当道場の同行数は、たった28戸ですが、去年も寄進により、華美とも思える贅沢な内容で、下水道、便所、本堂床板、台所等の改修工事の完成に至りました。 一昨年は、その前年は、と挙げれば切りが有りません。更に、山峡の当地では、毎年2度3度と、屋根雪降ろしをして頂きます。このように当道場は、尊い同行の方々の相互扶助によって護持されています。 しかし、道場の将来に、葛藤と不安が有ります。 一、人手不足。高齢化と過疎が進む当地では、行事や作業を行うにも必要な人手が足りない。 二、信心や信仰の誤解や不在。教えを説けば、人は離れ(思いと異なる=都合が悪い)、道場も私も困る。寺からは、「道場の分際で 教えを説とくとは生意気だ」との声も有る。教えを説かなければ、同行の勘違い(間違った仏教解釈、追善供養的思い、霊魂感等)によりお寺は維持できるし、僧侶も布施を受ける事が出来る現実。 三、私以降の後継者がない。私達夫婦には、子供がありません。 最近当地でも、信仰とか宗教という言葉を聞いただけで、多くの方はそこに何かいかがわしいものを感じてしまいます。また、仏の存在をお盆やお葬式の時ぐらいしか意識しない方が見受けられます。 背景には、仏を口にする者が、この世の欲で動いている所や、僧侶の宗教者としての人格と生き方、資質に問題が有ると自覚します。
私の理想は、血脈が絶えても 法灯は続く事を願いますが、現実は、集落の消滅が危惧され、それに伴い道場が潰れようとしています。誠に勝手ですが、何か良い方策はないでしょうか。合掌 JM
さて、お尋ねの件でございますが、非才にして、さしたる方策も思いつきません。私どもの事情も、似たり寄ったりでございます。いや、あるいは、御道場より深刻かもしれません。 私どもの寺には、いわゆる檀家が一軒もございません。先代は、教職に就きながら、ほとんど自費で寺を維持しておりましたが、私は、思案の末、専業僧侶の道を選びました。後を継ぐと言ってくれる息子が一人おりますが、あるいは、私の代で終わりかもしれません。しかし、たとえ私の代で終わるとしても、きちんと仏教寺院として終えるつもりでおります。 なすべきことをなす。できるだけのことをする。それでいいのではないでしょうか。「諸行無常」。なんとも輝かしい言葉のように思えます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
私はごく普通のサラリーマン家庭に生まれ育ちましたが、縁あって浄土真宗のお寺に嫁ぎました。真宗のことが右も左もわからず、専門用語が飛び交う環境で、全く実体のないものと向き合うような生活をしておりました時、こちらのホームページに出逢うご縁を頂きました。拝読させていただいて、まるで目の前が開けるような感覚がいたしまして、それから徐々にですが、教えに出逢って良かったと実感するようになりました。 いままで一度もメールを出すこともなく、勝手にこのようなことを思っていましたが、どうもすません。なんとか感謝のメール(又はリアルお手紙)を・・・と思っているうちに月日が経ってしまいました。なんとも申し訳ないことです。 あやまりついでに、お願いがあります。実は、私もこのたびホームページを開設致しました。そして、この弊ホームページの「リンクでGO!」のページにこちらのページへのリンクを張らせていただきたいのです。ぜひぜひ、ご了承いただきたく、お願い申しあげます。
いきなりメールを差し上げ、しかもこんなお願いをして申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。(わー、我ながら、本当に厚かましい。) II
また、紫雲寺のホームページにご関心をお寄せ頂き、有り難うございます。私どものホームページは、ほとんど文字ばかりで、いささか面白みに欠けますが、宜しければ、どうぞ御随意にリンクをお張りくださいませ。
九州には、ご縁がありますようで、以前、東国東地域広域国保総合病院の田畑正久院長先生の「歎異抄に聞く会」からお招きを頂き、宇佐の円徳寺様で2度ほどお話をさせて頂いたことがございます。また、本年は6月に、宮崎医科大学でお話させて頂くことになりそうでございます。いつかお目にかかるご縁を頂けるかもしれません。今後とも宜しくお願い申し上げます。合掌
実は、紫雲寺さまのサイトは、東国東地域広域国保総合病院の田畑正久先生が、ある日嬉しそうにアドレスを書いた紙を下さったのが、おじゃまさせていただいたきっかけです(別に隠すつもりはなかったのですが、以前メールを出すときに、先生の名前の漢字がわからなくなったので、止めてしまいました。すいません^^;)。私にとって、紫雲寺さまは初めておじゃましたサイトでもあります。 また、宇佐の円徳寺は、実はうちの親戚です。以前に、御院様が円徳寺さんにお見えになったときは、ぜひ伺いたかったのですが、どうしても都合が着かなくて、無念でした。 また機会がございましたら、ぜひともお会いしたいと思っております。もし御院様さえよろしければ、またいつか、幣寺の方に足をお運び頂ければ大変嬉しいです。乱文になりましたが、先ずはお礼まで。 II
HPで仏教夜話を拝見いたしましたが、「仏舎利奉迎と覚王山日泰寺」(その1〜その4)と、「仏舎利異聞」につきまして、参考資料を教えていただきたいと思いますので、お忙しいところお手数おかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
(1)『釈尊遺形 奉迎記事』
貴学のどなたが何のためにお尋ねになったのか分かりませんが、できれば御調査の目的にそってお応え申し上げたく、今後はどうぞ、メールで直接お問い合わせ下さいますようお願い申し上げます。合掌
お仏壇に向かい、合掌してお念仏を称えるというのは、至極自然な姿と存じます。ただ、瞑想行として、15分でも20分でも、お念仏を称え続ける場合には、多少事情が異なってまいります。 瞑想行で「ナム、ナム」とお念仏を称え続けますのは、彷徨い出て行こうとする心を「今」に引き戻すためでございますが、その際、長時間合掌を続けておりますと、いくぶん胸が狭まり、閉じ気味になるように思います。如何でしょうか。 胸が閉じて首が下がるような姿勢を続けていますと、自然に心が暗くなっていきますので、あまりお薦めできません。「掌を上向きにして手を膝の上に置く」ように申しましたのは、肩から力が抜けて、胸が自然に広がる姿勢を目指したからでございます。
もちろん、姿勢に無理がなければ、合掌の姿勢で結構でございます。要は、無理なく背筋が伸びて、身体の力みを手放せる姿勢であれば宜しいかと存じます。合掌
『永代経法要』がこちらの浄土真宗のお寺でも執り行われておりました。御院様の方では如何でしたか、全国的に同じ日に執り行われるのでしょうか、もし京都に近ければ御院様の法話を聞法させていただきたく存じますが、今は夢です。
御老院様ご夫妻そしてご家族の皆様のご健勝を御祈念申し上げます。まずは、御礼まで。KS
(1)春の彼岸会(3月の春分の日) 勤行開始は午後2時からでございます。またご縁がありましたらお参りくださいませ。ひとまず、ご参考までにご案内申し上げます。合掌
岳父、TM葬儀、ならびに七七忌ではねんごろな供養を賜りまして深く感謝致しております。早いものでもう半年も過ぎ、初盆も近づいて参りました。ご住職様は「悲しみは時の経過だけが癒してくれるのかもしれない」と慰めて下さいましたが小生が今もって悲しいのは岳父からなにも学ばなかったことです。この悲しみを忘れるようでは私は相変わらずなにも識らないままで終わるのでしょう。せっかっく授かった岳父との縁だったのに残念です。わたしは寧ろこの悲しみを忘れるような人間にはなりたくないです。ご住職さまは岳父が「この方ならば」と座右の書をお渡ししたほどのお方です。紫雲寺さんのホームページの向こうに岳父が見えるかもしれない。そんな予感がします。 小生、浄土門は無知、無関心。無信心。時には仏教界そのものに批判的。箸にも棒にもかからないかも知れませんがよろしくご指導、お付き合い下さいますようお願い申し上げます。明日は出張。今晩はもう遅いのでご挨拶のみで失礼いたします。返信にはおよびません。また来週、ページをのぞかせていただきます。まもなく梅雨、ご自愛下さい。おやすみなさいませ。 KK
(2)それが、大乗仏教の時代になると、菩薩の智慧と慈悲に基づく利他行が重視されたところから、福田思想は仏教徒の社会的実践の基本として展開することになります。そのなかで、貧窮田(困窮の人を福田とする)、看病福田(自分が看病する病人を福田とする)などが新たに考えられるようになっていきます。(続く) (3)そういう流れのなかで、聖徳太子創建の四天王寺に、敬田院・悲田院・施薬院・療病院の四院が設けられ、東大寺に悲田院・施薬院が置かれたことは、ご承知かもしれません。そして、ついには、「諸の功徳の中には、乞丐人と病人とを哀れむを第一の福田といふなり」(『孝養集』下巻)というように、病者を拝み供養し、貧者を拝み布施するというのが、大乗の福田思想の根幹と考えられるようになります。(続く)
(4)しかし、これは、大乗仏教のなかでも、いわゆる「聖道門」の流れです。「聖道門」とは自力成仏を説く教えです。それに対して、我が身の成仏の手段としての「利他行」に限界と欺瞞を感じて「自力無効」を説く教えが生まれます。それが、法然上人や親鸞聖人の「浄土門」です。ですから、私たち真宗門徒は、あまり「福田」ということを申しません。より詳しくは、仏教辞典をご覧ください。ところで、お名前は何とおっしゃいますか。合掌
現在、私は、自分の力ではどうしようもないことにぶつかって、その縁から自分の生き方について、いままでになく考えているところです。ただ、「考え」ても答えは出るものではなく、なるようになる、まかせる、ということのむつかしさを感じている、という状態です。 我が家は日蓮宗ですが、同じ仏教に親しんでいるということで、住職さまのおっしゃることになじみのあることが多く、父からも、なってしまったことを「どうして、どうして」と思う心では、つらいだけだ、などと言われたことがあり、頭ではわかるけれども、、というかんじです。 現在、私は、東洋医学(気功治療などを行っている)をあつかっているところで、カウンセリングを受けています。そこでも、大きな存在への気付きといった話をされましたが、住職さまの法話とどこかつながるところがあるような気がしています。また、一時、ニューエイジの本をたくさん読んだこともあり、そこで語られている、ひとは本来、完全な状態で、そこに帰っていくだけでいいのだ、という話にも、つながりをかんじます。
