★大福餅の由来★

餅皮を薄く、餡を包んだもので丸くふっくらしている様子がウズラに似ているので、 うずら餅とも呼ばれました。うずらの腹がふくれていること、食べると腹がふくれるので、「はら ぶと餅」とも呼ばれました。のちに「腹太餅」を「大腹餅」に書換えられましたが、大腹なら大福 の方が縁起がよいということで「大福餅」となりました。1780年頃は夜にこの大福餅を売り歩 くことが流行し、人々は冬の寒い夜などはそれを鍋で焼いて食べました。また賀寿の餅として大福 餅の上に「寿」と紅で記して賀寿当人が親戚への配り物としても利用されました。

★団子の由来★

竹の串にさした団子は室町時代にすでにありました。元来団子は串に5ケさしていて 1ケ一銭とのことでした。1764年頃に4銭の貨幣が出てそれにあわせるように1串4ケとなり ました。団子の形は鎌倉時代では背中にくぼみがあったとされています。

★茶飯の由来★

うすく醤油・酒などを加えて炊いた飯。黄枯茶飯(きがらちゃめし)とも呼ばれてい ます。茶を煎じて湯に塩を加え炊いた飯に、大豆・小豆・栗などをまぜたものを奈良茶飯といいま す。

★どらやき★

1187年源九郎義経が奥州へのがれたとき、武蔵坊弁慶は負傷し武蔵野の民家で療 養していた。その民家を出るときに銅羅と手紙を残して行った。その銅羅で焼いたのが「どらやき 」の伝説的起源といわれています。江戸時代のどらやきは四角でしたが、明治の初期に日本橋大伝 馬町の桜花亭の森田清氏が丸型の新どらやきをつくりましたが、餡に天麩羅の衣をつけるようにし て皮を焼いたものでした。現在のどらやきは上野黒門町に大正3年に開店した「うさぎや」が始祖 です。

★干菓子の由来★

干菓子(からくたもの)、中古ではアルヘイ糖、コンペイ糖の類をいわれていました 。現在の干菓子は和菓子の中で水分をほとんど含まない乾燥度の強い菓子のことをいいます。落雁 ・塩がま・煎餅・金米糖・花林糖などの駄菓子類も干菓子です。京都に住まいした吉田源助が18 08年に中国の雲片からヒントを得て干菓子をつくったのが始まりといわれています。

★引き菓子の由来★

祝い事や仏事のときに参会者に引物として出す菓子をいいます。引くという言葉には 配るという意味があります。おもに白木でつくって縁高・角切り・折りなどに3ケ・5ケ・7ケの ような数で蒸し菓子・干菓子・生菓子をいれたものをいいました。近頃では社交的な普通の宴会で もみやげ菓子としてもちいられています。

★引き出物の由来★

招待した客に主人からの贈り物のことです。平安朝のころ馬を庭へ引き出して贈った ことからこの名はできました。後には馬ではなく馬代として金品を贈るようになりました。現在で は酒宴の膳に添える物品を意味しさらに招待客へのみやげ物をさすようになりました。

★菱餅の由来★

雛祭りに飾る菱形のかさね餅のことで、雛壇に飾るようになったのは江戸後期以降で す。宮中では餅のことを「おかちん」というので菱餅は「オヒシ」とか「ヒシガチン」と呼ばれて います。

★豆の粉の由来★

大豆を煎ってから臼で引いて粉にしてふるいにかけたもの、いわゆる黄粉のことです。 「きな粉」という言葉は室町時代にはじまりもともと女言葉でした。一般には元禄時代からで、大 豆を煎って粉にしたときの色が黄色なのでそう呼ばれました。明治の本には豆粉をかなこと読むよ うに書かれているものもあります。

★最中の由来★

もち米をこねて薄く伸ばし丸く切って焼いた皮を2つ併せて、中に餡を詰めた菓子を いいます。また15夜の夜の月そのものの意味ももちます。中秋の名月を象徴する丸い菓子 現在の最中の皮が考案されたのは明治に入ってからで焦がし種といいます。

★ヤマイモの由来★

日本特産で縄文時代にすでにあり、里芋に対して山の芋の意味です。この芋は「とろ ろ」にもするのでとろろ芋とも呼ばれます。「とろろ」にすると消化が良いというのは澱粉の消化 酵素アミラーゼが大根おろしより多くふくまれているからです。奈良県産が優良でヤマトイモとも よばれてのます。