それは歳も歳なのでしかたないと思うのですが、飴を三粒袋に持っていてそれを食べてしまうと、誰かが盗っていったと言うのです。それをつよく怒るわけでもないのですが、ボソボソと何度もそれを繰り返すので、それまでの母からしてまったく考えられないことで、少なからずショックを受けました。 そのような状態は母だけではなく、そこに入院されているほとんどの方々が、症状は異なるものの同じような痴呆状態で、ただ寝起きしているわけです。 うちの母に限らず、あそこに居られる方々は戦前戦後を通じて大変困難な時代を真摯に生き抜いてこられた人ばかりです。それを考えると、その最後になってなぜあんな淋しい最後を、、、、と、暗い気持にさせられました。 言葉のあやで最後と申しましたが、おかげさまで私も生命の永遠性というものを信じられるようになりましたので、母の死も自分自身の死も否定的には考えておりませんが、世の中のほとんどの人が病院で死を迎えるようになった今日、その人たちの大部分が痴呆状態で死んでいく現実を知って、この現実がなにを意味しているのかそれが不可解でならないのです。 もちろん出来事のすべては過去からの業の消滅していく姿でしょうから、あのような症状も個人の業の一つと考えるべきなのでしょうが、全体があのような症状を示すのはどういうわけなのでしょうか。
年末年始の忙しい時期に、個人的な質問でまことに恐縮です。決して急ぎませんので、お時間のあるときにお答え頂ければ幸甚に存じます。 昇空様 拝 SM
新聞などの論評を見ますと、「痴呆老人が増加したのは、平均年齢が大幅に延びたことが原因だ」という意見が大勢を占めているようでございますが、そういう科学的、客観的な答えで、私たちの主観的苦悩が和らぐものでもないように思います。 ですが、「戦前戦後を通じて大変困難な時代を真摯に生き抜いてこられた人ばかり……世の中のほとんどの人が病院で死を迎えるようになった今日、その人たちの大部分が痴呆状態で死んでいく現実を知って、この現実がなにを意味しているのかそれが不可解でならない」というお言葉も、社会をご自身の外に見た、かなり客観的なスタンスから発せられたもののように拝察いたします。 ご縁を頂くごとにお話申し上げることでございますが、仏法は、客観的なスタンスから社会問題を解明するための教えではございません。むしろ、仏法は、「私」の実存的な問題に光をあてる教えでございます。つまり、「いのち」に対する極めて主観的な問題が、仏法のテーマでございます。 一切衆生を案ずるは仏の仕事でございまして、「私」の仕事ではございません。むしろ、「私」の仕事は、案ぜられていることに気づくことでございます。『歎異抄』(後序)にも、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」とございます。弥陀は、森羅万象、一切衆生を通じて、「私」の目覚めを願われているということでございましょうか。このことに気づくと、「この現実がなにを意味しているのか」という疑問も、少し違った角度から発せられるようになるのではないかと推察いたします。 沢山の人々が痴呆となって死んでいくことで、「私」もいずれは同じ道をたどるかもしれないことを教えてくださっている。そう受け止められたときに、この現実が、「私」の問題として明瞭に主観性を帯びてくるのではないでしょうか。問題は、世界にあるのではなくて、「私」にある。弥陀は、世界を通じて、そのことを「私」に教えようとしてくださっている。そう愚考いたしますが、如何でしょうか。 一切衆生は、みな「還相」の光を放って、「私」を導こうとしてくださっている。その還相の光に気づいていくことを「往相」と申します。貴方様にとって一番身近で、還相の光を放っておられるのは、お母様ではないかと拝察いたします。
これで、お尋ねにお応えしたことになるかどうか、いささか心許ない思いもいたしますが、ひとまずご返信申し上げます。お暇なおりにでも、紫雲寺HPの法話集に掲載いたしております「第9話:身体と心と魂」、「第12話:念仏に生きる」などをご覧頂き、ご賢察賜りますよう、お願い申し上げます。あるいはご無礼なことを申し上げたかもしれません。お赦しくださいませ。合掌
「法話テープ」は、通常のテープレコーダー(一般にはラジカセと言われる)ものは、所有していますので、再生音をMDに流して、MDに録音してから拝聴する予定です。MDに録音すれば、ランダムアクセスで頭出しが出来るのが便利だからです。 「後生の一大事」に臨死体験をからませると、話が複雑になるので「後生の一大事」の質問を先行すると、次のような次第となります。 最近、浄土真宗聖典(注釈版)を買いました。この中のP1483に(後生の一大事:生死の問題を解決して後生に浄土に往生すること)とあります。私はこの定義自体がおかしいと思います。後生に浄土に往生することならば、一大事とは言えません。世間的にも一大事といったならば、このことを真っ先に解決しなければならないことです。喜ばしいことに対して一大事とは言うのは変です。 蓮如上人の御文章にも、2帖目2通(P1110の1行目)に根拠らしきものがありました。「〜この信心獲得せずば、極楽に往生せずして、無間地獄に堕在るすべきものな り。」また、帖外御文では、後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし。 このようにみてきますと、信心獲得された後であれば、浄土真宗聖典P1483の注釈(後生の一大事: 生死の問題を解決して後生に浄土に往生すること)は、成立することにもなります。つまり、「一大事=必堕地獄」をバイパスして結論だけを急いだ感があります。言い換えれば、「機の深信」を経由しないで、いきなり「法の深信」の一部だけをのべているに等しいと思っていますが以上のような展開に対して、前回メールの御解答では、「後念即生」=「後生」という見方ですが、「後念即生」の辞書の説明では「信心を得た次の刹那には、阿弥陀仏によって救いとられ、極楽に生まれることが定まっていること」とあります。この解釈が「後生」と等しいのであれば、浄土真宗聖典(注釈版)での後生の一大事の説明はOKとなります。 そこで、蓮如上人の真意は、「信心決定しなければ、後生(来世)が大変なことになりますよ!無間地獄に堕在するという一大事!になりますよ」という見方の方が文献にも立脚しているし、自然だと思いますが。 次ぎに、臨死体験の活用ですが、これはむしろ「法の深信」に強く関係するのではないかと思います。「法の深信」の中で、「往相回向」は臨死体験にぴったりだと思います。唯、「還相回向」になりますと、一旦、亡くなった人が現世に戻って、迷える人を救う利他行をやるというのは、現代人には理解困難で笑止ものとなります。唯、この世に戻って来る臨死体験に対しては、「還相回向」はぴったりとなります。問題は、臨死ではなく、そのまま本当に死なれた方はこの、「還相回向」はどのように説明できるのでしょうか。 御法話では、「浄土の教え」は、申しあげるまでもなく、「来世往生の教え」です。ですが、その眼目は「来世」にではなく、むしろ「今生」にあります。「浄土の教え」というのは「この世」で「慈悲の光」を身に浴びるための教えなのです。とおっしゃっていますので、今生で「臨死体験」と同等な「浄土の光」に遇われた方は、文字通り、「法の深信」=「往相回向」+「還相回向」が遂行できることは容易に推定できます。
最後に「如来より賜りたる信心」の到来時期のことですが、御法話では「機の深信」への到達困難性を述べておられます。到達困難であるが、なんとか「機の深信」を究めた瞬間、「法の深信」が突然到来して「阿弥陀仏の救い」に預かったと感じた瞬間が「如来より信心賜った」時期と思って良いのでしょうか。敬具 MS
