出身は京都で、全く環境の違う場所へ嫁ぎ、丸六年です。 仏教大学の学生をしたこともあり、 紫雲寺のホームページに愛着を感じています。 (中略)今日は、お礼と気づいたことを一点お知らせしたくメールしました。 昨年、沖縄戦の体験談の聞き取り調査を通して、元ハンセン病であった方との出会いがあり、愛楽園という療養所を訪ねたり、「社会復帰」した方の話を聞く機会がありました。そこで、この病気が感染力の弱い、薬で完治するものだと知りました。「心の青年への手紙・第一通」の中で不治の病の癌やエイズと共に「ハンセン氏病」と記されていたことが気にかかり、ハンセン病は治る病気だということをお知らせしたいと思いました。
完治した人たちが、ほんの数年前まで風評のような不確かな認識によって差別を受け、国家によって強制収容、生涯隔離されるという受難の人生を歩んでこられました。私も昨年、初めて知った事実です。ハンセン病がこわいのは、死に至る病だからではなく、差別される病だったからなのです。少しためらったのですが、思い切ってメールさせて頂きました。今後とも、よろしくお願いします。
「そうだったのか!」「なるほど!」「これよ,これ!」と叫びながら(実際に声に出したら怪しいので,無言でですが)読ませていただいております.友人にも勧めました.心のオシャベリを止めるための「お念仏」なのかあ,そうだったのか! 思えば今まで,どんなに利他的に行動していても,それは「自分が」他人のために行動している,ということで,自他の区別は絶対的なモノという認識を疑いもせずにやってきたのでした.シアワセのために努力する,ということは「修羅」であるなんて,夢にも思っていませんでした.努力は尊い,という価値観で教育されてきましたから.
しかし,色々な事があって,「二分法はオカシイ」と心底思い始め,そう言うときにこのHPに出会ったのでした.ご縁を感じてしまいます.今後とも宜しくお願い申し上げます.MH拝
先生の法話集を読んでいて真宗のことを話されているのか曹洞宗の禅の話をされているのか混乱してしまいます。あるいは両派とも同じ仏教であるから道は一緒であると云うお考えなのかお聞きします。 親鸞聖人の他力回向の念仏と、先生の深層意識の仏をいただく瞑想とは根底的に違うのではないですか。瞑想や呼吸法は素人が行えば大変な意識や体の変調が起こりますよ。白隠禅師が禅病といってその苦しみを告白し注意しています。
私は昔、アーユルヴェーダーや禅、立花隆氏の臨死体験等に興味を持ちましたが、エゴの塊のこの身が納得しませんでした。混乱するばかりでした。いかなる行もおよびがたき煩悩具足の凡夫という人間親鸞聖人のおおせに出合い救われたおもいがします。SH
ご質問を頂きましたので、簡略にお応え申し上げます。 (1)私自身は、禅宗も真宗も、あるいは仏教もキリスト教も、目指しているところは同じではないかと考えております。そういった私自身の考え方につきましては、ホームページの諸処に書かせて頂いておりますので、お暇な折りにでもお読み頂き、ご賢察を賜りたく存じます。 (2)日々慌ただしく忙しく流されている私たち現代人にとっては、まずは心静かに立ち止まることが必要なのではないかと存じます。教学とはいささか趣を異にする、行としての念仏をお話しいたしますのは、そういう機会をお持ち頂きたいからでございます。毎日数十分、静かに座ったとしても、その程度では禅病の危険はございません。 (3)H様が、「いかなる行もおよびがたき煩悩具足の凡夫という人間親鸞聖人のおおせに出合い救われたおもいがします」とおっしゃっておられるのは、きわめて尊いことかと存じます。ご自身のご信心を深めていかれますよう、心より念じ上げます。合掌
昨日、貴HPにご縁あってたどり着くという幸運に恵まれました。まだ、全文を読みきってはおりませんが、いくつかのお話を読ませていただき、今、至福の時を迎えることができ、涙をおさえることができません。この喜びと感謝の気持ちをお伝えしたくて、メールを差し上げます。 私の祖父母はとても信心深い人たちでした。子どもの頃、そこへ遊びに行くたびに、朝晩お勤めをする祖父のかたわらにちょこんと座って、お経をあげるのが大好きな子どもでした。お念仏は自然に私の周りにありました。 そして学生時代、授業で歎異抄に触れるチャンスがあり、何か、新しい世界が開けたように感じました。 その後、仏教の解説書を読んだり、お寺さんの話を聞いたりするのですが、なかなか腑に落ちない部分もあり、何か、近くに素晴らしいものがある予感はするのに、それが感じられないもどかしさを、ずっと抱き続けていました。 それが、この度、突然病を得、来週、入院手術をすることになりました。私は、自分のことを、随分、思索型の人間だと思っておりましたし、周りから頼られることも多く、自分の心を冷静に見つめることができると自負していました。でも、今回の病気で、それが思い違いであることに気づかされました。手術が決まってからの日々、心は錯乱するばかりで、その激しい波立ちは、激しくなるばかりでした。 病気は比較的たちのいいもので、手術でとってしまえば、ほぼ完治するので、最悪の場合を避けるために、はやく手術しましょう、という説明でした。しかし、この「最悪の場合」というのが頭の中を駆け巡り、なんとも不安で、体中の力が抜けていくようでした。 手術が決まったとき、最初は、手術自体に対する不安、家族の心配、仕事のこと、全身麻酔に対する不安など、様々な心配が私を悩ませました。でも、これらのことは、不安ながらも乗り越えられると感じるようになりました。夫も私の不安に根気よく付き合ってくれ、その暖かさに、本当に癒されました。 でも、最後に残った大きな2つの不安は、死ぬ時の肉体的苦痛に対する不安と、人間の生死の意味に対する不安でした。 この内、肉体的不安は、受け入れざるを得ないものという思いもあり、受け入れる勇気を持つしかないのかなあ、とようやく思い始めることができるようになりました。なお、ほとんど恐怖心に近いものがありますが、これは、いたしかたないと思っています。 はじめは、確率が低いから、といって目をそむけていたのですが、よく考えてみれば、今回は確率が低くても、結局いつかは死と向き合わなくてはいけないという事実に、死そのものに、向き合わなくてはいけなのだということに、気づかされました。今回の手術は、そのきっかけということになりましょう。 今回、初めて真正面から「死」に向き合ったとき、最初に感じたのは、生まれて死んでいく人間のむなしさでした。どうしようもない寂寥感に覆い尽くされ、荒野に放り出されたようなむなしさを感じ、立ち尽くし、言葉もありませんでした。今まで、死を正面から考えていなかった自分に気づき、病気にさえならなければ、死と向きあう必要もなく、気楽な人生を送れたのに、と恨みもしました。 長い時間、立ち尽くしたあと、私はお念仏を唱えたくなりました。今まで、正直、心からお念仏したいと思ったことはありませんでした。それが、どうしてもお念仏したくなったのです。そして、やはり、今の私に必要なのはきっと「南無阿弥陀仏」だと感じ、どこかに何かないのか、とネットを彷徨っているうち、貴HPにたどりつくことができました。 そして、「あなたを生きる」の中の「いのちの意味」を読んだとき、私の中に「宗教」がストンと落ちてきました。これまで、「頭」でお念仏を理解していた私は、「浄土」が腑に落ちていなかったのだと思います。今まで、どれだけ聞いても心に入ってこなかった「浄土」が、腑に落ちたのです。 今日、私は嬉しさのあまり、心からこみ上げる涙とともに、貴HPを読ませていただきました。この思いをお伝えしたく、長文となってしまいましたが、メールを差し上げました。 まだまだ、現実的な不安は多々あります。でも、確信できたことは、私は荒涼たる荒野に立っているのではない。私は光の中にいるんだということを、感じることができた幸せです。
心から感謝しています。無事、退院できましたら、またメール差し上げます。南無阿弥陀仏。I
「いのち」のことは、「いのち」にお任せです。「いのち」を信じて、心安らかに、人生を経験してまいりましょう。私たちは、そのために生まれてきたのですから。
私たちは、みな、「いのちの仲間」です。ご回復を、心より念じております。合掌
今日は、「メール再開記念」の粗品がわりに添付ファイルをつけて送ります。お借りしていた「老子と暮らす」の書評になっております。御一読たまわり、引き続きご指導を仰げますならば幸甚に存じます。なお、ご本返却につきましては、次週か次々週あたり、わたくしか或いはうちのかみさんが返却に上がりますのでそれまでお待ち下さい。お急ぎならば宅急便にてお送りいたします。
また、おかげさまをもちまして岳父分骨は先週無事に相済みました。なにかと御世話になりまして本当にありがとうございました。ゴールデンウィークのあとは不順な天候が続いております。末尾ながら皆々様おかわりございませぬように。では、いずれまた。合掌・礼拝 KK (「添付書類」省略)
とりわけ、「沖克」という小見出しのもとで、加島先生の「中道」や「中庸」の理解に対して、『形而上の定点を形而下の「バランス」で解釈しようと試みている』と論じておられるのを拝読し、その正確なご批評と、簡潔かつ的確な表現に、ただただ驚嘆いたしました。横文字も縦文字(漢文)も大の苦手で、アルファベットや漢字の行列を文中の障害物とこころえ、柔らかな所ばかりをスキップしながら、ただ漫然と文章の雰囲気に遊んでいるような私どもには、K様のエッセイは、良い薬です。 お言葉のごとく、加島先生には、どこか共通した感性を感じます。ただ、加島先生にも、また、その境遇にある種の羨望を抱いた自分自身にも、何かしらの違和感を感じてもおります。少なからぬ余剰をもって生活が保障されている所から論じられている「人生哲学」に、はたして「私」の人生を支えてくれるだけの力があるのでしょうか。家族を残して山に籠もれば、「自分」が見えるのでしょうか。それとも、道楽に囲まれて無聊をかこち、天人五衰の予感に怯えることになるのでしょうか。
貧乏は、恥ではないとしても、だからと言って、自慢できることでもありません。たしかに、人生の実相から見れば、「生活が保証されている」という思いは、ひとつの幻想にすぎません。ですが、そんな幻想にすら憧れている「自分」がいる。何とも手の着けようもないほどの難物です。そんな難物を「凡夫」と言うのでしょう。そんな凡夫が、四苦八苦の波に溺れながら、「形而上の定点」から漏れてくる微かな光を感じている。…ただ、それだけです。今後とも宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
一方わたくしは相当なお調子者です。おだてられれば豚が木に登るぐらいのことはやってお見せいたしますがこんなにまで褒めていただいては木ではすみません。天にも登らんばかりです。わずか数行のあいだに「感嘆」、「嘆息」、「驚嘆」といった言葉をちりばめていただきました。おこころ使いはうれしゅうございますがこれでは御院さまの歯が浮いて歯医者に行かねばならなくなるのではないかと案じております。御院さまのわたくしを励ましてやろうとの暖かいおこころ使いは十二分に頂戴いたしましたのでどうぞご自愛くださいませ。 わたくしは人生に於いてペンを持っていた時間よりもねじ回しやペンチを持っていた時間の方がはるかに長い人間です。文字よりは図面に親しんできた人間です。プロと素人の違いはよく承知しております。ですから同じ理屈でわたくしの文章がどの程度のものかは察しがついています。人間の出来についても些かは判別のつく歳にもなりました。「感嘆」、「嘆息」、「驚嘆」といった言葉は御院さまや紫雲寺のホームページをお訪ねになった方々にこそ相応しいものではないでしょうか。 ところで、いちばんお褒めに預かっている箇所が、いちばん手を抜いたところでしたのでなんだか見透かされているようでバツがわるいです。この箇所は結論だけを言い放って論証を放棄していますから論述し証明するという文章必須の角度から言えば減点です。そこを敢えておまけで点を与えて下さったようですね。白状するまでもなく「書評」のなかで「しかしまぁ、(加島)先生はそのようにお考えでいらっしゃると言うことでここでは済ましておきたい。」と言っているのはわたくしの捨て台詞でしかないのです。 ”加島先生も論証なさっていないのだからわたくしだって手抜きをしてもいいだろう”と思いました。わたくしに本当の力があったのなら他の箇所はさておいてもここをしっかり論破出来ていなければいけないところでしょう。わたくしのたまたまの「思いつき」の一言を「正確な批評」とご覧になっているということは御院さまはもとより既に著者の錯誤を看破なさっていた訳ですから、ご迷惑でなければ御院さまこそわたくしの師と仰ぐにふさわしいお方です。 わたくしはというと自己の確固とした視点というものがあって著者の観点を批評したのではなく、”こういう意見にはそのように反論しておくのが一般的である”という「論争の小手先テクニック」で批評を加えたまでのこ とでした。