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まずは、ご一緒に「三帰依文」を唱和いたしましょう。…… あらためまして、こんにちは。ようこそお参りくださいました。ありがとうございます。先月から、あちこちで地震が起こったり大雨が続いたりして、心配しておりましたが、このところ、ようやく秋らしくなってまいりましたね。 今日は、秋分の日、お彼岸のお中日です。紫雲寺では、例年、この秋のお彼岸のお中日に、彼岸会と永代経を併せてお勤めいたしております。お陰様で、少しずつ体調が良くなりまして、この度もまた、お同行の皆様と共に、聞法のご縁を頂くことができました。ありがたいことでございます。 で、こんなふうにお話しさせて頂くのも、今回で90回目になります。90回と言いますと、我ながら、いささか感慨深いものがございますが、今回は、ご案内のように、「彼岸によせて…南無阿弥陀仏に帰る」という題で、お話しさせて頂きます。 秋だからでしょうかね。茜雲に誘われて、お念仏を称えていると、いのちの故郷、お浄土が、思われ、20年前に、帰って往った、福井の岳父(ちち)を思いました。岳父が、帰浄の少し前に送ってくれた、最後のメールには、「…聞法大事、お念仏にかえります。まがりなりにも自分の生き方を生きる…生涯聞法…です…」とありました。 「聞法大事、お念仏にかえる」。忘れてはならない、大事なことです。それで、副題を、「南無阿弥陀仏に帰る」と、いたしました。例によって、思いつくままの、いささか、まとまりのない話ですが、どうぞ、しばらくの間、お付き合いください。 さて、今日は、永代経法要を兼ねておりましたので、『阿弥陀経』をお勤めしましたが、私たち真宗門徒が常にお勤めしておりますのは、『正信偈』ですね。親鸞聖人のお作りになった『正信偈』を日々お勤めするようにお定めになったのは、蓮如上人ですが、実際、『正信偈』は、私たちにとって、最も大切なお聖教だと思います。 『正信偈』に説かれているのは、一言でいえば、「浄土の教えの核は、お念仏だ」ということです。 「浄土の教え」は、インドから中国へ、そして日本へと、およそ二千年の時の中を伝わってきました。その間に、「これこそ私のために説かれた教えだ」と深く頷かれた多くの高僧方によって、「浄土の教え」の味わいが、深められてきました。それは、「浄土の教え」の芯を削り出すようにして、「お念仏ひとつ」に絞り込まれてきた歴史です。その歴史を、感動を以て詠ったのが『正信偈』です。 仏法で救われるといっても、救われるための条件があれば、必ず、その条件に漏れる人がでてきます。だからこそ、誰にでもできる、「お念仏ひとつ」という教えは、有り難いのです。 で、私たちは、その「お念仏ひとつで救われる」という教え頂いているわけですが、お念仏は、声に出して称え、声となった「ナムアミダブツ」を聞くということが、大切ですよ。「ナムアミダブツ」と、声に出す。決して難しいことではないと思うのですが、いかがですか。 「そんな、わけのわからない呪文のようなもの、恥ずかしくて、称えられますか」と、おっしゃった方もおられましたが、まあ、お気持ちはわかります。私も、かつては、なかなかお念仏を称えられませんでしたからね。ですが、「わけがわからない」からこそ、その「わけ(いわれ)」を聞くのです。それが「聞法」なんです。聞法は大事です。 とはいえ、実際には、聞いても聞いても、なかなか目の前が開けてきませんね。私が、そうでした。それで、悩んだ末に、ようやく分かった。私は、「聞法する、仏法を聞く」ということの意味を、間違えていたのです。 どういうことかと言いますと、「浄土の教え」というのは、「彼岸」から「此岸」を見た教えなんです。仏の目から見たら、この世界がどう見えるのか、この私はどう見えるのかという、教えなんです。