さて、「後生の一大事」ですが、前便でも申し上げましたように、「後生」という言葉には二つの意味が重なっております。ひとつには「死の後の生」、いまひとつには「回心の後の生」です。伝統的には、「死後の生」の在り方に対して「一大事」という言葉を用いることが多いようですが、「死後の生」の在り方が「浄土往生」であるという確信が得られることを「回心」と申しますから、話がややこしくなってくる訳です。 たしかに、お考えのように、「信心決定しなければ、後生(来世)が大変なことになりますよ!無間地獄に堕在するという一大事!になりますよ」という解釈も、聖典の記述に基づいた論理的整合性があるかとは存じます。ただ、「大慈大悲の弥陀」という言葉の「大」とは、相対的な大小ではなくて「無条件」を意味するものと理解されますから、「信心決定しなければ」という条件設定は「弥陀の世界」に属するものではないと考えます。 つまり、死後の浄土往生には条件が無いということですが、今生でそのことを確信できるか否かは、「生」の質を左右する一大事です。かつて、あるお坊さんが、こんなたとえ話をなさっていました。遠くの大学を受験した人が、合格電報を受け取ってから見に行くのと、合格を知らずに見に行くのと、どちらが安心して旅ができますか、と。なかなかよくできたたとえ話だと思いますが、如何でしょうか。 次に、臨死体験ですが、これはたしかに「法の深信」に関係するものであろうと思いますけれど、意図的に臨死体験を求めることは、甚だ困難かつ危険です。むしろ、「法の深信」は、お念仏と聞法に支えられた日常生活のなかで、気づきを深めていくことによってこそ得られるものと思います。 また、「還相回向」に関しまして、「一旦、亡くなった人が現世に戻って、迷える人を救う利他行をやるというのは、現代人には理解困難で笑止ものとなります」と記されておられますが、これには少々誤解があるように思います。現代人にとっては、「還相回向」はもとより、「浄土の教え」そのものが理解困難かと存じますが、それはともかく、「往相回向」「還相回向」という場合の「回向」というのは、いわゆる「利他行」のような人の行為を言うのではなく、弥陀の大慈大悲の働きそのものを申します。 「浄土の教え」は、「他力」すなはち「弥陀の本願の働き」を説く教えです。「往相」(自利)も「還相」(利他)も、私たちの自力(努力)によって実現されるものではなくて、他力によって、私たちに「回向」されるものなのです。 いつもお話することですが、私たちはみな、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていくのです。その「いのち」には、最初から「往相」と「還相」が、弥陀に回向されて備わっているのです。「賜りたる信心」というのも、同じです。 かつて盛んだった「身調べ(内観法)」のような、セミナーもどきの過激な方法が、必ずしも「機の深信」を極める方法だとは思いません。「機の深信」というのもまた、お念仏と聞法に支えられた日常生活のなかで、気づきを深めていくことによってこそ得られるものだと思います。
これで、お尋ねにお応えしたことになったかどうか分かりませんが、お暇なおりにでも、紫雲寺HPの法話集に掲載いたしております「第9話:身体と心と魂」、「第10話:自力と他力」、「第12話:念仏に生きる」などをご覧頂き、ご賢察賜りますよう、お願い申し上げます。合掌
もう一人、別の患者様(N氏、85歳)が、H氏が喜んでテープを聞いているのを不思議に思ってたずねられ、「Sさんから借りました。」とのことで、私にいろいろ聞いてこられたので、T先生の本やテープもお貸ししました。N氏は真宗の門徒さんであるようですが、大変喜ばれました。ぜひ釋昇空法話集のテープを29巻全部注文して欲しいと、今日お金を持って来られました。誠に恐れ入りますが、こちらもよろしくお願いします。
3月20日の彼岸会に、ぜひ又お話をお聞きしたく京都まで出かける予定です。お会いできるのを楽しみにいたしております。合掌 MS
H様には、禅で念仏を称えることがあるのかとの疑問をお持ちとの由、これはもっともなこととは存じますが、もともと、中国では、念仏と禅はひとつでした。もちろん、禅者が全て念仏を称えるわけではございませんが、江戸時代に隠元によって日本に伝わった黄檗宗では、今でも禅と念仏をあわせて修行しております。 念仏宗であれ禅宗であれ、仏法のめざすところは「いのちの真実」(無我、仏)の体得にあり、座禅も念仏も、そのための方便であることに変わりはありません。禅宗は「無我」の体得、念仏宗は「仏」の体得をめざしておりますが、「無我」というのも「仏」というのも、同じ境地を別の言葉で言っただけのことです。ただ、禅宗は「知」に立ち、念仏宗は「情」に立つ傾きがございますので、両者が、もう少し歩み寄ったほうが、バランスがとれるようには思います。 念仏を「行」ととらえるべきかどうかは見解の分かれるところですが、念仏が、凡夫の行ではなく、仏の行であるにせよ、そのことを体得するには、やはり、凡夫の行としての念仏が必要かと存じます。行としての念仏には、座禅の数息観と同じような働きがありますが、「ひとつ、ふたつ、…」と呼吸を数えるより、念仏を繰り返し称える方が、比較的容易に心の深みに達しやすいように思いますが、いかがでしょうか。 なを、北野元峰師の「南無阿弥陀仏」は、以下のHPに写真が掲載されております。 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/jikyu-an/j6073.html
N様が、法話テープ全巻(29巻分)をご所望との由、有り難く存じます。ただ、現在、バックナンバーの過半数が欠巻状態でございますので、新たに作成いたしますあいだ、10日前後のご猶予を頂戴いたしたく存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします。合掌
さて、この度先生に質問させて頂きたいのは、ナンダとラーフラの出家についてです。釈尊は極めて強引なやり方で(特にナンダについてはほとんど無理矢理)両者を出家させています。先生のデーヴァダッタの項には、「釈尊は、生活の規範について比較的ゆるやかに考えておられました。(略)自分の適性に応じて、修行に専念できればよかったからです。」とあります。釈尊の指導が弟子の自覚にまかせる部分が大きかったのではないか、と想像します。つまり通常であれば、出家の意思を持たない人間に無理強いすることは考えにくいわけです。
その釈尊が、ナンダとラーフラに関しては、なぜここまで強引に出家させなければならなかったのでしょうか? 浄飯王の意向と真っ向から対立するうえ、ナンダは美しい妻への執着が絶ち難かったといわれています。先生のお考え・ご解釈をお聞かせいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。 TT
さて、お尋ねの件でございますが、ナンダとラーフラの出家に関しましては、残念ながら、いまだに妥当な解釈ができずにおります。 「仏弟子群像」には、ナンダとラーフラの出家の問題の他、まだ書き残していることがいくつかございます。たとえば、釈尊の養母マハーパジャーパティーの出家から始まる女性出家者たちのこと、チューラパンタカ(周利槃特)が提起する知的能力と悟りの問題、あるいは、アングリマーラのような犯罪者と救済の問題、等々でございます。こういった問題に関して、少しまとまった話ができるようになりましたら、また、「仏弟子群像」を再開させて頂くつもりでおります。
お尋ねにお応えしたことにはなりませんけれど、取り急ぎご返信申し上げます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。合掌
いろいろと書いているうちに、あれも説明しないといけない、これも、お伝えしたい。と考えているうちに、ついつい、長くなってしまいました。どうぞ、添付ファイルをご参照ください。私の真意が、そのまま伝わりますことを願っております。 H.17.5.2 大分県 TS (「添付ファイル」省略)
「96年当時の医学のレベルで、85年時点での医学知識、医療行為を裁く」というのは、たしかに、お言葉のとおり、決してフェアーだとは言えませんでしょう。 人は、誰しも、判断ミスをいたします。とはいえ、いかに避けがたい判断ミスであっても、その結果に対しては、やはり責任があるのではないかと考えます。それが、「責任ある立場の人」という言葉の意味だと思います。 交通違反の場合もそうですが、結果が出たときには、「避けがたい」事柄であったことに固執するよりも、「判断ミス」であったことを真摯に受け止めることができれば、状況も大きく変わっていたのではないかと思います。(これも結果論かもしれませんが。) ただ、私自身、マスコミも裁判も、それほどフェアーなものだとは思っておりませんので、S様のレポートは、当時の事情を別の角度から知るための大切な資料と存じます。 つきましては、もしお許しを頂けるようでしたら、S様のレポートを、紫雲寺のホームページの「Q&A」のコーナーに掲載させて頂きたく、ご意向をお伺い申し上げます。 なお、掲載のお許しを頂けます場合には、文中の固有名詞等、不都合とお考えの文字をイニシャル表記等にお改め頂き、改めて掲載文をお送り頂きたく存じます。ご面倒とは存じますが、よろしくお願い申し上げます。合掌 PS:(1)私事ながら、現在、私は、いくつかの新薬開発のための倫理委員会のメンバーになっておりますが、門外漢の私に、専門的な議論は全く分かりません。また、先生方のお考え方にも疑問がないわけではありませんが、まあ、ある意味で、議論が秘密裏に行われているわけではないという証人のようなものかと理解いたしております。 (2)「テープも聞けるカーステレオ」に付け替えられたとの由、勿体なく存じます。録音メディアをMDにして欲しいという要望もございますが、お歳を召した方々にはテープの方が取り扱いやすいのではないかと考えております。S様のお考えは如何でしょうか。
