お便り&お返事 (2004年)

更新:2004年12月29日



おめでとうございます 2004年1月2日(金)
 伴戸君 おめでとうございます。いつも、冊子を御送付くださりありがとうございます。迷走するこの国の次代を背負う、しっかりとした考え方が、根付くように、これからも、静かに語って下さい。SF



滋賀県のF先生へ
頌春ご挨拶 2004年1月5日(月)
 F先生 謹んで新春のお慶びを申し上げます。ご無沙汰いたしております。如何お過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。いつも『菩提樹』にお目通し頂き、有り難うございます。頼りないパンフレットでございますが、今後とも宜しくご指導賜りますようお願い申し上げます。合掌




今年もよろしく、お願い申し上げます。 2004年1月2日(金)
 新年をいかがお過ごしでしょうか。例年、賀状を出さない主義ですし、今年は昨年親爺を亡くしましたから世間のしきたりでは「おめでとうございます」とは申してはいけないそうですので「新年あけまして……もぞもぞもぞ……」でございます。

 もっとも、わたくしなどは新年の祝賀もこれまた世間のしきたりで差し障りなくめでたそうなことを斯く申しておりますだけのことでして、近頃は新年を迎えるたびに漢詩「除夜ノ作(高適)」の結句、「双鬢明朝又一年」を「……もぞもぞもぞ……」とつぶやくのがおおみそか恒例の習慣になり、本心からはめでたい気分にはなれません。

 今年は何年かぶりに旅先ではなく自宅で新年を迎えられたのにあいかわらずの新年でありました。せっかくこちらに居るのだからご院さんのところへ行きたいなぁ、日頃、さっぱりお念仏のこと忘れとるのだから正月ぐらい仏さまに手を合わせとかんと不義理が過ぎるぞ、しかし、ご院さんは正月はゆっくりしたいとおっしゃっていたしなぁ、どうしようかなぁと思っているところへ風邪をひいてしまい、結局、行くべきか、行かざるべきか考える手間もなくなってしまいました。

 大事なご院さまのおからだにsarsまがいの風邪をうつしてしまっては大変なので正月はお邪魔をしないことに致しました。それでホームページにやって来て長居をして一日。ご院さんのお話しを聞きなおして、これから帰るところです。なかなか、ホームページでお話しを聞く(読む)のもいいものですね。メリットは、ゆっくり自分のペースで考えられる。デメリットは、すぐに質問出来ない。でも、考えようによってはこれもメリット。アホな質問をする前にゆっくり考えられる。

 今年の彼岸会と報恩講でのご院さんのお話しは何万ボルトもの電気がバチバチ放電しだしているようでこれからどうなるんだとドキドキしながら拝聴いたしておりました。ご院さんは勇気がおありですね。いや、先代さまがすごい。うちの親爺やったら、たぶん檀家さんの前でわたくしと取っ組み合いしてるでしょうね。

 うちの親爺はね、親爺がわたくしに「一流会社に入れ。会社を一流にしろ。辛抱して働け。俺のようにやって見ろ」というのを、わたくしが五十歳になって全部やってしまって親爺に「勝利宣言」してやったら死んでしもうたんです。

 わたくしはわたくしがここまで頑張れたのも「親爺の後ろ姿があったからだ」なんて、調子のええことは本心では思てません。葬式の会葬御礼挨拶で言うたんはウソです。親爺が偉そうにわたくしには親爺だけのことは出来んようなことをいうから、それならやって見せてやるということで勝負をかけたら、やっつけるのにてこずってしまい、今までかかってしまったというのが真実です。学校かて、結婚かて、家かて、親爺には一銭も出してもらわんかった。金銭を出したるというその親ヅラが憎らしかった。親のツラされるぐらいやったらどんな事でも辛抱したるぞと思て今までやって来たんです。

 「わしは癌か」と聞くからわたくしは「あんたは癌や」とはっきり言ってやりました。せいせいした。いつもふてぶてしくしとるくせに、家族に暴力ばっかのくせに、お婆ちゃんの位牌でさえ仏壇に入れてくれんかったのに自分が死ぬとなると死ぬのが恐いか。と腹で笑てましたわ。わたくしは五十年かかって、ついに天敵をやっつけたのです。

 ところが、わたくしが勝ったと思たら親爺はすぐ死んでしまいよったんです。親爺がこんなに早く死ぬとは思うてませんでした。なんか、メチャむなしい。わたくしは結局、親爺の罠に誘導されとっただけなんかと違うかと思うと、メチャむなしい。わたくしが勝者なのか、親爺が勝者なのか。結局は自分と同じわたくしというクローン息子を造ったことで、親爺は俺の勝ちやと思うて墓の下でほくそえんどるのと違うかと思うと忌まわしいて。忌まわしいて。

 この親爺との勝負のせいで五十年も費やしてしまったのです。ほかにあったかもしれないより良い人生を潰してしまったのかも知れないと思うと、メチャむなしい。そして、いまやわたくしは息子に対してわたくしの親爺と変らん親爺になっている。ああ、おぞましい。ああ、なさけない。これは祟りやおませんか。こんなこと言うても笑わんと聞いてくれはるのん、ご院さんだけでしょ。世間の人は「親爺さんもあんたも苦労してようやったもんや。さすがに親爺さんの……」と言うてくれはるけど、こんなこと言う人間はなんにも分かっとらへん。

 ご院さんは、わたくしが思いもつかなかったことをなさろうとしているのでしょう。それにしても、あの先代さまの余裕はすごい。ご院さんのお話しをじっとお聞きになっている。ご院さんも先代さまもよほど肝が据わっておられる。わたくしにご院さまほどの理性があればなぁ。親爺が先代さまぐらいの人格者やったらなぁ。親爺が生きてくれていたらなぁ。もう一度、やりなおしたい。ごめんな、親爺と思うけど、死んだ人間が帰ってくるわけでなし。いまさら自分の人生がどうなるものでもなし。

 こんな、あんなで昨年はふさぎこんだ一年でした。ですからね、世間では喪中には何か と禁忌があるらしいですが年が明けたので縁起付けに大声でね。「めでたく行こう!」といいたいですね。ご院さまとご家族様にとりまして良き一年でありますように。ホームページに新年早々、長々とお邪魔致しました。KK



伊丹のKK様へ
頌春ご挨拶 2004年1月5日(月)
 拝復 メールを拝受いたしました。有り難うございます。拙い話しかできませんのに、Kさんには、つねづね励まして頂き、恐縮に存じております。私どもは、決して「勇気がある」わけでも、「肝が据わっている」わけでもございません。もしも私に、Kさんの何分の一かでもパワーがあれば、もう少し歯切れの良い生き方ができたのではないかと、お恥ずかしく存じます。