このような経験をしますと、真理はひとつのような気がしてまいります。ただ、今の自分は、それをまだ信じきれていない、感じられていない、というかんじです。だから、早くなんとかしたい、と思うことも、法話を読んだあとでは、煩悩であるのだなぁ、、と思ってしまうのですが、なにかよりどころを求める気持ちがあって、お便りしてしまいました。(求める、というのも煩悩ですね。難しいです。。。) とりとめもなくなってしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。KU
さて、私も、悩み苦しむ凡夫です。人生の様々な問題にぶつかって悩み苦しむとき、やり場のない憤りと無力感に苛まれながら、「どうしてなんだ」(why)と、思わず知らず叫び問いかけている自分がいる。この問いかけを持つことは大切なことだと思います。ですが、この問いかけには、私たち凡夫にとって、納得のできる答えはないものです。 ですが、どんな問題でも、起こるべくして起こってくるのだと考えてみたらどうでしょう。「私が必要とすることではなく、私に必要なことが起こってくる」。人生に偶然はない。とすればです、そのとき大切になってくるのは、その問題が「どうして」(why)起こったのかということではなく、その問題から「なに」(what)を学べるかということではないでしょうか。 問題が大きければ大きいほど、「なるようになる、まかせる」という姿勢が大切になります。といっても、それは、問題に背を向けるということではありません。そうではなくて、「なるようになる、まかせる」というのは、心のなかの最も崇高な高見に立って、問題をしっかり見つめていくことなのです。 どんなことであれ、あなたの身に起こった出来事は変えられません。ですが、そこからどんな意味を読みとるかは、あなた次第なのです。どうぞ、あなたの心のなかにある最も崇高な高見を探してください。そして、その高見に立って、そこから問題を見つめてみてください。 人生には矛盾と葛藤が満ち満ちていて、生きるのが、ことのほか難儀なことに思えるときや、呼吸をすることさえ途方もなく難しいことに思えるときもあるものです。ですが、人生の空が雲におおわれたように思えたときにも、その雲の上にはいつも青空が広がっていることを思い出してください。生きるということは、素晴らしいことです。
私たちは、同じ時代に、同じ世界に生まれてきた「いのちの仲間」です。ですから、あなたの問題を解決してさしあげることはできないにしても、ご一緒に考えることならできるかもしれません。お便りを頂き、有り難うございました。合掌
法話集を読みなおし、自力に邪魔されているけれど他力は常に働いている、というありかたに、凡夫のまま歩み続けることへの後押しを頂いたように思います。なかなか努力のやめられない凡夫ではありますが、「心がけ」という言葉を使うのを許していただけるなら、心の向きはいつも光のほうを向いていられますように心がけて生きてゆきたいと思っています。そうして過ごしていくなかで、ほんとうは働いているのに、凡夫であるため感じられないでいる他力を感じる機会が増えていきますよう。。。最後までお読みいただきありがとうございました。 KU
正直に書きますと、私は「彩花へー」という本が、ご法話として取り上げられ、語られる時、感覚的に言えば「苦しいー」、論理的にいえば取り上げ方に少し問題があるのではないかと思うことが時々ありました。そして紫雲寺さまのご法話をよんでも、同じ感想を持ちました。 「彩花へー」の読み方が、「わが子を殺されてこんな境地に達したお母さんがいる」「この受け止め方こそ仏法にかなう、深い姿です」とでもいうような書き方話し方。もつといえば、書き手、話し手にとって、理想的な部分を切り取って、「さあこんなりっぱな人がいますよ」という雰囲気を漂わせてしまう。それこそがあまりにも第三者として見ている見方だと思えてなりません。 言葉はたしかに「彩花へー」で語られたの「喜び」を伝えようとされているのでしょう。しかし、それを伝えようとすることと、言葉にすることの間に、いつの場合でも、語り手・話しての見方が入ります。問題は、無意識な部分も含めて、話して・語り手の視点だと思います。 その取り上げ方が、一人の人を理想化すればする程問題の渦中にある人は、口をつむらざるを得ないのです。なぜなら、そうなれない人が圧倒的多数だからです。もっと言えばすばらしいといっているのは、問題を外に見ることの出来る人ばかりというのは言い過ぎでしょうか。 なぜ、「憎しみ」の言葉(「エゴの視点)はダメで、すべてを包み込む「仏の視点」のみ見ることが「生きる力」となもると評価されるのでしょうか。エゴの言葉丸出しで、もがく姿は、仏法から遠いことになるのでしょうか。そのままの姿での念仏ではダメですか?。 子どもの死が「悲しい役割り」とまで言われると、「NO」と言ってしまわざるを得ません。 私は「彩花へー」のお母さんの言葉の受けとめが一方に偏り恣意的なっていると思わずにはおれません。(私のそれは恣意的な受けとめ方と言われればそうですが) 私は、この本は「どうしようもない悔しさと憎しみ」と「「あなたを更正させたい」という気持ちの間に何とか立とうとする自己を凝視する眼差しが貫かれていると今も思います。 しかし「どうしようもない悔しさと憎しみ」は「彩花へー」を元に語る人には、ほとんど返りみられないどころか、単純に切り捨てられていることが多いように思います。それはなぜでしょうか? 世間受けしないからでしょうか? 自分の理想とするには困るからでしょうか? 「微塵のよどみのない澄み切った涙を、亡くなった二人の霊前で、苦しんだ被害者の前で流すことこそ本当の更正と信じます」という白刃を突きつけるような言葉の前に私は圧倒されてしまいました。研ぎすまされた刃のような言葉となった苦悩と、子どもがもどってこないという絶望な悲しみの中から紡ぎだされた、少年への言葉。おなじように子どもを亡くしても、事故でなくした私にはその心情は、とてもじゃないがわかりません。その言葉の前に立つだけで精一杯です。そして大きく揺れ動く思いのあることをいくらかを察するだけです。
迷いましたが「これは違うのでは?」と感ずることを正直に申しあげました。突然のメールで、失礼の段、意のあるところをお酌み取りいただいて、お許し下さい。 MO
被害者の深い悲しみも苦しみも憎しみも絶望も分からず、文章を表面的に読んで理想的なところを切り取り、偏向的恣意的な心をもって、我田引水の道具にしているのではないか。そういうご意見を頂いたものと拝読いたしました。「悲しむ力」をもう一度読んでみました。なるほど、ご指摘頂いたような読み方もできるかと存じます。ご不快を抱かれましたこと、お詫び申し上げます。 『彩花へ』を、何度も読みました。「この本には『どうしようもない悔しさと憎しみ』と『あなたを更生させたい』という気持ちの間に何とか立とうとする自己を凝視する眼差しが貫かれている」。「微塵のよどみもない澄み切った涙を、亡くなった二人の霊前で、苦しんだ被害者の前で流すことこそ本当の更生と信じます」。決して綺麗事ではない、実に、白刃を突きつけるような言葉です。ともに、ご指摘の通りかと存じます。 加害者に対する「どうしようもない悔しさと憎しみ」。これは、誰もが抱く感情であり、誰もが理解できる感情でしょう。おそらく、私たちが被害者となった場合、この感情しか生まれてこないのかもしれません。一方、「あなたを更生させたい」という気持ちはどうでしょうか。これは、私たちの日常的意識から見れば、容易には理解しがたい崇高な感情だと思いますが、如何でしょうか。 もし、『彩花へ』が、「どうしようもない悔しさと憎しみ」について書かれた本であったなら、おそらく、あれほど読まれることは無かったでしょう。『彩花へ』が、沢山の人々に感動を呼び起こしたのは、私たちの日常的意識を超えた崇高な感情について書かれた本だからではないのでしょうか。 おおせの通り、『彩花へ』には、その二つの「気持ちの間に何とか立とうとする自己を凝視する眼差しが貫かれている」。とはいえ、それは、相克する等価の感情の間で身動きできずに硬直している人の眼差しには思えないのです。京子さんは、おっしゃっています。「もちろん、最初は憎しみしかありませんでした。彼がやったことに対しては、これからも永久に許すことはできません。それにしても、私のなかで何かがゆっくりと変わってきたことは事実です。憎いはずの少年が、かわいそうに思えることが多くなり、云々」と。 仮に、加害者への「どうしようもない悔しさと憎しみ」を、私たち凡夫にとっての自然な感情という意味で、「俗なる感情」と呼ぶとすれば、「あなたを更生させたい」という感情は、「聖なる感情」と呼べるかと思います。そういう言葉を用いて言えば、『彩花へ』には、「俗なる感情」に塗りつぶされていた心のなかに「聖なる感情」が芽生え、その二つの感情が対立葛藤するなかで、少しづつ「聖なる感情」へと傾いていく、そんな、「俗」から「聖」への動きが読み取れるように思うのですが、如何でしょうか。 『彩花へ』には、「俗なる感情」のなかから「聖なる感情」をめざす動きが読み取れる。といっても、おそらく、そこには、安易な想像を拒絶するほどの、たえがたい苦痛をともなっているに違いないでしょう。私たち大多数の凡夫には、とても出来ないことかもしれません。ですが、一人の人間のなかに、それほどの崇高なムーヴメントが宿りうるということを知ることは、私たちにとっても、何か得るところがあるのではないでしょうか。 人は、その境遇や人生観や宗教的傾向などによって、書物から読み取るものが、それぞれに異なるものでしょう。『彩花へ』を読んでも、「どうしようもない悔しさと憎しみ」に共感する人もいるでしょうし、ふたつの感情の葛藤に頷く人もいるでしょう。また、京子さんの心に芽生えた「聖なる感情」に感動する人もいるでしょうし、反対に欺瞞を感じる人もいるかもしれません。ただ、京子さんは、こう書いておられます。「私どもの個人的な苦悩が、多くの人の生きる希望へと転ずることを願います」と。