(3)蛇足ながら、わたしも何回か免停になりました。最長は180日間でした。さほど危険な状況で検挙されたわけではありませんが、不運なことに、免停になったのが「お盆」のさなかでして、自転車で京都中走り回りましたために、全身にアセモができてまいりました。ちなみに、警察官に謝ったことは一度もありません。あの人たちに「許す権限」など無いからですが、まあ、愉快な経験とは言えませんね。
一方的なメールに、過分のお言葉を頂戴し感謝いたしております。お問い合わせの件、もちろん結構です。今夜中に一部を訂正して、明朝には再度送らせていただきます。合掌 H.17.5.2 N市 TS
ただ、このあたりの事は昇空様のほうがお詳しいと存じますので、判断を委ねたいと存じます。どうぞ、適当なほうにしていただければ幸いです。 また、研究業績や文献の引用も、悪い話ではないのでそのままにさせていただきました。内容も、説明不足の部分を補足いたしております。 また、追伸のテープの件ですが、高齢の方にはテープの方が喜ばれるのではと、その点では、わたしも昇空様と同意見です。CDやMDのように、あっちこっち飛ぶ必要のない内容ですから。 どうぞ、添付ファイルをご参照ください。合掌 H.17.5.3 N市 ST
P.S.帰省中の次男が、今日から5日まで、実家に私のパソコンを持って帰ると言っています。返信が出来ませんが、ご容赦ください。
いわゆる「薬害エイズ」について 先日は質問にお答えいただきまして、本当にありがとうございました。日々の生活の中で、敬愛する昇空様のお教えを心に刻み、実践できればと考えているところでございます。最近、テープも聞けるカーステレオに付け替えまして、車の中でも昇空様の法話を聞かせていただいております。昨日も、第16、17巻を聞かせていただいたのですが、その中で気になることがございましたので、僭越とは存じましたがお便りをさせていただきました。 私は、現在は別の製薬会社に在籍しておりますが、3年前までは、昭和57年から平成14年まで、19年余にわたり(株)ミドリ十字に勤務しておりました。特に、例の薬害エイズ問題で、社会の大きなバッシングを浴びました平成8年には、当時の北九州営業所の所長を務めておりました。昇空様は、それ以前の法話でも、時々薬害エイズ問題にも触れておられました。しかし、その際には、私も本日のような心境にはならなかったのですが、今回は2回連続ということもあってか、少し気になりまして、「薬害エイズ問題」に関する医学的な背景と私見をお伝えしたいと思い立った次第です。すべてが事実だとは断定できませんが、当事者の一人として、当時からいろいろな資料、文献等を読み、専門医のご意見も拝聴し、私自身も自問自答した中での一応の結論です。どうぞ、一参考意見として、お受け取りいただけましたら幸いです。 いったい、何から説明をはじめたらと思案をしております。とりとめのない、脈絡のない話になるかと存じますが、ご容赦ください。(以下、年号につきましては、資料との整合性と私の記憶の関係で、西暦にて記載させていただきます。)薬害エイズ問題といいますものは、新聞等の報道では、エイズウイルスの混入した血液製剤をミドリ十字という会社が、生命より自社の利益を優先して、ウイルスの混入を承知で販売した。また、当時の厚生省の担当者も情報を知りながら、製薬企業の利益のために販売を継続させた。医学界では、安部英(たけし)元帝京大副学長が製薬会社に便宜を図り、ウイルスの混入を知りつつ患者に非加熱製剤を投与したということで、世間の非難を浴びております。これらの3者において、たった1つの共通点があるとすれば、それは「ウイルスの混入を知りつつ」という点でしょう。私は、正確には「ウイルスの混入があるかもしれない、と知りつつ」と考えておりますが、今となっては、それは見解の相違のレベルでしかありません。 当時の資料の大半を廃棄してしまいましたので、正確ではありませんが、1979年ごろ(はっきり記憶していませんが、このころです。以下、79年と記載します。)世界で最初にエイズ(この時点では、呼称もついていませんでしたが、83年ごろから「AIDS:後天性免疫不全症候群」と呼ばれるようになりました。現在ではHIV感染症といいますが、エイズというのは、強いて言えば、その末期症状を指すようになっております。)を報告したのは、米国のCDC(米国防疫センター)でした。日本で、最初にこのAIDSが新聞に報道されたのは83年頃だったと思います。83年に、フランスの医学者モンターニュがAIDSウイルスをLAV(リンパ腺性由来ウイルス)として、「ウイルスを発見した」と発表。続いて84年には、米国のギャロ博士がHTLV-III(ヒトT-リンパ球性ウイルス)として同様の報告をされています。余談ですが、この二人の主導権争いはその後も続き、後になって、真実はギャロ博士がモンターニュのLAVの試料の一部を入手し、独自に発見したと偽ったということが分かり、結局エイズウイルスの発見は83年という事になっているかと思います。くどいようですが、エイズの正体がウイルスであると分かったのは83年以降なのです。ウイルスに限らず、感染病原体の発見年は重要だと考えますので、以下の事例とともに、ご記憶いただければ幸いです。
もう少し、時系列で当時の事実を列挙いたしますと ご存知かとは思いますが、念のため血友病について説明いたしますと、生体で出血が起こりました場合に、当然止血機構が働くわけですが、血液凝固(止血するために、血液が固まること)因子は第IからXIIIまでございます。(VI番は欠番)このうち、第VIII因子が先天的に欠乏している場合を血友病Aと呼び、第IX因子が欠乏しているのを血友病Bと言っています。博学な昇空様でございますから、ご存知でしょうが、ロシア帝政下の怪僧ラスプーチンの例を出すまでもなく、血友病の人は凝固因子製剤の出現以前は、20歳までには亡くなるというのが常識とされておりました。蛇足ですが、通常は色盲と同じく、男子のみが発症するといわれております。(ごくまれに、女性でも発症しますが世界で数例) 一般的には、血友病というのはけがをすると出血が止まらなくて、場合によっては死に至ると理解されておりますが、実際は人間は歩くという行為だけでも、膝などの関節で小さな出血が起きるといわれております。血友病でない人の場合、このような出血を、生体が自動的に止血しているのは言うまでもありません。凝固因子製剤の出現以前には、患者さんはじっとしているか、寝ているという生活を余儀なくされていたのです。それでも、歩かないわけにはいきませんので、膝などの関節が出血のために変形することも多かったようです。当然、仕事をすることは困難で、重い荷物を持つなどという行為はもってのほかだったわけです。 84年だったと思いますが、私が担当をしていた熊本県人吉市の小児科の先生から、AIDS(まだ、エイズと読まない頃です。)についての新聞記事を初めて見せられました。それは、ごく小さな記事でしたが、先生いわく「奇妙な病気があるらしくて、その患者の1%が血友病の人なんだ。」記事の内容では、エイズ患者の内訳は、ホモセクシャルの患者が大半で、あとは麻薬常習者、5%程度の比率でハイチからの移民、そして血友病患者の順でした。「おかしな病気があるんですね。」「なぜ、血友病の人が含まれているんでしょうね?」血友病については、普通の人よりは詳しい立場の私でも、当時はその程度の認識でした。 話を元に戻しますと、後々裁判等で問題になったこの時期、つまり84年から85年には厚生省、ミドリ十字を含む製薬5社、安部先生を班長とする研究班の班員はそれぞれ、全員AIDSの存在を知り、凝固因子製剤にエイズウイルスが混入するかもしれない、という可能性を承知していたと思います。