お便り&お返事 (2009年)

更新:2009年11月10日



ご注文  2009年1月10日 (土)
 釈昇空様 明けまして、おめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。もし在庫がございましたら、第41話『いのちのなかま』のCDを購入したいと存じます。煩悩を容認し、煩悩を膨らませ続けて、経済繁栄の道を突っ走って来たアメリカ的資本主義社会の終焉を迎えたのかも知れません。アメリカではなく、日本こそがチェンジ(と言うよりも日本古来の『和(やわらぎ)の心』に回帰)し、世界に範を示すべきではないかと思っております。今年も仏法に学んで参りたいと存じております。合掌 KO



神戸の KO様へ
Re: ご注文  2009年1月10日(土)
 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。法話CD「いのちのなかま」(第41話)をご注文くださり有り難うございます。CDは本日「クロネコメール便」でお送りいたしましたので、遅くとも数日中にはお手元にお届けできるかと存じます。とりたてて明るい材料もないようですが、本年が穏やかな一年でありますよう、念じております。合掌




法話の録音テープについて 2009年2月3日(火)
 はじめまして。私は愛媛県の A と申します。ご縁をいただきましてホームページを楽しみに見させていただいております。法話の録音テープ(CD)を購入させていただきたいのですが、諸手続き等をお知らせいただけますでしょうか。在庫がございましたら、第31巻〜第41巻までのCDをお願いしたいのですが、可能でしょうか。ご返信をお待ちしております。よろしくお願いいたします。 追記:第31巻以前の法話はCD化はなされていないのでしょうか。



愛媛の YA 様へ
Re: 法話の録音テープについて 2009年2月4日(水)
 はじめまして。メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにご関心をお寄せくださり、有り難うございます。また、このたびは、法話CDのご注文を頂き、有り難うございます。お尋ね頂きました第31話〜第41話のCDは在庫がございます。その他の話もCD化する予定でおりますが、ただいまのところ、CD化できておりますのは第21話と第29話だけでございます。ご注文頂きましたら、二三日中に、郵便振替用紙を同封してお送りいたします。よろしくお願いいたします。合掌



Re: 法話の録音テープについて 2009年2月4日(水)
 伴戸昇空さま ご返信ありがとうございます。第31話〜第41話のCDをお願いいたします。到着を楽しみに待っております。よろしくお願いいたします。



Re: 法話の録音テープについて 2009年2月11日(水)
 紫雲寺 伴戸昇空様 法話CDをご送付いただきましてありがとうございました。昇空さまのご法話はわたしのような者にでもわかりやすく聴かせていただくことができます。このご縁がとても嬉しく思います。ほんとうにありがとうございます。




ご無沙汰しています 2009年2月8日(日)
 紫雲寺 伴戸昇空様 こんばんは、F です。昨年1月に、Geiger の『Pali 文献と言語』についてお尋ねした際には、お返事をいただきありがとうございました。同書はコピーを入手できまして、細々とですが、そちらも参考にしながらPali語を学習をしています。なかなか時間がとれず、単語が覚えられなくて困っ ています(単なる言い訳ですが・・・)。

 さて、貴HPの「お便り&お返事 (2008年)」で3月20日(春分の日、彼岸中日)に「春の彼岸会」を催されるとありましたが、今年も開催されるのでしょうか。都合がつけば一度お参りに伺いたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。KF拝



大阪の KF様へ
Re: ご無沙汰しています 2009年2月8日(日)
 こんばんは。メールを拝受いたしました。ご連絡をくださり、有り難うございます。昨年の3月にハードディスクがクラッシュしまして、メールアドレスを全て失い、困惑いたしておりました。 『Pali文献と言語』、今もご関心がおありでしたら、お詫びの代わりと申しましてはなんですが、差し上げます。

 3月20日の春分の日には、彼岸会をお勤めいたします。ご都合がよろしければ、どうぞお参りください。話は不味くとも、法話のあとのオハギは美味いです。心よりお待ち申し上げております。合掌



どうもありがとうございました 2009年3月20日(金)
 紫雲寺 伴戸昇空様 こんばんは、F です。本日は、『Pali文献と言語』とおはぎを始めとしてたくさんご馳走になりどうもありがとうございました。法話ものそのあとのオハギなども美味しくいただきました。

 私はまだ「おくりびと」を観ていませんが、レンタルビデオ店で借りて来ようと思います。今日の御法話では生と死についてお話下さりましたが、私が佛教に惹かれるようになった一つの原因は死後に対する不安、もう一つは生きていく上での心の持ちようについての疑問でした。前者は一つには自身の死と共に身近な人々を見送ることに対する恐怖(ある意味、自身の死よりも恐れているかもしれません)、後者はどうすれば、暴流のような心を少しでも、落ち着かせることができるのかについてと言うことですが、執着心を減らす(無くすことはできないにしても)ことでこれらの問題を解決できると教えられても、一向に解決しません。もっとも、これが解決できれば悟ったということなのかも知れません。

