お便り&お返事 (1997年)

更新:1997年12月21日



ヴラボー 1997年5月14日(水)
 昇空様 ご無沙汰いたしております。変わり無く暮らしております。
 ホームページ拝見しました。やりましたねえ。すごく良いと思います。English version は作る予定はありますか? おそらくずっと反響があり面白い reaction があるのではないかと思います。
 金は無いけど暇がある---とは確かに贅沢な話です。またお便りします。HB(北海道)




ホームページ開設おめでとうございます 1997年5月15日(木)
 無事開設おめでとうございます。先ほど、ちょっと開いてみました。家に帰ってじっくり見させてもらいます。私のノートパソコンも、また壊れまして、昨日戻ってきたばかりです。きょうは、職場からインターネット接続が出来るようになり、今職場からこのメールを送ります。NH(福井県)




ホームページを拝見しました 1997年5月16日(金)
 ご無沙汰しております。メール有り難う御座いました。ホームページの開設の案内を頂き、早速拝見いたしました。確か14人目(?)の利用だったと思います。とても写真が美しく、内容があまりにも豊富でしたので、何度かにわたり、ゆっくりと拝見したいと思っております。今後の益々のご発展をお祈りしております。KO(神奈川県)




寺院コムより 1997年6月3日(火)
 前略 寺院コム http://jiin.com/ 掲載を担当しています虎山と申します。
 この度、貴寺のホームページを当寺院コムにて掲載リンクさせて頂きましたのでお知らせいたします。
 尚、掲載につき不都合な点等がございましたならいつでも訂正させていただきます。又、勝手なお願いとなりますが当寺院コムをリンクしていただければ幸いです。
 寺院コム 掲載担当 宗教法人保寿院 虎山義秀



虎山義秀様へ
お便り拝受 1997年6月3日(火)
 拝復 貴寺の寺院コムのページに掲載リンクして下さるとのこと、有り難く存じます。ただ、現在、当寺のホームページにはリンクのコーナーがございませんので、お申し越しのリンクの件は、残念ながら御希望に沿えません。いずれまた、当寺のホームページを改訂更新いたしますおりには、貴寺へのリンクを張らせて頂きたく存じます。
 今後とも宜しくご指導を賜りますよう、お願い申しあげます。合掌

 ひとまず、ここにリンクボタンを置かせて頂くことにいたします。悪しからず。

答礼リンク: 寺院コム




お元気ですか? 1997年6月25日(水)
 221人目の訪問者は私です。TO



福岡のTO様へ
Re:お元気ですか? 1997年6月25日(水)
 ご来訪に感謝します。合掌




京都のMS様へ
お礼 1997年8月3日(日)
 拝啓 先日は、「比叡山宗教サミット10周年記念」の入場タブをご恵与頂き、有り難く存じます。
 E-mail をお送り頂いたと伺いましたが、残念ながら未だ届いておりません。あるいは、サーバーに問題があったのかもしれませんが、念のため、私の E-mail address をもう一度お知らせ申し上げます。

shiunji@mbox.kyoto-inet.or.jp
 拙く、お恥ずかしいものでございますが、当寺の季刊紙『菩提樹』(創刊号より第15号)と「法話テープ」(第1話より第10話)をお届け申し上げます。お暇なおりにでもご一瞥賜りますれば幸甚に存じます。今後とも宜しくご指導賜りますよう、お願い申しあげます。合掌



菩提樹夏号ありがとうございました 1997年8月3日(日)
 伴戸昇空住職様 一昨日は夕方のお忙しい時、突然にお邪魔致しましたにも拘わらず、御義父上様、H様にもお目にかゝることが出来ました上、しばらくの歓談の時を頂きまして誠に有り難うございました。ご贈呈いただきました菩提樹夏号「心の青年への手紙」p5、クリス青年(オーストラリア)と星野富弘さん、この二人が同じような苦しみの「生と死の狭間」で見出した脱出の道(way out)、ひとりは命という出口に至り、片方は死という入口に再び迷い込んだわけですね。
 「脱出の道」と言う表現が適切かどうか分かりませんが、これは新約聖書パウロの言葉です(コリント第一10:13)。この二人の選択は私たちにも日々迫っている選択であって何か厳粛な思いにさせられます。私たちは星野さんクリスさん達のように追い詰められないので、生と死の選択を、ついつい先延ばししている訳ですね。
 深淵な真理を人々にハッと考えさせるために、平易に書き、語ることに苦心なさっていること、適切な例話を用いて、あらゆる年令層の方々にチャレンジ的メッセージを送りつづけて居られることに、敬服いたします。今後とも宜しくお願い致します。
 神の恵みがありますように。牧師 MS