要するにはなはだ中味の伴っていない批評だったのです。御院さまはわたくしの駄文を敢えておほめになりつつ、わたくしの薄っぺらなところをちゃあんと見透かしておいでになる。「木に登るブタ」でも恥ずかしい思いはまぬがれません。 わたくしは今日までこういうやり方が通用する世間で渡り合って来たのかもしれませんが大事なものを失いもしました。岳父です。いまさらながら少しぐらいはこころから仏法を学んで中味のある観点を持ちたいものだと思う一方で、すぐ人に噛み付いてしまう。いけないと思いながら本能的に噛みついてる。浅はかな性分です。今一度、「老子と暮らす」のわたくしの読書メモを読み返してみますと、その論証方法に傲慢なわたくしの性格が出てしまっていることに自己嫌悪を感じます。 相手がご高齢の米文学者だというのに大阪弁を引き合いに出して笑い者にしてみたり、エロチックな「漢詩もどき」を出して、”これが分かるか!?”と迫ってみたり。たかが「英語の漢詩は漢詩でない」ということを証明するだけのために、ここまで老学者を侮辱することはなかったと今は反省しています。静かなこころで「老子と暮らす」を読めば加島先生が英語を通して漢詩に触れられたご自身の心象を述べようとなさっているのだと解せられるはずでした。 西洋的なものであろうと東洋的なものであろうと、或いは西洋人であろうと東洋人であろうとそこに洋の東西を問わず人としての共通の感性を汲み取っていこうとしているのだというような評価の仕方も出来たのではないかと思うのです。わたくしは「老子と暮らす」を読みながらあらさがしだけしかしなかった。そのため加島先生の創造的な観点を学ぶせっかくのチャンスを逃がしてしまったのかもしれません。こだわりのないところで新たな文化や感性との遭遇を楽しんでおられる加島先生の境地はやはりそれなりに評価の眼を向けておくべきことだったと思います。 このように考えると御院さまからのお褒めのお言葉はせっかく頂いたものだからお返しは出来ないのだけれども、かといって自分には相応しくないのだから今すぐ味わうのはもったいないお言葉。しばらく大切に取っておこうと思います。御院さまのお言葉に随ってあっちへばたばた、こっちへばたばた。一週間もすると言うことがこんなにも変わってしまっているわたくしをお許しください。御院さまにはわたくしが岳父を理解出来るようになるためのご指導をお願いするのみならず、わたくし自身のこころのありようについてもご指導を懇願する所以です。 わたくしの傲慢な「感想」に比べると御院さまのなんと素直でいらっしゃることでしょう。御院さまはおっしゃいます。「加島先生には、どこか共通した感性を感じます。ただ、加島先生にも、また、その境遇にある種の羨望を抱いた自分自身にも、何かしらの違和感を感じてもおります。」と。静かなこころで読むことが出来ておれば、わたくしも御院さまのように自分のこころに映ったところを客観的に観察出来ていたはずなのです。「(加島先生の)境遇にある種の羨望を抱いた自分自身にも、何かしらの違和感を感じ」ながら其処を見過ごしていました。 不注意が原因ではありません。“自分はここに立っておるのだ”と言い得るだけの自分と自分自身の位置が見えない。自分というものがない。そういう空虚な自分を認めたくないがために、まづは加島先生をたたいておかねばならなかったのです。ところが加島先生をたたいてしまったために、たたき終わったわたくしは余計空虚になりました。浅はかな「読書感想文」でした。既にメールを送ってしまった今にして思うともっと素直に自分を振り返りつつ読めばよかったのにと思います。 御院さまはご自身の内面と照らし合わせながらご本をお読みになった。御院さまのご感想は真摯にこの本を読んでさえいればわたくしも持つことが出来たかもしれない感想だったのではないかと思われます。同じ本を読んでも力量の差というか、人間の出来の違いというか、忸怩たる思いです。わたくしがつかみ損ねたところを御院さまは見つめておられました。その一方でわたくしは自分自身のこころの内をほったらかして腕力頼りに加島先生に切り込んでいったのです。 御院さまから来たメールを読んで「あぁ、このかたはわたくしを見抜いて下さっている。わたくしが白状出来なかった胸のうちをわたくしの代わりに引き受けて下さっている。」と知りました。ありがたいメールでした。遅まきながらも気付きましたから。残念ながらわたくしが分かるのは今はここまでです。これ以上は御院さまのメールにこめられたはメッセージは読み解けません。 御院さまは更に言葉を接いで「そんな凡夫が、四苦八苦の波に溺れながら・・・」と語られます。ここから先は分かりません。つまり感性の共有が難しい。わたくしは弱気になると自分を「凡夫」だと思うこともあります。人前では「凡夫」として振舞うべき「君子の 徳」についても学びました。しかし人から「凡夫」と言われてもニコニコできるほどには悟っていません。わたくしは坊主あたまにしていますが、若い頃、人さまから「はげ」「ぼうず」といわれて腹が立たなくなるまで何年という時間がかかりました。切ろうが剃ろうが痛くも痒くもないヘアスタイルひとつにしてからがかくの如く。自他ともに認める「凡夫」というのはたいした悟境です。 大谷家の跡目相続の確執を新聞の三面記事で永らく見てきた自分にはああいう人たちのようにあれほどあからさまな「凡夫」にはなれません。「煩悩具足の凡夫」を認じ、「煩悩具足の凡夫」を受け入れることはわたくしなりの良心と自尊心が許さない。たしかにわたくしは自分が「煩悩具足の凡夫」であることを否定できないのだけれども、わたくしの価値観においては「凡夫」という言葉には堕落と敗北感がつきまとうのです。 わたくし自身はこのように思っておりますけれども御院さまが「凡夫」とおっしゃるとき、そこにはとてもピュアな響きを感じます。わたくしには理解できなかったけれども岳父は諦観して「凡夫」をいただいておられました。世間の目に映る「凡夫」や教団のイメージとは違った何かしらピュアなものを御院さまや岳父に感じながら、わたくしはそれが理解出来ません。こういうときわたくしは自分を「凡夫」だなぁと想うのですが、またすぐ正気を取り戻して「凡夫」でなるものかと発奮するのです。親鸞聖人が修行に修行を重ねられてのその末にお嘆きになった「凡夫」という意識について学んでみなければならないと思っています。 次に「生活が保証されているという思いは、ひとつの幻想にすぎません。ですが、そんな幻想にすら憧れている自分がいる。」これもドキリとさせられるお言葉です。リストラと賃下げの吹き荒れる不景気な世相です。わたくしどもサラリーマンにとっては、おっしゃるとおり、「生活が保証されているという思いは、ひとつの幻想」になってきました。しかし、わたくしどもは御院さまが「幻想だ」と達観なさろうとしていることを「幻想」にしないためにこそ身を粉にして生きているのです。 皆が生きることに必死になっているときに、出家をなされて清い世界においでの御院さまが「そんな幻想にすら憧れている自分がいる。」とご自分をお責めになられます。そんなことをおっしゃられては娑婆のわたくしどもはとても辛くなります。クビになって職安通いをなさっている方々の心情は察するに余りあるではありませんか。わたくしどもにとってはまず生きる条件を確保しなければ始まらない、ということはまごう方無き現実なのです。そう簡単に「幻想」だと言って切って捨てれるものでもありません。 サンガだって布施によって成り立っていた。僧侶には布施を集める托鉢という労働が必要だった。しかも布施は民百姓の生活の糧の一部ではありませんか。それによって僧侶の修行生活も成り立っていた。ひるがえって考えれば、生きる手立てを考え、確保するということは僧俗にかかわらず基本的でとても大切なことだったのではありませんか。理屈を立てて観念を飛躍させれば「幻想」と言えなくはないことでも現実には生命を支える尊い行為なのではないでしょうか。 清廉実直にご自身の信仰を求道なさろうとしている御院さまが寺院を維持し食べていけるぐらいの収入を確保するために心身を労するのは「幻想」や「憧れ」や「物欲」でもなんでもない。あたりまえのことです。働くということは人間として最低限に必要な当たり前のことなのだと思います。人間なら食べていくため、生きていくための苦労があって当たり前。ご家族もおいでのことですし。「リクルート」だろうが「営業活動」だろうが、わたくしならばやりますけれどもね。そしてそれは当たり前のことなので自慢するほどのことではないにしても自負出来ることだと思います。 生きることは幻想ではない。わたくしの場合ですと家族に対する責任、住宅ローン、老後の不安etc・・・。これらは「幻想」というにはあまりに現実です。油断すると押し潰されそうなほど現実です。しかしひとつ見方を変えれば蓋しおっしゃるとおりです。この世に生命を受けたからには老・病・死は避けようもなく、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦は世の常、人の常。ゆめまぼろしの人生と言えなくもありません。しかしだからこそわたくしども衆生は“弱音を吐いてそれを言っちゃぁ、おしめぇだ”と心得て皆さんグッと辛抱して堪えているわけです。(もっとも、なかにはなぁ〜んにも感じない幸せな方も大勢おいでにはなる訳ですけれども。) わたくしは凡俗の身ですから同じ状況に直面しても御院さまとは受け止め方が違うかもしれません。それをお許しいただいたうえで申し上げて参りました。御院さまのお悩みは間違ってはいないと想うのですけれど、わたくしの置かれた現実からはそういう疑問は些か贅沢というか、現実から乖離しすぎて懐疑することが非現実的というか、どのように受け止めてよいのかとまどってしまいます。
長ったらしいメールになりました。こんばん、かみさんが京都から帰って来ました。御院さまと奥さまは福井にお帰りになっていると申しておりました。おかえりなさいませ。「老子と暮らす」はご隠居さまにお預けいたしたそうです。ご査収下さいませ。ありがとうございました。また、ご本をお勧め下さい。こんどはもっとこころを静めて読むようにいたしましょう。合掌礼拝いたします。2002年5月26日 午前三時 KK
先日の御書評は、例によって甚だ切れ味のよい文章で、まことに爽快かつ愉快な気分で拝読いたしました。率直な感想を申し上げましただけでございまして、間違っても歯医者に儲けさせるような意図はございません。むしろ、私の方こそ、過大な御評価を頂き、落ち着きの悪い気分でおります。高い所に上げられると、降りる梯子があるかと後ろが気になる方でございまして、とうてい「師」などとお呼びいただくような器ではございません。ひとまずは、お言葉だけ、勿体なく承っておきます。 さて、前回のメールには、いささか舌足らずのところがございましたようですので、少し付け足しを申し上げます。貴信には、「皆が生きることに必死になっているときに、出家なされて清い世界においでの御院さまが『そんな幻想にすら憧れている自分がいる』とご自分をお責めになられます。等々」とございます。お言葉を返すようで心苦しく存じますが、実は、私は、さほど「清い世界」にいるわけでも、幻想に憧れている自分を「責めている」わけでもございません。「付け足し」と申しますのは、この点についてでございます。 ご指摘のとおり、「生きることは幻想ではない」。幸いにも飢えに苦しんだことはございませんが、月末の支払いには毎度のことながら少なからず緊張いたしますし、年度末には愚痴と溜息に埋もれております。私は、労働や金銭に偏見もアレルギーも持っておりません。生活するにはお金が要るのです。ただ、職業欄に「僧侶」と書くことには、常にいくばくかの躊躇いを感じてもおります。ご理解頂けるかどうか分かりませんが、私には、自分がいわゆる労働をしているとは思えないからなのです。 労働と言えるような職業を持っていないのは、ただ不器用だからですが、不安定な日暮らしをしておりますと、時には、給料やボーナスや厚生年金とかいった形での「生活の保障」にさえ「憧れ」を感じることもあるのです。そして、そんな自分が、何となくいじらしく、可笑しいのです。シニカルになるつもりも、高踏を気取るつもりもありませんが、たとえ憲法に「基本的人権の保証」だとか「最低限度の文化的な生活の保障」などと謳われていても、それはただの言葉でして、人生には、如何なる保証もないのです。それなのに、「保証」という言葉に「憧れ」を感じている。甚だ中途半端ですが、まあ、それが「人生」なのかもしれません。 私は、人生はひとときの「夢」だと思っています。と申しましても、「邯鄲夢の枕」や「南柯の一夢」とは違って、この「夢」は極めて大切な夢だと思っています。この「夢」こそが「人生」なのです。ただ、「夢」だと思えればこそ、人生を愛おしみ、人生に堪えられるのではないかとも思うのです。 以前にもお話いたしましたが、人生が夢だと気づいたときには、もう夢から醒めかかっている。それは、ちょうど、眠っていて、夢を見ていると気づいたときには、もう夢から醒めかかっているようなものです。とは言え、ことはそれほど簡単ではないのです。たしかに、眠っていて、夢を見ていると気づいたときには、もう夢から醒めかかっている。では、そのまま夢から完全に醒めてしまうかというと、そうでもない。いつの間にか、ウトウトと夢の中に戻ってしまっている。 仏法に触れ、お念仏の教えに出会って、夢を見ている自分に気づかせてもらった。ですが、「ああ、夢を見ているのだ」と思ったのも束の間で、わずかに寝返りを打っただけ。寝返りを打ったことで気分が良くなったこともあってか、いつのまにか、またぞろ夢の中に戻っている。 ときどき思うのですが、私はちょうど、縁側で昼寝を貪っている猫のようなものです。一日中夢を見ながらウトウトとしている。そして、時々頭を上げて、明るい世界の方に目をやったかと思うと、またすぐに夢に落ちていく。皆様の前でお話しさせて頂いておりますのも、そんな猫が夢と夢の間で垣間見た、夢とも現とも判然としがたいような、頼りない話でございます。 夢から醒めよう醒めようと思っているのも、また夢です。夢から醒められると思っているのも、また夢かもしれません。ですが、これが夢であろうとなかろうと、何も心配しなくてよいというのが、お念仏の教えなのです。私のような凡夫は、ただただ、その教えを信じるばかりでございます。今後とも宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