この著者の願いに沿って、私たちの生きる希望を『彩花へ』に読み取ろうとすることは、それほど偏向的とも恣意的とも思えないのですが、如何でしょうか。 宗教的な発想はお嫌いかもしれませんが、京子さんの心に生まれた「あなたを更生させたい」という気持ちは、宗教的な感情と言えるかと思います。それは、いわば「理想」に属するものでしょう。私は、理想、理想と、旗を振って喜んでいるほど若くもないつもりでおりますが、理想を鼻で笑うほどシニカルでもありません。むしろ、理想というものは、それが実現可能かどうかということよりも、導きの星として大切だと思っております。 さて、では、この「あなたを更生させたい」という気持ちは、どこから生まれてきたのか。京子さんは、こうおっしゃっています。「私は、自分を惨めにしないために、無理にそう思い込もうとしているのではありません」「少年への思いは、誰に説得されたのでもなく、ごく自然に私のなかに芽生えてきた不思議な感情でした。じっと心のなかを凝視したとき、『そうや、彩花が教えてくれたんや』、そう思いました」と。 シニカルな見方をする人には、「彩花ちゃんは何も教えていない。母親が勝手にそう思いたがっているだけだ」ということになるのかもしれません。そう思われる方には、あえて反論するつもりはありません。ただ、私は、こんなふうに考えております。 私たちは、現象世界に暮らしています。日が昇り、日が沈み、人が生まれ、人が死ぬ。ある意味では、物事が絶えず変化しているだけの世界です。仏教の言葉で言えば、「諸行無常」です。その「諸行無常」の現象世界で、個々の出来事に意味を与えているのは、私たちの心です。どんなことであれ、私たちの身に起こった出来事は変えることはできません。ですが、その出来事にどんな意味を読み取るかは、私たち次第なのです。 出来事に意味を見いだせない場合、私たちは苦悩します。たとえば、大切な人を亡くした場合など、私たちは「どうして死んだんだ、どうしてこんなことになったのだ」と、泣き叫び苦悶するものですが、この思わず知らず出てくる「どうして」(why)という言葉は意味を問うているのです。ところが、そんな問いかけには、私たち凡夫にとって、納得できるような答えはないものです。そのため、出来事のまわりで感情の輪が閉じてしまい、感情の袋小路のなかで悩み苦しむことになるのが私たちではないでしょうか。 しかし、こんなふうに考えてみたらどうでしょうか。「人生に偶然はない。人生に起こってくることには、全て必然があり、自分にとって意味がある」と。ある人は、こう言っています。「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を人間として成長し成熟する縁として生きる。これを仏道という」と。昔の人が、「悲しいことも苦しいことも、全て、仏様のお諭しです。お育てを頂いているのです」と言われたのも、同じことでしょう。人間として成長し成熟するために、人生には、私が必要とすることではなく、私に必要なことが起こってくる。 と申しましても、決して、そういう考え方を強要しようというわけではありません。そうではなくて、もしも、少しでもそんなふうに思えたなら、矛盾と葛藤に満ち、時にはどんな理不尽なことでも起こりうる人生の、受け止め方が変わってくるのではないかと思うのです。京子さんは、そんなふうに思えるようになったのです。その一つの契機は、ヘルマン・ヘッセの詩との出会いだったと書かれています。 「人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、私はけっして人生をののしるまい」「日の輝きと暴風雨とは、同じ空の違った表情に過ぎない。運命は、甘い物にせよ、にがいものにせよ、好ましい糧として役立てよう」(『ヘッセ詩集』)。この詩を読んで、京子さんは、こう書いておられます。「魂に電流が走りました。どのような運命が巡り来ようとも、自分自身の財産に変えていけという文豪の言葉。何があろうと、粉動されてはいけない。焦ってはいけない。全部、自分の滋養にしてゆくんだー。厳しく、深い、魂を叩きのめすような、しかも、強く抱きしめてくれるような言葉でした。この言葉を目にしたとき、私の心が決まりました」と。 彩花ちゃんを理不尽な暴力が襲った理由(why)は分からない。分からないけれども、大切なのは、その出来事が「どうして」(why)起こったのかということではなく、その問題から「なに」(what)を学べるかだと、問い直したとき、京子さんには「どうして」という問いへの答まで、ほのみえてきたのです。「(彩花は)本当の意味での『生きる力』というものを、母親の私に教えてくれました」。「(このたびことは偶然ではなく)彩花自身の命の内側に定まっていたことだったと思います」。「私は、息子も娘も、偶然にわが家に生まれてきたのではないと思っています」と。 彩花ちゃんが京子さんのもとに生まれてきたのは、偶然ではない。彩花ちゃんが、京子さんのもとに生まれてきたのも、また、理不尽な出来事のなかで京子さんのもとから旅立っていったのも、みな、京子さんが「人間として成長し成熟する縁」になるためだった。京子さんには、そう思えた。だからこそ、「ありがとう、彩花。ほんまに、ありがとう」と言っておられるのではないでしょうか。 「子どもの死が『悲しい役割り』とまで言われると、『NO』と言ってしまわざるを得ません」と、ご指摘頂きました。おそらく、「悲しむ力」をお読みになって、もっともご不快にお感じになった点かと拝察いたします。また、子供さんを亡くされた親御さんが「NO」とおっしゃるのは、至極当然なことと存じます。心よりお詫び申し上げます。 私事ながら、昨年、本当の兄弟のように思っておりました義兄が、47歳という若さで、脳腫瘍で亡くなりましたとき、私は、追悼文(HPにも掲載いたしておます)のなかで、「これでよかったんだよね」と書きました。それに対して、多くの方々が「NO」とおっしゃいました。その方々のお気持ちもよく分かりましたが、私の気持ちは違いました。 「これでよかった」というのは、いわば義兄の死に対して「YES」と言ったことになります。と言っても、もちろん、義兄の死を喜んだという意味でないことは、お分かり頂けるかと思います。そうではなくて、私は、義兄の人生に「YES」と言ったのです。 それはです、もしも、47歳という若さで死ぬのは「NO」、脳腫瘍などという病気で死ぬのは「NO」、成人していない子供たちを残して死ぬのは「NO」、年老いた両親を残して死ぬのは「NO」、手を着けたばかりの大きな仕事を未完成のまま残して死ぬのは「NO」、もっと人生を楽しまずに死ぬのは「NO」と、そんなふうに義兄の死に方に「NO」を突きつけていくとすれば、それは結局、義兄の人生そのものに「NO」と言っていることになりはしないかと、私には思えたからなのです。 はたして、私たち凡夫の目から見て長寿で幸福な人生だけが「YES」という言葉に値するのでしょうか。私には、そうは思えないのです。この世に生を受けたものはみな、遅かれ早かれ死なねばなりません。もちろん、幾つで死ぬかは分かりません。ですが、人は幾つで逝っても、何もやり残したことはないと思うのです。どんな短い人生にも意味がある、無駄な人生というものはない、と思うのです。 義兄が若くして逝ったことも、「(義兄)自身の命の内側に定まっていたことだった」とすれば、それは、ある意味で、義兄自身の選択でもあったと思うのです。(「悲しい役割」と申しましたのも、そういう思いがあったからでございます。)その選択によって、義兄の死は、私たちの人生に大きな影響を与えるとともに、私たちに大切なメッセージを残していってくれたのです。それが義兄にとっての今生での最後の仕事だったのです。 そのことを義兄の選択として受けとめたとき、おそらく義兄も、私たちが「NO」と言って佇んでいることより、「YES」と言って、そこからスタートしていくことを、喜んでくれるように思いました。私は、義兄の人生に「YES」と言いたいと思います。私にとっても、義兄自身にとっても、その死を無駄にしないために。 もう少し私事をお話しすることを、お許し願います。私どもには、息子が一人おりますが、これまでのところ、その子を、理不尽な暴力や交通事故で亡くすという経験はしておりません。ですから、「問題を外に見ることが出来る人」と言われれば、おそらく、そうなのでしょう。ただ、その一人息子をなくしそうになったことがございました。息子が、小学一年生のとき、自宅近くの信号のない交差点で、前方不注意で突っ込んで来た車にはねられたのです。 体重が軽かったためにはね飛ばされたこと、そして、道路にたたきつけられたときの打ち所が悪くなかったことが幸いして、致命傷にはいたりませんでしたが、息子は後遺症で視力が落ちていき、事後処理の不手際や加害者や保険会社に対して不信と憤りを感じていた私は、息子の目の前で、こんなことを口走ってしまいました。「もし、お前に何かあれば、お父さんは、お前を苦しめた奴に、必ず同じ苦しみを与えてやる」と。すると息子は、悲しそうな顔で、こう言ったのです。「おとうさん、ぜったい、そんなことしたらあかんよ。そんなことしても、ボクはうれしくないからね」と。 思わず涙が出ました。恥ずかしくて、悲しくて、嬉しくて、涙が出ました。「そんなことをしても、ボクはうれしくない」。もちろん、息子が死ななかったから聞けた言葉です。ですが、もしもあのとき死んでいたとしても、これが息子の気持ちだったのだと、息子の命の奥底からのメッセージを受け取った思いがいたしました。 たしかに、私には、子どもを亡くしたという経験がありません。ですが、厳密に言えば、私たちは誰一人、同一の経験をすることはできないのでしょう。一人一人が、それぞれに異なった人生を体験する。それでも、私たちは、同じ時代に、同じ世界に生まれてきた「いのちの仲間」として、どこかにつながる接点があり、互いに「人として成長し成熟する縁」になりあっているものと、私は信じています。 「悲しむ力」という話をさせて頂きましたのは、「一人の人を理想化する」ためでも、「世間受け」をねらうためでもありません。そうではなくて、あの話をさせて頂いたのは、仏法にご縁を頂き、よくよく聞かせて頂きながら、日常の喧噪に紛れて忘れがちになっている大切なことを、『彩花へ』が、改めて思い出させてくれた、そのことへの感謝の思いからでした。とはいえ、もし、そこに、「さあこんなりっぱな人がいますよ」という雰囲気を漂わせているとすれば、まことにお恥ずかしい限りでございます。