 正月早々から、家内の郷里に疎開いたしておりまして、さきほど帰宅いたしました。お返事が遅くなり、申し訳ございません。どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。合掌




はじめまして 2004年1月22日(木)
 紫雲寺御住職様 初めまして。大阪府池田市在住のSKと申します。味わい深い法話を有り難う御座いました(ホームページの法話をいくつか拝見致しました)。

 こんなことを申し上げては失礼に当たるとは存じますが、正直言って私は今まで真宗の御宗旨というものはもう少し救世主伝的なもののように思っておりました。私の祖父母は曹洞宗でしたし、父は取り立てて信心があるようには見えず、私自身は西田哲学に興味を持ちましたのでむしろ臨在宗の考え方に共感を持ってきました。しかしながら、仏教教団に何の寄与も御布施もしておりませんので、分類すれば私も無信仰と言うことになるのでしょう…

 重ねて失礼な物言いをお詫び致しますが、御法話を拝見しまして、随分禅宗のお坊様のようなことを仰ると思いました。が、それは私の認識が大きく間違っていて、別にそれが禅宗の専売特許ではなくこれが仏教全体に通じる真実なのだと感じ入りました。”童と翁”の御法話の中で「健康であってもよい、なくてもよい、生き甲斐があってもよい、なくてもよい、何があってもなくても、平気で生きておれる人になる。」というくだり、何かしら表現しがたいが心に響くものが御座いました。同じことを目指していても、肩肘張らずにふっと力を抜くような感覚は、やはり他力を意識していらっしゃるからかとも思いました。

 いろいろなことを考えれば考える程、今の社会は変えねばならない、と思いました。しかし、これを変えるのは、子供の教育から変えて行かねばならないでしょう。それをするには親の考えを変えねばならないでしょう。するとどちらが卵でどちらがニワトリかという感じになってしまいますが、自分のまわりから少し筒変わっていくしかないのでしょうね。

 私は、運動のために少林寺拳法というものをやっておりますが、その一支部のウェブサイトを担当しております。(…中略…)拳法は仏教的なところもあり、仏教に興味を持つ拳士もおりますので、是非当支部のホームページに貴寺のウェブサイトへのリンクを張らせて頂きたいのですが、如何でしょうか。

 少林寺の思想的な一端に関しましては、あくまで私の私見では御座いますが、(…中略…)にすこし書いてあります。不躾な願いと存じますが、何卒ご検討お願い申し上げます。お返事お待ち申し上げます。SK



大坂のSK様へ
Re: はじめまして 2004年1月23日(金)
 拝復 メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにご関心をお持ち頂き、有り難うございます。また、拙い話に過分のお言葉を賜り、恐縮に存じます。

 お考えのごとく、ニワトリであれ、卵であれ、それは「私」ではありません。仏教教団に関わりがあろうとなかろうと、「私」が問題になっているところにこそ、仏教があるのではないかと思います。

 私事ながら、私も、中学時代に京都の達磨寺で少林寺拳法に入門したことがございます。ただ、いささか事情がございまして、一ヶ月で辞めてしまいました。貴支部のホームページに掲げられているような「仲間として共に気持ちよく拳法を楽しもう」という幸せな環境に恵まれなかったからですが、それもひとつのご縁だったと思っております。

 リンクのお申し出を頂き、有り難く存じております。文字ばかりで、いささか殺風景なホームページでございますが、よろしければ、どうぞご自由にリンクをお張りくださいませ。今後とも宜しくご教導を賜りますよう、お願い申し上げます。合掌。





福岡市のYです 2004年3月28日(日)
 お久しぶりです。御法話は、毎回今の私に必要な内容なので有難く思います。死生の際・境界に立ちつつ、仕事も生活もしているのですが、なかなか「知足」の心境にはなりません。それでも、最近は医師としての仕事に力を抜くようになり、自然体を心がけています。仏教や東洋思想を医療現場で実践するシャーマンのようでありたいと思っています。ではまた。 Y



福岡のY様へ
Re: 福岡市のYです 2004年3月31日(水)
 拝復 ご無沙汰いたしております。お彼岸のあと、いささか来客が重なりまして、お返事を差し上げますのが遅くなり、申し訳ございません。

 「知足」というのは、自分がいる場所に、きちんと居ることだと思います。医療の現場で自然体になれたら、それこそ結構なことと存じます。

 「どっこいしょ」と、掛け声をかけながら、副業の整体の看板をかけました。有縁の方々の身体と心の安楽を願いながら、「(寺に)住んでいるのが仕事」。あるいは、これが住職の自然体かもしれません。

 桜が咲き始めました。京都にお越しのおりには、どうぞお立ち寄りください。合掌





お伺いします。 2004年5月17日(月)
 紫雲寺 昇空 ご住職  拝啓 薫風の候 ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。突然のお手紙で失礼します。またご住職とお呼びすれば良いのか、あるいは他に敬称があるのか、その辺の常識にも疎いため、言葉遣いに失礼があるかもしれません。その際には何卒ご容赦ください。

 私は、東京在住の33歳男性です。今春に大学院博士後期課程を満期退学し、今は就職活動に勤しんでいます。こう書いてしまうと、「就職難に疲れ果てた者が、僧侶にでもなろうかと安易に考えて手紙を書いてきた」ように見えてしまうかもしれません。実際、紫雲寺のHPに辿りつくまでは、平気でそのようなことを相談している人、そしてそのような人に相応しい偏狭な回答をしている人(このような人に回答する資格があるのか、とも思いますが、インターネットの世界とはそういう無責任さに満ちているものですね)の書き込みを目にすることもありました。

 全く違うか、といわれれば、絶対に違うという自信がないのも事実です。自信という言葉とは、いつしか縁遠くなってしまいました。しかし、私がご住職にお手紙を差し上げるまでには、それなりの経緯がございます。

 簡単に概略だけお話すると、かねてより生きることへの悩みを抱えてきた私は、カトリックの信徒であり禅にも理解のある大学院での指導教授(私の専攻は法学で、仏法と関わりはありませんでした)に「要は、じっくり考える時間と場所が欲しいんだろう」と言い当てられ、博士後期課程に居場所を与えていただきました。そして、「教育と刑罰」について研究(といえば聞こえはいいですが、僕の場合は勉強の域を出ませんでした)を始めたのです。