毎回40〜50名の方が私の拙いコラムを愛読して頂いておりますので、細々と、自分の勉強の積もりで続けたいとは思いますが、今後共に宜しく、ご指導の程をお願い申し上げます。 母親が念佛者であり、幼いときから、朝夕仏壇の前でお経をあげて来ましたが、高校生以降、我が家に来ていた浄土真宗の坊さんの品の無い空念佛に印象を悪くし、葬式仏教によって念佛に染み付いた悪いイメージが、どうも払拭出来ずに、今日まで来ました。抵抗がありました。今も抵抗はありますが、伴戸様のお話しを読んで、40年振りに、念佛行をやって見ようと言う気になりました。
これ、田畑先生にお出遇いし、紫雲寺さんをご紹介頂いたお陰です。本当は、ここで南無阿弥陀仏なのでしょうが……。KO
釈昇空法話第3話の下記の部分が、重複しております。KO(重複箇所、省略)
さて、マスローの言う「自己実現」は本願の世界に通じるかというおたずねですが、個人的な意見を申しますと、両者は違うのではないかと思います。ご承知のように、マスローは、人間の欲求を、「生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自我欲求、自己実現欲求」というように五つの階層に分け、人間の究極の成長目標は「自己実現」にあると言っています。 「生理的欲求」から「自我欲求」までの基本的欲求が満たされて初めて、人は「自己実現欲求」を抱くようになる。つまりは、「自己実現」には、「自我」の確立が前提となっている。マスローだけでなく、一般に欧米の心理学者たちは、人が究極的成長段階に至るためには、「自我」の確立が前提になると考えているようです。いまはやりのトランスパーソナル心理学でも、そうですね。 しかし、仏教は違います。仏教は、「自我の確立」ではなく、最初から「自我(我執)の放棄」を目指しています。「白紙で生まれてきて、自我の確立を目指す」という道と、「宿業を担って生まれてきて、自我の放棄を目指す」という道とでは、行き着くさきが違うように思うのですが、如何でしょうか。 また、現代人は何でも段階的に展開するものと考えがちです。「肉体的欲求、精神的欲求、感情的欲求、宗教的欲求」という考え方も、そうです。しかし、果たして、宗教的欲求というものは、人間の成長発達の最終段階で生まれてくる欲求なのでしょうか。衣食足って礼節を知らねば生まれてこない欲求なのでしょうか。衣食が不足し、安全が脅かされ、礼節が定まらないところからは、生まれてこないのでしょうか。 おそらく、そうではないと思います。欲求という言葉を用いるとすれば、「宗教的欲求」こそが、人間の(あるいは、人間を人間たらしめている)根本的欲求ではないでしょうか。さらには、この「根本的欲求」こそが「本願」だと言ったのでは、語弊があるでしょうか。 「本願」は、成長に伴って段階的に生まれてくる欲求ではないでしょう。そうではなくて、縁によって気づき、縁によって開かれる世界ではないかと思います。「本願」への目覚めは、むしろ、「生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、自我欲求、自己実現欲求」が満たされないところに生まれてくるものかもしれません。 個人的には、マスローにもユングにも大いに関心があります。しかし、仏教(解釈に幅がありすぎて、一括するのもいささか躊躇われるのですが)の世界は、マスローの言う「自己実現」とも、ユングの言う「個性化」とも似ていながら、どこか違うように思うのです。ちなみに、ナポレオン・ヒルにも『自己実現』(邦題)という本があります。これなどは、欲望を糖衣錠にしただけのようにも思いますが、あるいは世間一般の理解を代表するものかもしれません。いささかまとまりのない話で、申し訳ございません。合掌
「後院さん、なに貸してくれはったん? ふぅ〜ん。『はじめてのおつかい』ね。」 ・・・・・・・ うぅ〜ん、見透かされておる! おそろしきおなごじゃ。 ・・・・・・・ このたびお借りしましたご本は、先回の「老子と暮らす」の反省に立って、こころして慎重に読み進めるようにしております。ところが本を開くたびに「異なった感情」が現れてくるので、どの感情が本心であるのか、自分ごとながら観測しずらいものがあって、心境の整理にてこずっております。どきどきわくわく。まったくもって『はじめての親鸞』を手にして、あたかも絵本『はじめてのおつかい』を読む子供の心境です。はい。 この前の本よりは落ち着いた気持ちで、著者の心情に寄り添ったうえでの感想が得られなければ進歩がない、と思って読み始めました。ところがどうやら、この本の著者はそういう慣れない本の読み方をわたくしに試させてくれるほどお人好しではなさそうです。かなり難しい。それというのもわたくしの「異なった感情」の現れ方はしばしば対立感情として極性反転して現れて来るので、この極端な起伏のある「感情」のサンプリングに成功するかどうかさえ心もとないところがあるのです。激しく反発する自分と、ふとこころに起きる「阿弥陀仏」のご称号と。「いったいなんだ、この本は !?」という以上に「いったいなんだ、この自分は !?二重人格にでもなったか !?」と訳がわからなくなります。 心中にこの本を消化しなければ次のご本をお貸しいただけないのではないか、もう、ここで噛みついてしまったら、もうご指導を賜れないのではないか、親鸞への信仰が分からねば岳父をも理解できないのではないか、という気持ちもあって、ややもすると知らずしらずのうちに御院さまにおもねった感想を抱いていて、それを自分の新しい感情と錯覚しているのではないか、あるいは逆に従来の自分本来の感情にも、なにかしら空威張りなところを感じはじめまして、これは自己撞着に罹りかけている兆候なのではないかなどと思い始めますといっそう気持ちの整理が煩わしくなってまいります。最初からこんな具合ですので、もしかすると結果的には「両論併記の結論なし」になってしまうかもしれません。 思想書であれば持論と著者の論との両論を自分なりに再構成できれば本来ならわたくしにとっての学習は完了なのですが、今回は著者の心情に寄り添って読んでみることを課題に読み始めましたことがたいへんな負担になっています。こういう読み方は、かなりしんどいものですね。まして、この手の本は。 しかもこの本は経論の証明を後回しにして全編の結論を第2章、3章に置くという、いかにも宗教書にありがちなスタイルでもって著者のパラダイムに引きずり込む構成をとっています。(第一章は宗教一般論ですので、特に違和感はありませんでした。著者に悲観論的傾向を認めるけれども、末法思想をDNAとして持っておられる以上は致し方ないことと思います)そのため読者はいきなりの前半の著者の信仰告白に驚愕しつつ、まずは黙って著者のご意見を拝聴するだけの忍耐力があるかどうかを試されることになります。 こういうふうに感情が先に立ちながら、それを知恵のころもをまぶして料理できる思考タイプの人を相手にするのはビジネス上のお客さまだろうが著作家だろうが、わたくしには苦手なタイプだったのです。半分ほど読み進み、著者の陣立てが完了したところでようやく筋立てて論理を持って話しをしようという雰囲気になってきて面白くなっては来ます。 一度、サッと読んで筋立てが分かったので、この本に付いては各章ごとに対話を進めていくこととしました。とても、先にお貸しいただいたご本のように腕力にものを言わせて一刀両断出来るような著者ではありません。また、とっつき易いところからとりつくこととします。一章から順にやっていたのでは「問題意識の相違」としか言いようのないところで最初からプッツンしてしまって前に進みそうにないですから。 今の時点で安直に言ってしまえば、どうしても「信じる」とか「信仰心」という心情が捉えられないということに尽きるかもしれません。他者の持ち物としての信仰の価値については理解できる。個人の尊厳を信仰者も、わたくしも共に有する人間として他者の信仰を擁護もする。しかし、こと、わたくし個人について、自分が持ち合わせておらず、しかも自分と衝突する観念を、自分のものとしてどこまで理解ができるのか。あんまり考えると頭がくらくらします。頭痛のタネは仕事だけで充分。そんなこんなで、しかしまぁ、そう結論を急がず、じっくり読ませていただきましょう。 このような次第で、すぐにもお返しできるつもりだったこの本なのですが、このままですとお盆にも間に合いそうにありません。しかし、八月中には必ずお返しすることと致しましょう。お盆供養にお越しいただけるそうですので、御院さまにお会いできるのを楽しみにしてはおりますが、宿題が出来ずに登校するはめになり、先生の顔を見るのがおっかなくなった学生の心境です。(…中略…)
京都の炎天下に袈裟衣の正装での檀家回りはたいへんきついこととお察し申し上げます。お身体ご自愛のうえ日課のつつがなきをお祈り申し上げます。では、ひとまず失礼いたします。合掌 平成十四年七月二十八日 KK
さて、『はじめての親鸞』ですが、ご多忙な日常のなかから捻出された貴重な時間で読書なさるのですから、そこから何かを得よう、内容を消化しようと思われますのも、至極もっともなことでございますが、まあ、お気楽にお読みください。「なるほど!」と思われるところでは「ウン、ウン!」、「ああ、そうなの?」と思われるところでは「ヘー?」、「それはないよ!」と思われるところでは「ハハハ…」でよろしいのではないでしょうか。私たちが宗教的な書物を読む目的は、知識の学習でも書評の作成でもありませんから。 私は近眼でメガネをかけておりますが、どんなメガネでもよいかというと、そうではありません。ほかの人のメガネを借りても、はっきり見えません。書物も似たようなものでして、自分の生活習慣から生じている歪みを矯正してくれる、自分にあった書物(メガネ)と出会うことが大切かと存じます。もっとも、最終的には、自分自身の頭で考え、自分自身のハートで感じることが大切でして、そのときにはメガネなど必要ないかと思います。 私が仏教に惹かれるようになりましたのは、実は、真宗の書物からではありませんでした。「仏陀の覚醒体験」とは何だったのか知りたくて、いろいろ読んでおりますうちに、ヘルマン・ベック『仏教』(上下、岩波文庫)、ゴーピ・クリシュナ『クンダリニー』(平河出版社)、ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』(上下、岩波文庫)、オルダス・ハクスレー『永遠の哲学』(平河出版社)などに出会い、「ウン、ウン!」となったような訳です。もちろん、「ヘー?」も「ハハハ…」も、山のようにありますが、まあ、それはそれで構わないかと存じております。
なんとも頼りない話ですが、こんな大雑把な坊さんでも宜しければ、Kさんの友人の一人に加えて頂けると、有り難く存じます。奥様にも宜しくお伝えくださいませ。合掌