 私は長い間、浄土真宗では、生きていることよりも、極楽浄土の方にウエイトを置いているかのような印象を持っていましたが、それは大きな誤解なのだと思います。また、信楽峻麿氏の「親鸞とその思想」で知ったのですが、浄土真宗にも様々な考え方があるようですし、Pali原典にも通じておられる伴戸様にいろいろお聞きしたいと思いますし、伴戸様がPali佛教、真宗、フランクル心理学・・・をどのように共存させておられるのかについても機会があればお聞きしたいと思っています。 本日はどうもありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。F 拝



大阪の KF様へ
Re: どうもありがとうございました 2009年3月20日(金)
 こんばんは。メールを拝受いたしました。本日は、遠路お運びを頂き、有り難うございました。お考えのとおり、執着心を減らすことは難しいのです。執着心も自力なら、減らそうとするのも自力ですからね。右手で右手をたたくことはできません。禅問答みたいですが。

 ご縁がありましたら、またお立ち寄りください。たいていは寺に居りますが、念のため、前もってご連絡くださると有り難く存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。合掌




(無題) 2009年3月17日(火)
紫雲寺 伴戸昇空様 はじめまして。京都市内在住の T と申します。大谷大学で真宗学を学んでました。こちらのホームページの法話には、幅広い視点から仏教をみるだけでなく、実際に念仏申すという実践面でのお話もあり、引き込まれて読ませていただきました。もしよろしければ、一度紫雲寺様に参拝して御法話を聞法させていただきたいのですが、今度の彼岸会では御法話をなされますでしょうか? TT



T様へ
Re: (無題) 2009年3月18日(水)
 はじめまして。メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにご関心をお寄せくださり、ありがとうございます。

 お彼岸(20日)には、午後2時から20分ほど、正信偈(同朋法讃式)をお勤めしてから、お話をさせて頂きます。講題は「生きる力」です。思いつくままの、いささかまとまりのない話です、よろしければ、どうぞお参りください。ご来駕を、こころよりお待ち申し上げております。

 お時間がゆるせば、法話の後に、簡単な御齊をお出しいたしますので、お召し上がりください。どうぞ、お気楽にお運びください。気楽なだけが取り柄の寺ですから。合掌




はじめまして。 2009年8月28日(金)
 はじめまして。K と申します。「浄土」とGoogleで検索しました。そして「心の青年への手紙」に行き当たりました。プリントさせていただき読ませていただいています。私はカトリック信者です。親鸞についてもいくつかの導きの書を読んでおります。この「心の青年への手紙」を読んで、深い感銘を受けました。

 西洋から伝わった神への出会いは私を変えてくださいました。しかし、心の深いところで「喜んで、安心して」という具合には至りません。自然の中に入り、深い息をするときに「包まれ、ともに」という感覚に至ります。日本人のなかにある「命」というあこがれと、西洋の「天におられる神」へのあこがれが、こころの深いところでつなっがていかないことにとまどっておりました。もちろん、信仰が深くこの命をすべて捧げることが出来れば、「天におられる父」との交わりに今も至ることができるのでしょうが…。

 この「心の青年への手紙」が大きな視野に立たせていただきました。感謝の気持ちをお伝えしたく、メールさせていただきました。乱文ですがお許しください。京都へ行く機会がありましたら、是非紫雲寺にお伺いできればと願っております。このような機会をいただいたことに重ねて感謝です。ありがとうございました。



MK様へ
Re: はじめまして。 2009年8月28日(金)
 はじめまして。メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにご関心をお寄せくださり、有り難うございます。また、拙い話に過分なお言葉を頂戴し、恐縮に存じます。京都にお越しのおりには、どうぞご遠慮なくお立ち寄りください。こころよりお待ち申し上げております。合掌




ご無沙汰しています 2009年9月24日(木)
 釋昇空様 ご無沙汰しています。以前、「PALI 文献と言語」をお譲りいただいた F です。今年の春にお邪魔して、秋にもまた、お話を伺いに行こうとしていたのですが、都合がつきませんでした。HP上に公開していただいた法話を拝読したところです。

 私も元来、気の短い性質(たち)で、佛教解説書を読んで、心の平安を求めることの大切さは重々理解しているつもりですが、いざとなると、やはり腹を立ててしまいます。

 「仏教は、自分を見る目を育てる教えでしてね、仏教を聞いても、『ちょっとはましな人間』になんかなりませんよ。」

 腹を立てるたびに、痛感します。

 「たしかに、阿弥陀様というのも、親様というのも、『たとえばなし』です。物語ですよ。」

 私も、浄土教の解説を読んでいて、最も引っかかるのが、あまりにも極楽浄土や阿弥陀様を実体視しているように感じたからでした。しかし、最近になって、それが例え話なのではないかと思うようになってきました。例えば唯識にしても、心の分析であれほど複雑なモデルを構築しているのを見ると、私にはどうしても実体視して見えてしまうので、言葉は悪いですが、嘘くさく思えてしまいます。