 しかしやがて、表面的な理論を追いかけることに行き詰まりを感じるようになりました。師匠はそんな私を見て、一人の刑法学者の人生を追うよう、ご指導くださったのです。その刑法学者の名前は小野清一郎、敬虔な浄土真宗の信者であり、彼の刑法理論には仏教的思想を色濃く感じ取ることができます。

 そんな彼を研究するうち、彼の悩みに幾度となく共感し、彼の言葉に救われていく自分を感じるようになりました。そしてその原因が信仰心、それも浄土真宗に対する信仰心への共鳴だと感じるようになるまでに、時間はさほどかかりませんでした。

 そもそも、このような研究は法学研究とはいえませんし、私も大学の教員になりたくて大学院へ戻ったわけではなかったので、いずれは社会に復帰したいという思いを持ちつづけていました。しかしすでに、社会の有用な一員としていかに復帰するかという悩みは、私にある諦めににた思いを抱かせるようになっていました。社会に戻り、生活に困らない程度の収入に恵まれ、日々を送っても、死ぬ時には何が残るのだろう。お金を稼いでも、そのお金は使うために稼いでいる。巷には、使うためのお金欲しさに時間や、人生を売る人が溢れている。生きていくためには、それも仕方ないのだと、わかっているつもりですが、街角で行き交う人々を眺めていると、それだけに生きてしまうのが恐く、やりきれなくなります。

 その人達を批判しているのではありません。しかし自分は、そうやって毎日、この街角を行き交う人々が、自覚的にあるいは無自覚に抱えている、「死ぬまで生きつづける意味」に対する悩みを感じる嗅覚を持っていると思います。それは自分もまたその一人だからでしょう。そして、実際に多くの友人・知人が、何かしらの悩みを抱えて、ある日思い出したように僕の元へやってきます。もちろん僕が解決できることなど、ないに等しい。でも、中には涙を流す人もいます。そんな時には、「僕は彼・彼女の言葉に表せない心の声を聞いてあげられたのかもしれない」と思い、自分に存在意義を感じることができました。

 最近では、それまでは認めたくなかった、自分のありのままを受け容れられるようになっているのかもしれないと思います。それはとても辛い、鬱々とした日々の中で感じるようになったものなので、胸を張って言えることではありませんが、そんな中で、いよいよ「信仰を持ちたい。できれば僧侶になり、自分のたったひとつのタレントを、悩める人々のために役立てたい」と、自覚的に考えるようになりました。

 つきましては、ご住職にお伺いしたいことがございます。カトリックも素晴らしい宗教だと思います。旧約聖書には心を救う言葉を多く見出す事ができましたし、信仰を持つ師匠は素晴らしい人物と思えます。しかし、それでもある違和感を拭えません。

 やはり、自分が信仰を持つなら、それは仏教、それも浄土真宗だと思っています。できれば、心から尊敬できる方のもとに通いたいとも思いますが、そのような情報も持ち合わせておりません。

 また、それはいずれそのような方に出会った際にお伺いすればよいことなのでしょうが、浄土真宗の僧侶になる場合、どのような方法があるのかを知っておきたいのです。

 他宗派を批判するつもりはありませんが、実家が檀家となっている真言宗のお寺は、先日法事をした際、とても世俗的な所のように感じました。実家の両親も、信仰心があるとはいえず、とても儀礼的なやりとりに終わったように思います。師匠に信仰を持ちたいという話(仏門に入りたいとまでは言っていませんが)をした際、「自分はカトリック以外は禅宗のことを少し知っているくらいだが、でもしっかりと修行を積だ、信頼できる方が見つかるといいね」とおっしゃっていましたし、私も同感です。

 ご住職にはお忙しい所、大変恐縮ですが、浄土真宗の信仰を深め、ゆくゆくは僧侶として仏門に入る場合の手順(作法?)と、東京に住む私がお訪ねするによい(という言い方は大変失礼にも思いますが、適当な言葉が見つかりません)お寺など、ご存知でしたらお教え願えませんでしょうか。以上、大変長々と失礼いたしました。乱文ご容赦ください。紫雲寺のますますのご発展をお祈りしながら、筆を置くことにいたします。敬具 S



東京のS様へ
メールを拝受。 2004年5月17日
 拝復 メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにお立ち寄り頂き、有り難うございます。お尋ねを頂きましたので、私に分かります範囲で、簡略にお応え申し上げます。

 まず、「浄土真宗」の僧侶になることをご希望ですが、「浄土真宗」を宗派の正式名称として用いておりますのは「本願寺派」(お西、西本願寺)でございます。私どもの寺院は、「大谷派」(お東、東本願寺)に属しておりまして、宗派の正式名称は「真宗大谷派」と申します。

 「お西」も加えまして、真宗には10派ございます。僧侶になる手順は、派によっていくぶん異なっているようですが、私どもには自派のことしか分かりませんので、「大谷派」の場合でお応え申し上げます。大谷派の僧侶には、以下のような手順で「得度式」を受ければ、なることができます。(…中略…)

 東京での事情に通じておりませんので、更に詳しい情報がお入り用でしたら、以下のところにお問い合せくださいませ。

   東本願寺 真宗会館  177-0032 東京都練馬区谷原 1-3-7
               Tel. 03-5393-0810 Fax. 03-5393-0814
               http://www.samgha.net/ office@samgha.net

 僧侶となられることで、S様がご想像なさっているような道が開けてくるかどうかは分かりませんけれども、心より、ご精進を念じあげます。合掌



RE:メールを拝受 2004年5月17日(月)
 伴戸昇空 ご住職 早速のお返事、まことにありがとうございました。ことがことだけに、また、私の心の成長や精進と相俟って決定するべきこととも思いますので、ご住職にお教えいただいた事柄を活かしたご報告を、すぐにお届けすることはできませんが、自分の今後を考えていく上で大切にさせていただきます。心から感謝いたします。ありがとうございました。SS





質問 2004年7月6日(火)
 突然のメールにて失礼いたします。現在、仏教医学について勉強している者ですが、これについて調べていくうちに、ある疑問を抱き、メールさせて頂きました。私が参考にしていたある文献に、かつて日本の医療は寺において僧侶が行っていたという記述がありました。これは日本のすべての寺に当てはまるのでしょうか。また、時代にしていつ頃のことなのでしょうか。お忙しい中、大変恐縮ですが、お返事をいただければ幸いです。YT