分かったようなことを書き連ねましたが、何か事が起こったときに、心が憎しみで一杯にならないという保証はありません。ただ、これまでに縁あって聞かせて頂いたことやお話させて頂いたことを、そのときにも思い出せたらと願っております。今後とも宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。お盆のさなかで、お返事を差し上げますのが遅くなり、大変失礼いたしました。お赦しくださいませ。合掌
ただし、他人の体験を語られる時、自分の視点からしか見えませんので「抜け落ちること」、さらにそれを自分の物差しに当てはめて語られる時、一面的になることへの怖れ・謙虚さのようなものが一番いるのではないかと失礼ながら思いました。 「窃かにおもんみる」と親鸞さまがおっしゃって仏教・真宗を明らかにしてくださいましたが、その学びをしながらも、お説教は、書きようによっては、言いようによつては、それと異質な響きを聞く人にあたえることになるのではないかと思います。 お説教をされる人は、何と迷いがない、すっきり割り切った形でお話しを展開されるのかな?と思います。あまりに、きれいに整理されすぎることへの苛立ちといってもいいかもしれません。そんなに「わかってしまったように書いてほしくない」という思いが根っこにあります。(MO)
わたくしには理屈を頼む癖がありましてこの年齢になっても現象とそれを説明する合論理性を通してしか事物・事象を理解しない、理解出来ないきらいがあります。”わたくしが納得できるように説明されていないものはわたくしにおいては正しくないか理解する必要がないかのいずれかである。”というぐあいで何教、何宗は言うに及ばず、形而上学のたぐいはそれでなくても足りないあたまの無駄使い。 亡き岳父はそういうわたくしを見抜いていたのでしょう、言葉に出しては語ってくれることはほとんどなかったのですが、あの方は亡くなる瞬間までわたくしたちのために伝えるべきことを伝えようとして痛みに耐えて生き抜いて下さいました。わたくしは岳父を介抱していて「わたくしが岳父を介抱しているのではない。この方こそ、一命を賭してわたくしたちを介抱しているのではないか。一命を賭して伝えようとしているものがあるのではないか。それがわからないようではまことに相済まないことだ」そのように思えたのでした。 しかし岳父はわたくしが理解するするまえに逝ってしまわれました。「愛」だとか「いのちの大切さを教えてくれた」などと世間にありきたりの言葉ではしらじらしくて納得できないほど慈愛に満ち、壮絶にして静かな寂滅の過程に立ち合いながら、やはりわたくしにはわかりませんでした。このときばかりは自分では信じてはいないけれども岳父の信じた阿弥陀様が岳父を迎えに来ないような契約違反は公序良俗にもとることだ、どうか阿弥陀様、どんなに忙しくても岳父をお迎えにおこし下さいと祈ったものでした。調子がいいとのそしりはまぬがれませんね。でも仮に岳父がキリスト教徒ならわたくしはやはり岳父が天にまします主のもとへ召されるように祈ったことでしょう。せめていまわの際にその人のねがいをかなえてあげたいと思うのは人情といってもいいものでしょう。 岳父を失ったことは無論悲しいことですがむしろ残念なのは岳父の伝えようとしたことが理解できていない自分のあさはかさにくやしさを覚えました。なぜ宗教は信仰を求めるのみでわたくしがまず理解できるように語ることができないのでしょうか。独善を排するはずの宗教がなぜ自己のパラダイムのなかでしか事象を説明できないでいるのでしょうか。真宗だけは他宗とはちがうのでしょうか?
申し訳ございません。つかみどころのない話しになってしまいました。真宗の西と東のちがいもわからぬやからなのです。ご住職さまは岳父の生前に愛読書も譲られたほどのお方。ホームページの法話も学校の授業のようでなんとなくなつかしいスタイル。ご住職様のおはなしなら、岳父が言葉にすることのなかったことのヒントのいくらかでもお聞かせいただけるのではないか。そのように期待させて頂いております。夫婦そろっていけたらいいなと思っております。では、彼岸会にて。よろしくおねがいいたします。 平成十三年九月三日 KK
紫雲寺さまのホームページを全てプリントアウトしまして、こつこつと読んでおります。いろいろなテーマでお話しなさっておいでですがわたしにはたまたまでしょうか、昨日のお話しがいちばんスパッとこころに響くものでした。ホームページを拝見しましてそのボリュウムと和尚さまが読書家であることに感心いたしました。ものをお読みになるのがお好きなようですからつたない文章ですがわたしの書いたものもお読みくだされば幸甚です。添付してお送りいたします。関心なければお読みにならなくても結構です。関心のあるパートだけお読みになってくだされば充分です。なかにはわたしの宗教観を示した箇所もございます。こういうものの見方をする者もいるのだということで受け流してくだされば結構です。ものの見方は人の数だけあるのですから。 KK (添付書類、省略)
添付書類として、原稿用紙で60〜70枚はあろうかという長文のエッセイをご恵送賜り、恐縮に存じます。早速、ご論考をプリントアウトして、興味深く拝読いたしました。きわめて理知的で、どこかハードボイルドに似たリズムのある、独特の世界を垣間見させて頂いたように感じました。有り難うございます。 あるいはご理解頂けないかもしれませんが、仏教は、「イズム」でも「ドグマ」でもございません。仏教は、世界を「あるがまま」に見るというところを目指しております。そういう意味では、如何なる相対的な人生観をも超えた世界を目指しているのが、仏教でございます。
いずれまた、お目にかかって、お話しを承るご縁を頂けますよう、念じております。今後とも、宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
ところが和尚さまのメールでは「あるいはご理解頂けないかもしれませんが仏教は、「イズム」でも「ドグマ」でもございません。」とおっしゃいます。どういう意味なのか考えてみましたがお察しのとおり、わたしのちからでは「やはりわかりません」と白状するほかありません。わたくしはほかでもない「ブッディズム」のこの煩瑣な「ドグマ」にこそ辟易とさせられてきたのです。宗派各説のパラダイムにうんざりさせられてきたのです。仏教はとてつもない「イズム」と「ドグマ」の体系であって凡人ではとても理解し得ない「智慧」なのだ。だから自分には解らないのも当たり前だ。しょせん、仏教とは縁がなかったのだと思いはじめていた矢先だったのです。 そこへもってきて和尚さまは「仏教は、「イズム」でも「ドグマ」でもございません。」とこともなげにおっしゃいます。それでは七千余巻の経典は、あれは何なのでしょうか。聖書を全て暗記した神父はおいでになるようですが仏教経典を全て暗記した僧侶は古今東西、いらっしゃらないと聞きました。これほど煩瑣な「ドグマ」の体系がげんとして存在しているのに否定なさるのでしょうか。あるのにないとおっしゃる。これはもう禅問答ではありませんか。 たしかに禅系の和尚さまで同じようなことをおっしゃってくださった方がおいでになりました。もちろんわたくしにはさっぱりわからない。らちがあきませんでした。悟ればそういう心境にもなるのかもしれません。あるいは浄土門でいえば廻心を得ればればそういう心境にもなるのかもしれません。しかしそれでは悟りも廻心もしていないわたくしにはわかる訳がございません。とり付くしまもございません。第一、「ドグマではない」と言ってしまえば「仏教哲学」が成立しなことになりませんでしょうか。 ただ、和尚さまのおっしゃいますように「世界を正しく見る」、あるいは自分を正しく見るようになりたいとの思いはわたくしとて同じ気持ちです。そのためにこそ正しいドグマをもとめて来たのです。和尚さまも法話集ではまぎれもない「ブッディズム」の「ドグマ」を浄土門のパラダイムを軸にご説明なさっているではありませんか。形而上学とはいえ、いかなるドグマがもっともよく現象を説明しているかが議論と考察の対象になることは「学」の字がつくかぎり形而下を扱う科学とも変わるところはないはずです。ここへきていきなり「ドグマではない」とおっしゃられても、こればかりは残念ながら理解できません。 これは反論申し上げているのではありません。わたくしの理解できる限界を超えております。わたくしが、「宗教はなぜ自分のパラダイムのなかでしか教義を語れないのか」などと生意気なことを申しましたばかりに和尚さまからガツンといただいたかんじです。わたくし、なにがなんだかわからなくなってしまいまして、まいっております。こうしてぐちってるよりも、もっとよく和尚さまの法話集を読んでみることにいたします。 報恩講にも参らせていただきたく存じます。わたくしは投げ出したくはありません。投げ出せばわたくしは岳父を理解できなかったことになるように思います。どうかわたくしが理解できるようにお導きくださいませ。この件、メールでやり取りするより、ちょっとじっくり考えさせてください。考えてわかるようなロジックではなさそうな気もいたしますがとにかく考えさせてください。末筆ながら、和尚さまのご健勝をお祈り申し上げます。 平成十三年九月二十九日 KK
ところで、貴サイトのスタートページについて思った事ですが、世の大抵の人は仏法の話というだけで敬遠しがちで、読み始めるまでが大変なわけですから、内容を簡単に紹介しておくなどしてもっと興味をもたせるようにした方が良いのではないかと思いました。生意気な事を言ってしまい、申し訳ありません。ただ、より多くの人に師のご法話を読んでもらいたいものですから。
また、紫雲寺さまでは季刊紙を発行なさっているとか。是非私も読んでみたいのですが、購入に関して何か制限などあるのでしょうか。(部数の上限、下限など)。ご多忙中、このようなことをお聞きして申し訳ありません。いつの日にかでもご返事頂ければ幸いです。 合掌 北海道M
ご教示頂きましたスタートページの件でございますが、ただいまのところ、老朽化したコンピュータ(Power Macintosh 8500/120)の調子が優れませんので、いずれ機会を見て改善させて頂きたく存じております。