つまり、「聞法」するというのは、「仏の目から見たら、この私はどう見えるのか」ということを、聞かせてもらうことだったのです。 ところが、私は、「浄土の教え」を聞くことで、「学んで理解すること」(分別心)で、「此岸」から「彼岸」をめざそう、としていたのです。つまり、努力して、「自分」が仏に近づいていくのが仏道だ、と思っていたのです。ですが、それは違うのです。 「彼岸」というのは、「悟りの世界」です。そこは、自他の区別の無い「無我の世界」です。そんな世界に、「自分」という思いを持ったまま、入ることはできません。「自分」が悟るということはありません。悟るというのは、「自分、自分」といっている、その「自分」が無くなることなのです。 ちなみに、書店に行くと、「悟り」に関する本がたくさん並ぶようになりました。ちょっとした「悟りブーム」のようですが、悟りに執着してはダメですよ。欲望の対象になったら、どんな真実でも真実でなくなります。 「救い」というのもそうです。「私の本当の救いとは、もはや私一人が救われなくともよくなることだ」。これは和田稠(しげし)先生の言葉です。「自分、自分」という思いを握りしめている間は、真実の言葉が聞こえてきません。 以前、聞いた話ですが、訓覇信雄先生の御法話をお聞きになった方が、こうおっしゃった。「今まで、どうもすっきりしませんでしたが、先生の今日のお話をうかがって、ようやく腹に落ちました」と。そうしたら、先生は、こうおっしゃった。「なに、腹に落ちた? そんなものが何になる。その腹が落ちんかい!」と。…お分かりになりますでしょうか。 蓮如上人が、「仏法は、聴聞に極まることなり」(『蓮如上人御一代記聞書』193『聖典』p.889)と、お示しくださっているのも、「腹に落ちるまで聞け」ということではなく、「腹が落ちるまで聞け」ということなのですね。自分が聞くのではなく、ただ、聞こえるまで聞く。それが、「聞法する」ということなのです。 仏教というのは、本来、私たちの心から、「煩悩」という苦しみの原因を取り除いて、安らかな心になろう、という教えです。仏教は、伝わって行った場所や時代に応じて、少しずつ変わっていきましたが、このことは変わっていません。いわば、これが仏教の核にある「教え」です。 ですが、仏教の、煩悩についての考え方は、必ずしも一貫していたわけではありません。まずは、そのことからお話しいたします。 仏教の開祖、お釈迦さまは、おおよそ、こういうことをおっしゃいました。「心の中で煩悩の火が燃え盛っている。それが私たちの苦しみの原因だ。そのことがはっきり見えるようになったら(正見を得たら)、当然、煩悩の火に、油を注いだり、煽り立てたりして、苦しみを増やすようなことはありえないから、燃料切れになって、自ずと、火の勢いは衰え、消えていくだろう」(『四聖諦』要約)と。つまり、「誰であれ、苦しみの原因である煩悩が見えたら、煩悩は、自ずと消えていく」ということです。 お釈迦さまは、仏(如来)です。いわば、「此岸」に現れた「彼岸」です。そのお釈迦さまがお亡くなりになって、教えだけが残されました。さまざまな人々の実情に応じて説かれた(対機説法、応病与薬)いろんな教えの中で、出家の修行者たちは、学び、考えました。「此岸」の目で。 かくして、修行の妨げになることは全て煩悩だと考えて、その煩悩を全部断ち切ることで、悟れると考えたのです。それで、「悟り」へのハードルが、うんと高くなって、出家修行者にしか無理だろうということになったのです。これが、いわゆる「小乗仏教」ですが、その「悟り」への執着が「煩悩」だという気づきは、なかなか生まれませんでした。 その気づきは、お釈迦さまの教え(「彼岸」から見た教え)に帰ろうという動きとなって、いわゆる「大乗仏教」が起こります。