では、その前の二度目の往生はどうかと申しますと、同じく『高僧和讃』の「源空讃」の8首目に、次のように詠われております。
それでは、さらにさかのぼって、一度目の往生はどうかと申しますと、同じく『高僧和讃』の「源空讃」の15首目に、次のように詠われております。 以上、繰り返しますと、伝統的な解釈によれば、法然聖人の三度の往生というのは、(1)釈尊在世当時のインドの声聞僧としての往生、(2)中国の善導大師としての往生、そして(3)日本の法然聖人としての往生、となるわけでございます。
これで、ご質問にお応えしたことになりましたでしょうか。ただ、甚だ僭越なことを申し上げるようでございますが、こういう解釈は、教学としては意味があるとしても、私の「命」にとりましては、余り意味があるとは思えません。そこで、私は、私の「命」の上で、私なりの解釈をさせて頂きました。それが「釋昇空法話集・第五話」(業と輪廻転生)での解釈でございます。
(1)「得度」を希望なさっておられることについて。 「帰敬式」は伝統的には御本山で受けますが、近年は(平成8年4月1日から)お手次の寺院でも受けられるようになりました(御住職が帰敬式の執行資格をお持ちの場合に限りますが)。「帰敬式」で一番大切なのは、「法名」を頂くということです。「法名」は、たとえば「釈昇空」のように、「釈」という字に仏教徒の名乗りとして相応しい二文字を添えたものです。「釈」というのはお釈迦様のお弟子(仏弟子)になったことを意味します。つまり、「帰敬式」を受けて「法名」を頂くというのは、仏弟子として生きる決意を表明するということです。 ちなみに申しますと、本来「法名」というのは亡くなったときに頂くものではありません。では、どうして亡くなった人に「法名」をつけるのかと申しますと、どこの宗派でも事情は同じだろうと思いますが、たとえば真宗寺院は真宗門徒の葬儀しか執り行わないからです。ですから、お亡くなりになった方が「法名」をお持ちでない場合には「法名」をお付けして真宗門徒になって頂く。そのうえで真宗門徒として葬儀を行うわけです。 次に「得度」ですが、「得度式」を受けて僧侶になるには、まず、あなたの身許を引き受けてくださる寺院が必要です。ただし、お手次の寺院というだけで身許を引き受けてくださるということは、まずないと思います。と申しましても、それは何も「お寺のエリアを犯す」とかいった問題ではなくて、得度希望者の動機と必然の問題なのです。 あなたが自覚的に真宗門徒となられ、つまり「帰敬式」(おかみそり)をお受けになって、熱心に聞法を重ね、いつの日か、僧侶として生きることに人生の必然をお感じになったとしたら、そのときにはぜひ、お手次の寺院の御住職にご相談なさってごらんになるとよいと思います。
(2)「お内仏」について。 さて、これでお尋ねにお応えしたことになりますでしょうか。日々お大切にお過ごしくださいますよう、念じ上げます。合掌
ご質問を整理いたしますと、次の二点かと思います。 まず、私の立場を申し上げておきます。ホスピスなりビハーラなりの運動をなさる方々には、それなりの必然がおありに違いありませんから、それをとやかく言うつもありはありません。ただ、私自身は、病院等の施設で終末期を過ごすという在り方には、賛成いたしかねます。それが現状なのだということであれば、そういう状況を肯定もしくは助長する方向で発想されることがらには、同調できません。そのことをご承知頂いたうえで、以下をお読みになってください。話の都合で、ご質問には(2)(1)の順で、お応えいたしております。 さて、現在、仏教を背景としたターミナル・ケア施設の呼称として用いられている「ビハーラ」という語は、サンスクリット語で「休養の場所、仏教徒の僧院、寺院」を意味する言葉です。往古に「ビハーラ」と呼ばれた仏教施設では、病人に衣食・医薬を与え、看病しつつ法を説いたと言われています。 仏教教団(サンガ)での病人の看護と看取りについては、釈尊在世以来の歴史があります。中村元著『原始仏教の社会思想』(選集、第18巻)によると、パーリ文律蔵に、こういう話がでてまいります。ある比丘が胃腸病を患い、誰からも世話をされずに、大小便に埋もれて臥していたところ、釈尊がご覧になり、この病僧の身体を洗って世話をされた。そして、「比丘たちよ、私に仕えようと思う者は、病人を看護せよ」と教えられた。 また、『ダンマパダ』の注釈書には、釈尊がサーヴァッティー市で、身体が腐臭にまみれたティッサ長老を看病し世話なさったが、長老はやがて死んだという話が伝わっています。『増一阿含経』にも、王舎城カーランダ竹林園で、同様のことがあったと伝えていて、そこには、「私に施すことの福徳と、病人を看病することの福徳とは、異なることがない」という釈尊の言葉が記されています。 ちなみに、カルカッタで生涯、貧しい病人の世話をなさったマザー・テレサにも、同様の言葉があります。あるとき、インタビューで「なぜ病人の世話をなさるのですか」と問われたマザー・テレサは、こう応えています。「私は、病人のなかで、私に代わって苦しんでくださっている神様にお仕えしているだけです」と。 話を戻しまして、仏教には「福田思想」というものがあります。