 追記、本日8/3(日)午後には貴誌「菩提樹」「法話テープ」をお届け頂きまして、有り難く拝受いたしました。ゆっくり拝聴させて頂きます。




はじめまして 1997年9月21日(日)
 私は同級生のTO君に紹介され紫雲寺のホームページを見ることになった大分県のMTと申します。消化器外科の医師ですがある公的な病院の院長に4年前なりまして management が主となり医師としては spoil されています。私は個人的に田舎のお寺で「歎異抄に聞く会」をしていまして約十年になり(毎月)10月は第115回になります。
 私のメールアドレスは ####@######.or.jp です。これからいろいろ情報交換宜しくお願いします。合掌



大分のMT様へ
Re:はじめまして 1997年9月21日(日)
 拝復 お便り、有り難うございます。「歎異抄に聞く会」を10年も続けておられるとは大変なものです。私などは、よたよたと聞法の道を歩いておりますだけで、何もご参考になるような情報もございませんが、どうぞ今後とも御厚誼を賜り、御指導下さいますよう、お願い申し上げます。取り急ぎ、御礼まで。合掌




資料送付案内 1997年9月23日(火)
 前略 E-mail ありがとうございました。仏教の師より、友は与えられるということをよく聞いていました。本当に友の輪のひろがりを感じます。私の方の資料や小冊子です。よろしくお願いいたします。合掌 MT



大分のMT様へ
お礼 1997年9月27日(土)
 拝復 本日は、MT様の御講演録「今、力強く生きる道」、およびIH様の御講演録(2冊)等を御恵与頂き、有り難く存じます。早速、拝読させて頂きました。勿体ないご縁と存じます。
 「お返し」と申し上げるのもお恥ずかしいようなものでございますが、当寺の季刊紙『菩提樹』(創刊号より第18号)と「法話テープ」(第1話より第11話)等をお送り申し上げます。お暇なおりにでもご一瞥賜りますれば幸甚に存じます。今後とも宜しくご指導賜りますよう、お願い申しあげます。合掌



テープおよび本、菩提樹のお礼 1997年9月28日(日)
 本日テープ、本、菩提樹を受け取りました。ありがとうございます。車を使うことが多く(通勤、出張等)車の中で講義・講演のテープを聞いています。本は少しづつ読んで感想を送らせていただきます。今後ともよろしく。合掌 MT




お願いとお礼 1997年10月5日(日)
 拝啓 朝夕は冷やりとする今日この頃、暑い暑いと言っていた日が嘘のようですが気づくと今年ももう忘年会の日時を決めなくてはならない季節となりました。
 先日お送りいただいた菩提樹は全部読ませていただきました。随所に教えられる所が多く、有り難うございます。
 念仏への取り組み方、宮崎や大分の猿の話し、六道輪廻と生物の進化の関係、自他の区別と煩悩の関係、努力と精進の違い、本当の幸せとは、念仏と瞑想行の関係、等々いろいろ興味深く読みました。多くは伴戸さんのオリジナルでしょうが参考文献等ありましたらいつか教授お願いいたします。科学的な思考を訓練され、育てられたと考える一人として是非確認したいと思うところもあります。(参考文献があまりのも多くありそうですが是非おすすめと思われるモノがありましたら、よろしくお願いいたします)
 また私が関係している「歎異抄に聞く会」の案内文(毎月B−4サイズで作っています、約200枚ぐらい)の作成にも出典を明らかにして少し引用させていただきます。
 あまり関係ないかもしれませんが「唱える」と「称える」の使い方に付いてどういう差異があるのかも教えていただくと助かります。
 今後ともよろしくご指導の程お願いいたします。合掌 MT



大分のMT様へ
メールを拝受 1997年10月6日(月)
 拝復 お便りを頂き、有り難うございます。私どもは忘年会とは無縁の生活をいたしております。また、数年前より年賀状も取り止めにいたしております。郵政省に含むところがあるわけではございませんが、年末年始を静かに過ごしたく、勝手をいたしております。悪しからず。
 「菩提樹」をお読み頂き、有り難く存じます。T様がご確認なさりたいのは、どのような点でしょうか。お暇なおりにでも、具体的にご指示頂きますれば、分かる範囲で参考文献などお知らせいたします。
 興味深い本は沢山ございますが、たとえばラリー・ドッシーの『魂の再発見』(春秋社)などは、お薦めできるかと思います。また、最近読みました本では、ルシャッド・フィールドの『ラスト・バリア・・・スーフィーの教え』(角川書店)が面白かったように思います。ご参考までに。
 「唱える」と「称える」の違いについてでございますが、ともに「となえる」と読みながら、「唱える」とは異なり、「称える」には「誉め称える」という意味がオーバーラップされているように思います。私自身といたしましては、「唱える」には口偏がついておりますので、発声を伴う場合に、この字を使うようにしておりますが、改めて『菩提樹』を読み直してみますと、かなりいい加減に使っているようで、お恥ずかしく存じます。またお気づきの点など、ご教示頂きますと有り難く存じます。合掌