YT様へ
Re: 質問 2004年7月6日(火)
 拝復 メールを拝受いたしました。ご質問を頂きましたので、分かります範囲で、簡略にお応え申し上げます。

 もともとインドの仏教では、僧侶が医療にたずさわることは、修行の妨げになるとして禁止されておりましたが、大乗仏教になると、病人に慈悲をかけることが利他行のひとつとして奨励されるようになっていきます。そういう流れの中で、聖徳太子創建の四天王寺に、敬田院・悲田院・施薬院・療病院の四院が設けられ、東大寺に悲田院・施薬院が置かれたことは、ご承知のことと思います。つまりは、仏教伝来当初の飛鳥・奈良時代から、一部の仏教寺院では医療行為が行われていたわけです。

 ですが、仏教は医学の教えではありませんから、仏教に、「仏教医学」と呼ばれるような固有の医学があったわけではありません。一般に「仏教医学」と呼ばれているものは、主にインドや、チベットや、中国の「伝統医学」のことです。そういった伝統医学は、主として仏典によってもたらされましたから、僧侶のなかには、自ずと医学にも詳しくなって、医療を施す人もあったわけです。

 薬師(くすし)と呼ばれる医師には、官医、僧医、民間医がありましたが、明治時代になるまでは、医師法も薬事法もありませんでしたから、公的な資格をもって医師となったわけではありません。医学知識のある人が、いわば勝手に医師を名乗ったのです。そのなかに僧侶もいたわけですが、申し上げるまでもなく、僧侶が全て医師を兼ねていたわけではありません。僧侶のなかに医療を行うものもいた。それが僧医です。(ちなみに、江戸時代の漢方医は、たいてい剃髪して僧形をしておりましたので、医者坊主とも呼ばれていましたが、これは僧医ではありません。)

 かつては、僧侶は地域の文化人であり、寺院は地域の文化センターのような場所でしたから、いろんな相談事が寺院に持ち込まれました。とうぜん、病気の相談もありました。また、独自に「血の道の薬(女性薬)」や「疳の虫の薬(小児薬)」などの和漢薬を販売する寺院もありました。ですが、そういったことをもって、「かつて日本の医療は寺において僧侶が行っていた」と言うのなら、それはどうかと思いますね。

 これでお応えしたことになるかどうか、いささか心許ないところがございますが、ご参考になれば有り難く存じます。以下に、「仏教医学」関連の文献を、いくつかご紹介申し上げます。ご研鑽、ご精進を念じ上げます。合掌

   (1)川田洋一著『仏法と医学』, 1975 年、レグルス文庫
   (2)杉田暉道著『ブッダの医学』, 1987 年、平河出版社
   (3)川田洋一著『仏教医学物語』(上・下), 1987 年、レグルス文庫
   (4)福永勝美著『仏教医学事典』, 1990 年、雄山閣出版
   (5)池口恵観著『仏教と医療』, 1992 年、東方出版
   (6)花園大学仏教学科編『禅と東洋医学』, 1992 年、禅文化研究所
   (7)二本柳賢司著『仏教医学概要』, 1994 年、法蔵館
   (8)杉田暉道著『やさしい仏教医学』, 1997 年、出帆新社
   (9)大法輪閣編集部編『仏教の健康法』, 1998 年、大法輪閣
  (10)難波恒雄・小林かつ子編著『仏教医学の道を探る』, 2000 年、東方出版
  (11)杉田暉道・藤原壽則共著『今なぜ仏教医学か』, 2004 年、思文閣出版
  (12)河口慧海著『仏教の長生不老術』, 2004 年、国書刊行会



伴戸昇空様 2004年7月8日(木)
 丁寧なお答えを頂きまして有難うございます。人間の心は死の場面において神様を求めるといいます。日本人であるが故に、その場面において私は仏陀の姿を求めると思います。しかしながら、私は恥ずかしながらも仏教に対しては無知であり、それ故に失礼を省みず先生に質問のメールを送らせて頂きました。先生のお答え、是非、参考にさせて頂きます。どうぞご自愛くださいませ。それでは失礼致します。YT





『選擇集』、『三昧発得記』の本 2004年7月7日(水)
 はじめまして、S(56歳 男)と申します。(突然のメールで大変失礼します。)先日’NHKの心の時代’で’梁瀬義亮’さんのお話がありました。大変いいお話でした。梁瀬さんは、法然上人を大変尊敬されていました。

 そこで、法然上人の『選擇集』、『三昧発得記』(法然上人が実際に阿弥陀仏の浄土を体験された記録)を平易に説明し本をご存知ないでしょうか。もしご存知であれば、誠に恐縮ですが教えていただけないでしょうか。宜しくお願いいたします。(追記、略)



S様へ
Re: 『選擇集』、『三昧発得記』の本 2004年7月7日(水)
 拝復 メールを拝受いたしました。お尋ねを頂きましたので、簡略にお応え申し上げます。

 『選擇集(選擇本願念仏集)』に関しましては、以下の書籍がお読みになりやすいかと存じます。
 (1)大橋俊雄校注『選擇集』、岩波文庫、青340−1
 (2)大橋俊雄訳『法然全集』、春秋社、第二巻所収『選擇本願念仏集』

 『三昧発得記』に関しましては、残念ながら適当な書籍が見あたらないようでございます。原典は、大正新修大蔵経・第83巻所収『拾遺黒谷上人語燈録』のなかにございますが、醍醐三宝院に伝わる、いわゆる「醍醐本」のテキストがインターネット上に公開されておりますので、ご参考までに、そのテキストをお送りいたします。これは、仏教大学・安達俊英研究室HP「報恩蔵」( http://www.bukkyo-u.ac.jp/mmc01/adachi/index.html )にございます「公開資料」から転載したものです。(テキスト省略)

 また、同じくインターネット上に、「法然上人研究会」( http://www.oct.zaq.ne.jp/kenshoji/honenken.htm )というHPがございまして、ここから出されている会誌『法然上人研究』の第5巻に、杉岡孝紀「法然上人に於ける三昧発得記の体験」という論文がございます。この会誌は購入できると思いますので、研究会の方にお問い合せになってみてください。あまりお役に立てませず、申し訳なく存じます。合掌



Re: 『選擇集』、『三昧発得記』の本 2004年7月8日(木)
 Sです。早速のご返事ありがとうございます。大変参考になりました。(最近は時間の余裕ができ、仏教の勉強をはじめております。仏教の本は漢文が多く苦労します。)今後とも何卒宜しくお願いいたします。