「福田」とは、「善行の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田地」という意味です。はじめは、釈尊を福田と仰ぎ、帰依して供養の対象としておりましたが、次第に「仏法僧」の三宝を福田とするようになっていきます。そういった福田に布施供養することは、菩提の功徳を得る因となると考えられていたわけです。 それが、大乗仏教の時代になると、菩薩の智慧と慈悲に基づく利他行が重視されたところから、福田思想は仏教徒の社会的実践の基本として展開することになります。そのなかで、貧窮田(困窮の人を福田とする)、看病福田(自分が看病する病人を福田とする)などが新たに考えられるようになっていきます。 そういう流れのなかで、聖徳太子創建の四天王寺に、敬田院・悲田院・施薬院・療病院の四院が設けられ、東大寺に悲田院・施薬院が置かれたことは、ご承知かもしれません。そして、ついには、「諸の功徳の中には、乞丐人と病人とを哀れむを第一の福田といふなり」(『孝養集』下巻)というように、病者を拝み供養し、貧者を拝み布施するというのが、大乗の福田思想の根幹と考えられるようになります。 さて、以上に見てまいりましたのは、大乗仏教のなかでも、いわゆる「聖道門」の流れです。「聖道門」とは自力成仏を説く教えです。それに対して、我が身の成仏の手段としての「利他行」に限界と欺瞞を感じて「自力無効」を説く教えが生まれます。それが、法然上人や親鸞聖人の「浄土門」です。 「ビハーラ運動の是非について、親鸞聖人なら如何に応えられるか」とお尋ねでしたが、それについては、次にあげる『歎異抄』の文をお読み頂いて、お考えください。 「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと云云。」(『歎異抄』第4条) 「…聖人の仰せには、「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、善きをしりたるにてもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、悪しさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」とこそ仰せは候ひしか。…」(『歎異抄』後序) さて、どのようにお考えになるか分かりませんが、私自身としては、ビハーラ運動に対して消極的です。また、こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、私は、救援活動であれ、福祉活動であれ、具体的な社会的活動は、僧侶の為すべきことではなく、行政が為すべきものと考えておりますし、そういった方面に、僧侶の社会的責任などないと思っております。 むしろ、僧侶は、現在のように、党利や利権に明け暮れ、面子や責任逃れに終始しているような人間ばかりが育っていることにこそ、責任を感じるべきでしょうね。僧侶の社会的実践というのは、橋を架けたり、施薬院を建てたりすることにあるのではなくて、「人の悲しみを自分の悲しみとして感じられる人間を育てる」ことにこそあると思います。 人間を育てるとは、詰まるところ、自分自身を育てるということです。原始仏教の経典『スッタニパータ』に、こんな話がでてきます。 あるとき、世尊が、田を耕すバラモンのもとに乞食に立たれたところ、バラモンは、「自分は田を耕して、その収穫を食っているのだ。あんたも田を耕して食ったらどうか」と言いました。それに応えて、釈尊は、「私も耕している。信仰のもとで、自らの心を耕し、甘露の果報をもたらしている」(取意)と。 「福田」とは、私たち一人一人の「こころ」のことなのです。「他の誰よりも我が身が可愛い」という煩悩に凝り固まった「こころ」の大地を耕し、実りある土壌に解きほぐすことこそ、仏教徒としての私自身の仕事であり、僧侶としての務めでもあると思っております。 このあいだ、こういう言葉を聞きました。「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を人間として成長し成熟する縁として生きる。これを仏道という。」 まさに至言かと思います。 私自身はビハーラ運動に関わる「いのち」の必然を感じておりませんが、人生の必然としてビハーラ運動に関わる方々は、尊い経験をなさることと思います。私たちの小さな慈悲心(善意)で、人を救いきることなどできないでしょうけれど、今まさに逝こうとする人々の傍にあって、人生のひとときを共有し、「いのちの真実」を学び合うことはできるのではないかと思います。看取るとは、学び取るということでもあると、思いますね。あるホスピスの医師は、雑誌にこんなことを書いておられます。 「ホスピスに勤め始めるまで、実は自分は人生を投げ遣りに生きてきた。そんな私にとって、本当の意味で『生きる力』を授けてくれたのは、今まさに死んで逝こうとしている人々だった。そして、私は患者から、「死が自然のものであること、今をどのように生きるかということが死に際を決めること」を学んだ。そんな経験のなかで、私自身が感じたことは、『人間は、ただこの世に生を受け、成長し、年老いて、病にかかり、死に至るという、ごく普通の生命の営みを行っているだけで、知らず知らずのうちに、どこかの誰かを支え、救っていることがあるのかもしれない』ということだった。