「はじめての親鸞」の読み方について、とってもやさしいお言葉をかけてくださってありがとうございます。少し肩の力が抜けました。自力か他力かというような高度な経論で頓挫していたのではなく、どうもわたくしは氏も育ちも違うこういう神経質な先生とは肌が合わないようなのです。著書の中で自信たっぷりに自前の話しを高飛車にされると、噛みつき返してやりたくなるという、わたくしの悪い性分がうずうずして、それを抑えるのに苦労していたのです。 せいいっぱい娑婆の稼業に汗してるところへ、やれ煩悩だ、苦だ、業だと悲観的なことばかりをあたまごなしに並べ立てられたのでは、冷や水をかけられているようなもので頑張る力も失せてしまおうというものです。不景気でこの世は勝ち組と負け組にふるい分けられ、死ぬ前からこの世で天国か地獄か決めてしまおうという世の風潮。生き残って食っていくだけでもたいへんなこのご時世に、悩める宗教者でなくて太った豚にあこがれてどこが悪い? ドロップアウトした人間には「癒し」も必要でしょうが現役のわたくしをつかまえて冷や水をかけて足を引っ張るのはやめてもらいたい。これは営業妨害ならぬ人生妨害だ。と自分の観念の中でどんどんエスカレートしていくばかりでした。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんて具合に、この本一冊で親鸞嫌いになってしまっては親鸞さまもわたくしもえらいとばっちりでしょう。それでまぁ、真ん中を採って、太った哲学者より悩める豚のほうが些かでもましかと妥協案を得たところです。 人の好きずきというものが有って、紫雲寺のホームページもこのご本もいずれも浄土真宗のものなのに雰囲気と言うか、感性と言うか、かなり違いがあるように思います。御院さまはわたくしの本性が猪八戒であることを承知してくださっているような温かいお人柄でいらっしゃる。わたくしは御院さまにご縁があってほんとうに恵まれていたと思います。天の導きか、岳父の深慮の成せる采配かは愚人の推し量りがたきところ。いずれにしろ、御院さまとの、そして紫雲寺さまのホームページとの出会いを仏さまに感謝いたします。 「三宝に帰依せよ」といわれたら「二宝はともかく、あんたらはなんぼのもんやねん?」とアカンベーをしたくなる性格ですが御院さまのようにわたくしの所まで降りて来てくださって「友人」(ともだち)だとおっしゃられますと、なんと返事をしていいものやら、とっさにはお礼の言葉も浮かびません。たとえ御院さまがそのようにおっしゃられても御院さまは仏道のプロフェッショナルであり先達でいらっしゃる。 わたくしは「メル友」などとふざけて失礼なことを申しておりましたが、「友人」とおっしゃって下さるならわたくしも「法事をしてくださるお寺さんの檀家」でとどまらず、御院さまから「友人」と呼んでいただける人間であることを自覚してお付き合いさせていただきたく思います。とはいえ、そこはやはりただの「友人」ではないでしょう。お言葉に甘えてわたくしは御院さまを“師友”とさせていただきたく思います。 浄土真宗には「同朋」という言葉があるようですが、いい言葉だと思います。同行、同志、同仁など、「同」のつく出自の古そうな言葉は、いずれも本来は精神的な固いきずなを示しているもののようですが現代語においては、なかでも「同朋」という言葉がいちばん時代の変遷による変質を受けずに、本来の意味を実態的に保っているのではないかと思います。「同行」は日常語に溶け込みすぎて多義化していますし、「同志」はいまや政界を見るまでもなく、自己利益に走る陰謀集団を意味するようになり、「同仁」は「一視同仁」の欺瞞で侵略戦争まで引き起こしてしまいました。あるいは「同仁会」と名の付く医療業界の団体があるように「ギルド」(同業者)を意味する言葉にもなっています。 こうした傾向はこれらの言葉のふるさとである中国語社会においては一層顕著で、これら一事だけを持って「世も末だ」、「末法だ」とまでは申しませんが、「同朋」という言葉のその本来の意義が真宗信仰者集団によって実態的に伝承されてきたという事実は、逆にその信仰と信仰者集団のピュアな側面を実証しているわけでもあります。 ことばは社会とともにその意味合いを変えていく「生き物」だと言われています。同じく同宗の「他力本願」がしばしば社会的誤用を受けているのも誤用されるだけの社会的実態があるからですが、「他力本願」の社会的誤用と、一方でことばとしての純粋性が維持されている「同朋」ということばを較べて見るとき、この二つの言葉がどのように社会的に受容され変遷してきたのかを観察することを通して一つの教団の信仰のかたち、社会とのかかわりといったダイナミズムをも見ることが出来るのではないかと好奇心を膨らませています。 話しがそれてしまいましたが御院さまからいただいた「友人」というお言葉から、「友人」→「朋友」→「同朋」という連想ゲームをしてしまったわけです。もっとも、わたくし自身は親鸞さまを尊敬はしておりますけれども自覚的な門徒として帰依してはいないのですから「同朋」とは申せませんでしょう。ですから上の図式とは逆に「同朋」→「朋友」→「友人」とたどって演繹的拡大解釈のお目こぼしで「友人」に加えていただけたものと存じております。もったいないことであります。ありがとうございます。 暑いときにうだうだとおしゃべりに引きずり込んでしまいました。すいません。お盆にお越しいただいたときには当日午後にご予定が入っているだろう檀那衆のご迷惑にもなりましょうから、こんなにおしゃべりはいたしません。ただ「なむあみだぶつ」と御院さまとともに唱和させていただけますよう、こころを静めてお待ち申し上げております。年齢のせいか、今年は特に暑く感じます。京都はこちらより暑いとか。みなさまがご健康であられますように。この本はもう一度読んでひとまずお返しすることと致します。合掌。 平成十四年八月三日 KK
当方本願寺派の一住職であります。檀家も少なく(15軒)、寺院専業はできない状態です。しかし勤めももうそろそろ定年に近くなり(現在59歳)、寺院経営の問題を抱えております。長男は幸い今年本願寺教師の資格を取りましたので、継職についての問題は、一応解決したのですが、しかしわかりません。 なんとか、定年後は今まで出来なかったご法儀相続についてのことを、ご門徒の方達に何とか相続していただきたく思っております。特に最近世代交代が多く、今までのように仏法大事の考え方が、少なくなってきております。法話集を拝読させていただくうちに、これは是非とも、参考にさせていただいて、今後の教化の一助にさせていただきたく存じます。 特に「浄土の教え」と輪廻転生におけるビッグバンから現在に至る人間、娑婆の世界のところはほんとうに良くわかりました。難しい仏教用語の羅列のような法話よりも、自然に受け入れる事が出来ました。ありがとうございました。
つきましては、是非 「法話の録音テープ」 を参考にいたしたく思いますので1〜6までのテープをご送付お願いいたします。とりあえずお願いかたがたお礼まで。合掌 HN (お支払いはどのようになっているのでしょうか?。お教え下さい。)
「法話テープ」(第1話〜第6話)をご注文頂き、有り難うございます。ただ、現在、バックナンバーのストックをきらしておりますので、お手元にお届けいたしますまで、しばらく日数を頂戴いたしたく存じます。 代金は、「法話テープ」とともに郵便振替用紙を同封させて頂きますので、それにてお送りくださいませ。なお、はなはだ勝手ながら、送料は、宅配便を「着払い」にいたしますことでご負担頂いておりますので、宜しくお願い申し上げます。 末筆ながら、貴台のますますのご活躍を念じあげますとともに、今後とも宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
4年程前から、親鸞聖人の生き方にひかれて、いろいろと勉強させていただいています。先生のお話は、あまり宗教になじみの無かった私にわかりやすく浄土真宗の考え方を伝えて頂けています。
近くに住んでおりますし、一度、お話をおうかがいしたいと思っています。突然、こんなメールで失礼なのですが、今度の御法話は9月23日頃なのでしょうか? もし、何かお聞かせいただける機会があれば、教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
秋には、9月23日(彼岸中日)に永代経法要をお勤めいたします。午後2時より勤行ののち、2時30分頃よりお話させて頂く予定でございます。ご関心をお持ち頂けるような話をさせて頂けるかどうか分かりませんが、ご都合がよろしければ、おまいりくださいませ。お待ち申し上げております。今後とも宜しくお願い申し上げます。合掌
昼からは大谷祖廟にかみさんと一緒にお参りに行ってまいりました。祖廟への道すがら御院さまがいなくても自分ひとりで「なむあみだぶつ」と言えたらいいだろうなぁと思ったので、その場でお念仏をつぶやこうとしたら、やはり言えないのですね。御院さまがいないと「なむあみだぶつ」といえない。何にこだわっているのか? そんなことを考えながら歩いていると、かみさんが祖廟に至る石段の脇で炎天に晒されている土くれを見つけて「お花で作ったのね」と言うのです。ふと見ると色の黒い土くれ。供花を廃物利用して作った堆肥を天日干しにかけているのでした。わたくしはハッとしました。百分の何秒かの猛スピードで次々に思いが巡りました。 ・まづは、最初の発想。なんで、わざわざ天然肥料みたいなものをこんなところで干しているのか、環境保護運動のアピールのつもりか、何とか学会じゃあるまいし真宗もわざとらしいことを。 ・次の発想。きれいな花も死ねば汚い土の塊り。田の肥やし。このざまぁだ。お陀仏さまとはこのことではないか。 ・発想の拡大。それで人の哀れを誘わんとばかりにお盆のお参りの沿道でこの土くれのパフォーマンスか。メチャ臭さぁ〜い演出。 ・発想の変化 でも、これが自然の哲理。 ・変化の拡大 いやいや、大地に帰れることは幸せなこと。いや、これこそあるべき姿じゃないか。 ・小爆発 この刹那、何がトリガーになったのかは分からないのですが、この土くれのなかに親鸞さまがおいでになり岳父がおられるという驚天動地の発想が突然に閃きました。 ・だが直ちにそれはひとまづ否定されます。親鸞さまはこんな汚い土くれのなかではなく聖なる祖廟の奥に祭られている。土くれに親鸞さまがおいでになるのなら、どうして祖廟までお参りに来る必要があるのか。岳父は三条の菩提寺にお帰りになった。この土くれに岳父がおいでになるのならどうして骨灰のみを惜しむのか。おいおい、不信心者でへらずぐちの止まない性分であるのはわたくしの勝手ではあるにしろ、なにもわざわざ祖廟にまでやって来て他人さまが熱心にお参りをなさっている傍らで、汚い土くれを捉まえてこっちの方が親鸞さまだとはお前、ちょっと人さまの信仰を侮辱し過ぎじゃないか、反省しろ、反省!と。 ・それから大爆発 いや待てよ、この土くれに親鸞さまや岳父がおわしますと感じるのは、わたくしが勝手に思ったことなのか? 堆肥の「はたらき」がわたくしに語っている「あるがままの真実」を聞くことのできたわたくしは一瞬、その「はたらき」を介して親鸞さまや岳父のささやきを耳にしたのではないか。大事なことは、だからこそ、お前は今そのように感じているのではないかということでした。 なぜこのことが、わたくしにとっては親鸞さまがこの汚い土くれのなかにおいでになるのか、それとも祖廟の聖域中の聖域である奥津城においでになるのかということよりももっと大事なことなのかというと、わたくしは常々、このような主観的発想を退けて来た人間だったからです。退けて来たものが突然偶発的にショートしてしまったら「なむあみだぶつ」になっている。これはおどろくべきことです。岳父という人間の存在と心をもたない物質一般とを混同しているのでしょうか。御院さまにメールを打っている今はそのように発想した自分がなにより不思議です。 話しを戻します。季節がめぐり種が播かれ、そして咲かんとする花たちがこれらの肥やしによって育まれていることと、岳父がわたくしのなかで生きておいでになることの働きが同じ道理だと知ると、ありがたいなぁという気持ちが身体中に充満して、自分で唱えようともしないで、ひとりでに「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」とつぶやいておりました。 「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」「なむあみだぶつ」と次々に出てきます。さっきまでは御院さまがおいでにならないと出てこなかった「なむあみだぶつ」が口をついて次々と出てきます。堰を切ったように。井戸を掘り当てた時の湧水にように。とても感激して、・・・・・・・強い日差しに額から吹き出す汗と感涙とがくちゃくちゃになって。 わたくしを汗をぬぐっているのだと見たかみさんが「暑いわね」と声をかけてくれます。思えばこのようにしてわたくしに寄り添ってくれているかみさんも岳父からの賜りもの。天地と自己の万物すべてに仏さまと先哲と岳父の慈悲が満ちていないものはないのでした。 なにもかも、全部ただもらいしてる自分。み〜んなただもらいのくせに四苦だ、八苦だ、煩悩だと僧俗ともにかまびすしいけれど、み〜んなただもらいのくせに文句があるか。み〜んなただもらいのくせに「煩悩具足」でなにがわるい。み〜んなただもらいのくせにそういう取捨選択のできる偉い自分なのか。ああそうだったのか。とおおいに気付きました。 お借りしていた書籍、「はじめての親鸞」がわたくしにはしっくりこなかったのは、この先生、“煩悩”と“信”を強調する余りに、み〜んなただもらいの自分であるという点を軽くしか押さえていないためだったことに、本を御院さまにお返ししてから思い至りました。 人のことばかり言ってられない。わたくしは信じられるか、信じられないかで堂々巡りをしていました。こういうことを言うと親鸞さまに叱られるだろうけれど、信じられるか信じられないかは慌てて答えを出さんでもよかったのだと思います。 み〜んなただもらいで出来ている、このわたくしが信じられるとか、信じられないとか大見得切ったところで、言ってるわたくし自身が言ってる前からみ〜んなただもらいの自分で出来ている。信じられないといっているわたくしでさえ、み〜んなただもらいさせてもらっている。この事実を前にしては、“信じる、信じない”さえわたくしのはかりごとに過ぎないことに気が付きました。 この事実を前にしては感謝感激なくして信じるも信じないもあるものでしょうか。わたくしは感謝感激してはじめて自ずからお念仏が溢れ出た。わたくしにとっては、「なむあみだぶつ」とは最初には無上の感激のことば。至上の感謝のことばだったのでした。 阿弥陀さま、お釈迦さま、お父さん、ありがとうございました。ようやく気付いたことを忘れませんように。感謝の気持ちを忘れませんように。感謝のことばを忘れませんように。「なむあみだぶ」を忘れませんように。とても素晴らしいお盆でした。わたくしは、岳父と、そして三千世界の皆さまと堆肥の中にお会いできました。忘れられないお盆になりました。御院さま、ありがとうございました。かみさん、ごくろうさま。