すこし難しいとは思いますが、もっと正確に言えば「HTLV-III抗体が混入していたと知っていた。」と言うほうが、正しいかもしれません。(ただ、医学関係者でないと、この違いは理解しづらいと思います。)後述しますが、現在の知見では、この違いは大変な差なのです。(この無理解が、誤った新聞報道を生んだと考えています。)このあと詳述いたしますが、「ウイルスが混入していた」ことを断定することは、この当時では困難であったと思います。まだ、ウイルスも同定(これが病原体だと確定すること)されていなかったのですから。 ただ、安部先生は血友病患者の血液をギャロ博士に送って、検査を依頼していたそうですし、結果も知らされていたようです。あと、鳥取大学の栗村先生も84年末頃には、独自にLAV抗体の混入を確認していたそうです。(画期的な研究成果です。)この調査では、日本人の血友病患者259名中74名がLAV抗体が陽性であった(現在の知見なら、感染していた)と学会発表。私の知る限り、この学会発表前に血友病患者へのAIDSウイルス抗体の混入を知り得たのは、この2人の学者の周辺と厚生省の担当者だけだったろうと認識しています。もし、ミドリ十字の首脳が有能であったなら、当時のM社長周辺も知っていたかもしれませんが、その可能性は、かなり小さいと思います。学会トップの先生は、軽々には重要な情報を流したりはしないからです。ただ、これが一番大きな争点なのですが、「AIDSウイルス抗体が混入すれば、このAIDSを発症する。」という認識には、誤った見解が大きく影響したであろうと想像できます。実際、この時の判断の誤りが、後に世界中で悲劇を生むことになったのです。 ここは最も重要なところですので、医学的な知識の補足をいたします。生体に、非自己である抗原が進入すると、生体防御のため抗体や免疫細胞といわれるものが出動する、ということは昇空様の法話にもありましたので、良くご存知のことと思います。ただ、この抗体にも2種類あって、抗原を排除できるものと、そうでないものとがあるのをご存知でしょうか? 排除できる抗体を中和抗体と呼び、そうでないものは感染の痕跡としてできた(ただの)抗体といわれます。ご承知の通り、抗体を持っているということは、過去に病原体(抗原)が体内に侵入したことを示すのです。 具体例を示しますと、成人がA型肝炎やB型肝炎に感染した場合には、免疫が正常であれば、中和抗体を作り治癒します。しかし、これがC型肝炎になりますと、中和抗体を作って治癒する人は感染した人の25%程度と言われています。残りの75%の人は、ただの抗体は作りますがウイルスを体内から排除できずに、20年以上経過して肝硬変、肝癌を発病するのです。こういう患者さんを表現する場合に、「HCV(C型肝炎ウイルス)抗体が陽性」(しかし、体内にはHCVは存在する:HCVキャリア)といい、AIDSはC型肝炎と同じケースで、感染した場合は90%以上の人がHIV(エイズウイルス)キャリア(保菌者)になるであろうと考えられています。 上述のHTLV-III抗体の混入の意味は、抗体の混入自体は何の問題もないのですが、抗体と同時に、抗原(エイズウイルス)も混入することが問題なのです。この抗体では、血液原料に含まれる抗原を排除できていないからです。中和抗体は、言うなれば「善玉の抗体」であり、抗体が作られれば、以後はその抗原が進入しても排除され、発病はしません。どちらにしても、抗体そのものが同じ人間のそれなら、他人の抗体が体内に入っても害にはなりません。もうお分かりでしょうが、AIDSの場合、当時は製剤中のHTLV-III抗体を「感染の痕跡としての抗体だろう」と考えたのです。しかし、実際はそうではありませんでした。抗体とともに、抗原(エイズウイルス)も混入していたのです。 ただ、私の推論だけで断定していると思われてもいけません。ここで、当時(85年当時)のAIDSに関する認識を示す文書を紹介いたします。これは、アメリカ血友病協会刊行の「ヘモフィリア インフォメーション イクスチェンジ誌」85年3月特集号の「エイズと血友病」“あなたのご質問にお答えしましょう”というもので、血友病治療のオピニオンリーダーの一人であったH大学保険管理センター(当時)のT.N.先生が翻訳して、85年6月に日本でも専門医、患者さん等に配布されたものです。内容はすべて、QアンドA方式になっております。その中から、いくつか紹介いたします。(以下は、すべて原文通り)
【翻訳者のまえがき】
第1章Q4 患者はどうしてエイズになったのでしょうか?
Q6 将来エイズになるということがわかる、あるいはこの患者はエイズの疑いが強い、といえるような検査法があるのでしょうか? 第2章Q8 LAVとかHTLV-IIIというのは何なんですか?
A8 LAVとは、Lymphadenopathy Associated Virus(リンパ節腺関連ウイルス)の略号で、83年にフランス・パリのパスツール研究所から、エイズの原因の可能性があると報告されたもの。HTLV-IIIは、Human T-cell Lymphotropic Virus III(ヒトリンパ球トロピックウイルスIII)となっています。LAVとHTLV-IIIがまったく同じものなのかどうか現在はわかりませんが、同一である証拠がかなりあがっております。(前述した通りです)
第3章Q16 血友病でエイズになる危険因子とは何なのですか? ずいぶん、専門的な記述が続きまして、誠に申し訳ございませんでした。でも、この当時の日本および米国での、エイズという疾患に関する認識を客観的に、より正確にご理解いただきたいと考え、長々と記載させていただきました。そうです、この当時はこういう認識だったのです。冒頭でも触れましたが、薬害エイズ問題に関して、新聞報道がされるようになったのは92年頃からで、本当の意味での「薬害エイズ問題バッシング」が行われたのは96年でした。 結論的に申し上げますと、『96年当時の医学のレベルで、85年時点での医学知識、医療行為を裁こうとしているのです。』一般読者はもとより、新聞やテレビの報道担当者が、この点を認識していたかどうか定かではありませんが、それは紛れもない事実なのです。昇空様、どうぞ想像してみてください。いくつかの例を引いてみますと、B型肝炎は64年にB.S.Blumbergがオーストラリア抗原を発見してから、安全で有効なワクチンの開発には83年までかかったのです。実際に発売され、市場に出たのは86年以降です。同様に、ライシャワー大使事件でも有名な、非A非B肝炎ウイルスによる輸血後肝炎ですが、30年以上、原因ウイルスを特定できなかったのです。(簡単に言いますと、C型肝炎のウイルスを発見できなかった。)C型肝炎ウイルスが同定されたのは88年です。これは疾患の歴史が長いせいもあり、さすがに、ウイルス同定後の対応は早く89年には、米国カイロン社が検査試薬を開発し、翌年には日本赤十字社も献血のスクリーニングに導入しております。 それから最近の例では、胃潰瘍の主原因であることが解明されたヘリコバクター・ピロリ菌です。これは、85年にオーストラリアの2人の学者が発見しておりますが、わが国でピロリ菌の除菌療法が確立されたのは、つい5年ほど前なのです。梅毒に至っては、コロンブスのアメリカ発見以来500年以上たっても、まだ人類は克服できておりません。このように、新しい病原微生物に対する医学の対応は、ある期間を要するものだと理解をしております。83年の、モンターニュによるウイルス発見から、まだ2年しか経過していない(実際、LAVとHTLV-IIIが同じものだとして、HIVという呼び名で統一されたのは86年でした。)時期に、ベストな医学的な対応を求めているのが、これら一連の報道によるバッシングの真の姿だと考えますが、いかがでしょうか? ベストの対応ができなかったと申し上げましたが、安部先生をはじめとする厚生省研究班の先生方は、この84年から85年の時期に大きな判断ミスを犯したと、私は想像しております。それは、血友病患者がエイズ感染を心配して、安部先生に「先生、現在の凝固因子製剤でエイズになりませんか?」と質問したのに対し、安部先生は「仮に、エイズウイルスが混入していたとしても、エイズを発症するのは3,000人に1人くらいの割合だから、そんなに心配をしなくていいよ。」と答えていたのです。このことを、私も報道で知ったのですが、これを聞いてピンと来るものがありました。 