質問させてください 1997年10月18日(土)
 拝啓 田園の黄金色の稲穂も次第に刈り取られ季節の変化を感じます。菩提樹の最近号ありがとうございました。また送っていただいたテープを車の中で何度か聞いて、教えられることが多くリフレッシュされるような思いをしています。私は縁あって大学5年生の時から仏法の聞法を始め今日まで来ていますが。在家ですし、医療の仕事ゆえに仏教の体系的な勉強はしていません。最近寺族の方と月に一度の勉強会をして教えていただいている所です。始めに十住毘婆沙論(龍樹の仏教)細川巌著(法蔵館)を一緒に読み、現在は浄土論、論註を少しずつ学んでいます。菩提樹やテープに接して色々の疑問を自分の無知や失礼を省みずさせていただくことをお許しください。
 質問#1。念仏を南無阿彌陀仏とせずに南無とだけお話されているところがありましたが、違い等がありましたらご教授ください。私は南無阿彌陀仏の方がなじみがあります。
 質問#2。念仏の練習のところで瞑想に関係してお話されている所は伴戸さんのオリジナルですか? いろいろな勉強の過程でのいただきですか。
 質問#3。瞑想によって引き起こされる現象、サルの社会での情報の伝播等でひだされる仮説をどのように自分の中で消化するか、仮説によって科学は成立していることは認めますが自分でもどこまでの仮説を自分の理解の中に取り入れるべきか迷いますが、そのあたりの取り入れかたのご助言ないし、伴戸さんの考え方について教えてください。
 勝手なことばかりで申し訳ありませんがよろしくご指導をお願いいたします。合掌 MT



大分のMT様へ
お便り拝受 1997年10月20日(月)
 拝復 お便り、有り難く拝受。私も体系的に仏教を勉強したことはありません。『十住毘婆沙論』や『浄土論』『論註』などをお読みでしたら、MTさんの方が遥かに専門的な勉強をなさっているように思います。ですから、お役に立つかどうか分かりませんが、ひとまずお尋ねにお応えいたします。

 「ご質問#1」に対して。『菩提樹』(第5号)の「心の青年への手紙」をご覧頂きますと、ほぼ私の考え方がお分かり頂けるかと存じます。また、ご承知の如く、「機法一体の南無阿弥陀仏」の「機」の言葉は「南無」かと存じます。(来春の彼岸会には、この「機法一体」について少しお話しさせて頂く予定でおります。)もちろん、「南無阿弥陀仏」でも結構です。要は、馴染みやすい方をお採り頂ければと存じます。
 なお、以下の書物をいちどご覧くださいますよう、ご紹介申し上げます。
(1)オルダス・ハクスレー『永遠の哲学』(平川出版社)

 「ご質問#2」に対して。『菩提樹』にせよ「法話」にせよ、私のオリジナルと呼べるような考え方はほとんど無いかと存じます。私自身、ひとつひとつ典拠を記憶しているわけではありませんが、たいていはどこかで学んだことばかりに違いありません。敢えてオリジナリティーを問うといたしますと、トピックの配列法もしくは素材の調理法ていどのことかと存じます。
 瞑想に関する書物は実に沢山出版されておりますが、お読みになるのでしたら、まずは以下の書物などいかがでしょうか。
(1)C.G.ユング『黄金の華の秘密』(人文書院)
(2)C.G.ユング『東洋的瞑想の心理学』(創元社)
(3)アントニー・デ・メロ『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』(女子パウロ会)

 「ご質問#3」に対して。「100匹目のサル」という考え方は、ルパート・シェルドレイク『生命のニューサイエンス』(工作舎)に出ていたものと記憶しております。また、「瞑想の社会的波及効果」に関しましては、ロバート・キース・ワレス『瞑想の生理学』(日経サイエンス)などに出ておりました。詳細につきましては、ご自身でお読み頂き、お確かめ頂くのが一番かと存じます。