お釈迦さまの教えのままに、自分の心の真実を見極めようと、修行して悟った人が、気付いたのです。 「悟りというのは、煩悩の火が消えた心のことだ。では、その心とは何なのか。壁に掛かっている額が煩悩だとすると、心というのは、壁のことになる。額を外した壁が〈悟り〉だとすれば、額を外す前の壁も〈悟り〉ではないか。額が掛かっていても、壁は壁だ」と。つまりは、「煩悩を無くさなくとも、私たちの心は、仏の心(悟り)と同質のもの(仏性)なのだ」と。 たとえを変えて、煩悩を空に浮かぶ雲だとすれば、雲の浮かんでいる場所、青空が心です。青空の中で、いろんな雲が湧いては消え、湧いては消えしていますが、その雲が私の心ではなくて、私の心は青空の方なんです。 ですが、私たちは、煩悩の雲に巻き込まれていて、それが見えていないのです。私たちの視点は雲の中(此岸)にあって、雲も青空も見えていないのです。それには、煩悩の雲から離れた地点(彼岸)から見るしかないのです。仏の視点を借りて見て、私を巻き込んでいる煩悩の雲が見えたら、もう大丈夫です。雲が見えたら、同時に、青空も見えるでしょうからね。 かくして、「浄土の教え」では、「不断煩悩得涅槃(ふだん・ぼんのう・とく・ねはん)」(煩悩を取り除かなくても、安らかな心になれる)(『正信偈』『聖典』p.204)と説かれているのです。 それだけではなく、「浄土の教え」では、「お念仏ひとつで、彼岸(心安らかな世界)に行けることが決まっている」と説かれているのです。これは、『無量寿経』に、阿弥陀仏(法蔵菩薩)の第18願(本願)として説かれていることです。 私は、この教えを、「お念仏ひとつで、必ず、安らかな心になれる」と頂いておりますが、それは、ひとまず置くとして、忘れてはいけないのは、こういったことは、全て、「彼岸」の仏の目から見たことなのだということです。 仏の目にしか見えていないことは、仏の目から見るしかないのです。仏の視点から自分を見る。そのことを、常に思い出させてくれるのが、「南無阿弥陀仏」です。聞いても聞いても、すぐに足元が怪しくなる私たちに、「仏の視点に帰れ」と呼びかけているのが、「南無阿弥陀仏」という名号(お念仏)なのです。 「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」というのは、本来、阿弥陀仏に帰依するという意味ですが、親鸞聖人の受け止め方は、違いました。親鸞聖人は、ナムアミダブツの「ナム(帰命)」というのは、「帰依する」という人間の行為ではなく、阿弥陀仏の「帰って来い」(帰)という「命令」(命)だと、受け止められました。それも、ただの命令ではなく、「本願召喚の勅命(ちょくめい)」だと、受け止められたのです(「〈帰命〉は本願召喚の勅命なり」(『教行信証』行巻『聖典』p.177))。 「勅命」というのは、天皇の直々の命令のことです。鎌倉時代の天皇の「勅命」というのは、現代の私たちには想像もできないほどの大きな力を持った、絶対に逆らうことができない命令でした。 「勅命」といっても、いわば、紙に書かれた文字に過ぎないのですが、その言葉に触れた者は、そこに、抗(あらが)えない絶対的な「天皇の権威の力」を感じたのです。 「南無阿弥陀仏」という六字の名号は、「必ず救うから、阿弥陀仏の視点に帰って来い」という、「彼岸」からの呼びかけです。親鸞聖人は、この阿弥陀仏の呼びかけに、勅命としか言いようのないほどの、抗(あらが)えない絶対的な「阿弥陀仏の本願の力」(大慈悲心)を、お感じになって、「はい」と頷かれた。ここから、浄土真宗が始まるのです。 親鸞聖人は、「お念仏の教え」から、自らを「煩悩具足の凡夫」と聞いていかれた方です。