「死に至る病」への向き合い方には、「これが正しい」などという正解の形なのないのかもしれない。きっと、人はそれぞれ、生きてきたように向き合っていくことになるだろう。でも、どんな向き合い方をしても、その人の生き方は残される人々の心の中にいろいろな形で息づいていくに違いない。」(森津純子「死に至る病とどう向きあうか」、季刊『仏教』42号所収) 今まさに死んで逝こうとしている人の枕元にあって、何も感じないという人は、おそらくいないでしょう。今まさに死んで逝こうとしている人には、「いのち」を握りしめていた煩悩の働きが弱まって、「いのち」を支えていた仏の働きが露わになってくる。その仏の働きを感じられた人は、幸せですね。 仏の働きを感じさせてもらうのに、宗派は関係ないと思います。言うまでもありませんが、病人の枕元は、布教の場ではありません。そうではなくて、学びの場だと思いますね。そのことに関連した良書として、ジョゼフ・シャープ著『死を見つめて生きるために』(白水社)をご紹介いたします。
さて、これで、ご質問にお応えしたことになりますでしょうか。長い文章に付き合って頂き、有り難うございました。合掌
私自身は、心の中では「ナム、ナム」と、また、声に出しては「ナマンダブ、ナマンダブ」と称えております。心中での念仏行に「ナム」という言葉を用いておりますのは、たとえば蓮如上人の『御文』(五帖目、第九通)に、「『南無』の二字は帰命のこころなり。『帰命』といふは、衆生の、もろもろの雑行をすてて、阿弥陀仏後生たすけたまへと一向にたのみたてまつるこころなるべし」と記されているところに従ったものです。 「ナム」とは「その通りでございます」と、真理(阿弥陀仏)に対して無条件で自己を明け渡す心を表現した言葉です。ちなみに、ヒンドゥー教徒の「オウム」、キリスト教徒の「アーメン」も同じ意味です。 さて、次に、『般若心経』でございますが、お尋ねにありますように、浄土真宗ではこれを読誦いたしません。浄土真宗だけでなく、浄土系の宗派ではどこでも、これを読誦いたしません。何故かと申しますと、ご承知のように、浄土の教えは「他力」を説く教えであるのに対して、『般若心経』は「自力」の実践行を説く教えだからです。 『般若心経』は、仏の智慧(般若)を完成して「空」を悟ることを説いた経典です。智慧の完成とは、煩悩を断ち切った世界です。しかし、親鸞聖人は「いずれの行もおよびがたき身」であること、つまりは、どんなに厳しい修行を積んでも煩悩を断ち切ることなどできない身であることを深く自覚されたところから、浄土の教えに出逢われたのです。「他力」の教えを頂く者が「自力」を説く経典を読誦しないのは自然なことと思います。
南無阿弥陀仏(ナマンダブ)というお念仏を称えるだけで、他には何も必要ありませんが、何か短い聖典を読誦なさりたいのであれば、親鸞聖人の『正信偈』、もしくは『嘆仏偈』(『讃仏偈』)などがあります。日用勤行集に載っておりますので、いちどご覧になってみてください。合掌
なお、「和尚さん」というのは、禅宗の僧侶への呼称として用いられておりまして、真宗では用いません。真宗では伝統的に「御院様(ゴエンサン)」という呼称を用いております。このようなことを当方から申し上げるのも甚だ御無礼なことでございますが、お許しを願います。合掌
さて、「御院様」というのは、正式には僧侶一般にではなく一寺の住職に対して用いる呼称です。これを「ゴエンサン」と発音するのは関西地方だけかもしれません。つまりは関西方言ということかと思います。関東地方や北陸地方では多くは「ゴインサマ」とか「ゴエンサマ」と発音するように思います。私自身は、正式な場や地方では、「ゴインサマ」と発音するようにいたしております。 また、伝統的には、住職の父親は「老院様」、住職の息子は「若院様」と呼ばれております。それに対して、住職の妻や母親は何と呼ばれているかと申しますと、「住職」という制度上の呼称の対語としては、妻は「坊守」(ボウモリ)、母親は「前坊守」(ゼンボウモリ)と言いますが、日常的には、こういう呼び方はあまりいたしません。 では、日常的に、「御院様」の対語として何と呼ぶかと申しますと、これは地方によって様々のようです。一昔前までは甚だ大時代的な呼称が生きておりまして、妻は「御新様」(ゴシンサマ)(もしくは「若奥様」)、母親は「奥様」(もしくは「大奥様」)と呼ばれていたようです。母親(姑)が亡くなると、妻が「奥様」に格上げとなったわけです。その他、宗派や格式の違いによって、様々な呼称がございますが、まあ、「今は昔」の物語かと存じます。
余談ながら、住職の息子が幼い頃は「坊や」、娘の場合は「チイちゃん」と呼ぶ伝統もありました。檀家さんは「坊やさん、坊やちゃん、ぼんちゃん」とか「チイちゃん、チイさん、おチイさん」などとお呼びになったわけですが、私は、二十歳過ぎても「坊やちゃん」と呼ばれて困った経験がありますので、息子には「坊や」という呼び方をしませんでした。これもまた、「今は昔」の物語です。合掌
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