前述しましたとおり、AIDSの原因ウイルスをHTLV-IIIと言いましたが、これとよく似たウイルスによる疾患があるのです。成人T細胞白血病(ATL:Adult T-cell Leukemia)という病気です。わが国の南西沿岸(沖縄県、長崎県、鹿児島県など)を中心に広く分布し、世界では、カリブ海沿岸の国などからも報告されています。このウイルスを体内に持っている人(ウイルスキャリアといいます)のうち、毎年2,500から3,000人に1人が白血病を発症します。日本で多いこともあって、この原因ウイルスを熊本大学第2内科の高月教授が発見しました。世界的な業績ですが、このウイルスの呼び名がHTLV-Iなのです。よく似ているでしょう。同じ仲間のウイルスと考えられているのですが、ただIとIIIの違いだけです。 そうです、安部先生だけでなく世界中の著名な学者が、当初はエイズの発症率をATLと同程度であろうと考えていたのです。前述のアメリカ血友病協会の84年9月の集計でも、「全世界の対象血友病患者50,046名の中で、85名のエイズが確認され」となっていたように、この場合の発症率は590人に1人で、79年から5年が経過していたとするなら、この時点での1年あたりのエイズのそれは、約3,000人に1人と考えられても不思議はなかったのです。86年以降に国内で開催された、ウイルス感染症の権威による基調講演でも、演者が「実は、わたしも当初は、AIDSの発症率をATLと同程度だと考えていたのです。」と話されたそうです。私はこの話を、その講演会に出席していた先生から聞いたのですが、他人からの又聞きですので、講演者の氏名は遠慮させていただきます。 じゃあ、3,000人に1人ならいいのか?と、反論されそうです。この辺は微妙な問題で、医療関係者と一般の人とでは、受け取り方に差があるだろうと思います。医療行為はあくまで、リスクとベネフィットの相対的関係の上で考慮されるものです。飲み薬を服用する場合を想像いただくと、理解しやすいのではないかと思いますが、薬には主作用としての効果と副作用が常に並存しています。病状が大した事なければ、副作用を気にして飲まないで済ませるでしょうし、重篤な状態であれば、重大な副作用の可能性も承知で薬を服用するでしょう。血友病の場合は、前述のヘモフィリア インフォメーション イクスチェンジ誌でもそうですが、世界中の医療関係者が凝固因子製剤の投与を選択したのだと思います。 もうひとつ、潜伏期についても説明させていただきます。一般的に感染症は、病原体が体内に侵入してから発病するまでには、タイムラグがあるとされています。これを潜伏期間というのですが、通常は数日から数ヶ月間と言われております。『HIV感染症(AIDS)の場合、感染初期には感冒様の一過性の症状が見られますが、いわゆるエイズを発症するまでには、非常に個人差が大きく、感染から1〜2年でエイズになってしまう患者(約5%)から、感染後15年以上を経過しても、まだ全く免疫能の正常な患者(約5%)まで様々である。』(97年3月『化学療法の領域』誌、岡慎一先生の論文より引用) これは、あくまでも私見ですが、93年〜94年にかけてアメリカでの血液供給者(売血なのですが)にエイズが多発し始めたころ、いま考えて見ますと、この血液を原料とした凝固因子製剤には、比較的高い確率でウイルスが混入したであろうと予想されます。ご存知かも知れませんが、血液製剤を製造する場合には、約1,000人分の原料血液を一つのタンクに入れて作ります。これを分画(ぶんかく:血液をそれぞれの成分ごとに分ける作業)して、凝固因子は凝固因子だけを濃縮して、他の成分と分離して原料としています。つまり、1,000人の供血者の中に1人でもエイズウイルスの保菌者がいれば、そのタンクからの原料はすべて汚染されていたのです。この非加熱の濃縮凝固因子製剤の投与を受けた血友病患者さんたちは、それぞれの潜伏期を経て、86年以降に、多数の人が発症したのだろうと考えられます。 いわゆる、クリオ(クリオプレピシテート)についても少しだけ説明いたします。上述の濃縮製剤と比べ、この製剤は単純な製法によって作られます。濃縮製剤が一度に1,000人の原料から製造するのに対し、クリオの場合は、1本の製剤を1人から数人の血液から取り出します。そうしますと、エイズウイルスに汚染される確率が、濃縮製剤の数百分の1になります。実際、イクスチェンジ誌にも、『アメリカ血友病協会の医学科学顧問委員会(MASAC)は、ある場合については、第VIII濃縮製剤よりもクリオプレピシテート製剤の方が望ましいと警告しています。』とあります。ただ、Q18「クリオに較べて市販の濃縮製剤の方がエイズの危険性が高いのでしょうか?」と言う質問には、冒頭に『現在のところ、クリオに較べて濃縮製剤の方が危険度が高いという、はっきりとした証拠はありません。』と答えているのです。 しかし、現在の知見で考えると答えは明白です。確かに、私もクリオの方が感染率は格段に低いだろうと思います。それはそうなのですが、結論から申しますと、クリオは基本的には(体重の小さな)小児の患者にしか使用できないのです。医学的な理由は、理解していただくのが少し難しいのですが、簡単に言えば、クリオの方が製剤の精製が良くないのです。専門的には、クリオには第VIII因子のほかに、フィブリノーゲン(第I因子)というものが含まれており、仕事をしている成人に、(このころは、濃縮凝固因子製剤の恩恵で、通常成人と同じ仕事をしている患者さんがたくさんいました。)必要な量をクリオで投与すると、高フィブリノーゲン血症になることが予想され、その副作用の懸念も大きかったのです。 84年のエイズ研究班での小委員会の議論でも、「クリオに戻すべきではないか?」の意見を述べる先生もいらっしゃいました。しかし、安部先生が「もう、濃縮製剤からクリオには戻れない。」と、強硬に主張されたのです。要するに、当時はエイズに対する危険認識が希薄だったから、このような結論を選択してしまったのです。血友病患者の福音とまで賞賛された(当時は)濃縮製剤、クリオから改良されて、仕事ができるようになった患者に、「以前の製剤の方が安全だから、クリオに戻しなさい。その代わり、今までのようには仕事はできなくなるよ。」とは言えなかったのです。エイズという疾病の解明がされた現在ならいざ知らず、92年以降の「クリオなら、もっとエイズを防げたのに。」という意見は、85年の知識レベルを考えると、結果論に過ぎないと私は思います。 もうひとつ、別の角度から申し上げてみたいと思います。85年7月に、国産の加熱第ヲ因子製剤が発売される前、すでに米国産の加熱製剤が存在していました。96年4月ごろの産経新聞に、「米国の加熱製剤はB型肝炎対策だった。」という記事がありました。そうなんです、エイズ対策のために加熱製剤を出していたのではないのです。 いまから私が申し上げる事実に、昇空様は驚かれるかもしれません。同年9月ごろの産経新聞に、各国の血友病患者数とエイズ発症数の一覧表が記載されていました。日本をはじめとして、米国、英国、仏、西ドイツの西欧諸国の血友病患者のエイズ発症率は、いずれも4割程度でした。マスコミ、患者団体、世間から激しく非難された厚生省や安部先生、及びミドリ十字の3者が複合しているのですから、日本だけ突出して高くても不思議ではないはずです。それが、西欧諸国と同程度の発症率に、正直私も衝撃を受けました。発症率が低かったのは、原料血液を輸入していなかった旧ソ連邦、東欧諸国、開発途上国でした。すでに加熱製剤を開発していたはずの米国も、同じように4割の患者さんがエイズを発症していました。私が、「84年から85年にかけて、世界中の学者、医療関係者が安部先生と同様の間違いをした。」と前述しましたのも、この記事を根拠に申し上げております。 同様に、ミドリ十字と他の製薬メーカー4社間でも、発症率には差はなかったと考えております。これは日本固有の風土かもしれませんが、厚生省ではG課長の後任者が、医学界では安部先生が、それこそ火の出るような糾弾をされ、ミドリ十字に至っては説明の要がないのはご承知の通りです。外国では、フランスの担当者が殺人罪で告発されたという報道がありました。訴訟社会のアメリカで、このような論争があったかどうか知りませんが、私は承知しておりません。 交通違反で反則切符を切られた人が、「どうして、オレだけなんだ。他の人も、やっているじゃないか。」と言っているのを耳にすることがありますが、私はそういう主張は好きではありません。