ご講話の参加について 2004年8月13日(金)
 拝啓 Oと申します。突然のメールで失礼します。楽しく、また、色々考えさせれらながら読ませて頂いております。ここのH.Pは、私が仕事で完全に行きづまり、まさしく藁をもすがる思いで検索していった所、偶然にもここに辿り着けました。ここを読ませて頂き、大変勇気付けられました。且つ、私は幸いにも近県に住んでおります。(やも立てもたまらず、一度、警察で場所を聞きながら紫雲寺様の前まで行った事もあります。)是非、一度、9月23日?の法要のご講話を拝聴できたらと思っております。参加に際して、申し込みはなにか必要でしょうか? 宜しくお願い致します。 敬具 HO



HO様へ
Re: ご講話の参加について 2004年8月13日(金)
 拝復 メールを拝受いたしました。紫雲寺のHPにご関心をお寄せ頂き、有り難うございます。9月23日には、午後2時から、永代経法要(秋の彼岸会)を勤めさせて頂きます。法話は、午後2時20分頃からですが、まだ話のテーマは決まっておりません。はたして、ご関心をお持ち頂けるような話ができるかどうか分かりませんけれど、よろしければ、どうぞご遠慮なくご参詣ください。心よりお待ち申し上げております。合掌





テープを注文したいのですが。 2004年9月18日(土)
紫雲寺 釋昇空様 初めてお便りいたします。私、MSと申します。主人が、大分県宇佐市のMT先生を師と仰いでおりまして、T先生のご縁で、釋昇空先生のテープを聞かせていただきました。そのテープを聴き、わたしは昇空様の大ファンになってしまいました。先生の法話は、私のからだ全体にビンビン響いてまいります。つきましては、テープの注文を致したいのですが、どのようにしたらよろしいでしょうか?  よろしければ、(6)「修羅を離れる」〜(15)「常照我」の10巻を、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。



大分のS様へ
Re: テープを注文したいのですが。 2004年9月18日(土)
 拝復 メールを拝受いたしました。拙い話に過分なお言葉を賜り、恐縮に存じております。ご希望のテープを確認いたしましたところ、全巻ございました。代金は1巻につき1000円頂戴いたしておりますので、都合10000円となります。郵便振替用紙を同封いたしますので、ご送金には、それをご利用くださいませ。また、勝手ながら、送料「着払い」の宅急便(クロネコ)でお送りいたしております。以上のようなことでよろしければ、明日、発送いたします。ご都合、お聞かせくださいませ。合掌



テープを注文したいのですが。 2004年9月18日(土)
 紫雲寺  伴戸昇空様 早速の返信をありがとうございました。発送等につきましても、丁寧にご説明いただきまして、ご配慮に本当に感謝申し上げます。テープの到着を心待ちに致しております。どうぞ、よろしくお願いします。合掌 MS



残りのテープを注文いたします。 2004年9月30日(木)
 伴戸昇空様 いつもテープで感動いたしております。先日は、15巻までのテープをありがとうございました。23日から26日まで、上高地〜高山市〜金沢へ旅行を致しました。その間、夜にはテレビなど見ずに、夫婦で静かに昇空様のテープを拝聴いたしました。静かな、ありがたいひと時を過ごさせていただきました。
 今回は、半年前から計画しておりましたので行けませんでしたが、次回11月の報恩講より、先生の法話に参加したいと考えております。つきましてはその前に、前回と同様にテープを注文したいと存じます。16巻からできれば27巻まで(25巻まででも仕方ありませんが)、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。合掌 MS



大分のS様へ
Re: 残りのテープを注文いたします。 2004年10月1日(金)
 拝復 メールを拝受いたしました。お返事が遅くなり、申し訳ございません。「法話テープ」の追加注文を頂き、有り難うございます。ご注文頂きましたのは、16巻〜27巻(都合12巻)ですが、ただいま、第28巻までございます。これは、先日(9月23日)の永代経でお話いたしましたものでございます。タイトルは「あかね雲の彼方へ」、録音時間は約58分でございます。この第28巻も、あわせてお送りしてよろしいでしょうか。お伺い申し上げます。合掌



Re: 残りのテープを注文いたします。 2004年10月1日(金)
 伴戸昇空様 メールありがとうございました。法話テープ、28巻までお願いします。お尋ねいたしますが、11月の報恩講は11月14日(日)ですか。ぜひ直接お聞きしたいと思いますので、よろしくお願いします。



大分のS様へ
RE: 残りのテープを注文いたします。 2004年10月2日(土)
 拝復 ご連絡を頂き、有り難うございます。「法話テープ」は第28巻まで(都合13巻)、本日(10月2日)発送いたします。お手許に届きますのは、10月3日(日)もしくは4日(月)になるかと存じま す。
 報恩講に遠路お運び下さるとの由、まことに有り難く存じます。報恩講は11月14日の午後2時からお勤めいたします。法話は2時50分頃からでございます。話のテーマはまだ決まっておりません。はたして、ご関心をお持ち頂けるような話ができるかどうか分かりませんが、心よりお待ち申し上げております。合掌



RE: 残りのテープを注文いたします。 2004年10月5日(火)
 紫雲寺 伴戸昇空様 テープを確かに拝受いたしました。報恩講の期日の件、お知らせいただきましてありがとうございます。今から楽しみで、ワクワクしております。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。合掌 MS



整体について 2004年10月10日(日)
 紫雲寺 伴戸昇空様 先日より、法話テープの件でお世話になっております。毎日楽しくテープを聞かせていただいております。来月14日の報恩講の法話を、直接お聞きできることを楽しみにしています。
 ところで、ひとつ相談がございます。(…中略…)貴ホームページで整体療法のことを知り、ぜひ施術をしていただけないかと思い、お尋ねいたします。ただ、大分県の中津市から参りますので、11月13日の昼の12時前ごろ京都に到着し、14日の法話が終わったら、午後5時ごろの新幹線で帰ろうと考えています。もし、その間で施術していただける時間がありましたら、お願いしたいと存じますが、いかがでしょうか?。 勝手なお願いで申し訳ありません。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。合掌 MS



大分のS様へ
Re: 整体について 2004年10月10日(日)
 拝復 メールを拝受いたしました。整体の施術をご希望頂き、有り難うございます。ただ、まことに申し訳ないことでございますが、報恩講前日は、とても時間がございません。以下、近県におられます同門の先生方をご紹介申し上げますので、ご連絡なさってみてください。(…中略…)ご希望にそえず、申し訳ございません。14日は、どうぞご無理のないように、お気を付けてお参り下さいませ。お待ち申し上げております。合掌





いつもありがとうございます 2004年10月11日(月)
 Fです。いつも、「菩提樹」ご送付下さり、ありがとうございます。「おたずねに応えて」について、小生もいささか思うところがあり、突然ながら、メールしました。