拙寺の季刊紙『菩提樹』の購読をご希望との由、有り難く存じます。ただ、『菩提樹』は、拙寺の御同行方への連絡事項のコーナー(「掲示板」)を除いて、全ての記事をホームページに掲載いたしておりますので、どうぞ、そちらをご覧くださいませ。今後とも宜しくご教導賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
お礼を差し上げるのが遅れた事、本名を名乗るのを忘れた事など、失礼を重ねてしまい、大変申し訳ありません。本名をTHと申します。ありのままの自分を出して生きたいとの思いと、「世間」からの評価におびえる情けなさとの間で揺れ動く、哀れで未熟な凡夫です。それでも評論家のような人間にはなりたくないとは思っていますが。昇空師のご法話を読むと、自分の内にある「世間体」の束縛から自由になれ、人間らしい生き方をつかめそうな予感がします。 実は、私の実家は小さな真宗寺院です。私も長い間取るべき進路について随分悩んできましたが、跡を継ぐことに決め、これから教師の資格を取るべく勉強に行く予定です。そうした折りに師のご法話に出会い、力強い指針を得た気がします。一生かかっても昇空師のようにはなれそうもありませんし、これからも経済的な問題や自分の力量の無さ等で悩み、苦しむでしょうし、いつまで続けられるかも不安ですが、紫雲寺様のように人に安らぎを与えられる寺院にできたら、と思っています。(目指すのは自由ですから(汗)) これからもご法話を楽しみにしております。10月10日 北海道 TH
先日の御旅行記は楽しく拝読いたしました。お心遣いご無用でございます。私どもこそ、ご不快な思いを抱かれたのではないかと案じております。あるいはご無礼を重ねることになるかとも存じますが、いささか所存を申し上げます。
(1)「理解できないものなど信じられるはずがない」とのお考えに対して。
(2)「イズム」と「ドグマ」について。 本来的に、-ism という接尾辞には、alcoholism(アルコール中毒症)に見られるような、偏向的嗜癖を示唆するムードをはらんでいるように思います。キリスト教以外の宗教が「イズム」という扱いを受けておりますのも、Darwinism や Calvinism と同様に、正統的キリスト教世界から見て、異端・外道・外教に属するということではないのでしょうか。「イズム」というのは、少なくとも中立的な言葉ではないように思います。有り体に言えば、キリスト教世界の価値観を押しつけた言葉です。そういう意味で、「仏教はイズムではない」と申し上げたのです。個人的には、「仏教」の英訳としては、Buddhism よりも、Teachings of the Buddha を採りたいと思っております。 次に「ドグマ」ですが、dogma というのは、第一義的にはキリスト教会が教会の権威に基づいて確立した教義を言います。つまりは、ローマ公会議の決定内容と考えてよいかと思いますが、それにはかなり政治的意図や歪曲が含まれていて、そのままキリスト教の本質とは言い難いものかと存じます。「ドグマ」という言葉には、一切の批判を拒絶する独断的・権威主義的なニュアンスが付きまとっています。 dogma の派生語はみな、そういったニュアンスを持っておりますが、「ドグマ」と「イズム」がドッキングしたような dogmatism には、「独断的主張、教条主義」という意味しかありません。後ほど触れさせて頂きますが、仏教は、ゴータマ・シッダールタという人間が考え出した教えではありません。そうではなくて、ゴータマ・シッダールタが、再発見した「真理」なのです。そういう意味で、仏教のエッセンスは「ドグマではない」と申し上げたのです。
(3)「仏教経典」と「仏教哲学」について。 仏教は、仏(Buddha)の説かれた教えですが、それは、とりもなおさず、仏に成るための教えなのです。仏陀に、人間としての完成された姿を見て、仏陀に成ることを目指した教え、それが仏教です。Buddha というのは「目覚めた人」という意味です。「目覚めた人」というのですから、私たち凡夫は、つまりは「眠っている人」だということです。私たちは、夢を見ていることにすら気づかずに、楽しい夢にしがみつき、苦しい夢にもしがみついて、これが現実だと思っている。様々な価値観の色眼鏡を後生大事にかけたまま、夢のなかで右往左往するばかりで、世界の真実相に目覚めていないのです。そういう人生に、大きな疑問と深い絶望を感じた人々が、人生の拠り所を求めて帰依したところが、仏教だったのです。 現代の私たちは、仏教といえば、釈尊(ゴータマ・シッダールタ)の創始した教えのように思い込んでいますが、どうもそうではないようです。釈尊以前から、過去の仏陀への信仰が非アーリア系の民俗宗教として存在し、ゴータマは、その伝統のなかで、仏陀になることをめざして出家したようなのです。 たとえば、ゴータマが誕生したとき、アシタ仙人はその人相を占って、「この王子は、もし出家すれば、精神界の王者として、人類を指導救済する仏陀となられるでしょう」と予言したと言われます。また、祇園精舎の施主として名高いスダッタ長者は、「仏陀という名を聞くことさえ難しいのに、本当に仏陀がおられるとは」と、仏陀の出現を聞いて大いに驚いています。つまり、当時の人々は、「仏陀」という言葉が何を意味するかよく知っていて、精神世界の救世主たる仏陀の出現を待望していたということです。 釈尊も、「真理へ至る道は自分の独創で作り出したものではなく、忘れられていた古聖の道を再発見しただけだ」(『城邑経』)とおっしゃっていますが、その「真理へ至る道」とは「仏陀(目覚めた人)になる方法」のことでした。当時、「仏陀」というのは固有名詞ではありませんでした。真理に目覚めた人はみな仏陀だったのです。現に、サーリプッタも仏陀と呼ばれていました。 では、仏陀は何を教えたかということになってまいりますが、簡単に言えば、二元論的・相対的な、いわゆる「現実」世界に、絶対的な「真理」はないということです。二元論的・相対的な「現実」を生みだしている源は、「自分」という意識です。「自分」というものは、単独で成立するものではなく、必ず「他者」を伴うものですから、「自分」という意識にこそ、「自他」によって形成される二元論的・相対的「現実」の源があるわけです。 では、どうやって、「自分」という意識を超えるかと言えば、それは、瞑想(静慮・禅定)によって、心の中の二元論的・相対的領域(自我の領域)を超えた深みにまで到達することで達成できるというのが、体得者、仏陀の教えです。浄土真宗も同じ世界を目指しています。そのことは、先日の「永代経法要」でもお話しいたしましたので、ホームページに掲載しております「人身受け難し」(法話集、第19話)の後半部分をご一読ください。 ちなみに、仏教だけでなく、どの宗教でも、ほぼ共通して説いていることがあります。それは、(1)私たちは「真理」に目覚めていないということ、(2)その「真理」は、私たちの内側にあるということ、そして、(3)その「真理」に到達するには、何らかの瞑想が必要だ、ということです。 仏教は本来、小難しい理論(煩瑣哲学)を重視する教えではなく、禅定(瞑想)による真理の直接体験を重視した教えです。もちろん、理論も、体験の意味を説明するものとして大切なものですが、人には得手不得手、向き不向きがありまして、瞑想家であって同時に理論家である人は滅多にいません。瞑想家は右脳型人間であり、理論家は左脳型人間だからです。右脳型人間(禅定を専門とする修行僧、ユガ師)は極端な神秘主義に傾きやすく、左脳型人間(思索を専門とする学問僧、アビダツマ師)は理論的整合性ばかりを追求した空論に傾きやすいものですが、仏典というものは、おおむね、このユガ師とアビダツマ師の共同もしくは拮抗のなかから生まれてきたものなのです。 さらには、仏典というものは、古代インドという特定の時代と文化のなかで形成されたものであることを忘れてはならないと思います。ことに大乗仏典には、私たちにはとても追随できないほどの、古代インド人の途方もないイマジネーションが横溢して、桁外れの神話的世界が展開していますから、仏典を読むには、ある種の冷静さが必要かと思います。そういった性質のものですから、もちろん仏典がなければ仏教を理解できませんが、仏典を読めば仏教が理解できるというものでもないように思います。 さて、ご納得頂けるかどうかは分かりませんが、ひとまずは、このあたりで終わらせて頂きます。なお、報恩講にお参りくださるとの由、心よりお待ち申し上げておりますが、当日は、福井の専教寺前住職、般若倭文雄師に御法話をお願いいたしております。私よりはるかにオーソドックスな真宗の法話ですので、ご関心をお持ち頂けるかどうか、と多少案じてもおります。 最後に、みっつ、お願いがございます。(1)当方のメールソフトは UTF-8 をサポートしておりませんので、できましたら、6月5日付けの貴信を、今一度お送り頂きたく、宜しくお願い申し上げます。(2)K様は、私どもを「和尚様」とお呼びくださいますが、「和尚様」というのは伝統的に禅宗の僧侶に対する呼称でございまして、真宗では「御院様(ごえんさん)」という呼び方が一般的でございます。このようなことを、私どもの方からお願いいたしますのも、妙な話ではございますが、できましたら真宗流にお呼び頂けたらと存じます。(3)K様とのメール応答は、おそらくは他の方々にもご関心がおありの内容かと存じますので、匿名で、ホームページの「お便りのコーナー」に掲載させて頂けないものか、ご意向をお尋ね申し上げます。
長々と、お付き合いくださいまして、有り難うございました。今後とも、宜しくご厚誼を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