私事で恐縮ですが、学生時代から営業の仕事について以来、速度超過などで20数回反則金、罰金を払いました。免停にも5回なりましたが、検挙された警察官に「なぜ、僕だけを」とは一度も言ったことはありません。わたしが違反をしたのは事実だったからです。今回も、「外国と同じだからとか、他の会社もそうだから罪がない。」と申し上げているわけではないのです。昨今の、異性間のHIV感染症の蔓延を聞かされますと、私は、エイズと言う病気は「天の啓示」ではないかとさえ感じます。だからこそ、血友病患者さんの被った悲劇には、本当に心が痛むのです。当時は、それこそ青天の霹靂であったと思うのです。他人の血液による医療行為に対して。「お金があるから輸入すればよい。」というものではないと、痛切に感じます。誠に残念ですが、人智が及ばなかったのです。それこそ、仏法で言う「人間の知恵など、高が知れている。」と思うのです。 86年以降には、厚生省が「エイズ予防法」(防止法だったかも知れません)なるものを施行し、異性間の感染患者が大々的に報道され、(当初は、出稼ぎともいうべき外国人が多かった)そのころにはエイズの発病者も急増し、疾病そのものに関する医学的知識も格段に進歩してきました。感染が判明した血友病患者が、この「エイズ予防法」によるエイズ患者への蔑視、偏見の風潮から逃れ、ただじっとして、世間を怖れ、慄いていたのが86年から92年頃ではなかったかと思います。この時期は、すでに加熱製剤も発売していたし、私も血友病患者さんの感染、発病については正直、よく知りませんでした。この「エイズ予防法」に隠された真意にも気づかず、一般の新聞読者と大差ない認識しか持っていませんでした。 安部先生も、今月の26日に亡くなられました。血友病治療におけるわが国の権威として君臨し、医学界はもとより、大学病院、厚生省、患者さん、製薬メーカーに至るまで、権勢を欲しいままにしたカリスマ。先生のご家族、近親者、医学界での理解者を除けば、たぶん、世間では私が一番、安部先生の無念さを理解しているのではないかと思うのです。心ひそかに、先生に感謝されている患者さんも、少なからずいらっしゃるのではないかと推察いたしております。安部先生が一審で無罪になった事実を、マスコミはどういう風に受け止めているのでしょうか。ミドリ十字は、その後Y製薬と合併し(事実上の吸収でしたが)、慣れない環境の中で、私も日々の職務に追われる生活で、ついぞ、裁判記録を読むこともありませんでしたが、おそらく、私が述べましたような論点が認められたのだと、ひそかに裁判官の見識に感服いたしました。 私は、(株)ミドリ十字に入社して初めて、血友病について詳しく知ることとなりましたが、当時、この製剤がミドリ十字の製品の中で一番すばらしいと(有益だと)考えていたものです。私の担当する肢体不自由児のための施設に、やはり血友病の患者さんがいまして、補助具をつけて運動をする場合の適正な製剤の量に関して、真剣に文献を探した記憶があります。本来、製薬会社の社員が患者さんと直に接触するのは、倫理的には好ましくないのですが、患者さんが中学生で、腕白盛りということもあり、プロレス好きと聞いて、レスリングの雑誌などを持参して励ましたこともございました。「あの子は、今はどうしているだろう?」と忸怩たる想いで、現在の境遇について考えたこともあります。 もちろん、私はミドリ十字、安部先生、厚生省の行為を正当化しようとしているのではありません。血友病患者さんたちのエイズ発症は、本当に不幸な事実だと捉えております。ただ、「命より会社の利益を優先した。」とマスコミから糾弾された時、「そんな事は、断じてなかった。」のに、どうしてあの時ただ沈黙をしたのか? 何故、大きな声で会社の正当性を訴えることが出来なかったのか? 今考えてみても、よくわかりません。患者さん達の悲劇を前に、論理と言うものが砕け散っていたのかも知れません。正直に申し上げると、一度だけ、日本テレビに電話をして、「今日の出来事」のディレクターと1時間ほど話したことがあります。ディレクターも、真摯に私の話を聞いてくれたと思います。(本当は、会社に無断でマスコミと接触するのを禁じられていました。)心なしか、それ以降は同番組でも、訳のわからないバッシングは減ったように感じたのですが、単なる気のせいかもしれません。 もちろん、ミドリ十字の社員全員が崇高で、倫理的だなどとは思っておりません。しかし、自分は凝固因子製剤を誇りにしていたし、少なくとも、当時の私が所属していた支店には、「売れれば、患者さんのことは気にしない。」などという風潮はありませんでした。私は、常々「製薬会社の社員はモラルが高い」と思っておりますし、世間の人も一応そう考えているようです。よく、「犬が人に噛みついてもニュースにはならないが、人が犬に噛みつくとニュースになる。」とか申しますが、患者さんのために献身的に尽くすべき厚生省、医師、および同じ立場の製薬会社が、「患者より、自己の利益を優先した。」というのが、マスメディアのストーリーなのかな、と考える自分が愚かに思えることがあります。 最近、よき師T.M.先生に勧められ、元大谷大学学長 小川一乗先生の講演のテープを聞きました。テーマは、「脳死移植について、仏教の立場から」というものでしたが、その中で先生は「生きてるもの同士は、助け合わなければならないが、死んだ人をも当てにする命というものはない。」というような趣旨のお話をなさっておられました。「生から生は是だが、死から生は非。」ということなら、輸血や凝固因子製剤の投与というものは、許されるという事でしょうか。いろいろ、考えさせていただきました。今回、このような長文をものにしたのも、小川先生とのご縁をいただいたお陰かな、と感謝をいたしております。 最後に、今でもよくわからない、うれしい話で終わりにしたいと思います。96年のミドリ十字バッシングの時、北九州営業所の所長をしていました、というのは最初に申し上げました。この年は、全国的な不買の嵐で、会社の売り上げが対前年比で25%ダウンしたのです。この25%減を多いと考えるか、少ないと考えるかは立場の違いかと存じます。でも、雪印乳業よりは少ないでしょう。全国の自治体で、議会による不買決議がなされ、8つの政令指定都市の市立病院では、北九州市以外はすべて、何らかの不買が実施されました。北九州市の場合は、市議会での病院局長(5病院の統括責任者)の答弁、「ミドリ十字を不買にすると、日常診療に支障をきたす。」の鶴の一声で、従来どおりとなりました。 不買が、もっと激しかったのが、共産党系の民主医療連合会の病院でした。全国に、たくさんの病院をかかえているのですが、もともと共産党は、国会でもミドリ十字を取り上げて非難していましたし、ほとんどの病院で不買決議がなされていたと聞いています。北九州市にも、5軒の病院がございましたが、そのトップの院長先生の「もう、いいだろう。これ以上は、可哀想だよ。」で、何もございませんでした。今でも、「何故、お2人は不買をされなかったのか?」とても、不思議な気持ちです。 そのほか、病院の院長先生と事務長さんには、ほぼ全員お目にかかりましたし、お詫びも申し上げました。何人かの院長先生は、「私はミドリ十字は好きではないが、マスコミはもっと信用できない。」と言われ、多くの事務長さんから「頑張れよ。」と、逆に励まされました。新聞報道があるたびに苦しい毎日でしたが、面談後「人間っていいな。有難いなあ。」本当にそう思ったのです。たぶんこの年が、所員のために一番役に立てたのではと、今でも私の心の支えになっております。 最後は少し自慢をしてしまいましたが、これで終わります。このような話をしたのは、昇空様が初めてではございません。その当時、特に親交のあった先生には、5人くらいに話しました。30分ほど説明すると、どの先生も納得されました。そして、一様にいわれる言葉が「どうして、新聞に意見広告などを出して、その主張をしないの?」でした。96年当時のK社長は、とても人間味のある人でしたが、製造畑出身ということもあり、今までに私が延々と述べた事実の、何分の1くらいしか知らなかったと思います。そして、あの土下座です。全社員が失望したと思います。でも、社長は「きっと、前任者が不誠実な事をしたんだろう。」と思ったんでしょうね。いまとなっては、それを伺うすべもありません。ただ、昇空様に、誤解なく伝わりますことを願っております。長々と、本当にありがとうございました。合掌 平成17年5月2日 深夜 N市 S.T.