 最近採用1年目の教員研修で1時間ほどしゃべりました。そのとき、「あなたならどうする…」と題して、次のような質問をしてみました。

 NHK「課外授業」から。国境なき医師団。もう生きられない少年が運ばれた来た。苦しんでいるので、酸素吸入をしたい。しかし、酸素は残りわずかしかない。どんどんけが人が運ばれてくる。生きていく可能性のあるけが人に使いたい。今、苦しんでいる少年は、もうめんたまも飛び出していて、まったく生きる可能性はない。しかし彼を苦しみから、救ってやりたい。しかし、酸素がもうない。ここで使うのは……となる状況。あなたならどうする…。

 私は、この放送を見てから、もう何年もたつのに、まだ結論を出さずに悩んでいる。けれども、現実を生きるとは、一つを選んで今日を過ごし、明日を迎えることではないか? 結局自分は現実を生きてはいないで、飯を頂いてきたのではないか…。一つを選ぶことは、もう一つを殺すことだ…。あなたならどうする…。

 「仏教夜話」を読んでいて、そうだ紫雲寺のご住職に尋ねてみようと思った次第です。ちょっと訊いてみたい、ただそれだけです。



F先生へ
Re: いつもありがとうございます 2004年10月11日(月)
 拝復 メールを拝受いたしました。ご無沙汰いたしております。お元気でお過ごしのご様子、有り難く存じます。

 さて、ご質問を頂戴いたしましたので、はなはだ簡略ではございますが、お応え申し上げます。

 「こんなとき、仏教ではどうしろと説いている?」 よく聞かれる質問ですが、残念ながら、この問いが「私」の問題として問われることは、あまりないように思います。

 「私」が、病人のあふれる野戦病院のようなところに、酸素ボンベをかかえて立っていたら、死にかけている少年か、他の病人かなどと、腕組みしていることもないでしょう。ただ、「そのとき」、「私」に出来ることをするだけです。「そのとき」、「私」に何ができるのか? それは、「今の私」には分かりません。

 また、Aを選んでBを捨てたというのは、「頭」の考えることでして、本当は、「私」が「Aに選ばれた」のかもしれません。仏教は、倫理でも道徳でもございません。仏教は、事の善悪を問題にする教えではございません。なかなかご理解頂きにくいところかもしれません。

 いかにも言葉足らずでございますが、どうぞ、第10話「自力と他力」、第23話「いのちいっぱい」など、ホームページの法話集をご覧頂き、ご賢察をお願い申し上げます。生意気なことを申し上げ、大変失礼いたしました。お赦しくださいませ。合掌





おたずねします 2004年10月13日(水)
 御住職さま 突然のお願いお許しください。私は現在三家の仏様をおまつりしております。私(主人)の家は臨在宗。私の実家は浄土宗。主人の実家は曹洞宗です。あるお方が一つの仏壇に入れるのはいけないと言われますが、いかがなものでしょうか。この次、息子のお嫁さんが1人娘で宗派が違えばますます大変になるのではないかと、老婆心ながら心落ち着かない日々です。どうかお知恵をいただきたいと思います。 三家守り女より



YN様へ
Re: おたずねします 2004年10月14日(木)
 拝復 メールを拝受いたしました。有り難うございます。ご質問を頂戴いたしましたので、簡略にお応え申し上げます。

 貴信を拝読いたしますと、問題になっていますのは、ご自身の信仰ではなくて、「家の宗教」のように思われます。家の宗教ということでしたら、貴方様のお嫁ぎ先の、臨済宗のお仏壇だけでよろしいかと存じます。一軒の家に、お仏壇が三つも四つもあるというのは、かえって粗略になるようにも思いますが、いかがでしょうか。

 私ども門徒は位牌を用いませんので、お仏壇に位牌を納めるということはいたしませんが、お仏壇の中は仏様の世界です。仏様の世界では、「あなたの先祖」も「わたしの先祖」もなくて、みんな仏の子です。宗教が違うの、宗旨が違うのといったことは、お仏壇の外の「娑婆」の世界だけの話です。

 お仏壇というのは、本来、ご先祖(の位牌)を祀る場所ではございませんが、いずれにせよ、お嫁さんの時代のことは、お嫁さんご自身がお考えになりますでしょう。ご案じになるよりも、先のことは、先の方々にお任せなさったらよろしいかと存じます。

 さて、これでお応え申し上げたことになるかどうか、いささか心許なく存じますが、日々、お念仏とともに、心安らかにお過ごしになりますよう、念じ上げます。合掌



ありがとうございました 2004年10月14日(木)
 伴戸昇空様 突然の拙い質問に御丁寧な御返事を頂きまして有り難う御座いました。心狭い考えでクヨクヨしていました。これからの生き方にも軌道修正が出来そうな気がしました。取り急ぎお礼まで。YN





季刊誌や法話のテープ等の購入について 2004年11月13日(土)
 拝啓 季刊誌や法話のテープ等を購入したいのですが振り込み口座名・番号または郵便振替口座名・番号など送金手続きについてご連絡願います。敬具 MS



神奈川のS様へ
Re: 季刊誌や法話のテープ等の購入について 2004年11月13日(土)
 拝復 メールを拝受いたしました。「季刊誌」と「法話テープ」について、お尋ねを頂き、有り難うございます。ただ、どちらも、バックナンバーに欠巻多いものでございますので、何号、あるいは何話のテープをご希望か、お聞かせくださいませ。
 なお、「季刊誌」に関しましては、紫雲寺同行への連絡事項のページ以外は、全て、ホームページに掲載いたしておりますので、そちらをご覧頂ければ、有り難く存じます。また、「法話テープ」は、お時間を頂けるようでしたら、欠巻の分も、新たに作りまして、お届けできるかと存じます。宜しくお願い申し上げます。合掌





すばらしい1日でございました。 2004年11月14日(日)
 紫雲寺 伴戸昇空様 本日は誠にありがとうございました。先ほど、10時前に中津に到着いたしました。妻の憧れの昇空様にお目にかかれ、その上、法話をじかに聞かせていただきましたこと、「ああ、いま自分はここにいるんだ。」うまく表現できませんが、そういう感動をいただきました。おはぎ(二つもいただきましたが)と歌と、そして何より、すばらしい出遇いがございました。
 タクシーの手配など、ご多忙のさなかにご迷惑をおかけいたしました。どうぞ、坊守様にもよろしくお伝えください。『佳き夫に、佳き妻かな。』お二人にお会いして、そう感じました。昇空様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。合掌 TS、MS