 さて、お尋ねの「仮説」の件でございますが、まず申し上げたいことは「宗教は科学ではない」ということでございます。私も科学的思考法に敬意を払うに決して吝かではございませんが、「作業仮説」というものは科学の世界でこそ有効なものと存じます。
 たしかに、「100匹目のサル」にせよ、「瞑想の社会的波及効果」にせよ、科学の世界では「作業仮説」として位置づけられるものでしょう。けれども、深い瞑想体験に裏打ちされて「一切衆生悉有仏性」を標榜する宗教の世界から見れば、こういった現象は「作業仮説」として捉えるべき性質のものではないと考えております。
 「一切衆生悉有仏性」というのは、あらゆる生命はみな深い所でつながっているということです。そのひとつの現れが「100匹目のサル」であり、「瞑想の社会的波及効果」ではないのでしょうか。
 私自身といたしましては、「一切衆生悉有仏性」の顕現とみなせるような現象、もしくは科学的観察結果につきましては、「作業仮説」ではなく、私たちを生命の真実相に誘う方便と考えております。ともあれ、「100匹目のサル」のような考え方が出てくるのは科学が宗教的になってきたからではないでしょうか。
 ちなみに申し上げますと、ご承知の如く、科学というものは300年ほど前のデカルトのころに、宗教から分離独立したものです。「宗教」は目に見えない世界を扱い、「科学」は目に見えない世界は扱わない。そういう線引きで始まりましたものが、長年「目に見えない世界は扱わない」と言い続けておりますうちに、「扱う」という言葉がドロップしてしまい、「目に見えない世界はない」となってしまったのが現代の「科学」です。目に見えない世界への畏れをなくした「科学」がどうなったかと言えば、終末的な環境破壊と人口増加をもたらし、自分の手で自分の首を締めるような結果をもたらしているように思うのです。科学はもっと宗教的になるべき時期にきているのではないでしょうか。
 どこかで、こういう言葉を聞いたことがあります。「あらゆる議論が止んだところから信仰が始まる」と。「作業仮説」という考え方は信仰となじまないように思えますが、いかがでしょうか。いちど、「仮説」という思いから離れて、以下の書物をお読みになってみてください。
(1)ルパート・シェルドレイク『世界を変える七つの実験』(工作舎)
(2)ラリー・ドッシー『癒しのことば』(春秋社)

 ご質問の意図するところに対して、あるいは見当外れのことをお応えしているのではないかと、いささか心許ない気もいたします。また、どうぞご意見をお聞かせくださいませ。合掌




感想 1997年10月22日(水)
 拝啓 菩提樹を読ませていただき、またテープを第6まで聞かせていただき内容に引き寄せられています。私にとっては今までにない切り口で信心の世界に切り込み、念仏の深さをさらに知らされる思いが致します。ありがとうございます。紹介された本をこれから少しづつ読んでいきたいと思います。私たちの先生が「世間の仕事は余力を残して止めないとね」といわれたことがありました。また先生は55歳で大学の教授の職を辞し、その後20年間はまさに仏道を歩み抜かれました。私も良き師の真似をしてみたいと心に引かれる所です。伴戸さんに新しい切り口を紹介され、ますます、更なる勉強への意欲をかきたてられる最近です。九州地方にこられる時には是非教えてください。また、私が京都に行く機会があるときには是非にお寺に寄らせてください。
 先日の答えに対する質問:南無と南無阿弥陀仏の違いで本願成就文では「諸有衆生聞其名号信心歓喜」とあり名号ということであれば南無阿弥陀仏ではないでしょうか。南無でよいというには何か釈然としませんが、偏見でしょうか。南無だけだと何か自力的な感じがするという私の先入観でしょうか? 私も課題として考えていきたいと思います。合掌 MT



大分のMT様へ
お便りに感謝します 1997年10月23日(木)
 拝復 『菩提樹』や「法話テープ」に御関心を御寄せ頂き、有り難く存じます。
 さて、「南無」か「南無阿弥陀仏」かという点についてでございますが、私は伝統的な名号釈にはあまり拘っておりませんので、奇異な思いを抱かれたかと存じます。もちろん、馴染みがあるという点では、私にとりましても「南無阿弥陀仏(ナマンダブ)」の方でございます。決して名号が「南無」だと申し上げているわけではございません。どうぞ、ひとまずは、この件ご放念くださいませ。
 お念仏と自力・他力の問題に関しましては、法話テープの第10巻、第11巻をお聞き頂きますと、私の考え方が少しお分かり頂けるかと存じます。また、前便にてもご案内申し上げましたように、来春の彼岸会にもこのテーマを取り上げる予定でおりますので、法話のテープ(第12巻)ができましたら、お送り申し上げたいと存じます。
 ただ、私は煩瑣哲学的な教学とは肌が合いませんので、『菩提樹』であれ「法話」であれ、必ずしも正統的な解釈によらず、私自身の理解のままにお話し申し上げているだけでございます。その点、ご寛容を御願い申し上げておきます。
 紫雲寺は、寺と言うのもおこがましいほどの小寺でございますが、京都にお越しのおりには、どうぞご遠慮無くお立ち寄りくださいませ。お待ち申し上げております。合掌