前回のメールで申しましたように、ただいまわたくしの頭はオーバーヒートぎみです。それでも「ああいえば上祐」式に「理屈」ぐらいは並びそうなのですが、それではあさましい気がしまして。御院さまが「理屈じゃないよ」と言外におっしゃっていることは愚図なわたくしにもなんとなくわかるからです。わたくしにとってはもともと岳父を理解したいとの気持ちから覗き見させていただいた紫雲寺さまのホームページでした。 ですから”論破すれば勝ち”あるいは逆に”論破されれば負け”式で「岳父を理解いたしました」、あるいは「理解できませんでした」となろうはずもございません。ここはひとつ、よくよくかんがえてみる時間が必要です。 他力の信仰を理解するというのはどうも理屈で「理解」することではなさそうだ、というところまでのみ込めました。そうかといっておっしゃっていることが納得できたわけではございません。宗教、いまここでの具体的対象である他力の世界を客観的に理解するということは論理的・理性的には不可能だとおっしゃっておられるようにも思えて時に「こりゃあ、わたくしが首をつっこめるような世界ではないかもしれない」と思うこともあります。そんなに簡単なことなら岳父がすでにわたくしに教えてくれていたことでしょう。 御院さまとわたくしのあいだではおなじ語彙をもちいていても語彙の定義にすら齟齬が生じ、「イズムとドグマ」についてさえ、ご説明をいただかなくてはならないほどでした。もしかするとここで用いました「客観」、「論理」、「理性」についても共通の認識にはないのかもしれません。こうしてわたくしが喋りますと喋ればしゃべるほど御院さまとわたくしのあいだの「距離」だけが鮮明になるばかりです。交渉や論戦をやるのなら現状認識のために双方の「距離」と「差異」を確定するのは話しの第一歩なのでしょうが今回はこれをやると失敗するのではないかと心配しております。岳父を理解することが長い道のりになりそうだと思いますとき、御院さまとの出会いも、今後久しくみのりのあるものにさせていただきたく存じます。 まずは御院さまの法話集をしっかりと拝読させていただきたく存じます。二度も三度も読んでみます。それからつぎの方法をかんがえましょう。社会では「異文化共生」という言葉がかしましいものの一個人の人格において「異文化共生」し「多様な価値観」を共有することの可能性までは深化されていないのが日本社会に生きるわたくしども一般人の現状といっていいと思います。わたくしにとっては「浄土門」も「異文化」にちがいありません。わたくしの浄土門へのいささかの関心も自分にとっては異質なものである「他力」を理解したい、岳父を理解したい、自分とは異なる「文化」・「価値観」を受け入れたいとの思いから発したことでございます。そのためには人さまからなんといわれようが学ぶほかないと心得ます。「仏教は知識として学んでもさほど意味がない」とおしゃってくださってもわたくしはそれ以外の方法では事象を認識できないのです。たぶん右脳はからっぽな人間なんでしょう。だからと言ってなけなしの左脳をしぼり出したところでそれこそ雀のなみだではあるのですが。 御院さまがおっしゃいますように以前のわたくしが仏教を「知的遊戯」のなぐさみものとしてきたところがなかったかどうかは考えさせられるご指摘ではあります。ですが、少なくとも御院さまにご承知おきいただきたいのは今のわたくしが岳父を理解したいと思っておりますこの気持ちは「遊戯」でも「好奇心」でもございません。本当に、真剣に、こころから岳父を理解したい。あの方の残された日記類だけでも膨大な量でありまして、これとてわたくしが生きているあいだに読みおおせるものかどうかもわからないぐらいです。ですが理解したい。ただ「岳父を理解したい」の一点のみです。 お葬式のときにわたくしども家族全員は泣き崩れておりました。御院さまは御院さまご自身の経験を語ることでわたくしどもをなぐさめてくださいました。「あぁ、この和尚さまはわたしどもの悲しみをおなじところで感じてくださっている。受けとめてくださっている。」と思いました。その後、紫雲寺さまのホームページを拝見し、永代経法話でじかにお話しを拝聴いたしました。「このまじめなお人柄の和尚さまがおっしゃっていることの原点がわたくしには理解できない。しかし理解できなくてもくてもそれは、いますぐには理解できないだけにちがいない。なぜなら現実世界で起きていることについての理解ではこの方とわたくしとでおおきく異なるところはないのではないか。 世界中がアメリカ本土での同時多発テロにいきどおっていて、テロを批判しさえすればだれでも「正義の味方」になれ、この理性を失った世論をバックにアメリカが「戦争」という暴力をふるおうとしているときに冷静で客観的な視点を持ち得ている日本人は奇特であろう。「報復は報復を招き、法による正義を後退させる」というわたくしと同じ結論を得ておられる。にもかかわらずわたくしとは視角がちがう。もとよりイスラムのものでも反米主義者のものでもないこの眼力はどこから来ているのだろう。これを慈悲のまなざしというのだろうか。だとすればわたくしの観察眼と慈悲のまなざしが一致するのはたまたまであるのか否か。接点はあるのか否か。この方の世界観とはどういうものであるのか?」と思うにいたったのです。紫雲寺さまの法話集を読みすすむにしたがって疑団とともに共感がふくらみます。疑団と共感が同じようにふくらんでいくというのもおかしなことです。いましばらく、明日か、明後日か、あるいは数年後か、期限を限るのは難しいのですが、いましばらくお待ちください。考えさせてくださいませ。 考えて考えて、わからなくて。「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」とパソコンにむかって唱えてる自分に気づいて、あたまがどうかしたかと情けなくてなさけなくて。不信心者が「なむあみだぶつ」はないだろうと。恥ずかしながらわたくしのこのような混乱ぶりを白状いたしまして、わたくしにとっては御院さまとの出会いが地球の裏側の異文化に出会うほどのカルチャーショックであったことにご理解をいただきたく存じます。 さて、今回ちょうだいいたしましたメールもわたくしのような初心者なら誰もが持つだろう事柄について丁寧簡潔にお答えになってくださっています。これらを公開することは少なくともわたくしと同じ疑問を持ちつつ紫雲寺さまのホームページにおいでになった方の道しるべにはなることでしょう。来る人、来る人に同じことをいわねばならない非効率を考えますと、メールを公開したいとの御院さまのアイデアに賛成もうしあげます。 ただしわたくしのメールは思いつくまま気の向くままをキーボードにたたき込んだものなので冗長でなにが言いたいのか、いまひとつ要領の得ないところもあろうかと思います。そのため、このまま載せればビジターの方々が退屈になってしまって御院さまのいいたいところまで読みすすまないうちにクローズボタンをクリックされてしまうことが心配です。本命は御院さまのお答えにあるわけですからご面倒でなければわたくしのメール部分は御院さまのほうで編集・要約なさるのもいいかと存じます。わたくしはいっこうにかまいません。原文ならたとえ本名でお出しになっても意に介しません。わたくしは元来インターネットの匿名性というのは無責任できらいなのです。わたくし、じぶんでもうしましたことはじぶんで責任とりますから。いずれにしましてもこんなに明晰なお返事をわたくし個人が私蔵しているというのももったいないことです。どうぞ、みなさまにご覧になっていただいてくださいませ。 いただいたメールの 「(1)「理解できないものなど信じられるはずもない」とのお考えに対して。」など小気味よいほどスパッと切れてる文章で読んでいても気持ちがいいです。切られているのはわたくしなのですが・・・。はははっ。「(2)「イズム」と「ドグマ」について」もたいへんに説得力のあるちから溢れる文章です。いわれてみればおっしゃるとおりでございました。わたくしもこれからは Buddhism ではなく Teachings of the Buddha を使わせていただきたく存じます。このように知らず知らずにとげのある借り物の言葉づかいで自分たち自身を貶めていたり、御院さまを「和尚さま」と呼称をあやまってみたり、赤面するやら恐縮するやらでございます。単語や言葉使いから教えてやらねばならんわたくしを相手では骨の折れることだろうと申しわけなく思っております。あつかましくもそれでもご指導をたまわりたく、かさねて宜しくおねがいもうしあげます。 「(3)「仏教経典」と「仏教哲学」について」の前半は多分このようなお返事をちょうだいすることになるのだろうという予感は持っておりました。残念なことに仏さまがお示しになられた「二元論的・相対的な、いわゆる「現実」世界に、絶対的な「真理」はないということ」こそがわたくしにはわからないのです。致命的でしょうか? わたくしは 「事象とその認識は相対的・相互的な作用によって生起し、発展し、止揚する無限連鎖の過程である。この現実が真理の全てである。お釈迦さまは絶対真理をお悟りになられたが、わたくしにおいては絶対真理は観測も証明も出来ていない。わたくしによって実証追試験による再現が出来ない仮説はわたくしにおいては遺憾ながら証明されていない。」と認識しています。「おまえ、なにを勉強してきたのだ」といわれそうですが、まさにそのようでしかないし、理解できないからこそ仏典が読めたのです。わからないから読んだまでです。「文字を読んだだけだろう。」とおっしゃられれば、それはそうなのかもしれません。しかし数学だって解いてみなければわからない。解こうとしても難しければ解けはしない。そうではございませんでしょうか。 「わからん、わからん」とグチッておりますと菩提寺の和尚さまに「坐ってみなさい」とすすめられたこともございます。わたくしはこの座禅が苦手で十分間としてじっとしておれないたちなのです。わたくしがあたまを坊主にしております理由のひとつには散髪屋でじっと坐っておれないという癖があって散髪屋がきらいだということもあります。それほどじっとしておることが苦手なのでございます。こんなわたくしですから「禅定的な体験」などあろうはずもないかというとそうではありません。じっと坐ることが「禅定」ならばわたくしの体験いたしましたことは「禅定」ではないでしょうが、それは本で読んだ「瞑想体験」のひとつに酷似しているように思っております。話しは以下のとおりでございます。 わたくしはむかし自転車競技のアマチュア選手をやっておりました。陸上の長距離も好きでした。陸上のほうは登録選手ではありませんでしたがレースはひやかしに出ておりました。あるデュアスロンの試合のランパートで競り合いに負けたわたくしはじりじりと落ちていきました。いくら根性を入れてもキバッても後続のプロトンにも離されていきました。