寺の座敷に「猶在半途」(丙辰晩冬、節堂記)という扁額がかかっている。書道家の増田節堂先生が京都教育大学を退官されるときにお書きになったものだが、先生はその後2年足らずで鬼籍に入ってしまわれた。昭和54年12月30日。享年65歳。扁額の「猶半途在り」という言葉が何とも切なかった。 「あと何年生きられるか」という話になると必ず出てくるのが厚生省発表の「平均寿命」だが、言うまでもなく、あれは何もその年齢までの生存を保証するという性質のものではない。「平均寿命」というのは、ある時点での年齢別死亡率から「新生児」の平均余命を統計的に算定したものであって、本来我々の余命とは余り関係がない。 厚生省の発表によると1990年に生まれた新生児の「平均余命」(平均寿命)は男が75.86歳、女が81.81歳ということだが、同年の「年齢別生存率」によって計算すれば、当の新生児たちがこの「平均寿命」まで生きられる可能性は約60%しかない。つまり、大雑把に言って彼らの10人に4人は平均寿命に達することなく死亡するということだ。もともと「平均」とはそういうものである。 近年の平均寿命の伸びとは関係なく、人間の最大寿命(生物学的限界)は有史以来あまり変わっておらず、110〜120歳と考えられている。だが、120歳をメドに人生計画をたてる人はまずいまい。統計によれば115歳まで生きる人は21億人に1人ということだから、120歳まで生きるというのは宝くじに当たるより遥かに難事である。 ある研究によると、人は自分が内心予想している年齢で死ぬ確率が高いそうだ。たとえば、両親が60代で亡くなっているから自分も60代で死ぬだろうと思っている人は60代で死ぬ可能性が大きいということである。どうやら寿命も心と無関係ではないらしい。では120歳まで生きると思っておればよいかというと、これは余り役に立たない。心の底では「そんな歳まで生きられるはずがない」と確信しているからである。 昨年、「敬老の日」を前にして厚生省が発表した長寿番付によると、全国で100歳以上の方が7000人以上おられるとのことだが、ある調査によると、「100歳まで生きたいですか」という質問に「はい」と答えるのは、一般の人で100人のうち15人から20人くらい、医師ではずっと少なく、100人のうち5人くらいだそうだ。さて、あなたは何歳まで生きたいとお考えだろうか。 フランスのピエール・ジャネという学者が、かつて、加齢によって時の経過が速く感じられるようになるという現象を統計的に分析したことがある。その研究によると、60歳の人は20歳の人が感じる1年を4カ月にしか感じていないのだそうだ。つまり、60歳の人にとっては、時間が20歳の人の3倍も速く流れていくということである。 時の経過は、歳をとるにつれてますます速くなっていく。「平均寿命まであと何年ある」などと気楽に構えていると、臍を噛むことになるかもしれない。「その時」は、同じ速さで歩み寄ってくるのではなく、加速しながら走り寄ってくるのだから…。
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