春夏秋冬・19

坊主頭雑考

 髪は、日に0.3〜0.5ミリの割合で伸びる。これを伸びるに任せ、頓着せずにいると、ぼさぼさの蓬髪となる。好まれるかどうかは別として、この生え放題の蓬髪が、いわば最も自然なヘアスタイルではある。その対極にあるのが剃髪である。これは、自然に生えてくる髪をきれいに剃ってしまうのだから、考えようによっては、最も不自然なヘアスタイルである。だが、不自然であるだけに、メッセージ性が高いとも言える。

 僧侶が剃髪するのは、釈尊が出家時に剃髪されたことに由来するが、剃髪はなにも仏教に特有のものではなかった。髭髪を剃って出家するというのは、当時、バラモン教以外の出家修行者(沙門)に共通した習俗だった。

 現在、禅宗の僧堂などでは五日ごとの剃髪が規定されている。たとえば京都の東福寺では、四九日といって、四と九のつく日に頭を剃るという。しかし、もともとは、それほどこまめに剃ったものではない。

 律典には、剃髪の期間が「半月に一度」(『五分律』)とか「二ヶ月に一度」(『四分律』)とか記されているが、「世尊は四ヶ月に一度髪を剃られた」(『摩訶僧祇律』)という伝承もある。四ヶ月に一度ということになれば、スキンヘッドの期間はほんのわずかである。彫刻や絵画の世界で、剃髪した仏陀像というものがひとつも伝わっていないのは、あるいは、そのせいかもしれない。

 実際、仏弟子のなかで頭陀第一と称えられた摩訶迦葉(マハーカッサパ)などは、髭も髪もぼうぼうに伸び放題のまま法座に侍ったこともあるが、釈尊はそれを一言も咎めてはおられない。やれ二寸までだの、いや指二本分までだのと、うるさいことを言うようになったのは、ずっと後のことである。

 心は形を求めるというが、では、剃髪という形を求めた心は何だったのか。それは、社会を捨てるという決意、社会の枠組みの外に出るという決意だった。というのも、社会という枠組みの内側は、「蓄髪」した世俗人の世界だったからである。

 当時は、「バラモンは、どんな罪を犯しても殺されることはなく、死刑の代わりに剃髪して追放された」(『マヌの法典』)。つまり、当時のバラモン社会では、剃髪には死刑の代わりに規定されるほどの意味があり、罪人は、剃髪されて社会から捨てられたのだ。そういう事情だったからこそ、出家者は、自ら剃髪することで、社会を捨てることができたのである。

 本来、坊主頭のメッセージは、社会の枠組みの外にあるというものである。つまりは、自ら剃髪して社会を捨てた「出家」か、強制的に剃髪されて社会から捨てられた「罪人」を意味する。坊主頭に、聖邪、明暗、好悪、正負といった相反するイメージがつきまとうのは、そのせいである。

 ただし、自ら剃髪したからとて「出家」とは限らない。スキンヘッドには、校則に縛られた中学生も、賭に負けた人も、その筋の面々もいる。心は形を求めると言ったが、逆は必ずしも真ならずである。坊主頭の胡散臭さは、このあたりにある。

 鴨長明の歌に、「剃りたきは心の中の乱れ髪、つむりの髪はとにもかくにも」とある。自ら剃髪せんとする人は、大いに味わうべき歌かと思う。