わたくしの一足早いお盆はこれで終りました。明日からはお盆返上の勤務。ご院さんも頑張っておいでなのだから、わたくしも頑張らねば。でも御院さま、夏ばてにはお気をお付けになって下さい。今年の夏は例年になく暑いようですから。感謝し合掌します。なむあみだぶ 平成十四年八月十一日 リターンメールご不要。 KK
なを わたしには「魂」がないとされても別にかまいませんが。わたしには 本来の自己 自分と対話できません。 健在意識下の自分としか 対話できません。他人がみた私も意識できません。無意識を意識できません。ボーっと して なにかしてしまう自分がいますが。
現世に初めて人間として誕生したとして、過去のわたしが汚れた塵以下 であっても べつにかまわないのですが。各個人の守護霊は現在の自分と関係のある 上記先祖の関係者から 宿るのでしょうか。江戸時代 いや その前 以降 女のかたは 嫁いださきの宗し になりますが、さしつかえ ないのでしょうか。 伏見区 HS 52才
(1)人がこの世に生まれてくるとき、「身体」は両親が準備してくれますが、「魂」は親からもらうわけではありません。人は、ひとりひとり、みな自前の魂をもっていると思います。そんな私たちが親となり子となるには、何か大切な理由があるはずです。たとえば、親が子供を授かるのは、その子からしか学べないことがあるから、その子を授かる。また、子供も、その親からしか学べないことがあるから、その親のもとに生まれてくる。幸せな組み合わせばかりとは限りませんけれども、親子の縁は、互いに何か大切なことに気づくための縁だと思いますが、いかがでしょうか。 前世のことは分かりませんから、「前世の業」(宿業)は、現在の「私」には直接責任のないことではあります。とはいえ、人として生まれてきた理由が「宿業」にあるとすれば、前世に直接責任はなくとも、前世の影響はあるということになります。責任のないことに影響されているというのは、現在の「私」にとっては、たいそう理不尽なものにも思えますが、たとえ直接責任はなくとも、自分の問題として受け止めていくことはできます。前世のことは、今の「私」にはどうしようもありません。「私」に出来ることは、今の人生を生きることだけです。今の人生を大切にして、心の底から「生まれてきてよかった」と思える日がきたら、理不尽とも思えた「宿業」にも感謝できるのではないでしょうか。 (2)心の中のことであっても、「対話」というのは二人(たとえば、「自分」と「もう一人の自分」)でする会話のことですから、「対話」のあるところは「二元論」の世界です。「本当の自分」というのは、二元論が消えた世界のことですから、そこでは、いわゆる「対話」というものは成り立ちません。「対話」というのは、おっしゃるとおり、顕在意識下の自分としかできないものだと思います。 他人の心は分かりません。「人の心が分かる」というのは、「自分がその人の立場なら、こう感じるだろう」と推測して、分かったような気持ちになっているというだけのことです。いうまでもなく、その推測が正しいとは限りません。また、無意識について申しますと、「無意識」を、意識的に「意識化」することはできないものです。「無意識」は、たまたま夢として経験されたり、あるいは、それこそ無意識的な行為となって現れるものです。ちなみに、心理学でいう「無意識」は、「本当の自分」ではなくて、むしろ「宿業」に属するものだと思います。 (3)仏教では「守護霊」というものは説かれておりません。思いますに、「私」に都合のよいことが起こってくれるように守ってくれているのが「守護霊」だとすれば、「私」に都合のよいことは「他人」にとっては不都合なことかもしれないわけですから、欲望だらけの私たちの誰かに強力な守護霊がついているということがあるとすれば、それは世界にとって不幸の種にもなるでしょう。そういう「守護霊」を望まれますでしょうか。 ご先祖は、「守護霊」ではないでしょうけれども、常に、私たちの幸せを願っておられると思います。世間ではよく、「ご先祖様を大切にしないと罰があたる」などと申しますけれども、子孫に罰をあてるご先祖など、おそらくないでしょうね。私たちも、いずれ「ご先祖様」と呼ばれる日がくるのです。そのときのこととして、想像なさってみてください。 御浄土から眺めたとき、残してきた大切な子供や孫たちが、たとえお墓の掃除をしていなくとも、あるいはお仏壇に手を合わせていないということがあったとしても、「とんでもない奴らだ。これはひとつ、痛い目に遭わしてやらねばならない、罰をあててやらねばならない」などと、私たちは思うでしょうか。おそらく、そうではないでしょう。 「お墓の掃除もしていないのだな。お仏壇に手を合わせることもできないのだな」と、寂しく悲しい思いはするかもしれませんが、それでも、「何とか幸せになってほしい」と、残してきた愛しい子供や孫たちの幸せを願うのが、私たちではないでしょうか。ご先祖様も、きっと、そう願っておられるに違いないと思います。 私たちは、ご先祖様の冥福を祈り、ご先祖様の幸せを願って手を合わせているように思っておりますけれど、そうではないのです。ご先祖様の方こそ、私たちの幸せを願ってくださっているのです。私たちが手を合わせて合掌する姿は、何かを願う姿ではありません。そうではなくて、常に、ご先祖様、仏様が願ってくださっている、「どうぞ幸せになってください」という願いを受け止める姿、それが合掌なのです。 私たちは、常に願われているのです。忙しく慌ただしい生活の中で忘れがちなそのことを、改めて思い出す姿、それが合掌なのです。私たちは、ご先祖様、仏様に、常に幸せを願われている。ですが、その「幸せ」は、他人との競争のなかで、誰かの不幸と引き替えに得られる「幸せ」のことではないのですね。 (4)「嫁ぎ先の宗旨になることは差し支えないか」というお尋ねですが、個人よりも「家」が優先された時代でも、嫁ぎ先の宗旨によって、はじめて仏法へのご縁が結ばれたということもあったでしょうから、これは、人それぞれの「ご縁」かと思います。余計なことを言うようですが、「差し支え」云々というのは、「世間体」や「制度上の都合」を問題にする表現でして、本来、信仰とは馴染まない言葉ではあります。
いささかまとまりのない話で、果たして、お尋ねにお応えしたことになるかどうか分かりませんけれど、これでお返事とさせて頂きます。今後とも宜しくお願い申し上げます。合掌
先週の祖廟へのお参りの道すがらの出来事は、御院さんならこれまで辛抱強く導いて来て下さったお方でいらっしゃるのだからわたくし自身が分からないことでも分かってくださるだろうと思ってお知らせいたしました。 ほかの人には話していません。御院さまにはとってもお喜びいただいて、うれしく思います。御院さまがいっしょによろこんでくださるのがうれしいです。確かにこれは素晴らしい小宇宙の大発見でした。わたくしといっしょに合掌してくださってありがとうございます。 わたくし、「み〜んなただもらいしている自分」というものが分かってからは、日常生活のなにごとにつけてもわたくしを生かして下さっている因縁を思って胸が熱くなり、食事のときなど合掌して「いただきます」と言ってからも、感激ですぐにはご飯がのどを通らなくなりました。 ただし、これはわたくしの主観的な感想でして、かみさんは「あいかわらず、よく食べてくれる。お父さん、夏バテせえへんの?」と言っています。はい。 わたくしは以前のメールでピンチに陥ったときに特別なパワーが与えられた若いときの経験をお話しいたしました。これまでずっとわたくしは、このパワーは意識も喪失しそうな死にそうなピンチのときになってようやく現れる特別なパワーだと思っていました。逆にいえば、日常においては日常の自分を支配しているのは、やはりこのわたくしなのでした。ところが、今回、わたくしは、日常においてさえも、わたくしの存在そのものが生かされてあることを知りました。 特別なスーパーパワーは特別なときにしか現れないけれども、もうひとつの恒常的なパワーが今、此処に満ち溢れていたのです。それは、日常においては特別なパワーとしてでなく、ありきたりのありようで作用し相い現象していますから、気が付かないだけのものだったのでした。特別なパワーも、恒常的なパワーもいずれも、わたくしを生かしてくれているはたらきだったのです。 これほどまでして手厚くわたくしを生かしてくれているパワーが何なのか、また疑問がわいてきました。わたくしはこのパワーの声を聞きたいと思います。その声はわたくしのいのちの意味をもっとはっきりと教えてくれるものであるはずです。 わたくしのみならず存在しているもの全てがこのパワーによって存在しているはずですから、全てのものは同じ声を聞くはずです。先哲にもこの声を聞いた方々がいらっしゃったに違いない。御院さまもお聞きになったのでしょう。岳父も聞いたに違いない。ヘルマン・ベック『仏教』、ゴーピ・クリシュナ『クンダリニー』、ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』、オルダス・ハクスレー『永遠の哲学』など、御院さまのお薦めの本を読んでみたいと思います。 ところで、わたくしが大谷祖廟の参道で得た感覚についてはこれから分析をしていかねばなりません。論理的には成り立たない突拍子もない感覚のトリガーになったものはなにか。わたくしが精神医学や脳生理学に少しでも知識があれば、そしてあの時、わたくしのあたまを電極だらけにして脳波でも観察出来ていれば面白い結果が得られたかもしれないと思います。 わたくしは岳父が亡くなってから、岳父を理解するためには人間の心の作用としての信仰心の来源について知る必要があると考えて来ました。わたくしにはないのに人にはある信仰心。岳父にもあった信仰心。信仰心というものに興味を持ちましたが、あたかもシーケンスが暴走したような、脳の動作状態の恒常性が破壊されたアブノーマルな感覚的・精神的反応の記憶の固定化としか説明のしようがないものが信仰心だと考えられました。 過激な例としては靖国神社を信仰すれば護国の鬼となって死ぬことも出来たし、オームのように大量殺人も出来る。宗教者はこうしたことを他人さまの極端な例として片付けるけれども端的な例にも本質を見る手がかりが隠されているということを押さえておかなければ、宗教に対する科学的で冷静な評価などできるものではないでしょう。 そこで、わたくしは自分の身の上に起こった余りにも主観的な精神のビッグバンがなぜ生じたかについての分析を始める必要を感じているのですが、基礎知識もなにもないないものですから困ったなぁと思っています。 人間の頭脳もコンピュータと同じで暴走とか、フリーズということが起きて当然です。こういうことがわたくしのあたまでも起きたのかと思っています。ひとつの命題に付いて考えつめても答えが得られない場合、コンピュータと違う のは意思の強制力が働くために認識と思考の限界を超えて強いて答えを得ようとするのが人間です。人間の高度な脳はその過負荷を軽減するような自己保護機能を持っていて、適当に現実逃避をしてみたり、妄想を抱いたり、自殺に走ってみたりするようになっている。それをも克服して思考しようとする者は、ついに脳細胞の破壊に至り、精神病を患ってしまいます。こうしたことは人間の脳が計り知れない優れた能力を持っているからこそ付与されている機能が生じせしめている結果です。 人生においてはしばしば、誰もが難問に当たらざるを得ないケースに遭遇することになるのですから、現実逃避も自殺も決して精神論で非難して済むものではないのでしょう。 