はじめのうちは途中の食料補給に失敗したこと、揺さぶりにのってしまってペースをくずしたこと、チームにすまないという気持ち、これからペースを立て直してそこそこの順位に滑り込むにはどうするかなど、思考するちからもありましたが、苦痛のためにそのうち意識が低下してきてゴールまでのタイムを予測する足し算や引き算ができなくなりました。全神経を集中してもペースをとるのがせいいっぱいになりました。わたくしは不覚をとったじぶんがくやしくて、情けなくて、走り続けることが苦しくて、泣きそうになりながら走っておりました。ひどいレースになったもんだ、リタイアするかと考えましたがいけるところまでとことんいくことに覚悟を決めました。精神が肉体をコントロールしているのならレースには負けても自分の肉体には勝てるはずです。意識の全てはただ走ることのみになりました。 そうこうするうちに視野狭窄がひどくなりましたが、朦朧とした意識のなかでもしばらくは走り続けておりました。じぶんが走りつづけているのか倒れたのか、おちこちから「がんばれぇー、がんばれぇー」という声が聞こえるのでじぶんはたぶんまだ走っているのだと思っていました。視野狭窄はいよいよはげしくなりあたかもトンネルのなかを走っているようなかんじでした。わたくしは自分自身に祈りました。よくは覚えていませんが神や仏にまで祈ったかもしれません。「走れ」、「走れ」と念じました。 どれほど長いトンネルだったことでしょう。幸い、はるかむこうにトンネルの出口らしいあかりが見えるのでそれにむかってひたすら走りました。じょじょにトンネルの出口らしきその光りが大きさと明るさを増すにしたがってわたくしの肉体の苦痛はなんと少なくなっていくようではありませんか!。トンネルを抜けるころにはわたくしは走っているのではなく地面から浮きあがって駆けているかんじでした。周囲はトンネルの暗闇からハレーションをおこしたような光りの世界へと変わっていましたが個々の物体はハレーションのためになんであるかは認識できませんでした。 ライバルがとらえられるようになりました。沿道の声援は聞こえました。ワーンという力強い唸り声であったり、また甲高い絶叫のように聞こえました。それらのすべてがわたくしを祝福していてわたくしはその音や光りからエネルギーを得ているようにかんじられました。長く耐えがたかった苦痛は消えてふわふわとしたここちよささえかんじます。ふと気付くとわたくしの意識はわたくしの肉体の上空にあって走っているじぶんを観察していました。意識がふたつあってひとつの本来の意識はひどいダメージに陥っているじぶんを認識していて「ふりかえるな。ふりかえればバランスを崩すぞ」とか「苦しくはなくなったがピッチはあげるな」と命令していてじぶんの肉体にぴったりとよりそってじぶんの肉体を直接にコントロールしています。 不思議なのは上空からみているもうひとつのわたくしの意識でこの意識はなんとじぶんを客観的に観察しエスコートしているのです。振り向いていないから見えるはずのない後続選手との距離がわかるのです。よたりながらもがんばって走っているじぶんが見えます。あるいはこちらの意識はレースでやしなってきた「感」を幻覚的にとらえたものだったのかもしれませんが、いずれにせよ、ふたつの意識が調和してすでに燃え尽きたはずのわたくしの肉体をささえ、コントロールしていました。ゴールしたあとは意識が途絶えてしまいまして、気がついたときにはいつものじぶんに戻っておりました。 それからこの経験を思い出してじぶんには日頃は現れないピンチを救う最後のもうひとつの意識があること、この意識のおかげで肉体の限界を精神が支配できることを実体験し自分自身に与えられたパワーに感動し感謝感涙したものでした。むろんわたくしはこのレースでウィナーではありませんでしたがじぶんはじぶんに克った勝者になりました。このレースはお立ち台にたったレースより感動的でわたくしにとって人生観を確たるものにした生涯最高のレースでした。 その後わたくしは日常の練習中でもこの意識との対話が出来るようになり、走りだしてしばらくすると精神が高揚してきて、さらにしばらくすると「忘我」状態に入ります。そうするととても気持ちよくて暑い太陽や寒い北風や厳しい暴風雨までもがじぶんをさえぎるものではなくなり、暑いときには暑いように、寒いときには寒いようにじぶんが受け入れれば、じぶんもそれらから受け入れられるのです。走り終えるとスカッとし、冷静なじぶんが仕上がっています。 実体験から得たものは強い。わたくしは苦手な止観打坐や念仏行はできないけれどわたくしにはわたくしの方法があってよいと思っております。ただ残念なのは練習中の交通事故で運動のできない身体になってしまったことです。こうなると好まざるとも「走りながら瞑想に入る」以外の方法を試みるしかないのかもしれませんが・・・・・。この部分、話しもずいぶんそれてしまい、ながくなりましたが御院さまが瞑想についてお触れておいででしたのでこんなこともあったということでお話しさせていただきました。 来週以降は他用でメールは報恩講まではおあずけになってしまいます。来る報恩講では、「オーソドックスな真宗の法話」をおきかせいただけるよし、いよいよたのしみにいたしております。なにもかもが新鮮でなにが「オーソドックス」なのかもわからないのですから、とにかくお聞かせくださいませ。お眼触りになりませぬよう、ふたたび末席をはばからせていただくことになろうかと思いますが、わからぬながらもきれいなこころで「なむあみだぶつ」と唱和させていただけますよう、お導きくださいませ。御院さまに合掌いたします。平成十三年十月九日。KK
PS 最初のメールをJISコードに変換して再送しておきましたが、うまくとどきましたでしょうか。
貴信は、全て拝受いたしております。デュアスロンでのご経験、興味深く拝読いたしました。K様の、歯切れのよい文章を読ませて頂くと、爽快な気分になります。今後とも宜しくお願い申し上げます。合掌
なお、十月九日と、十日に計三通のメールをお送りしましたが、こちらのアウトルックとSMTPサーバ間でトラブルが生じました。その結果、こちらのアウトルックのログ上では「送信済み」になっていますがSMTPサーバではエラーになっています。SMTPサーバでエラーが生じている以上、わたしのアウトルックの「送信済み」ログは誤りですのでそちらには十月九日と、十日の計三通のメールは届いていないはずです。まんいち、十月九日と、十日の計三通のメールが届いているようならお知らせください。そして十月九日と、十日の計三通のメールを全て削除してください。この三通は基本的には本日お送りした三通とおなじものです。ですのでトレイに残しておかれますと整理混乱のもとになるからです。KK
ただ、これは、口さがない「メル友」の言葉としてお聞き頂きたいのですが、私は、旧版の方が味があって好きです。アクがあるとも思いません。爽やかで魅力的な文章です。できることなら旧版を載せたいというのが、正直なところでございます。ご意向をお伺い申し上げます。いずれにせよ、どうぞこれからも、スピードを殺さず、思いきりのよい文章を叩き出して頂きたいと思います。最初の読者として、楽しみにいたしております。今後とも宜しくご厚誼を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
それにしましてもわたくしのメールみたいなものをわざわざプリントアウトして、なんとそのうえにマーカーで線までひっぱってお読みになってくださったのですか! そんなに手間ひまかけてわたくしのメールを見てくだっさているとは思いませんでした。かたじけなく思います。それなら本来ならばもっと丁寧に打たねばならないと思うのですが御院さまは逆に「これからもスピードを殺さず、思いきりのよい文章を叩き出せ」とおっしゃいます。 ??? うーん。なるほど。御院さまがご自身のメールを「口さがない「メル友」の言葉」とおっしゃっているところにわたくしは「口さがない京童子」をたのしんでおられる御院さまがおいでなのを観て、わたくしのあたまのうえでピンポーンとランプがつきました。気に入りました。おっちょこちょいの神戸っ子が「京童子」(失礼。ガキだともうしているのでは毛頭ございません。)のおだてにのらないはずはございません。この件も了解いたしました。 ただしすでにお分かりのとおり、わたくしは理屈っぽいだけで中身は空っぽ。空っぽだからこそ余計な「苦悩」なんかしょいこむこともなく、要領三分、度胸三分、辛抱三分でしのいでこれた人間なのです。いっぽうで紫雲寺さまには大きな悩みをかかえてたずねておいでのかたもいらっしゃることでしょう。ほんとうに助けなければいけない人がそこにいる。壇家さんもいらっしゃる。その方たちのことをかんがえると御院さまのたいせつな時間をわたくしがすり減らしているのではないかともうしわけなく思います。でも御院さまには御院さまのお考えがあってのことでしょうから感謝はしても遠慮はいたしません。かみさんが「なにやってんの?」というもんですから「紫雲寺さんとメル友やってんの」といったらあきれてました。 それにしてもわたくしの評判のわるい文章を「爽やかで魅力的な文章」とおっしゃってくださるとは! 「爽やかで魅力的な文章」! 「アクがあるとも思いません。」! うわぁ、ウソでもうれしいですね。アクがないはずはないと思うのですが。まして御院さまにとっては。「文は人なり」ともうします。わたくしにはアクがございます。いな、アクがあるのでわたくしでございます。汲めどもつきず、抜けどもぬけぬアクがあるのにアクをそのままにして聖人君子の澄んだ文章など書ける要領なんか学んだことはございませんです。御院さまがわたくしの文章を「アクがあるとも思いません。」とおっしゃるのは、たとえば御院さまがウルシの木に触ってもかぶれないだけのことだと思います。それはウルシにアクがないのとはちがうんじゃないでしょうか。とまぁ、こんなぐあいにわたくしは「ああいえば上祐」さんなのです。スピードをあげればあげるほど「そこのけワンワン」になりますからご注意ください。それでも「ブタもおだてりゃ木にのぼる」です。登ってみましょう般若山の木のうえに。KK
御院様の講話テープは週末の土日に2巻/日ずつ聞かせていただいております.最初の頃は,いろいろな疑問,質問が生じていたのですが,くりかえし聞かせていただくうちに,疑問は消えて,テープの内容がごく自然なあたりまえのことのように思えてきました.また,最近平日の夜,床に着く前に菩提樹を1冊ずつ読みかえしています.