いつもお世話になります 1997年10月25日(土)
 いつもお世話になります。このホームページの英語とドイツ語版があるとTT組長(そちょう)に聞きましたが、もしよろしければ、教えていただけますでしょうか。いろいろな、寺院のホームページがありますが、紫雲寺さんと、報恩寺さんのところが、私にとっては、ありがたいです。紫雲寺さんのお話は、俗にあることなく私にとっても納得のできるお話です。本山の教学が変化し、本当の信心とは何かを模索している私にとって、励みとなっています。このホームページのいっそうの充実を期待いたします。
 自分のことを書くことを忘れました。すいません。同じ山城二組のM寺住職SOです。二三度お目にかかっとことがあるかと思うのですが・・・・。福井のSH師とも、真宗教団連合の関係でお目にかかることがあり、いつも貴兄のことを、目を細めて話されておられます。



京都のSO様へ
お便り拝受 1997年10月25日(土)
 拝復 お便り、拝受いたしました。
 紫雲寺のホームページに御関心を御寄せ頂き、有り難く存じます。ただ、画面上で長文をお読み頂くとお疲れになるのではないかと拝察いたします。印刷版『菩提樹』のバックナンバーならびに「法話」の録音テープもございますので、もしも御希望がおありでしたら御連絡くださいませ。
 なお、当寺のホームページには、残念ながら日本語のヴァージョンしかございません。TT組長(そちょう)の御記憶違いかと存じます。悪しからず。
 今後とも宜しくご厚誼を賜りますよう、御願い申し上げます。合掌




こんにちは KSです 1997年10月28日(火)
 こんにちは 初めてアクセスします。先日、坊守りさんに このホームページのアドレスを教えていただきまして早速今日のぞかせていただきました。大変雰囲気のあるホームページですね。心がほっと安らぐ感じがいたします。では、また。 KS



福井のKS様へ
はじめまして 1997年10月28日(火)
 拝復 お便り、拝受いたしました。
 先日は、たいそうお世話になり、有り難うございます。ご準備で、ご苦労なさったことと拝察いたします。どうぞ、ひとまずは、ほねやすめをなさって頂き、ご無理のないようにご自愛くださいませ。
 紫雲寺のホームページに関心をお寄せ頂き、有り難く存じます。また、ご感想、ご意見など、お聞かせ頂けると幸甚に存じます。
 紫雲寺は、寺と呼ぶのもおこがましいほどの小寺ですが、京都にお越しのおりには、どうぞご遠慮無くお立ち寄りくださいませ。合掌

追伸 "mitene.or.jp"というのは、どこのプロバイダーでしょうか。
「見てね」という洒落でしょうかね。

 ホームページをのぞいてくださって、ありがとうございます。
 今日、まえから欲しかったスーザン・オズボーンとエンヤのCDを買いました。二人の音楽には、心を癒す力があるそうです。とてもいい音楽です。同じように、癒しの音楽としては、大江光さんのCDもお薦めです。また、機会があったらお聞きください。ではまた。   坊守


Re:はじめまして 1997年10月29日(水)
 お返事ありがとうございました。
 それにしても紫雲寺というお名前はとても素敵ですね。何か京都の夕映えと好事が起こる前兆をかんじさせるムード満点のネーミングですね。
 私の所属しているプロバイダーは地元福井の商社、三谷商事が運営しているもので、三谷の「ミタニ」をもじって「ミテネ」とつけたようです。福井県の人は結構入っているようですよ。それでは、また。KS




参拝記念 1997年11月4日(火)
 法話をいただいて帰ります。
 私が30代の頃に模索していた「新しい法話」に通じるものがあるような気がします。もちろん、私の法話には、昇空師ほどの完成度はありませんでしたが。
 その後、私はこの試みを放棄しました。現代人が理解できる形で浄土真宗を語ろうとするとき、結局自分も、「時代」という名の化け物に飲み込まれるのではないかと危惧したからです。今では、現代科学など、いただけるところだけいただいて、ごちそうさま、日本国憲法も、「ふん」といったスタンスで、平然とアナクロな話をしております。
 ともあれ、昇空師の法話には、師独自の工夫があり、ぜひ、多くの人に読んでもらいたいと思います。つきましては、貴ホームページにリンクを張らせていただきたいと思いますので、ご許可下さいますようお願い申しあげます。
 最後に、法話を拝見しているときに感じたことをひとつ。ひとつの法話を読み終わって、次の法話へ移動するのに、いちいち、法話の目次のページへ戻るのは、面倒です。左フレームにハイパーリンクを埋め込むなり、各法話の終わりに、次のページにジャンプできるボタンを置くなりしていただけるとありがたいのですが。
 以上、参拝の記念に、書き送らせていただきます。
  最低山極悪寺 住職 珍宝院釈法伝