わたくしは、ここにむしろ脳の一機能である精神という名の肉体を超えた支配力を見てとって脳のはたらきの恐ろしさを思うのです。自殺をすれば、肉体の一部である脳も死んでしまうのだけれども、脳は苦痛として認識される自分の負担を解放するためにいのちに自殺を選ばせる。どんなに内気な人の脳であってもその脳は少なくとも自分自身については自分自身の支配者だと思っている。だから自殺が出来るわけでしょう。 自分の苦しみから逃れるために脳は死を選び取る。このような高性能だけれども脆弱で傲慢な脳というものがわたくしの首の上にもついています。これほど強力な脳のはたらきのなかで起こったこととして、わたくしは「土くれの中の親鸞」を見ています。 わたくしの脳はもう、何ヶ月も前からパンク寸前でした。わけが分からなくなってパソコンの前で「なむあみだぶつ」とつぶやいていたこともありました。気が触れたかと思うこともありました。これ以上は考えても得るものがないと思われました。そうこうしているとき、土くれの中のいのちの働きに岳父と親鸞さまを感じたのです。論理をぶっとばして感じていました。 もっとも、肥料の成り立ちだとか肥料の作用だとか多少、論理らしきものは、前回のメールで書きましたがこんなものは取って付けた様な話しでして論理でもなんでもございません。要するに大事なのはわたくしが感じたことだったのです。 おおむかしのことで記憶も定かではないのですが、かみさんにプロポーズしたときのことです。なんでかみさんが好きかを山ほど言い立てたようには記憶していますけれども実はそんな理屈はどうでもよかったのです。かみさんだからよかった。今回わたくしが感じたものもこれらに類する感情ではなかったかと、むかしをなつかしく思い出したりしました。 理屈をつけたのは照れ隠しでした。理詰めで得た理解ではありませんでした。そうではなくて、わたくしは論理が行き詰まったまったところで感じたのです。これが事実です。感じたのです。わたくしは自分の感じたことを論理に合わないからといって否定しません。感じたのは事実だからです。わたくしのあたまはポンコツだといっても、ロジックだけしか理解できないパソコン頭ではないつもりです。善きにつけ悪しきにつけ感情の動物です。ただ、この感情が成した大発見をどう説明すればいいのでしょう。それが分からない。 先ず最初に、自分自身にどう説明すればいいのでしょう? 簡単には説明できません。わたくしの脳の中でなにが起きたのか。自分のことを自分に理解出来るように自分で説明できない。なにが起きたのか、これを明らかにすることはたいへん大事なことだと考えています。 これが分かればわたくしがこれまで論理に頼っては理解できなかったことの殆んど全てがわかってしまうような回路を脳内に再構成できるのではないかと予感します。なぜなら、それは単なる感覚のレベルで得られただけのものではなかったからです。 度重なる思索を重ねた上で感覚が後から得られることになったものだけれども、論理に由らずして身体が納得できる回答を得ることができたということはそのような可能性が脳内に潜在していたことになるからです。この回路を随意に構成することが出来れば思考は各段にスピードアップするはずです。そうすれば、これまで認識できなかった多くのことが認識できるようになるはずです。このことを証明し再現し獲得しなければわたくしは白昼の一瞬のゆめまぼろしを見ただけのことになってしまいます。 御院さま、わたくしは感謝感激だけに浸ってばかりはおれなくなりました。またまたこのような大きな難題にぶつかってしまいました。わたくしの発想方法、観点は宗教的ではないだろうけれども、マッキントッシュとウインドゥズの違いがあるように、それぞれのやり方でどこまでやれるか、いまさら慌てて借り物の「OS」を組み込むよりは使い慣れた自分なりの「OS」を使ってやってみたいと思います。 どうか、おちからをお貸しください。そして、今回の根本の発見、つまり、土くれからわたくしまで一切を育んで下 さっているはたらきをわたくしがあなどったり忘れたりしませんように、根本のところを外さないようにお導き下さい。 あまりにもすごいことなので信じられない気持ちです。気付かせてくださった御院さまと諸々の機縁にお礼申し上げます。わたくしと万物を存在せしめて下さっているはたらきに感謝します。仏様の智慧と大慈悲に感謝いたします。全ての如来、菩薩、羅漢、仏弟子、そして御同朋の皆様に礼拝合掌いたします。阿弥陀さまに重ねて礼拝いたします。 平成十四年八月十七日
追伸; 息子が盆の後片付けに行くかみさんと今日、紫竹へ参りました。盆が終ってから行くなんてと思うものの行ってくれるだけでもうれしいです。 おやすみなさいませ。 KK
真の発見の旅とは Kさんは、新しい目を持たれました。古い目(理性)でなく、その新しい目(感性)で、身の回りを眺めてご覧になってみてください。世界は、新たな輝きを放っているかもしれません。『阿弥陀経』には、「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」(青色のものは青い光を、黄色のものは黄色い光を、赤色のものは赤い光を、白色のものは白い光を放っている)とあります。それが世界の真実相ではないでしょうか。 お感じになっておられるように、私たちは、生かされて生きています。私たちを生かしている「パワー」とは、老子が「道」(タオ)と呼び、釈尊が「法」(ダルマ)と呼んでいるものでしょう。 「法」とは、「無常」を生み出しているエネルギーのことだと思います。その「無常」に「苦」を見るのが凡夫の目で、「無常」に、私たちを生かしているエネルギーを見る、慈悲の光を見るのが、仏陀の目ではないでしょうか。 齢80となり、死期を悟られた釈尊が、生まれ故郷のカピラヴァットゥをめざして最後の旅に出られたときのことです。ヴェーサーリーという商業都市を、丘の上から振り返って、釈尊は、こうつぶやかれたそうです。「ヴェーサーリーは楽しい、…世界は甘美だ」と。
残暑厳しき候、ご自愛を念じあげます。合掌
真の発見の旅とは このような素晴らしい言葉をご紹介くださってありがとうございます。仕事にしろ、人生観にしろ、ついつい経験に流されて新しい目を曇らせてしまっていた今日この頃でした。なにごとにつけても深く観察し、あきらめないでよく考えるということの大切さを改めて噛みしめました。 確かにわたくしは偶然にも新しい発見をいたしました。偶然とは言え、諦めなかったのがよかったのかもしれません。ほんとは、もう、かなりギブアップの手前だったのですけれども。だから御院さまにはさんざん噛みつくは、泣き言は言うはでした。よくも、まぁ、お付き合い下さってありがとうございました。 驚天動地のこの新しい大発見は実は新しくも何ともないのですけれども。二千五百年も前にお釈迦さまが指摘された、「ダルマ」であろうし、三千世界に満ち溢れる慈悲の姿だったのだろうけれどもわたくしはガッツポーズをきめたいくらい親鸞さまや岳父を感じることの出来得た自分を素晴らしいと思って有頂天です。 しかし、この新たに発見された感性に従って表現すれば、これもまた、わたくしが発見したのではなく、慈悲の力そのものの働きによって「気付かせて頂いた」と言うほうが正確なように思われます。この慈悲の力がわたくしに対して“気付かせてやろう”と働いた因縁を思うと上はお釈迦さまから身近には岳父や御院さまに至るまで、かたじけなくも有り難いと思うことばかりです。 わたくしは子供のころ、神道の「おやしろ」をたたき壊し、「御神体」を剥き出してばちが当たるかどうか実験したことがあります。どえらい説教を喰らったけれども、ばちはあたりませんでした。この実験によって「鰯のあたまも信心から」という格言が「鰯のあたまのようなものまで崇めれば神様になるという迷信」を意味していることの証明をすることが出来ました。おなじころ、ミミズにしょんべんをひっかけてオチンチンが腫れるかどうかの実験もしました。こちらのほうは、オチンチンが見事に腫れあがって、痛い目にあいました。なにもかもが新しかった子供のころ。それから四十年。革命的な「新しい目」に気づかされた歓びはひとしおです。 通勤の駅までの道すがらの路地に石をいくつか並べたお地蔵さまがおいでになります。手を合わせてお参りするようになりました。合掌するわたくしのそばを足早に通り過ぎながらじろじろ見ているサラリーマンやOLの視線を感じますが、関係ありません。このお地蔵さまがただの石ころであろうが、タヌキの化けたのであろうが、それも関係ありません。ただの石ころにダルマを感じるのです。だからお地蔵さまです。ただの石ころに慈悲を感じるのです。だからお地蔵さまです。ただの石ころに自分を感じるのです。だからお地蔵さまです。ただ存在するものに自分を感じるのです。だからお地蔵さまです。そして存在しなくなったものに思いをはせるのです。だから手を合わせたくなります。 時間があれば、もっともっと考えることが出来るのに、忙しすぎるのが残念です。この大発見でむかしの人たちとこころを共有して歴史を見ることが出来るようになっただけでもすごいことです。これまでは、お地蔵さまひとつにしても、そこに、「お地蔵さま」という名称の花崗岩質の石のオブジェが存在しているという認識にとどまっていたのですから。むかしの人には字も読めなかった人が多かったというのに、わたくしがこの歳になるまで発見できなかったことを、むかしはこの路地のあたりに住む多くの住人が知っていたとはおどろきです。石の塊りをお地蔵さまとしておまつりすると言うことはそこに、ほとけさまの働きを見ているからこそできること。むかしの人はすごいと思います。 五十年間生きて来て、ようやく得ることの出来たこのすばらしい感性の発見を認識にまで高めて整理しておきたいのですが立ち止まって考えている時間がありません。日常に流されて忘れてしまってはどうしよう、と心配しながらの毎日です。 先にご紹介のあった三冊のご本のうち、まだお手許に残っているものがございましたら、いずれか一冊をお貸しいただけませんでしょうか。毎度毎度、あつかましいことで相済みません。忙しくて嫌になるけれども、今日一日を生きたことを感謝します。紫雲寺さまの阿弥陀さまにもよろしくお伝え下さいませ。では、おやすみなさいませ。 KK
平湯で御厄介になり、「菩提樹」をご送付賜り早39号、10年をこえました。恥ずかしながら十分な御寄付も出来ておりませんところ欠かさず御送付賜り恐縮致しております。途中般若氏他界の号では我ながら成す術も無く恥ずかしい限りでした。今号で「心の構造」の御説のところがとても気になりHPを拝見させていただきました。法話のいたるところが今の小生には感銘を受けることばかりでございます。更に、HPに記載されているさまざまな便りへの明解なお話には、感心しきりでございます。我がことと合わせて拝読させていただいておりました。 そんな中、3年前の心の病はなかなか完治せず悶々と過ごしてきておりました。弱い自分にほとほと情けなく思っておりました折、人の眼に合わせて取り繕っていた自分に気付き、やっと我を取り戻したような気になって参りました。 サラリーマンとして自分が置かれた立場の成果を焦り、我を忘れていたと言えます。おぼろな信念を念じて日々過ごしているところです。中身は御理解していただけるような内容ではありませんが、人並みに念ずる意味を感じつつあるところと思っております。 こんないい加減な状況の小生、恥を承知でお尋ねしたいことがあります。「瞑想」はどのようにするものなのか「いろは」から御教授願えませんでしょうか? 一時妄想が消え失せ、自分本来の心象世界を取り戻せるとか、と浅知恵です。なんとか自分を取り戻したい、自分本来の心を見い出したいと考えております。いろはの入り口から御教授賜りたくお願い申し上げます。
メールを賜りお礼申し上げるべきところ、勝手なお願いを申し上げ誠に申し訳ありませんが、こんな甘えごとをお聞き届けいただきたくどうかよろしくお願いします。 S