先ほど、貴HP上の「お便りのコーナー」を拝読していて気づいたのですが、その後に送信した下記のメールは、どうやら届いていなかったようです。(時々、こういうことがあるのです。)(…中略…) 実は、返信がないものですから、「最初のお答えで完了したのだ。」と考え、T先生の、月に一度の「歎異抄に聞く会」で同様の質問をしてしまいました。本来、一つの質問を2人以上の人にするのは、良しとしないのですがやり取りが、中途半端な形で終わるのも、今後の昇空様との信頼関係にも災いするのでは、と心配いたしております。 つきましては、上記の理由で、はなはだ恐縮とは存じますが、もう一度、同じ質問をさせていただけないでしょうか? このような事情をご理解の上、ご教授いただけましたら幸いです。合掌 H.17.5.5 N市 TS
(添付書類) 私は現在、宇佐市のMT先生のもとでご指導をいただいておりますが、1年が経過した今、頭ではだいぶ分かってきました。しかし、結局は(仏法を)知識として理解しているにすぎない自分がいます。でも、まだ1年ですから。「仏法が、そんな簡単なものじゃない。」ということは、少しだけ分かってきました。先のことはわかりませんが、いのちをいただいている間は聞法を続けて生きたいと考えております。 そこで、1つだけ質問をさせてください。阿弥陀仏は「無量寿」、「無量光」と教えられます。「無量光=仏の智慧」は、一応「光」と書いていますから、(1億5000万光年の空間をイメージして)自分なりに納得しています。それが、本当は違うというのも分かっています。ただ、「無量寿=永遠のいのち」がどうしても、私の中でイメージできません。 たまたま読んでおりました、細川巌先生(田畑先生が師事されました)著『歎異抄講読』(第5章)の「何れも何れも、この順次生に仏に成りて助け候うべきなり。」の解説で、次のような記述がありました。 「あるところでこういう話を聞いたことがある。ある篤信のおばあさんが言いなさった。私のおじいさんは深く聞法した人であった。私は両親が早く亡くなって、そのおじいさんの所で育てられた。おじいさんはいつも、小さな子供の私に言われる。『わしは仏になってな、お前を必ず守ってやるぞ。』と、その小さな子供の私に言って聞かしなさった。本当に素朴な話ですね。自分が仏になって必ず守ってやるから心配するなと言って、仏法を聞いてくれよと言われた。実にいい所を言ってある。誠にその通りである。我々が永遠の時というものを持つと、この世は衆生、この次の世は『順次生に仏になりて助け候うべきなり』というものが生まれてくる。(後略)」
この記述の中の、おじいさんの「いのち」は「無量寿」というべきものなのでしょうか? 文が少し長くなり、読みづらくなりましたことをお詫びいたします。なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。合掌 H.17.4.7 大分県N市 TS
たしかに、細川先生の解説にある、「わしは仏になってな、お前を必ず守ってやるぞ」という、おじいさんの言葉は、お孫さんが生涯忘れることのできない、素朴で情感豊か言葉だと思います。 ですが、本当に大切なのは、その次にある「仏法を聞いてくれよ」という言葉の方です。この言葉を、お孫さんに間違いなく手渡すために、おじいさんは、「わしは仏になってな、お前を必ず守ってやるぞ」と、おっしゃったのだと思います。 「わしは仏になってな、お前を必ず守ってやるぞ」というのは、「お前には、ケガをさせない、病気にならせない、苦しい思いをさせない、死なせない」という意味ではありませんでしょう。そうではなくて、「苦しいときにも、悲しいときにも、お前を照らしている光となる」という意味でしょう。わたしたちが、その光に気づけるようになるのは、仏法を聞いてからなのです。 「仏法を聞いてくれよ」。この言葉こそ、お孫さんに対する、おじいさんの慈悲の発露です。仏法を聞いて、はじめて、「わしは仏になってな、お前を必ず守ってやるぞ」という言葉の意味が分かるようになるのです。 細川先生は、「我々が永遠の時というものを持つと」とおっしゃっていますが、それは、「仏法にふれて、お念仏を称えるようになると」ということでしょう。諸行無常世界に「永遠の時」をかいま見せてくれるのが、聞法とお念仏の生活です。 ご縁を頂くごとにお話申し上げることですが、私たちの「いのち」の真実の姿は、「わたし」も「あなた」もなく、「ひとつ」です。その「ひとつ」の世界が、「無量寿」であり「無量光」なのです。つまりは、「無量寿」「無量光」こそ、わたしたちの本当の姿なのです。おじいさんの「いのち」が無量寿なのではなくて、わたしたちの「いのちの真実」が無量寿なのです。 「私たちは、無量寿世界から生まれてきて、また、その無量寿世界へと帰っていく」のです。聞法とお念仏の生活のなかで、そのことに本当に気づけたら、苦しいときにも、悲しいときにも、心安らかに生きる力が湧いてくるでしょう。それこそが、「お前を必ず守ってやるぞ」という言葉の意味するところです。 「そのことに気づいてくれよ」。それが、おじいさんの願いであり、仏様の願いです。私たちが合掌する姿は、その願いを、改めて受け止める姿なのです。 「無量寿」とは、永遠のことです。「永遠」は、イメージできません。ただ、感じるしかないと思います。
これでご質問にお応えしたことになるのかどうか分かりませんけれど、ひとまずご返信申し上げます。合掌
昇空様の法話にもございましたが、「人生には、偶然はない。」「私が必要とすることではなく、私に必要なことが起こる。」ということでしょうか。 よき師T先生に、常々お教えいただいている事も「自分のまわりにおきる事柄を、『仏なら、こんな時にはどう考えるだろう?』という視点で、人生をいただいていく。」ということでした。 今回、昇空様のご回答を読ませていただいて、ああ、自分は「法話のときは法話として、聞法のときは聞法としてしか聞いていなかったなあ。」と感じました。 お馴染みの唯識の図で、アラヤ識では「一如」として、「いのち」はみな、つながっているとありました。くりかえし、何度も法話を聞いておりますのに、やはり「法話テープ」としてしか捉えられない自分がいることに、気づかせていただきました。 本当にありがとうございました。また、質問をさせていただきますのでその節にも、どうぞよろしくお願い申し上げます。合掌 H.17.5.6 N市 TS
信心決定(獲得)は、第十八願に達した機が二種深信を通して如来から賜った信心によって完成すると言われています。蓮如上人は信心決定後の念仏は、如来から賜った信心に対する御礼として、佛恩報謝の念仏になるとおっしゃっています。 信心決定後の念仏=佛恩報謝の念仏という関係は理解できます。ところが信心決定前は親鸞聖人によれば、三願転入により、19願、20願を経由するとおっしゃってます。
19願は、修諸功徳の願ですから宿善の励行であり、20願の植諸読本は自力の念仏と言われています。
蓮如上人は、「雑行雑修自力の心を振り捨てて」と強調されています。そうしますと、宿善も念仏も、 (3)そして、最終的には、「雑行雑修自力の心」を零にできない私だったと観念するときに「機の深信」に至って、即同時に「法の深信」の到来により、第十八願の他力の信心が完成して、信心決定に至るのでしょうか。 (4)如来から賜る信心の際には、機はまばゆいほどの光明に包まれ、正覚の大音たる如来の呼び声が十方に響流すると言われています。これは、信心獲得した方々の共通体験として認知されているのですか。この体験をもってして、どうして「横超により正定聚の位に住する」ことが証明できるのでしょうか。 (5)無量寿経の本願成就文によれば、「信心歓喜乃至一念」とあり、第十八願のように「乃至十念」がありません。また、嘆異抄では、「念仏申さんと思い立つ心の起こる時、摂取・・・」とあります。これをみると、念仏よりも信心優先と受け取れますが、親鸞聖人は信心決定の前に、19願、20願のルートを通れとおっしゃる。そーすると、信心決定の前に実際にやることは、宿善と念仏です。
実際の生活では、宿善では聞法第一で聴聞を頻繁に重ねる中で、念仏は聴聞の後、おつとめの後で称えることが基本パターンとなっています。これは本願成就文の意に叶うのでしょうか。要は、信心正因が本願成就文の主旨だとすれば、これと三願転入19願・20願の関係が分かりません。敬具 MS
(6)信心獲得時及び其の前後おける他力と自力の関係ついて (B)信心獲得以降では、如来から他力の信心を賜ったのであるから、獲信後に始まる生活こそ、他力に支えられた生活、自然法爾の生活となるのでしょうか。 (C)信心獲得前では、19願、20願であるから自力ではないかと(1)(2)で指摘しました。これは最終的には18願に至るための方便とも云われています。如来に対して、はからいのないのが他力だとも言われていますので、信心獲得前では、(A),(B)の他力を志向しながらの生活。つまり、仕事や勉強など人間の行う一切の行動は、粉骨砕身努力するが、そのやった結果がどう出るかは、如来に任せて自然に生きる。つまり、信心獲得前では、表面的には自力であるが、自力から他力を志向する生活となるのだろうか。