仏教は、「煩悩を断じて、悟りを得る」と教えていますが、親鸞聖人は、比叡山での20年間の修行の中で、どうしても煩悩を無くすことができなくて、悩んでおられました。 煩悩は、捨てねばならない汚れたものです。その煩悩が、捨てられない。そんな思いに苦しんでおられた親鸞聖人は、法然上人の元で「お念仏の教え」をお聞きになって、まさに、目からウロコの落ちる思いをなさったのです。 「罪悪深重(ざいあく・じんじゅう)・煩悩熾盛(ぼんのう・しじょう)の衆生」(『歎異抄』第1条『聖典』p.626)に注がれる、阿弥陀仏のあたたかい眼差しを感じて、感動なさった。煩悩の身が、そのまま受け入れられる世界があることを聞いて、心が踊った。そのとき初めて、煩悩具足の我が身を、負い目なしに見ることができたのです。 親鸞聖人は、「煩悩具足の凡夫」の自分を見ることができたのは、仏の慈悲の光に照らされたからだ、仏は常に私を照らしてくださっていたのだ、と深く頷かれて、お念仏申されました。心を覆っていた雲が晴れて、陽が差し込んで来たのです。 親鸞聖人、29歳。その時の感動を、親鸞聖人は、「雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』『聖典』p.399)と記しておられます。 金子大榮先生は、「念仏は、自我崩壊の響き、自己誕生の産声である」とおっしゃいました。鶏の卵を想像してみてください。「ナムアミダブツ」という「お念仏」は、自分を閉じ込めている(護っている?)「自我(煩悩)」の殻が割れる音であり、殻(煩悩)から自由になったヒナ(自己:本当の自分)の産声だ、ということです。 『正信偈』にある、「煩悩障眼雖不見(ぼんのう・しょうげん・すい・ふけん)、大悲無倦常照我(だいひ・むけん・じょうしょうが)」(煩悩が私の目をさえぎって、たとえ見ることができなくても、仏の慈悲の光は、倦むことなく、常に私を照らしてくださっている)(『聖典』p.207)という言葉は、その産声なのです。 空が雲で覆われていても、その雲の後ろに、太陽が輝いていることを知っているから、全く心配ありません。煩悩の雲に覆われた私は、そのまま、太陽の光の中にいるのです。 「如来よりたまわりし 眼鏡をかけると 私のうしろの 功徳の大宝海が 見えてくる」。これは、念仏詩人・榎本栄一さんの詩です。仏の視点から私を見れば、煩悩具足の私の後ろに、果てしない阿弥陀仏の功徳の世界が見えてくる。煩悩の雲の後ろには、浄土の青空がある。私たちが、帰って行くのもそこですね。 博多・万行寺の七里恒順和上は、「煩悩が見えたら、もう大丈夫ぞ。これがお浄土参りの切符じゃ」と、おっしゃったそうです。煩悩が見えるということは、とりもなおさず、仏の大慈悲の光の中にいるということです。 「なむあみだぶつを となうれば ほんのしばらくでも このおろかな眼がひらく」。これも、榎本栄一さんの「念仏のりやく」という詩です。 「なむあみだぶつ」は、「仏の視点に帰れ」という、阿弥陀仏からの呼びかけです。お仏壇に掛かっている「南無阿弥陀仏」という六字の名号は、いわば、その「仏の目(視点)」です。私たちは、各家庭に、「仏の目」をお迎えしているのです。仏の目の前で、私がどう見えているかを、聞かせてもらう。それが日々のお勤めです。 かつては、「仏様が見てござる」と、よく言いましたが、それは、「仏様に見られている」ということではなく、「仏様が見守っておられる」という意味なんです。それを、「仏様に見られている」と思うと、何か監視されているような、おかしなことになってしまいます。 「人の目の中ではなく、如来の目の中で、生きる」という法語があります。それは、他人の評価を気にして生きるのではなく、仏の眼差しの中で、生きる、ということ。「大悲無倦常照我」(仏の慈悲の光は、倦むことなく、常に私を照らしてくださっている)の、仏の慈悲の光の中で生きるということです。 