平湯でのご縁も、ことのほか懐かしく思い出されます。ご子息がたも、さぞ、ご立派にご成長なさったことと拝察いたしております。当時、S様より、お送り頂きました「プルトップ虫」は、今も、書棚に飾っております。このたびは、紫雲寺のホームページにお立ち寄り頂き、お便りを頂戴いたしましたこと、有り難く存じております。9日から福井の郷里の法要に出かけておりまして、昨夜(11日)京都に戻りました。お返事を差し上げますのが遅くなり、大変失礼いたしました。 昨夜来、貴信を何度も拝読いたしました。「瞑想」は、決して難しいものではありません。お考えの通り、「瞑想」には、心に平安を取り戻し、本来の自分を回復する働きがあります。ただ、あまり即効的な効果は期待できません。また、「瞑想」は、競争社会(世間)で有利に生きていくための技術ではありません。むしろ、競争に固着している心を引き剥がす、出世間の技法です。その点、前もってご了解を賜りたく存じます。 「瞑想」にはいろいろ種類がありますが、法話でご紹介いたしておりますのは「念仏瞑想行」です。「念仏」云々と申しましても、宗教色はほとんどございません。詳しくは、法話集・第2話「お念仏になる…お念仏行を実践するうえでのコツ」に書かせて頂きましたが、ご参考までに、ハウ・ツーの部分を、以下に抜粋再録いたします。何かお役に立てば、有り難く存じます。(…「釈昇空法話集・第2話」より抜粋再録文、省略…) 「瞑想」の前に、一度、鏡の前に立って、お確かめになってみてください。眉間に深い立て皺が寄っていないでしょうか。口で呼吸なさっていないでしょうか。肩が上がって、胸で呼吸なさっていないでしょうか。…いかがでしょうか。もし、そうなら、眉間の皺が伸びるほど、思いっきり微笑んでみてください。決して冗談ではありません。大真面目な話です。体と心は不可分なのですから、面白いことなど全くなくとも、顔が緩めば、心も一息つくことになります。 口で呼吸なさっているようなら、鼻で呼吸するようになさってください。また、肩が上がって、胸で呼吸なさっているようなら、腹で呼吸するようになさってください。要領は、まず、腹の上にそっと手を置いて、腹を引っ込めながら、ゆっくりと鼻から息を吐きます。吐ききったら、腹の力をすとんと抜く。そうすると、自然に、肺に空気がすっと入ってきます。 私たちの人生は、誕生時の「呼気」に始まり、臨終時の「吸気」に終わります。呼吸は、吐くことから始まり、吸うことで終わります。呼吸でも、価値観でも、何でもそうでしょうけれど、まずは、今持っているものを手放さないことには、新たなものを受け入れることはできないかと思います。「瞑想」は、何かを手に入れるためにあるのではなく、手放すためにあるのでございます。
ご都合の宜しいときに、ご意見など、お聞かせ頂ければ、有り難く存じます。また、お目にかかれるご縁を頂けますよう、念じあげますとともに、S様、ご一同様の、ますますのご健勝を、心より念じあげます。奥様にも宜しくお伝えくださいませ。合掌
「競争社会(世間)で有利に生きていくための技術ではありません。むしろ、競争に固着している心を引き剥がす、出世間の技法です」。この御教授の文言を忘れることなく再度熟読させていただき「やってみます」。 いろはの入り口を御教授賜り、一筋の光を感じさせていただく事が出来ました。心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。 甘え言をお聞き届け賜り、御教授いただけた我が身の成果をお伝えできるよう「やってみます」。誠に御無礼ながら私事のみ記させていただきました。 S
ところで、夜話の中にある「門徒もの知らず」についてですが、その語源が「物忌み知らず」であるとの説をよく聞きます。しかし、個人的にはその説に疑問を感じておりましたので、自分でも文献を探したり、人に聞いたりしたのですが、その根拠となる文献資料を見つけることが出来ませんでした。
そこでお聞きしたいのですが、「もの忌み知らず」が語源であるとする根拠となる文献をご存じでしたらお教え願えないかと思ってメールさせていただきました。よろしくお願いします。 浄土真宗本願寺派 H寺住職 HK
あるいは、「門徒もの知らず」という宗門外部からの言葉に応えて、「門徒物忌み知らず」という言葉ができたのかも知れません。また、真宗を「かんまん宗」と呼ぶ地方もあるそうですが、いずれも、定かな出典のない俗言ではないかと存じます。
お役に立つお返事が差し上げられず、申し訳なく存じます。今後とも、宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
小学館のことわざ大辞典には「門徒もの知らず、法華骨なし、禅宗銭なし、浄土情なし」と、各宗を語呂合わせであざける表現がありますから、民間で誰かが言い出し一般に使われていた表現は「門徒もの知らず」だと考えています。 「門徒もの知らず」は、弥陀一仏を信じひたすら念仏をし、他の神仏を顧みず、俗信や迷信を信じない態度を、他の宗派の人々が言ったものだという定義が一般的です。それを「もの忌み」に限定することは、本来の大切な意味を損なうことになると考えています。「もの忌み」からは、他の神仏を顧みないことや、迷信俗信を信じないという態度に関係する意味は出てこないと思うのです。 「物忌み知らず」語源説のような情報は、お説教で誰かが話されると、根拠を確かめることなく二次使用されて広がっていきます。話なら、その場で消えても、本や活字になると、その説が固定化するようです。いくつかの本に、その説が断定的に紹介され、そういった本を参考資料にされるホームページでは、驚くほど「物忌み知らず」語源説が広まっているようです。ホームページの情報は、一時的でそれ程オープンなものではないので、問題は少ないかもしれませんが、参考にされる本の著者は、引用には気をつけないといけないと考えています。 お返事ありがとうございました。この件については、もう少し調べてみます。 HK
ご指摘を頂きました件でございますが、ただいま確認いたしましたところ、坊外編は全文読み込めました。サーバーにも問題はないようでございます。あるいは原稿の分量等の関係で、読み込みに多少時間がかかるかもしれませんが、もう一度お試しになってみてください。今後とも、宜しくお願い申し上げます。合掌
私の居住地の富山は、昨日より雪が降りまして路面は凍り付いております。そのおかげなのか、仕事が暇で、貴方のHPを見つけることが出来ました。 たまたま昨日、息子と試験問題を見ながら( )内に入れる言葉が浄土教、末法思想のどちらがより適切であるかの議論をしており、自信がないことから、インターネット上ではどのようなことが言われているのか調べてみようと思い立ったのでありました。 所謂俗世に生きる凡夫でありまして、また職業がたまたま医師で、今まで仏教思想を学ぶ気すらなく、現代日本の技術の多くはキリスト教文明に立脚していると信じて疑いませんでした。(実は今でもそうだと思ってもいるのですが、、、) 最近になりイスラム教の驚くほどの発展ぶりに目を見張り、宗教とはいったいどのようなものなのか、思想史という観点からではなく、考えてみたくなりました。 といいますのも、宗教に関心を持つと、7年ほど前の自称宗教団体の事件のようにワレを見失ってしまうのではないかという恐怖感があってなかなか思い切れなかった部分があったのですが、イスラム教なら多分日本人の価値観とは大きく違っているだろうから、みょうに影響されることもあるまいと思ったわけです。 いざ、その関係の書物等を当たってみると、これが思ったより素晴らしいということに今更ながら気づきまして、今までいろんな意味で回り道をしすぎていたのではないかと思うようにさえなりました。 貴方のHPの記事にもかなり心を揺り動かされています。寺請け檀家制度の影響なのか、日本の仏教は、というより、日本には宗教がないと思っていたのですが、貴方のHP上に書かれている文言の一言一言に感じ入っています。 なかなかどうして日本の宗教も捨てたものではないぞと認識できた事に対し深く感謝し感激していることをお伝えしたくてmailさせていただいたような次第です。
医師は本来の意味での宗教家とは一線を画すべきといまだに思っている所謂凡夫の私ではありますが、今後のますますのご活躍をお祈りいたしております。 SY
社会の変化によって宗教的価値観も変わって然るべきものだと思うのですがソレを認めようとしない、あるいは認めることによって生じる議論を避けようとする僧の方々が日本の仏教を駄目にしているように思えて仕方なかったのですが少し考え方を変える必要を感じ嬉しく思っております。 http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/religion.htm と言うHPを見つけました。この中には「仏陀とは、インドの古典語であるサンスクリット(梵語)のブッダBuddha「(真理に)目覚めた人」に漢字を宛てたもので、もともとは宗教的聖者を呼ぶ一般的な語であった」と記載されています。
私の今までのブッダの解釈はどちらかというと、これに近いのですが、貴僧の見解をお聞かせ願えれば幸甚です。 SY
お考えのとおり、仏教の興起時代には、「ブッダ」というのは「覚者、目覚めた人」を意味する一般的な言葉だったと言われております。サーリプッタなどの仏弟子たちも「ブッダ」と呼ばれておりましたし、釈尊と同時代人であるジャイナ教の開祖マハーヴィーラも、同じく「ブッダ」と呼ばれておりました。 「ブッダ」とは「目覚めた人」のことです。つまりは、古代インドには、私たちは迷いの世界にまどろんでいて「目覚めていない」のだという共通の理解があったのです。修行者たちが目指したのは「目覚めること」でした。これに関連した記事を、以前、ホームページにも書かせて頂いておりますので、以下に引用再録いたします。 …… 現代の私たちは、仏教といえば、釈尊(シャカ族出身の偉大な聖者)の創始した教えのように思い込んでいますが、どうもそうではないようです。釈尊以前から、過去の仏陀への信仰が非アーリア系の民俗宗教として存在し、ゴータマは、その伝統のなかで、仏陀になることをめざして出家したようなのです。 たとえば、ゴータマが誕生したとき、アシタ仙人はその人相を占って、「この王子は、もし出家すれば、精神界の王者として、人類を指導救済する仏陀となられるでしょう」と予言したと言われます。また、祇園精舎の施主として名高いスダッタ長者は、「仏陀という名を聞くことさえ難しいのに、本当に仏陀がおられるとは」と、仏陀の出現を聞いて大いに驚いています。つまり、当時の人々は、「仏陀」という言葉が何を意味するかよく知っていて、精神世界の救世主たる仏陀の出現を待望していたということです。 釈尊も、「真理へ至る道は自分の独創で作り出したものではなく、忘れられていた古聖の道を再発見しただけだ」とおっしゃっていますが、その「真理へ至る道」とは「仏陀(目覚めた人)になる方法」のことでした。当時、「仏陀」というのは固有名詞ではありませんでした。真理に目覚めた人はみな仏陀だったのです。現に、サーリプッタも仏陀と呼ばれていました。 …… 当時は、真理に目覚めた人の呼称として、「ブッダ」の他に「ジナ」(勝者)という言葉も用いられておりまして、釈尊が「ジナ」と呼ばれることもありました。ですが、早い時期に、「ブッダ」は仏教の開祖の呼称として、また、「ジナ」はジャイナ教の開祖の呼称として固有名詞化したようです。
こういった釈尊在世時代の仏教にご関心がおありでしたら、ホームページに掲載いたしております「仏教夜話」の「仏弟子群像」などをご覧下さいませ。合掌
実はおたずねしたかったことの真意はもう少し別な部分にあるのですが、露骨に書くのはあまりに失礼かと思います。かといって回りくどく結論を引き出そうという手続きもかえって聞かれる方は腹立たしいものと思いますので、このくらいにしておいた方が良いかと思っています。
勿論お許しをいただければ、率直にご質問したいのですが、、。いずれにせよ本当に有り難うございました。 SY
「ブッダ」とは「目覚めた人」のことです。仏教は、その「目覚めた人」の説かれた「目覚める」ための教えです。つまりは、仏教で問題になっているのは、迷いの世界でまどろんでいる「私」であって、迷いの「世界」ではないのです。仏教は、自分の都合に合わせて世界を変えるための教えではなく、「私」が変わるための教えなのです。 ところが、私たちの目は外を向いて付いているものですから、外の世界ばかり見ていて、「あいつが悪い、こいつが間違っている」となりがちで、いつまでも「私」が問題にならないのですね。他人は変わらなくともよいのです。変わるべきは、不安や恐れや憎しみでいっぱいになっている「私」なのです。
仏教は、社会変革の教えではなく、自己変革の教えなのです。「法話集」等でも、社会の事柄を手掛かりにいたしてはおりますけれど、もっぱら「私」に焦点を絞ってお話させて頂いているつもりでございます。お暇なおりにでも、ホームページをご散策頂いて、ご賢察賜りますれば幸甚に存じます。今後とも宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