大分のS様へ
Re: すばらしい1日でございました。 2004年11月15日(月)
 拝復 昨日は、遠路お運びくださり、有り難うございました。このたびは、お陰様まで、にぎやかな法要を勤めさせて頂きました。また京都にお越しのおりには、どうぞご遠慮なく、お立ち寄り下さいませ。心よりお待ち申し上げております。(「京の茶漬け」ではございません。念のために。)合掌





御礼ご挨拶 2004年11月15日(月)
 御縁様 昨日は、久々にお会いできて大変嬉しかったです。しかも素晴らしいお話と音楽を聞かせていただき、感動いたしました。最近、仕事が立て込んでてなかなか京都までお邪魔出来ないことが多く、心苦しく思っていました。HPで御法話は拝見していましたが、やはりお話はご縁様から直接聴く方が数倍の効き目があると思います。
 「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」の話は私の心にスーット入りました。自分の廻りで起きる全ての事・物はすべて仏となって私を導いてくれる大事な事・物なのですね。だから、「お陰(仏)さま」ということになる訳ですネ。ほんとうにいつも解りやすい言葉でお話いただきますので、感心感謝いたします。来年も出来る限り、お邪魔してご縁様のお話を聴かせて戴きたいと思います。
 それとお話の後の皆様との談笑のひとときも楽しみです。(自然酒を取り寄せるつもりです)これから京都は寒さが厳しくなりますので、くれぐれもお体をご自愛ください。取り急ぎ御礼まで。
 PS:紫雲石の念珠とても気に入りましたので、早速今朝から右手に着けさせていただいております。TS



大阪のS様へ
Re: 御礼ご挨拶 2004年11月15日(月)
 拝復 昨日は、遠路お運びくださり、有り難うございました。このたびは、お陰様まで、にぎやかな法要を勤めさせて頂きました。また京都にお越しのおりには、どうぞご遠慮なく、お立ち寄り下さいませ。心よりお待ち申し上げております。(「京の茶漬け」ではございません。念のために。)合掌





テープお願いします。 2004年11月18日(木)
 伴戸昇空様 先日の、報恩講法話ありがとうございました。京都から中津市に帰るまで、今までにない不思議な気持ちに包まれたような感じでした。(うまく言いあらわせないのですが・・・)
 また、終わってからの楽しいひとときも忘れがたく、奥様やお世話される方々にも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。法話のテープが、早くできないかと今から心待ちにしています。
 つきましては、先日の法話テープ〈29話)が出来上がりましたら2巻送っていただけないでしょうか?  実は、私は宇佐市の病院に薬剤師として勤務していまして患者さんの何人かに服薬指導の業務をしています。そこの患者さんで(…中略…)入院されている男性の方に昇空様のテープをお貸ししましたところ、大変感動されまして28巻全部ダビングして、「毎晩、病院で1巻ずつ聞いています。」と喜ばれています。その患者さんも、今回のテープも1巻ぜひ欲しいとのことですので、どうぞよろしくお願いします。昇空様の、今後の益々のご発展をお祈り申し上げます。合掌 MS



大分のS様へ
Re: テープお願いします。 2004年11月18日(木)
 拝復 メールを拝受いたしました。拙い話に過分のお言葉を賜り、恐縮に存じます。まだ、テープの編集もできておりませんので、何日にとはお約束いたしかねますが、出来次第、お送り申し上げます。病院でテープをお聴きくださっている御方様にも、宜しくお伝えくださいませ。取り急ぎ、御礼、御返信申し上げます。合掌





お陰さま 拝聴いたしました 2004年11月20日(土)
 釋昇空様 お陰さま 拝聴いたしました。この「お陰さま」というのは、「仏様」のことです・・・ 初めて聞きました。私が必要とする事ではなく、私に必要な事が起こってくる・・・ そのように感じさせられます いつのときも。住職より少しばかり若いのですが、年を取るのも、そう悪くはないなと・・・・そんなことを思いながら、このたびのお話、拝聴いたしました。次回も、楽しみにしております。 D



D様へ
Re: お陰さま 拝聴いたしました 2004年11月20日(土)
 拝復 メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにお立ち寄りくださり、有り難うございます。いささか伝統的なスタイルを逸脱した法話ではございますが、今後とも、宜しくお願い申し上げます。合掌





Re: 法話のテープ等の購入について 2004年12月23日(木)
 伴戸昇空様 ご返事が遅れて申し訳ございません。『「法話テープ」は、お時間を頂けるようでしたら、欠巻の分も、新たに作りまして、お届けできるかと存じます。』とおっしゃっています。1話 \1,000なので、欠巻補充していただければ28話になりますから、トータル\28,000となります。1月には支払いできます。郵便振替か銀行振り込みで支払いたいので、口座番号を商品に同封してください。
 追伸:現在は、テープ再生で聞くことが殆どありません。MDで聞くことが圧倒的に多いので、出来ればMDにコピーされたものを商品として提供してください。74分MDですと、ステレオで74分、モノラール2倍モードで148分の録再が可能です。

 臨死体験法話と「後生の一大事」について:「後生の一大事」の一大事とは何を指すかを次のように考えていました。(1)一念多念証文では・・・「無明煩悩身にみちみちて・・・臨終の一念まで」 (2)観無量寿経の下品中生では・・「悪を以ての故に応に地獄に堕すべし」 (3)嘆異抄では・・・「地獄は一定すみかぞかし」、とあるように、人間は一生造悪の人生であり、因果の道理では、悪因悪果というから、一生造悪が悪因となれば、一生が終わって後生=後世になれば、悪果=必堕無間地獄になることは必定と思われます。このことを「一大事」と云っているのでは・・・。ところが臨死体験では、生前に信心があろうがなかろうが、本願に遇おうが遇うまいが、一切衆生もろとも、御浄土の光に遇えるというプロセスを踏むように思えます。十刧安心では、十刧の昔から救われているとう見方もありますが、蓮如上人の御文章一帖13(聖典 P1102〜1103)では、この十刧安心が否定されています。浄土教は臨死体験の影響を受けているという法話は、とても興味があったのですが、臨死体験法話と「後生の一大事」の関係をどのように理解したらよろしいでしょうか。敬具 MS



