認める発言をしていた、というような証言(?)もあって、それは本当のことかどうか確かめる術は私にはないけれども、この作家がその種の私小説的要素からフィクションを仕立てるやり方を常套としているのであれば、上記の(1)とか(3)がアタリかも、と想像したって、こちらの罪とばかりはいえまいという気がします。  

まぁ、そんなこたぁ、作品を読む上ではどうでもよくて、ゲスのかんぐりみたいなものですから、やめておきましょう。

でも上のような契機が1つも当たらず、ハズレなんだとしたら、こうまでニナガワさんを連想させるような書き方をするのは逆にルール違反なんじゃないかしら。  

ところで、このニナガワさん、いや「志澤一狼太」が出てきて、さんざん好き放題して主人公の奈津が振り回されるというか、溺れきって突き抜けるあたりまでは、なかなかいいじゃない、と思ったのですが、それでも、このニナガワさん、いや志澤さんがメールで偉そうに言うせりふというのが、どうもほんとのニナガワさんがこういうことしか言えないんだったら、がっかりだな、と思うような言葉どまりなんですね。  

そこは、もしほんとのニナガワさんがモデルだとすれば、その振る舞いだけじゃなくて、その言葉も、なぁんだ、ニナガワさんもただのスケベ爺で、こんな凡庸なことしか言えないんだ、とちょっとがっかりするようなところがあります。  

だから、これは作者が、いや主人公の奈津が最初から(なにも関係がないときから)このスーパースター的演出家を崇拝していて、神様に近い存在のように思っているために、つまらない言葉やふるまい方にもいちいち、ありがたや、と随喜の涙を流さんばかりの反応をしてしまうということなのでしょう。  

それはそれで、あとでそういうお熱が冷めるときもあるので、作者も分かっているのでしょうけれど、ちょっと読者としては、奈津がなんでこんな単なる女たらしのジジイに痺れてしまうのか、「文学」とか「演劇」とかを神聖視してしまった人間固有の病だと理解しない限り、シラケてしまうところがないでもありません。  

それでも、そういうところに目をつぶって読めば、奈津が突き抜けていくところはなかなか迫力もあり、テンポもよくて、よくやった!と応援したくなります。  

それに、色々この歳で女性について啓蒙されるところもありました(笑)。  

でもそこから先がやたら長い。なんでこの人はこんなつまらない夫に、さっさと訣別できないのか、その優柔不断が、どう「理由」を書いてあっても、ついに理解できません。  

母親との関係で分かるじゃないか、なんていうなかれ。そんな俗流心理学なんか持ってこないでちょうだい。あほらしくて話にもならない。  

せっかくここまで突き抜けた女性を描きながら、「母親が厳しくてその型にはまってきたのが夫への関係にも投影されて夫にも絶対逆らえない、コワイんです」だって?

やめてよ、聞きたくない、そんなとってつけたような言い訳!  

どうせ奈津に男遍歴をこれだけ繰り返させて、官能の悦びをトコトンまで追い求めていくんだ、と求道的なまでの生き方をさせるのだったら、もっと早くとっとと夫と別れさせて、本当に別の、また次の、そのまた次の新しい男と正面からぶつかっていく奈津をみせてほしい。

せっかくここまで突き抜けた女性なのに、いつまでクドクドとつまらない夫のことで悩ませておくつもりよ!  

それにしても、いろいろ違ったタイプの男が出てくるようでいて、みなちょっと見かけの違う皮をかぶり、声色を変えて登場しているだけで、所詮、色・形にバリエーションのある「棒」に過ぎないんですね。

結局男女のことって、単純で単調で、どんなに作者が強度を高めて描こうと、本質的に貧しい淋しい世界だなぁ、と思うのは私だけではないでしょう。  

そりゃそうですよね。性なんて肉体としてみれば、人が動物生からひきずってきたもので、それ自体としては何の変哲もない自然でしかないんだもの。

四十八手かその裏表か知らないけれど、どんな手だれがどうあがいてみても、お釈迦様の掌の上でとんだりはねたり、でんぐり返ったりしているだけのことで、いろいろ幻想の尾ひれをつけてはんなりさせてるだけのことでしょうからね。  

この作品中のニナガワさん、いや志澤さんのように、どんなに才能のある演出家でも下半身に焦点をしぼれば、そりゃ、ただのスケベジジイだ、ってことになるでしょう。そういうほうへもって行っちゃうのは、文学としてはちょっと違うんじゃないか。  

比べちゃ滑稽ってのはわかってるけど、源氏物語なんかには、一行もむき出しの言葉はないけれど、どの女性も実に豊かなコンテンツを持っていますよね。あれは性を描いても、精神性100%なんでしょう。   

まぁ、ここでいう貧しさ、寂しさというのは別に作者の責任じゃなくて、誰が描いてもこの種の突き詰め方をしちゃえば、そういうものさ、というにすぎないけれど、これだけ長尺の啓蒙書(笑)を読んでも、ついにそういう空しさしか感じないのは、こちらが棺桶に片足突っ込んでいるからかな。若い人なら別の読み方があるのかもしれません。   

でもこの作品で作者も、奈津といっしょに突き抜けながら、そういう「さびしさ」や「貧しさ」を痛感したとすれば、次はほんとは別にこんなことをいくら窮めても「突き抜ける」ことにはならないんだな、ってことに気がついて、別の方向に「突き抜けて」いこうとする可能性もあるんじゃないかな。  

だから週刊誌の連載じゃない書き下ろしなんかの場で次に書いたら、全然別の方向で突き抜けた先へ出ていく作家がみられるんじゃないか、そういう作品が読めるんじゃないか。はじめのほうの勢いを思い出して、ちょっとそういう期待も感じた作品でした。  

私の学生さんたちには別に、この本、薦めませんから、念のため。私が薦めた、なんてママに言わないで!読むならママに内緒でお読み(笑)。

blog 20090211






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