それは、生活の中でのお念仏ではなく、お念仏の中での生活をするということです。梅原真隆先生は、「日常の平凡な生活こそ、人生の桧舞台である」と、また、鈴木大拙先生は、「悟りとは、日常に気づくこと」と、おっしゃいました。日々の生活こそ、お念仏の働く場なのですね。 「ありがたや 愚癡(ぐち)よりさきの お念仏」。これは、北条絃文師の言葉ですが、生活の中で、こんなふうに、「煩悩が動こうとしただけで、お念仏が出てくださる」というのは、すごいことですね。 では、私は、と言いますと、親鸞聖人は、「お念仏の教え」から、自らを「煩悩具足の凡夫」と聞いていかれた方ですから、私も、そのお心を頂いて生きていきたいと思っています。なかなか親鸞様のようにはいきませんが、「お念仏の教え」にご縁を頂いたおかげで、感情が大きく動くと、「ナムアミダブツ」の呼び声が聞こえます。「ナムアミダブツ」は、煩悩の夢から覚めるよう促す「阿弥陀仏からの呼びかけ」なのです。 思えば、福井の岳父が亡くなりました時には、年甲斐もなく、人目憚らず、大声で泣いたことがありましたが、そのあとで、ふと気付かせてもらいました。あの涙は、大事な人を無くした自分が可哀想で流したもので、岳父のために流したものではなかったと。 他日、福井のお寺の総代さんと、岳父の思い出話をしているときに、そのことをお話ししましたら、「いや、そこまで考えんでも…」と言われましたが、その気づきのおかげで、自己中な感情に溺れずにおれました。 しかし、そんな話を、総代さんにしたことも、あの時、大声で泣いたことへの「照れ隠し」だったわけで、まことに自己中な、煩悩具足の凡夫です。 あれから、20年。やっぱり、煩悩具足の凡夫のままですが、おかげさまで、お念仏に支えられて、「いのちの故郷」への旅を続けさせて頂いております。 「人間に生るること難し。やがて死すべき者の、いま生命(いのち)あるは、有難し」。これは『法句経』(82)にある言葉です。これが、私の、今の思いでしょうか。 さて、もう、そろそろ終わりますね。 今日は「お彼岸のお中日」ですが、もう、お墓参りはお済みでしょうかね。最近は、「何々家の墓」というのが多くなりましたが、本来、私たち門徒のお墓には、「南無阿弥陀仏」か「倶会一処」と彫るものでした。「倶会一処」というのは、「またお浄土で会おうね」という意味ですね。 お墓にお参りしたら、「南無阿弥陀仏だよ」「またお浄土で会おうね」という、懐かしい人たちの呼びかけに会えるのです。それが、お墓参りです。 「死してなお、親は子を導く」という法語があります。この言葉を、今、門前の掲示板にも掲げておりますが、お墓で出会える、亡き人の、「南無阿弥陀仏だよ、これ、ひとつだよ」という呼びかけは、まさに、子を思う親心です。 『歎異抄』にも、「本願を信じ、念仏をもうさば仏になる。そのほか、なにの学問かは往生の要なるべきや」(『歎異抄』第12条、『聖典』p.631)とあります。 私たちが学ぶことは、「お念仏ひとつ」です。浄土は、お念仏申すところに開かれてくる世界です。 お念仏とともにある生活の中で、何でもない日常が、やさしく輝いてきますよ。本当です。どうぞ、ご一緒に、聞法のご縁を大切に、お念仏申して、「彼岸」への道を歩んでまいりましょう。 では、本日は、ここまでといたします。まとまりのない話に、長い間お付き合いくださいまして、ありがとうございました。 次回は、12月13日の報恩講です。どうぞまたお参りください。本日は、ようこそお参りくださいました。ありがとうございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ……。
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