珍宝院釈法伝様へ
Re:参拝記念 1997年11月4日(火)
 拝復 お便り拝受。紫雲寺のホームページにご関心をお寄せ頂き、有り難く存じます。また、リンクのお申し出、有り難く存じます。紫雲寺のホームページは、ほとんど文字ばかりの殺風景なページでございますので、いささか心苦しく存じておりますが、宜しければどうぞご随意にリンクをお張りくださいませ。
 ご案内により、早速、貴寺のホームページを拝見いたしました。入山者数カウンターの010800前後の数人分は、私と家内でございます。極めて個性的な凝ったページに、驚愕いたしております。究極のハイパー寺院を感じました。いっそうのご活躍を念じ上げます。
 各法話のつなぎ具合に関しましては、ご指摘のとおりジャンプボタン等を配置するなどして、本年中に改善いたしたく存じております。今後とも宜しくご厚誼を賜り、ご指導くださいますようお願い申しあげます。合掌


 (11月10日、各法話の末尾にジャンプボタン配置しました。)



多謝、多謝 1997年11月5日(水)
 早速のお返事、ありがとうございました。リンクを張らせていただきます。
  最低山極悪寺 住職 珍宝院釈法伝

答礼リンク: 最低山極悪寺




大分のMT様へ
お詫びと訂正 1997年11月5日(水)
 拝啓 10月20日にお送りいたしましたメールの内容に誤りがございましたので、ご報告申し上げます。
 「100匹目のサル」の記事は、シェルドレイクの『生命のニューサイエンス』にではなく、ライアル・ワトソンの『生命潮流』(工作舎)pp.208ff.に出ております。遅ればせながら、ここに訂正いたしますとともに、お詫び申し上げます。合掌



お返事 1997年11月15日(土)
 拝啓 国東半島も紅葉で目を楽しませる季節を迎えています。先日TO君からお宅に伺ったとの便りをいただきました。
 お送りいただいたテープは車の中で繰り返し聞いて現在第10話に入った所です。いままで魂という概念をあまり考えたこともなく、唯識のアラヤ識との関係でお話をされているのを興味深く聞きまして、これから参考文献を読み(本が沢山そろいました。読むのが大変です)そしてわたしも意識して魂ということを考えたいと思っています。私の頭の中を再構築しなければならないかもしれないと思っている所です。
 私の近くで杵築市という所がありますがそこに浄願寺という大谷派のお寺があり三那三秀亮先生がおられ、今、定期的に一緒に浄土論、論註を勉強させていただいているのですが三那三先生が、先年亡くなられた平野修先生の著作をいろいろ世話されており、それらの本を頂いて読んでもいる所です。仏法の大きな世界をこれでもかこれでもかと教えられることであります。今後ともよろしくお願いいたします。南無阿弥陀仏 MT




質問 1997年11月17日(月)
 合掌 現在、テープ10を繰り返し味わいながら聞いております。聞きながら決して眠たくはなりません。車での出張が1時間ぐらいかかりますので。車の中というのは一面では雑務(?)から開放される時間です。公用車は使わず自分の車を使うことが多いので、失礼かと思いますが車を運転しながら聞いているのです。末那識、阿頼耶識の理解に新たなスポットをあてていただいているような気がいたします。有り難うございます。
 さて質問ですが、魂の進化で天の理解がどうしてもはっきりいたしません。「6道」は欲界のこととか、6道を超えた所に声聞・縁覚・菩薩・仏(10界の理解)がある等と理解していた私にとって「天」は一如への気づきの世界というと、仏教辞典等での天の説明(他化自在天等)等とどのように整合性をつけていけば良いのでしょうか。 南無阿弥陀仏 MT



大分のMT様へ
拝復 1997年11月19日(水)
 拝復 お便り、有り難く拝受いたしました。
 十界などの器世間論もそうですが、阿毘達磨というものは、様々な学派がそれぞれの立場から仏教の理論的整合性を追求したものでして、いわば一種の知的遊戯に近いものかと存じます。とはいえ、仏教理論の核にあるのはあくまで「禅定体験」のはずですから、器世間論に含まれる天界の構造も、禅定体験の深化をヒエラルキー的に表現したものに違いないと、私は考えております。
 ご質問に関しましては、もう少し詳しくお応え申し上げねばなりませんが、今月は自坊の報恩講(23日)や法中寺院の報恩講(28日)、家内の里寺の御正忌(29日)などがございまして、雑事に忙殺されておりますので、まことに勝手ながら、明月、改めてお便りを差し上げたいと存じます。どうぞ、しばらくのご容赦をお願い申し上げます。合掌