 とは言え、もしも浄土教から、阿弥陀様を抜いてしまったならば、日本でこれほど多くの人の共感を得られたとは思えませんので、取っ掛かりとしては優れた解釈だと思います。また、別に理屈はどうであれ(原始の佛教の教えと整合性が取れていなくても)、少しでも安堵を得ることができれば、それで十分に役割を果たしていると最近は思うようになりました。

 PALIも学ばれた釋昇空様は、おそらくPALI佛典も多く学ばれたのだと思いますが、そこに伝えられた教えと、その後の佛教の教え(浄土教・唯識・禅宗・・・)の折り合いをどのようにつけておられるのでしょうか。僧籍にも、寺院にも全く関係ない身ながら、私の頭から離れようとしないテーマです。

 「死神は、後ろからそっと近づいてきて、ポンポンと肩をたたくんですよ。それが今日かもしれない、明日かもしれないって、考えたこと、おありですか。」

 何かの本で、カレンダーのどこか一日が、我々の命日になるのだと読みました。また、お伺いして、お話をお聞きしたいと思います。これから、インフルエンザの流行も予想されます。ご家族共々、どうぞ健康に注意して、お過ごし下さい。 KF 拝



大阪の KF様へ
Re: ご無沙汰しています 2009年9月26日(土)
こんばんは。メールを拝受いたしました。早速のアクセス、有り難うございます。お返事を差し上げるのが遅くなり、大変失礼いたしました。

 ご指摘のとおり、「阿弥陀様」抜きの浄土教など、考えることもできません。思うのですが、理性が「たとえばなし」に気づいて、いちど頷いたら、もうそれでよろしいのではないでしょうか。「いのち」に「永遠」(アムリタ、阿弥陀)を見る感性こそが大切かと存じます。

 こんな言葉があります。「この世の中を理性的に解釈することは、果たして理性的であろうか」(アンドレ・マルロー)。ときどき思い出します。

 また、初期仏教以来の多様な仏教の教えに、折り合いをどうつけているかとお尋ねですが、仏教は、多様に見えても、一貫して「無我の体得」を説いていると、私は思っております。「阿弥陀仏に全託する」というのも、つまりは「無我の体得」ではないでしょうか。

   またお目にかかるご縁がありますよう、こころより念じております。どうぞ、ご自愛ください。合掌




札幌の K 様へ
御礼 2009年10月25日(日)
 はじめまして。紫雲寺のホームページにご関心をお寄せくださり、有り難うございます。また、このたびは、「ホームページ維持援助金」をお送りくださり、恐縮に存じます。望外のご厚志、有り難く頂戴いたします。

 先日の永代経での法話のCDができておりますので、お送り申し上げます。お暇なおりに、お聞き頂ければ幸甚に存じます。今後ともよろしくご教導賜りますよう、お願い申し上げます。合掌



感謝 2009年10月30日(金)
 はじめまして。法話集、「第43話CD」をお送りいただき有難うございます。今月初め、伴戸様のブログに御縁を頂き毎日拝読させて頂いております。法話を読みながら自分の心と向き合った時、煩悩具足ならぬ煩悩満載の自分に恥ずかしい想いを致す次第です。

 今の地球環境を考えますと、この星の行く末に不安を感ぜざるを得ない次第です。我々一人ひとりの想念転換が必要に思われます。こんな中、伴戸様の法話に出会い自分自信が清められた感じがすると同時に仏教のすごさを改めて認識致しました。今後のますますのご活躍心よりお祈り申し上げます。合掌。札幌 K。




はじめまして 2009年10月31日(土)
 福井の T と申します。寺に住んでいます。釈尊の弟子とはどういう方たちだったのかということに興味が湧き、紫雲寺様HPを拝見いたしました。「仏弟子群像」おもしろいです。お弟子たち一人ひとりが個性的でガゼン近い存在に感じさせられました。一人ひとりに聞かねばならない物語があったんだ・・・というか。これらの物語を皆さんに知っていただきたいと思います。寺報に掲載することをお許し願えないでしょうか? 厚かましいお願いですがどうかお願いいたします。御返信お待ちしております。



福井の T様へ
Re: はじめまして 2009年10月31日(土)
 はじめまして。メールを拝受いたしました。紫雲寺のホームページにお立ち寄りくださり、有り難うございます。「仏弟子群像」を貴院の御寺報にご掲載くださるとの由、恐縮に存じます。「仏弟子群像」は、私自身、楽しく書かせていただいた記事でございます。いつか、もう少しまとまった形で、釈尊当時の世界を書いてみたいと思っております。(…中略…)今後ともよろしく御教導くださいますよう、お願い申し上げます。合掌



Re: はじめまして 2009年11月2日(月)
 紫雲寺 伴戸昇空様 おはようございます。掲載をお許しいただけるとのこと有難うございます。31,1日と友人と参り合いのお寺の報恩講で留守にしていましたので、今朝になって伴戸様のご返信を読んで、思い切ってお願いしてよかったとうれしい気持ちでいっぱいです。(…中略…)こちらこそよろしく御教導くださいますようお願い申し上げます。S 寺 T






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