前述のように、貴僧の僧としての立場は理解しているつもりではあるのですが、正直申し上げて、教典にどう書いてあるかということには興味がありません。仏教を学ばれ、勝つ今後発展の重要な役割を担われるであろう貴僧ご自身のお考えをお聞かせ願いたいのです。 すなわち、私が思うに宗教などと言うものはその始まりはかなりインチキ臭い物であったろうということです。キリストが石をパンに変えたなどという話があることからもソレはうかがい知ることが出来るとおもいますが如何でしょうか。 しかし遙か昔においては、大衆は文字を持たず、学ぶことの意味も分からなかった、さらに詳しい背景は分かりませんが、歴史のな変革期には、中国の諸子百家に代表されるような、多くの思想家が輩出してくる時期がある。この時期は人々の何かにすがりたいという思いが強くなっている時期でブッダが沢山出たという伝承も時代背景を如実に物語っている。 しかし、少なくともインド地方でその中でよりマシなものが、今の仏教なのではないか? ただ、釈迦が生まれたときに偉人になると預言した人がいるとのことですが、その話はお笑いです。私が生まれたときのうちの長男が生まれたときも、親戚の中の一人や二人は”この子は大物になる”と言うものです。小国とはいえ王子は王子、ゴマスリは大勢いたでしょう。 しかし、こういった話は後生、さももっともらしく脚色されていく。ソレは弟子と称する人々が殆どの場合そうとしての自分の生活のためにすることだろうと思うのです。これは一見堕落のように見えますが、そうではない、そうやって信者を増やし、僧の生活を楽にしていこうとする努力こそが宗教を発展させる、今流に言う市場原理というやつと思うのです。タダその脚色を盲目的に信じ、信者に強要するのはばかげています、それではオウムと何ら変わらない。脚色は脚色と見る目は必要だと思うのです。 もう少し言えば、この王子は、もし出家すれば、精神界の王者として、・・・・云々。だからブッダの素晴らしい、だから仏教は良いという解釈は、大衆が文字さえ理解していない時代には通用しても現代人からは受け入れられないと思うのです。 仏教は成立当時は、あまりたいした物でもなかった、しかし後年に弟子達の不断の努力によって世界性と普遍性を増していった。当時多数の仏陀が輩出していたということを記載している人たちの意図はここにあるのではないかと思うのです。
もしお腹立ちのことであればソレもごもっともと思いますが、率直な疑問です。非礼であれば伏してお詫び申し上げます。 SY
何年もかかって、ようやく分かったことは、宗教の本質は「無我」の体験にあるということです。私たちは「自我」の繭に包まれて、「現実」と呼ばれる夢を見ているのです。この「自我」の殻が破られたときに、「いのちの真実」が感得される。それが「無我」の体験です。おなじみの言葉で言えば、私たちは「目覚めていない」のです。宗教の本質は「目覚めること」にあるのです。これは、仏教に限らず、どの宗教でも同じことだと思います。 Y様が疑問に思われているようなことは、大なり小なり、かつて私自身も疑問に思ったことです。そういった疑問に対して、現在の私がどのように考えているかは、ホームページの「法話集」等をつぶさにご覧になればご理解頂けることかと存じますので、どうぞ、そちらをお読み頂きますようお願い申し上げます。ただ、今回ご質問頂きました事柄に関しましては、以下に簡略にお応え申し上げます。
(1)「宗教の始まりはかなりインチキ臭い物であった」等、について。 シャーマンたちは、変性意識状態のなかで、いわゆる「現実」とは違った世界の存在に気づいたのです。「世界」と言っても、存在論的な問題というより、認識論的な問題かもしれませんが、ともかく、シャーマンたちは、「自我」という捕らわれの時空間から抜け出ることができたのです。通説とは異なるかもしれませんが、宗教というものは、この延長線上に深められ洗練されていったものだと、私は考えております。 まあ、それが「インチキ臭い物」だとお考えならいたしかたありませんが、本当に「インチキ臭い物」は、宗教体験を欠く教団宗教になってから生まれてくるのではないかと思いますね。 「キリストが石をパンに変えた」という話は、私はキリスト教に詳しくありませんので存じません。ただ、イエスは、荒野で40日間断食したときに、悪魔が「お前が神の子ならば、これらの石がパンになるように命じよ」と言ったのに対して、「人はパンだけで生きるのではない」と、悪魔を退けた話は有名です。また、イエスが、5つのパンと2匹の魚を奇跡的に増大させたという話も聖書に出てきます。いずれにせよ、歴史的事実というよりは神話的な話ですから、比喩的に解されるべきものかと存じます。
(2)「大衆は文字も持たず、学ぶことの意味も分からなかった」云々、について。 「ブッダが沢山出た」ということは、前便でもお話いたしましたように、当時の修行者たちはみな「ブッダ」になること、「目覚めること」を目指していたのですから、不思議なことではありません。「ブッダ」という言葉は固有名詞ではなかったのですから、現在の新興宗教の教祖たちが「自分はブッダだ」と言うのとは訳が違ったのです。おそらく、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラも仏教の開祖ゴータマも、同じ世界を体験したのでしょう。ですが、体験した世界が同じでも、異なる個性のフィルターを通して説かれるときには、別の形をとるものかと思います。 「インド地方でその中でよりマシなものが、今の仏教ではないか」。これはどうでしょうか。マシかどうか分かりませんが、真性の宗教体験を伴った教えであれば、あとは受け取る側の向き不向きの問題かと存じます。あらゆる宗教を覗いてみて、ひとつの宗教を選ぶという人は、まずありません。宗教との出会いは縁です。いろいろ宗教の本を読んで理屈をこねても、出会わない人は出会わないのです。 仏教が現代まで伝わっているのは、歴史的な事情なども多分に影響してのことでしょうから、一概に「マシ」だから残ったのかどうかは分かりません。いわば結果論のようなものです。ですが、「マシ」だったとお考えになるとしても、少なくとも、代わり映えのしない立候補者のなかから、「こいつの方がマシか」というのとは、趣が違うのではないかと思いますが、如何でしょうか。
(3)「釈尊誕生時の予言」等、について。 ただ、前便でもお話いたしましたように、問題は、「仏陀になる」という言葉が用いられているところにあるのです。つまり、当時の人々は「仏陀」という言葉が何を意味するのかよく知っていたということが、ここから分かるわけです。そういう当時の事情を知るうえで、この予言の言葉は意味があるのです。
(4)「こういった話は後生、さももっともらしく脚色されていく」云々、について。 たしかに、教典のなかには神話的な物語が潤沢に盛り込まれておりますから、「脚色は脚色とみる目は必要だ」とおっしゃるのはよく分かりますし、「その脚色を盲目的に信じて、信者に強要するのはばかげている」とおっしゃるお気持ちも理解できます。私自身も、神話的な物語よりも歴史的仏陀像を求めておりますから、基本的には、お考えに賛成です。 ただ、信仰の歴史を見ると、そういった荒唐無稽な脚色すらも、「自我」の殻を打ち破る引き金として働くことがあるのですね。それは、騙されているというのとは、少し違うのではないかと思います。信仰の外側に立つ者と、当事者とでは、受け止め方が違うということでしょう。 「仏教は成立当時は、あまりたいした物でなかった」とおっしゃっているのは、仏教信者の数という意味では、その通りです。と申しますのは、今でも事情は似たようなものですが、手軽に御利益を求める人は多くとも、「自分が変わる」という自己変革を求める人は、あまり多くはなかったからです。
「いのちの真実」へと続く仏法の門は、全ての人に向かって開かれています。ですが、その門をくぐる人は、ほんのわずかです。それはそれでよいのでしょう。信仰は、他人を変えるためにあるのではなくて、自分が変わるためにあるのですから。仏法にご縁を頂いたことを、有り難く存じております。合掌
実は昨日知人のご母堂様の通夜式がありまして、宗教関係の方であったせいもあり、40人近くの僧が集まって、、、荘厳な物でした。さすがに40人の合唱は人をしてその気にさせます。ノートルダム寺院のステンドグラスから差し込む日の光を見たときの体験に似ておりました。 しかし、法話たるや、惨憺たる物で、とても聞くに堪えない、話す内容は理解できるのですが文章になっていない。とても人前で話せる代物ではない。同じ地域に住む者として恥ずかしい、、、、。今まで聞いた法話の殆どはそうです。所が、その坊さんが家に出張してくると、これがまた偉そうで、祖母などは盲目的にひれ伏すだけでしたが、。 確かにこのあたりから、宗教に対する嫌悪感が生まれているかも知れません。しかし、本当にそうかなという思いもあります。殆どの人は、宗教行事をして、”ナァーニ、チョット我慢すればすぐ終わるさ、お寺の話なんて、聞き流しておけばいいよ”程度のことなのでないかと思うのです。 ところで、自我に関するご指摘ですが、実は所謂俗世で言う自我と、宗教家の言う自我はかなり違うものなのだろうと思います。どうも私にはこの自我と無我が理解できにくい。無我とは煩悩のないこと、、ではないのかも知れませんが、仮にそうだとすると、無我を求めることこそが現代社会と仏教が相反する対局に位置する印象を与えているように思えるのです。 ヘンなたとえかも知れませんが、最近40代も半ばとなり、女性に対する興味が薄れて参りました。楽で楽で、煩悩から解放されるというのはこの境地かと。しかし、本来はこれは解放ではなく堕落、老化であり向上心の欠如につながる事は明々白々。 実はキリスト教に関しても、詳しくは知りませんし、しかし一応登録上は私も仏教徒なのだろうと思うのですが、精神世界の中では多分仏教徒ではないと思うのです。ある物理学者が、大統一理論に関してこんな事を言いました。”神がこの宇宙を作りたもうたときに、あれやこれや、原理の異なる複雑怪奇な力をお考えになりと思うか? 大統一理論は、単純明快で美しい式で表されるに違いない” この言葉を聞いて、これだ!!。と思いました。彼らは煩悩を否定しない、自分たちが神に近い存在であり神の根本原理を知ることで、暮らしが豊かになると信じているというか信じる文化がある。科学をやっている人の殆どは自覚するかしないかは別としてキリスト教的精神世界にいるのではないか。キリスト教でも煩悩的な物から逃れれば、楽になれるという教義はあったように思うのですが、俗世の進歩の中でとうの昔にゴミ箱の底になってしまっている。宗教はそうあるべきと思うのです。 そこで伺いたいのですが、無我は、煩悩からの解放を意味するのでしょうか? 煩悩からの解放は、そういう生活をしていると楽だよと言っているだけで、仏教ではソレを信者に求めることはないのでしょうか? 時々煩悩が云々と言っているのを聞くと煩悩を取り去れと言うように聞こえます。貴僧のお考えはどうでしょうか?。 続いてシャーマンのお話ですが、今僕たちがニューギニアなどで眼にするシャーマンと、当時のシャーマンとは同じであるとは思わないのですが、あれはてんかん発作だと思います。あるいは麻薬による幻覚。しかし、そのてんかん持ちが、割と素直な性格で、ある種の考えを吹き込めばその通りと信じ込む場合には、集団の政治的思惑に利用された。この流れはむしろ仏教より、イスラム教など直接統治に関わる宗教で著しいように思うのですが、、。つまりシャーマニズムは宗教の観点からではなく、政治学の観点から熱かった方が良いのではないか? と思うのですが如何でしょう? 仏教が生き残ったことに関しては、マシだからではなくカードを一枚引くような偶然の産物であるという事ですか? そういうご主旨であれば賛成です。 通夜式等に出ているといつも思うのですが、あれはロックコンサートだったのではないかと、、。綺麗な袈裟を着てお経を歌い音をならす、ローソクの炎に映るその光景は有り難くも神々しい。これは今でもアメリカ中西部の教会では日常の出来事でゴスペルなどを歌って盛り上がっている。 かつては日本でも僧達のこういった努力があったが、いまや信者獲得の努力をする僧は殆どいない。だから儀式は伝統にこだわりすぎているし僧の話は面白くない。たとえばアメリカに置いてテロの後教会でミサや集会が行われるのは、彼らがコミュニティーとして世間から認知されているから。しかし日本において少なくとも生産活動の中心となっている年代では寺を中心としたコミュニティーがあるという話は聞いたことがない。 宗教による政治の支配はあって良いのではないかと思います。政教分離は近代政治の常識のように言われていますがブッシュ親子はその演説の中にことあるごとに神を持ち出す。ソレはアメリカ国民が宗教上の支配を毛嫌いしていない事の証だろうと思います。しかし、日本で”御仏の心にかなう政治”などと言ったら政治生命は終わりでしょう。ソレは仏教界が今まであまりにも努力をしてこなかったからではないでしょうか? 宗教による政治支配堕落ではない。宗教を時代に合うように洗練しようとする努力をしないで、大昔に書かれた教典に頼っているのは、なんだか、旧共産党を見るようだと思うのですが如何でしょうか? 政教分離を盾に世俗からから超越いるということを目指しているなら情けない、ソレは超越ではなく逃避であると思うのですが如何でしょうか。
仏教的発想、日本文化の独自性、すばらしさを維持発展していくためには現状はあまりにも、、あまりにもと思うのです。貴僧のHPに、ルターやカルバンのような改革の雰囲気を感じ、嬉しく思ったのですが、これは貴僧の本意でしょうか? 貴僧のお心にはますます感謝の念を強くしております。 SY
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