問い合わせ 1997年12月5日(金)
 拝啓 九州も本格的な冬を迎え、初雪を見た所です。***(中略)***
 さて、いま11番目のテープを聞いています。一如の世界、阿頼耶識、等の私の理解、そして今までイメージした概念との整合性、再構築等 、今までは色もなく、形もなく、言葉も絶えたいとうようなイメージで漠然としていたものが、なんだか形有るようなイメージで話され、具体的な姿が以前よりは見える様な気にさせられ、ある種の戸惑いに似た感じをもっている所です。いま少し理解と把握に時間をかけて消化したいと思っている所です。漠然として感想です。今後ともよろしくお願いいたします。 合掌 MT



大分のMT様へ
お待たせしました 1997年12月20日(土)
 拝啓 お返事を差し上げるのが遅くなり、申し訳ございません。「天は一如への気づきの世界だ」という考え方は、伝統的な仏教の考え方と、どう整合するのか、というご質問でした。このご質問にお応え申し上げます。
 さて、ご承知のように、仏教世界論(器世間論)によると、世界は、業の果報としての輪廻転生に捕らわれている有情の領域と、そこから解脱した覚者の領域とに大別されます。そこから前者を開いて、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界と分けたものが、いわゆる「六道」です。一般には、この六道と、覚者の領域である仏界をあわせて、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・仏と言っております。
 また、天台宗などで言う「十界」とは、覚者の領域である仏界をも開いて、声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界と分け、六道とあわせたものを言います。個人的には、仏界を声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界に開く考え方には、さほど意味があるとは思えませんが、それはともかく、「十界」は「六道+仏界」のヴァリエーションにすぎないものと言えるかと思います。

 ところで、釈尊在世当時には、仏教独自の世界形態論などありませんでした。天界を開いて、欲界天・色界天・無色界天と三分し、六欲天、四禅天(色界17天)、四無色界天などと細分化していくのは、阿毘達磨的傾向が強まっていくかなり後になってからのことです。ですから、仏教専門書にでているような複雑な世界構造は、阿毘達磨的思弁の産物、もしくは知的遊戯の産物と言ってもよいかと思います。
 ちなみに、仏教は本来、小難しい理論を重視する教えではなく、禅定(瞑想)による真理の直接体験を重視した教えです。もちろん、理論も、体験の意味を説明するものとして大切なものです。ですが、人には得手不得手、向き不向きがありまして、瞑想家であって同時に理論家である人は、滅多にいません。瞑想家は右脳型人間であり、理論家は左脳型人間だからです。
 右脳型人間(ユガ師)は極端な神秘主義に傾きやすく、左脳型人間(アビダツマ師)は理論的整合性ばかりを追求した空論に傾きやすいものですが、仏典というものは、おおむね、このユガ師とアビダツマ師の共同もしくは拮抗のなかから生まれてきたものなのです。そういった性質のものですから、もちろん仏典がなければ仏教を理解できませんが、仏典を教条的に固持しても仏教は理解できないと思います。私は、仏典というものは、瞑想体験のガイドブックとして参照され、大切にされるべきものと考えております。

 さて、話を戻します。さきほど、仏教は禅定(瞑想)による真理の直接体験を重視した教えだと申しました。では、瞑想とは何か。瞑想とは、神秘家の表現を借りて言えば、幽体離脱のテクニックです。こんなことを申しますと、伝統的な教学を学んでこられた方々は眉に唾を付けられるかもしれませんが、そうではありません。初期仏教の経典では、その幽体(霊的身体)のことを「意所成身」と呼んでいます。
 物質というのはエネルギーが一時的に凝固した姿だということは、現代物理学でも認められておりますが、「意所成身」というのは物質レベルを越えた振動数をもつ一種のエネルギー体のことです(それを仮に、私たちの生命の本体と言ってもよいかと思います)。仏教でいう天界とは、その「意所成身」となって体験する世界のことを言うのです。
 たとえて言うと、瞑想が深まるというのは、エネルギー体の振動数が増加していくことです。ある振動数の段階で現実として体験されたものが(つまり自己の振動数に同調していたエネルギー領域が)、エネルギー体の振動数の増加にともなって次々に捨て去られていく。かくして瞑想が深まっていくにつれて、霊的根元、つまり真理へと近づいていくのです。真理とは、仏教用語で言えば「一如」のことです。
 瞑想によって「意所成身」となったとき、つまり天界に入ったとき、私たちが現実として経験している物質世界(振動数の低い領域)を超えた世界(領域)があることに初めて気づくのです。天界は「一如」への気づきの場と申しましたのは、そういう意味です。
 物質としての限界をもった肉体を離れると、大きな開放感と自由をともなった世界が開けてくるでしょう。ですが、霊的世界のガイドブック(つまり私たち仏教徒にとっては仏典ですが)に親しんでいないと、状況が把握できず、神秘主義の横道で自我肥大を起こしたり、狂気の罠に陥ってしまいます。天界が、いまだ輪廻転生の領域に含まれているのは、そのためです。
 しかし、こんな話をお聞きになると、仏教的素養をお持ちの方ほど、戸惑いをお感じになるかもしれません。もしそうなら、仏教というのは、古代インドという特定の時代ないし文化のなかで説かれたものだということを思い出していただきたいのです。仏典に採用されている説明も比喩も、みなその特定の時代と文化の制限をうけています。ですから、当然、「振動数」などという表現は出てまいりません。釈尊が古代インドのヴォキャブラリーで伝えようとなさったことを、私たちは現代のヴォキャブラリーで捕らえなおそうと思うのです。それこそが、仏教の本当の姿に近づく道ではないでしょうか。
 現代の言葉で仏教の核心を学ぼうとお考えなら、一番に、ヘルマン・ベック『仏教』上・下(岩波文庫)をお薦めしたいと思います。宗派的な偏見の少ない、良質の仏教入門書として、この書の右に出るものはないと思いますので。