(D)信心獲得が(A)で述べた通りであるならば、実際に信心獲得できる方の数が問題となる。親鸞聖人が法然聖人のお弟子の頃は、弟子の数は300余名だったそうです。この中で信心獲得された方は10名に満たなかったそうです。つまり3%弱となります。これを現代にあてはめれば、もっと%は下がるかも知れません。このことは、大多数の方々が(C)のままで一生を終わるかも知れないと言うことです。信心獲得を目指すのは大事だが、未獲得者が多い現実をどう踏まえるべきでしょうか。敬具 MS
S様は、「信心決定の前と後の関係について、いまだ不明な点がある」とのことで、お尋ねを頂きましたが、本来、信仰というものは、「こうなれば、ああなる」というように、理屈の上でパターン化されるものではございません。 「三願転入」にしても、「19願、20願、のルートを通って、18願に至れ」というものではなく、親鸞聖人が、ご自身の信仰確立の軌跡を、あとで振り返ってお考えになってみれば、「自分は、大無量寿経に説かれている、19願、20願を経て、本願(18願)に至ったのだなあ」という、いわば反省的な分析です。 そのお言葉をもとにして、のちには、三願転入をひとつの論理的パターンとして捉える考え方が、信仰を説明する教学上の要請から形成されてまいります。ですが、実際の信仰確立が、常にそのような論理的パターンに沿って実現されるものではございません。 たしかに、他力信仰確立のプロセスには、19願、20願、18願という、ひとつの流れが内在していることは間違いないように思われます。つまりは、善悪の固定観念に捕らわれて善を極めようとしている段階(19願)、念仏を称えながらも善悪の観念を離れられない段階(20願)、一切のはからいを離れて他力念仏に帰する段階(18願)です。 親鸞聖人の場合ですと、比叡山でのご修行が19願の段階、法然上人に出会われてから何年かの間が20願の段階、そして、晩年に「自然法爾」をお説きになったときまでには、18願の段階に到達されていたと考えられます。 ですが、19願にしろ20願にしろ、全て弥陀の誓願であることに変わりはありません。19願の段階であれ、20願の段階であれ、仏の掌のなかを飛び回っている孫悟空のようなものです。それが、縁あって、「ああ、自分は仏の掌のなかを飛び回っていたのだなあ」と気づかせてもらったとき、18願に至ったと言うのです。 18願が体得されたときには、大きな感激に満たされるに違いありません。その、言葉では表現できないような大きな感激を、「機はまばゆいほどの光明に包まれ、正覚の大音たる如来の呼び声が十方に響流する」と言っているのです。それはつまり、天変地異に類する現象が起こるということではなく、「機」のなかに生ずる大変革を言っているのです。「偉人が亡くなるときに、紫雲がたなびき奇瑞が起こる」というのも、同じことでしょうね。 18願が体得されるかどうかは「縁」によります。「どういう方向で努力すればよいのか」という考えは、すでに「はからい」です。こういう行き方をしようとか、ああいう行き方をしようと思ってみたところで、自力の枠のなかから抜け出せるわけではありません。では、どう生きればよいのかと言えば、どう生きてもよいのです。お念仏とともにあるなら、どう生きてもよいのです。 信心獲得の「獲得」というのは言葉の綾でして、それは決して、今まで持っていなかった物を手に入れることではありません。そうではなくて、信心獲得というのは、「全てが既に与えられていること(賜っていること)に気づくこと」なのです。そこに至るのに、特別のルートや、基本のパターンがあるわけではありません。ただただ、お念仏とともにある生活があるだけです。 私たちは、世間の相対的な善悪を絶対視して、善を求めることに価値をおきがちです。そのため、信仰確立のプロセスにも「正しい道」(善)があるに違いないと、頭のなかで18願に至る地図を求めて、右往左往しがちですが、そういう「はからい」こそが、信仰確立への足かせになっているのではないかとも思います。 「念仏なんか称えて何になる」というのも「はからい」ですが、「念仏を称えることで往生しよう」というのも「はからい」です。そして、「念仏に何らかの現実的効果を求めようとする」のも、また「はからい」なのです。「はからい」を離れて、ただただ「お念仏」とともにある生活のなかで、縁あって開かれてくる境地、それが18願の体得です。「信なくば、つとめて御名を称うべし、御名より開く、信心の華」という道歌があります。よくよく味わうべき言葉かと思います。 生活の中心にお念仏があれば、おのずと心が「いのちの真実」に向かって開いてまいります。心が開いてくると、そこに、何でもない日常の出来事を、「ご縁」として受け止められるようになってまいります。それまでは、何でもない日常の出来事だったことに、「他力」の働きを感じることができるようになってくるということです。 「どこまでが自力で、どこからが他力か」といった問題意識は、それ自体、信仰から遠い発想ではないかと思います。そういう「はからい」を自力と言うのでして、大切なのは常に働いている他力への気づきなのです。 その気づきは、「私」自身への気づきです。親鸞聖人は、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』『口伝鈔』)と、おおせになっておられます。弟子の数が何人いたとか、信心獲得した人は何人だったとか、そういったことは、本来「信心」とは関わりのないことです。蓮如上人も、「一宗の繁昌と申すは人の多くあつまり威の大いなる事にてはなく候。一人なりとも人の信をとるが一宗の繁昌に候」(『蓮如上人御一代記聞書』)と、おおせです。 世間では、布教や教化が宗教活動の核にあるように申しますが、布教や教化は、いわば一種の精神的帝国主義にすぎません。そうではなくて、宗教の核は、日々「私」が聞かせて頂くことにあり、日々「私」の気づきを深めていくことにあると、信じております。 問題なのは、常に「私」です。世界の中心は「私」の心にございます。私たちは、世界に働きかけることばかり考えておりますが、聞法とお念仏の生活のなかで、「私」が変わる以外に世界が変わる道はないかと存じます。「私」が変わって、世界から奪わなくなっていく分だけ、世界も安らかになっていく。往相と還相は別物ではありません。「私」が変わっていくこと(往相)は、とりもなおさず、世界が変わっていくこと(還相)です。 これまで、S様からは何度かご質問を頂戴いたしましたが、いずれも信仰の理論的解釈(教学)に関するお尋ねだったように記憶いたしております。たしかに、教学のめざす信仰の理論的整合性も大切ではありましょうけれども、それは知的関心が向かうところでございまして、そこではなかなか、「私」が問題になり、「私」が問われることは少ないように思われます。 これまで、お尋ねには、分かります範囲で、お応え申し上げてまいりましたが、私自身は、教学について、さほど知識も関心もございませんので、今後そういう方面の疑問をお持ちになりました際には、辞書をご覧になるなり、専門の学者にお問い合せになるなりなさって頂きますよう、お願い申し上げます。
これまでに頂きましたご縁に感謝いたしますとともに、お念仏をお大切にお過ごしくださいますよう、心より念じ上げます。合掌
実際の信仰確立が、常にそのような論理的パターンに沿って実現されるものではない、あくまで参考だということを基調に、念仏と共に淡々と生きたいと思います。そのうちに、最終帰着、18願に入れる縁がありますように。 私は、今まで理論的整合性だけに注目していて、「私」が問題になっていませんでした。このご指摘、本当に有り難うございました。これからも紫雲寺での法話がどんどん世に出ていくことを御期待申し上げます。 追伸: 蓮如上人の「一宗の繁昌」でいう信心の重要性と道歌「信なくば、つとめて御名を称うべし、御名より開く、信心の華」のご紹介に痛く感銘しました。念仏生活の中で、縁あって体得される18願の足音が聞こえるようです。敬具 MS
ワイスさんの本も読まれておられ、整体院もされておられて、お坊さんの枠を超えて活動されておられるようです。場所も僕の母の里のすぐ近く。今宮神社のあぶり餅や、その近辺の機織り機(だったかな)の音を小さいころ何度も聞いています。
私は、なにもない人間ですが、お時間が許せばお話をお聞かせいただければと思います。突然のメールで失礼しました。TH
とりわけ何ということもない、ただの坊さんですが、よろしければ、どうぞお立ち寄りください。所用で他出することもございますので、2〜3日前にでもご連絡を頂きましたら、お待ちいたしております。お返事が遅れ、失礼いたしました。合掌
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