これからも,御導きのほど何卒よろしくお願い申し上げます.ますますの御健勝をお祈り申し上げます.平成13年10月9日 SY拝
拙い話に過分のお言葉を賜り、恐縮に存じます。「法話テープ」と『菩提樹』は謹呈申し上げたく、代金のことはご放念くださいませ。今後とも、宜しくご教導賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
お尋ねの件ですが、真宗大谷派の本山(本廟)が、東本願寺です。いささか分かり難いのですが、浄土真宗大谷派とは申しませんで、真宗大谷派と申します。宗派の正式名称で「浄土真宗」を名乗っているのは、本願寺派です。ちなみに、浄土真宗本願寺派の本山は、西本願寺です。 次に、大阪市東淀川区には、真宗大谷派の寺院が十数ヶ寺ありますが、当方では地理的な関係が分かりませんので、以下の教務所、もしくは別院にお問い合わせください。
真宗大谷派 大阪教務所 中央区久太郎町 4-1-11 06-6251-4720 今後とも宜しくお願いいたします。合掌
しかし好きこのんで忙しくしているのではありません。サラリーマンというのは因果なものです。これがいやなら辞めてしまえという世界ですから。サラリーマンから足を洗えるほどの甲斐性があればいいのですが、この不況時に辞められるわけがありません。人はわたくしのことを「天下の○□△にお勤めでよろしおまんがな」とか「時代の先端でんな」と気楽なことをいってくれるのですけれどもわたくしには半分いやみに聞こえます。 衛星や通信装置が自分の資産であるわけではありませんから、そういう資本のある会社で働く以外自己実現のすべがないわけです。いわば「無産階級」の一員。使われの身でして自分の能力に合った好きな仕事ではありますが業務のプレッシャーは死者がでるほどで並ではないですしプライベートな時間の少なさのためにちょっと個人的なこととなると少なくとも一週間以上待たねばなりません。というわけで二週間前の報恩講のことを昨日のこととして振り返っているありさまです。 さて、当日は末席で拝聴できればと思っておりましたのに世話役さんに真ん前、真ゃ中の席に案内されてしまいました。それで大きな顔をして目立つところに陣取っておりました。そればかりかお斎になるとアンコたっぷりの大きなおはぎだの、かやくたっぷりの稲荷寿司だの、あれやこれやの壇家さんこころずくしのお総菜の数々、ぜーんぶ箸をつけさせていただき、そのうえおかわりまでいたしまして新参者のわたくしが一番たくさんいただいていたように思います。わたくし、うちのかみさんが横から冷やかして言ってましたように食い物には卑しいのでございます。美味しいものには遠慮もなにもあったものではありませんでした。いやぁー、ほんとにごちそうさまでございました。お世話係さま、ありがとうございました。わたくしのあの喰いっぷりをご覧になってわたくしの氏素性、育ちが皆さまにもようやくお察しいただけたのではないかと思います。総代さんが「最初は禅宗のお坊さんがお越しになったかと思った」とおっしゃっておられましたから、わたくしのことを「ニセ坊主」だとお気付きになったのは恐らくはわたくしの喰いっぷりをご覧になってからのことだったのだろうとおもっております。 正信偈の声明、はじめて拝聴いたしました。謡いのような独特の響きのなかに他宗のものとも些か違う節回しがあるように感じましたが素人のわたくしは「まさに妙なる声明だ」とただただ感動して聴き入るばかりでした。たしかにたいへん美しいものでありました。わたくしがこのように感動しましたのにはある言語学で習得を必須とする「節回し」と共通のものを正信偈の声明のメロディのなかに聴き取ったからなのですが、このことについては話し出すとながくなりますから本日は詳しくお話しするのはよしておきましょう。ただこの音声言語学上の「節回し」は元来、日本人には苦手なものといわれています。また西洋音楽に慣れた現代人には声明のリズムと音階の変化の静かさがかえって難しい。ですから現代日本人にとっては正信偈の声明は二倍に難しいはずです。カラオケを一曲おぼえるような訳にはいかないはずです。わたくしは皆さまの節回しにあわせて一言でも「なむあみだぶつ」といってみようとしたのですが調子が合わず、くちをパクパクするばかりで声になりませんでした。 当日は「ひとりでは『なむあみだぶつ』と唱えられなくても御院さまといっしょなら『なむあみだぶつ』と言える。先週だって法事に来られた御院さまの後を追ってなら『なむあみだぶつ』と言えた。岳父を思う涙とともに自然に素直に勝手にくちをついて『なむあみだぶつ』が出てきた。今日も御院さまに従って『なむあみだぶつ』と言ってみよう。御院さまといっしょなら『なむあみだぶつ』と言えるはずだ。」と勇んで出かけたのでしたが、この作戦は大失敗でした。見通しがあまかったですね。まさか「テクニカルな問題」がでてくるとは予測しておりませんでした。はははっ。 ところでじぶんはなぜひとりでは『なむあみだぶつ』といえないのか考えてみました。もちろんいまは以前のように「『なむあみだぶつ』などとは陰気臭い、抹香臭い」などとは決して思っておりません。でも、思わなくなったからこそなんだか照れくさくてひとりではそんなこと言えなくなりました。『なむあみだぶつ』というと「あなたを感じています」、「あなたを愛しています」と言ってるような気持ちがするのでひとりでは照れくさくて恥ずかしくて言えませんね。お経などと言うものは知らぬが仏。ムニャムニャ分かってないから平気で唱えられるのでしょう。分かってくちに出して言えば責任をとらねばなりません。『なむあみだぶつ』という自分の言葉に責任取れるのか、行きつ戻りつ考えています。 ただ、亡き岳父には『なむあみだぶつ』といえます。あの方のうしろ姿らしきものがが見えましたから。遥かむこうの彼方に見えましたから。父に違いないと覚悟できましたから。今日まで一年かかりましたが御院さまのおかげです。はじめはもっと時間がかかるかと思っていましたからわたくしにすれば一年でも早いほうなのかもしれません。岳父の生前に気付いていればという後悔はありますがわたくしのような馬鹿息子相手では生死の間際をもってしか知らしめようがないことだろうと息子の力量を見抜いて最後の勝負にかけていたのかもしれない岳父に頭が下がります。生死を賭けて「あること」を伝えようとしてくれた岳父に感謝します。まだその「あること」がなんだか分からないですけれども、それが岳父に五体投地して感謝するに値する価値あることであるのを感じています。 それにしてもあの日葬儀に来たお坊さんが御院さまでなければ、それでもわたくしは気付くことがなかったかもしれません。あるいは紫雲寺さんにホームページがなければそれでもわたくしは気付くことがなかったかもしれません。さらには紫雲寺のホームページに出会っても御院さまがわたくしのトゲあるメールに辛抱してお付き合いくださるだけの度量のない方ならそれでもわたくしは気付くことがなかったかもしれません。どれもこれも、生前に岳父がわたくしのためにあらかじめ用意しておいてくれていた周到な「縁」が導いてくれているようにおもいます。もっとさかのぼれば四半世紀まえ、岳父がかみさんとの縁を認めてくれていなければ一切は始まらなかったようにおもいます。 岳父に感謝します。岳父に報恩もうしあげます。そして、岳父の一周忌の祥月命日である本日、わたくしが紫雲寺に報恩講参りしていることに思議すべからざる「縁」を感じます。岳父がわたくしを御院さまにめぐり合わせてくれたのだと思います。 わたくしはすでに仏教の体系を「常識」の範囲内でしかないとはいえある程度は承知しているし、菩提寺の日課で唱えるお経や呪偈、臨済録序を暗記したこともあるのですけれども得度したわけではないですから禅宗の壇家ではあってもじぶんを仏教徒とは意識していません。ましてやはっきりもうしあげまして親鸞門徒でもないわたくしがとくべつに親鸞聖人さまに「恩」を感じて報恩のお講にお参りさせていただいている訳でもございませんでした。にもかかわらずわたくしが岳父の命日に行われた岳父の信じた親鸞聖人さまの報恩講にいますことにわたくしが岳父のとりなすとくべつの縁の中に生きていることを感じずにはおれません。これはおもえば「機縁」でもあり「奇縁」でもあります。岳父はわたくしのなかで生きている。あるいは岳父のなかで私が生きていると言ってもいいのかもしれません。わたくしはそのように感じます。「たしかに岳父は一年前に亡くなったけれども岳父はわたくしのなかで生きているんだ」とはっきりともうしあげられます。 わたくしなりの言いかたをすれば、たとえば食べたヨーグルトは目の前からなくなってしまうけれどヨーグルトはわたくしの身体のなかで生きて整腸菌がわたくしを健康にしてくれているように。たとえば終わったことは過去のことだけれども、記憶として記憶細胞に生きているように。わたくしは覚悟してそのように主張いたします。(あれっ、もしかしてこの例え話は紫雲寺さんのホームページのどこかにあった御院さまのおことばの安請け合いかもしれませんね。でも、自分の言葉として、そう感じます。御院さまのオリジナルかもしれないですけれど使わせてください。じぶんとしてもそのように感じるのですから。) このように主張しますが、それを例え話ではなく論証しろといわれてもそれはわたくしの能力では出来かねます。わたくしは「証明できないものは正しくない」とかねて主張してきました。そのわたくしが自分自身のこの大切なことについては証明できません。したがってこの条件での論争はわたくしの負けです。よくぞわたくしを打ち負かしてくれました。いえいえ、すてぜりふではございません。おかげさまでわたくしはとても満ち足りた気持ちです。 おいしい御斎をたくさんいただいてお腹がくちくなったからだけではありません。並み居るご門徒衆にはイロハの話しとご承知のうえ敢えて一言ひとことのすべてをわたくし一人のために語りかけてくださっているような法話をお聞かせくださってどうして満ち足りないことがありましょうか。どうして一言たりと聞き漏らさんと聞かぬことがありましょうか。御院さま、ありがとうございました。ご門徒衆さま、ありがとうございました。「岳父を理解したい」と決心してから、その入り口を見つけるまでにちょうど一年かかりました。昨年の十一月十一日に亡くなってからちょうど一年目。今日、わたくしは岳父の世界につながるだろう入り口を見つけました。報恩講がまたひとつ新たな縁になりました。ここから入ることにします。まちがいではありませんね、御院さま。 わたくしは自分に対して素直であるゆえにいささ身勝手で頑固でしつこくもあります。わたくし、へび年生まれなのでございます。このたびはわたくしが御院さまに対して勝手に感じた「縁」ではありますがこんなわたくしですから御院さまにしつこくつきまとうことになるかもしれません。ぜひとも小生の岳父理解にご協力をおねがいもうしあげます。岳父が伝えようとした「あること」とはなにか。知りたく存じます。感じたく存じます。今後ともよろしく末永くお導きのほど、おねがいもうしあげます。 じつはこのメール、このあとにも御院さまの法話の覚え書きや感想などがダラダラと続いているのですが読み返してみまして、はなはだ冗長であることに気づきました。ですからここで切ることにします。福井の般若さまはお風邪ならばもうご快復なさったかとはおもいますがいかがお過ごしのことでしょう。末筆ではありますがこれから冬に向かいます時節がら、般若さま、御院さま、ご家族、総代さま、ならびに門徒皆々様のご健康をお祈りもうしあげます。お世話になりましてありがとうございました。こころをこめて合掌いたします。平成十三年十一月 勤労感謝の日 KK
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