春夏秋冬・14

 ゴロン、ゴロン。薄明かりの坂道を、大きな輪ゴムが追いかけてくる。懸命に逃げようとするのだが、まるでスローモーション映画のように、足が前に進まない。幼い頃、扁桃腺を腫らして寝込むと、決まってそんな夢にうなされた。

 天才南方熊楠は、幼少の頃、高熱を発して寝込むと、座敷童のような小人が何人も現れて、欄間のあたりで戯れるさまをよく見たという。天才と凡人の違いというか、霊的素質の違いというか、自分の夢があまりに散文的なのにがっかりする。

 脳波の研究から分かったことだが、睡眠中に夢を見るのは温血性の脊椎動物だけらしい。魚類や爬虫類は夢を見ないが、哺乳類はみな夢を見る。生物の進化史から言えば、夢を見るようになるのは鳥類からで、進化が進むにつれて夢を見る時間が長くなる。ヒトの場合、乳児は一日16時間ほど眠り、そのうち8時間くらいは夢を見ている。成人では、夢を見ている時間は睡眠時間の20%くらいである。

 シカゴ大学のデメントによると、実験的に眠りから夢を奪うと、奪われた夢を回復するかのように、その後の睡眠では夢を見る時間が長くなるという。また、眠りから夢を奪う実験を5日間続けると、かなりの精神障害が現れるが、夢以外の眠りを奪ってもこうした障害は生じないという。どうやら、ヒトは夢を見るために眠るらしい。

 ヒトは毎晩4〜5回夢を見るが、不思議なことに、夢を見ているあいだ、脳の活動は覚醒状態では決して到達できないレベルにまで高まっているという。とすれば、非常に創造的な仕事が夢のなかでなされているのも分かるような気がする。

 たとえば、元素の周期表の欠落部分を夢のなかでみつけたメンデレーエフ、猿の喧嘩というシンボリックな夢から正六角形のベンゼン環を思いついたケクレ、からみつく2匹のヘビの夢から二重螺旋の遺伝子構造を発見したワトソン、悪魔のかなでるバイオリンの夢から「悪魔のトリル」を作曲したタルティーニ、夢のなかで見た素晴らしい詩を書き留めようと毎晩のようにはねおきたプーシキンなど、夢から生まれた創造的な仕事の例はいくらでもある。

 身体が眠っているあいだに、脳は深い無意識の井戸から夢見る人にとって大切な「意味」を汲み上げてくる。そんな眠りが最も深まるのは、身体の新陳代謝が最も低下する真夜中過ぎの午前1時から4時のあいだである。

 たとえば、親鸞聖人の人生を決定していく重要な夢も、この時間帯に集中している。建久二年九月十四日夜、丑時(午前1時〜3時頃)に見た聖徳太子の夢、正治二年十二月二十九日、四更(午前2時〜4時頃)に比叡山大乗院で見た如意輪観音の夢、建仁元年四月五日夜、寅時(午前3時〜5時頃)に六角堂で見た救世菩薩の夢などがそうである。

 先日この時間帯に、三晩続けて同じ夢を見た。人生の神秘が解き明かされる夢だった。「何だ、そうだったのか!」と、いたく感動した。だが、甚だ粗忽なことに、その夢を書き留めておくのを忘れた。感動ばかり残っていて、何を食べたのか思い出せないような、妙な消化不良に陥っている。これまた、天才ならぬ凡人の夢の限界であろうか。