 ところで、近年、楔形文字の解読が進むにつれて、古代インドのバラモン教の聖典ヴェーダも、古代ペルシャのゾロアスター教の聖典アヴェスタも、旧約聖書も、ギリシャ神話も、みなメソポタミアの古代文明シュメールに淵源を持っていると考えられるようになってまいりました。そこで、いささか蛇足ではありますが、天界についてお話ししたついでに、古代インドの神話的世界観の淵源について、「個人的な想像」を少しだけお話しさせていただこうと思います。
 さきほども申しましたように、釈尊在世当時、仏教独自の世界形態論というものは、まだできておりませんでした。釈尊当時は、リグ・ヴェーダの主神インドラ(帝釈天)は、いまだ「神々の王」という呼称は維持していたものの、すでに往時の勢力はなく、須彌山上に住まう地居天(三十三天)となり、世界の最上位は新興の神格ブラフマン(梵天)によって占められていました。つまり、当時の学術的常識に従えば、天界は梵天をきわまりとし、須彌山より下は帝釈天の支配下にあったのです(色界天とか無色界天という考え方は、まだ成立していなかったわけです)。
 神々の住まう須彌山は、サンスクリット語でシュメールと言います。楔形文字の文献によりますと、古代文明シュメールは神々の支配する世界でした。また、須彌山は巨大な立方体だということになっておりますが、シュメール文明にもそれと極めて近い構造のものがありました。それは頂上に神々の住まうジグラットという真四角の階段ピラミッドです。
 また、須彌山上の帝釈天世界を「三十三天」と呼ぶのは、通説ではヴェーダの33人の神々がすんでいるからということになっておりますが、本当の理由はまだ分かっておりません。一方、メソポタミアの古代都市はたいてい「神々の都市」と呼ばれておりましたが、バビロン(北緯 32.5 度)だけは「(天と地をむすぶ)神々の出入口」と呼ばれていたそうです(このバビロンにあった巨大ジグラットが、いわゆる「バベルの塔」です)。
 シュメール以前の文明を伝える楔形文字の文献によると、世界を破壊した大洪水の前には、シップール(現在のアブ・ハッバ遺跡、北緯 33 度)という都市が「(天と地をむすぶ)神々の出入口」としての役割を持っていたそうです。シュメール文明には緯度を計測する能力がありましたから、シュメール人はシップールが北緯 33 度に位置することも知っていたと思われます。(シップールと同時代の宗教都市ニップールには、都市の中心に「山の住まい」と呼ばれるジグラットがありました。)
 そこで思うのですが、あるいは、古代インド神話の須彌山は、シュメールのジグラットとつながりがあり、須彌山上(天空と地上の接点)にある三十三天は、北緯 33 度に位置して「(天と地をむすぶ)神々の出入口」だったシュメールの都市シップールと関係があるのかも知れません。また、バビロンの北方にはアッシリアがあり、首都はアッシュールでした。これは古代インド神話で有名なインドラとアシュラの戦いと何か関係がありそうにも思えます。こういったことは、まったくの想像にすぎませんが、詳しく調べてみると面白いのではないかと思っています。

 余計なことまで長々と書き連ねてしまいました。申し訳ございません。本年はたくさんメールを頂戴し、有り難うございました。幸い多き新年をお迎えになりますよう、心より念じあげます。合掌






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