神奈川のS様へ
Re: 法話のテープ等の購入について 2004年12月26日(日)
 拝復 お返事が遅くなり、申し訳ございません。また、このたびは、「法話テープ」をご注文くださり、有り難うございます。11月の報恩講法話のテープも入れますと、都合29巻となりますが、ただいま、バックナンバーが半数ほど欠巻いたしております。その欠巻分を補いまして、1月中にはお送りできるかと存じますので、しばらくのご猶予をお願いいたします。お送りいたしますおりには、郵便振替用紙を同封させて頂きます。また、クロネコ宅急便の「着払い」にて、送料をご負担頂いておりますので、宜しくお願い申し上げます。
 MD版をご希望頂きましたが、現在のところ、残念ながら、MD版等の作成予定はございません。「法話テープ」の作成頒布を決めましたおりに、CD版やMD版も考えまして、いろいろご意見をお聞きいたしましたが、ご年配のお同行方には、CD、MDはもとより、テープレコーダーもお持ちでない方が多くいらっしゃいまして、結局、現在のような形で作成するというところに落ち着いたような次第でございます。市販の法話テープ類にも、MD版やCD版というのは、寡聞にして存じませんが、同じような理由からではないかと推察いたしております。どうぞ、ご賢察、ご寛容をお願い申し上げます。

 さて、お尋ねを頂きました、「臨死体験と後生の一大事」の件でございますが、これは、なかなかご理解頂きにくいところかと存じます。それは、ひとつには、えてして私たちは、頭で考えて「分別」しがちだからでございます。
 つまり、物事を善悪二つの相対概念に分けて考えるということでございます。ですが、相対的善悪は、娑婆の倫理でございまして、仏法の意図するところではございません。
 相対的な娑婆世界に暮らす私たちには、善にも悪にも、なかなか倫理的なアプローチしか出来ないものでございますから、聖典の言葉も、倫理的な色合いを帯びておりますけれど、倫理的(相対的)な世界には、絶対的な善も悪もございません。仏法がめざしているのは、そういった相対的概念を超えた世界でございます。
 相対的(倫理的)な善悪を超えた心の奥底で、我が身の絶対悪に気づいたとき、同時に絶対善に触れることができる。暗闇の中でこそ、光に気づける。妙好人の言葉に、「懺悔と歓喜」が同時にでてくるのは、そういう絶対世界の体験に至ったからに違いありません。
 また、「後生」というのは、たしかに「死後」のことでもございましょうけれども、仏法に説かれている「絶対世界」に触れた後のことをさしているとお考えになったら、もっとご理解が頂けるかと存じます。「前念命終、後念即生」という言葉にあります「後念即生」こそが「後生」でございます。
 いつもお話し申し上げることでございますが、仏法は、生きるエネルギーを与えてくれる教えです。「死後」には、みんな「浄土」に帰るにせよ、そのことを今生で確信し、何が起こっても大丈夫と、心安らかに生きていくための教え、それが仏法だと、私は信じております。
 これで、ご質問にお応えしたことになったかどうか、いささか心許ない思いもいたしますけれど、取り急ぎ、ご返信申し上げます。S様、ご一家の皆様方が、おだやかな新春をお迎えになりますよう、心より念じ上げます。合掌





日泰寺と仏舎利について 2004年12月25日(土)
 ご住職様 はじめまして。大阪在住、中国語教師をしておりますSといいます。最近日本と中国の仏教交流などにも興味をもち、少しづつ勉強を始めており、ホームページに掲載されております「仏教夜話」の1〜5までを大変おもしろく読ませていただきました。そしてもしかなうことなら、ご住職さまが「仏教夜話」で日泰寺と仏舎利についての文章を執筆された際の参考文献を、自分でも読んでみたく思っております。自分で参考文献をさがすことのできない不勉強を恥じつつも、「一生の恥」とならないようにメールさせていただいた次第です。年末のお忙しいところ恐縮ですが、ご教示いただければ幸いです。お返事お待ちしております。 YS



大阪のS様へ
Re: 日泰寺と仏舎利について 2004年12月25日(土)
 拝復 メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにお立ち寄り頂き、有り難うございます。お尋ねを頂きましたので、簡略にお応え申し上げます。
 「仏舎利」関係の原稿作成に用いました「参考文献」は、ほぼ以下のようなものでございます。
   (1)『釈尊遺形 奉迎記事』
       (日本大菩提会本部、明治34年3月10日発行、非売品)
   (2)『釈尊御遺形 奉迎紀要』
       (日本大菩提会本部、明治35年9月15日発行、非売品)
   (3)小室重弘編著『釈尊御遺形 伝来史』
       (鳳文社、明治36年1月31日初版、4月2日再版、定価金50銭)
   (4)光地英学著『日本の仏舎利塔』
       (吉川弘文館、昭和61年11月20日発行、定価7000円)
   (5)R.L.リプレー著『世界奇談集3』
       (「河出文庫」河出書房新社、昭和63年2月4日発行、定価380円)
   (6)「京都日出新聞」
       (明治33年、6月14日、15日、7月11日、12日、13日、15日、19日、20日、21日、22日、23日、24日、28日、29日、30日、31日)
 このうち、(6)の「京都日出新聞」のコピーは、4年ほど前に、名古屋の愛知学院大学付属図書館の要請で、差し上げてしまいましたので、現在、手元にはございません。原本は、京都府立資料館にございますので、お入り用でしたら、そちらでお調べくださいませ。
 その他の資料は、箱詰めにして納屋のどこかにあると思いますので、お入り用なら探してみますが、ご関心をお持ちの「日本と中国の仏教交流」に関する内容のものではございません。如何いたしましょうか。ご意向をお聞かせくださいませ。取り急ぎ、ご返信申し上げます。合掌



Re: 日泰寺と仏舎利について 2004年12月26日(日)
 伴戸昇空住職様:年末のお忙しいところ、お返事をありがとうございました。ご好意、大変感謝いたします。私は現在、三蔵法師の聖骨が日本に来たときのことについて調査しております。当時は戦争中であったこと、また戦後は中国と台湾の間で聖骨の所在についてもめた事、その後台湾と中国、日本の交流のきっかけになったことなど、論文や本にまとめることができたらと考えています。その際、状況は異なるとはいえ、日泰寺の仏舎利についての「先例」に関する文献をみることができたら、参考になるのではないかと考えております。
 勝手を申しまして大変恐縮ではありますが、もし以下の貴重な3冊が納屋にございましたら、ご連絡いただけますようお願いいたします。急ぎませんので、ご住職様のお時間のあるときで結構です。どうかよろしくお願いいたします。 YS (以下、略)



大阪のS様へ
Re: 日泰寺と仏舎利について 2004年12月26日(日)
 拝復 ご意向、たしかに承りました。年末に納屋の整理をする予定でございますので、見つかりましたら、ご連絡申し上げます。合掌







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