春夏秋冬・20

水について

 水はさまざまなものを溶かし込むことができるが、どうやら、水は「情報」をも溶かし込むことができるらしい。

 最近の研究(川田薫『生き方を創造する生命科学』)によると、水に超微量のミネラルを溶かすと、水の分子は規則性のある並び方をするようになるという。「つまり、水に何か異質なものが加わると、水は自分以外のよそものが中に入ってきたことを認識する。その結果水全体の凝集力が変わり、眼に見える変化として現れる」と、川田氏は言う。水の分子が規則性のある並び方をするというのは、いわば「情報」を担うようになるということだ。いささか理解の枠を越えた話だが、思い当たることもある。

 18世紀にドイツの医師ハーネマンが創始したホメオパシーという治療法がある。これは、たとえば発熱時に解熱剤を用いる現代医学とは逆に、発熱時には発熱症状を促す薬剤を用いるというユニークな治療法である。要するに「類は類を治す」という考え方だが、さらにユニークなのはその製剤法である。

 たとえば、原液となる薬草チンキ剤1に対して、蒸留水とエチルアルコールを9の割合で混ぜ、溶液の入ったビンを革製のパットに100回激しくぶつけながら「振盪」して、10分の1の希釈液を作る。それをもとに同様の手順を繰り返して、いわば天文学的な希釈を実現する。ホメオパシーでは、薬は薄いほど効き目が強いと考えられており、現在アメリカでは、6C(10の12乗分の1)からCM(10の2000乗分の1)まで薄められたものが一般に用いられているという。

 とはいえ10の24乗分の1より薄まれば「アヴォガドロの限界」を越えてしまい、そこから先の希釈液には薬草チンキ剤の分子1個さえ含まれていないことになる。それでも効くということになると、どうなるのか。希釈過程で原液の薬草チンキ剤から溶液に刷り込まれた「情報」に薬効があるとしか考えようがない。ホメオパシーでは、いわゆる薬を飲むのではなくて、「情報」を飲むのである。

 「情報」を飲むと言えば、「尿療法」もそうだ。「尿療法」というのは、自分の尿を飲用して自然治癒力を高めるという治療法だが、尿中に含まれる化学成分に薬効があるわけではなさそうだ。というのは、カテーテルを用いて直接胃の中に注入しても効果がないからだ。効果を得るには飲まねばならない。なぜか。尿は血液が腎臓で濾過されたもので、そのなかには血液が経巡ってきた身体各部の「情報」が含まれている。それを飲用すると、上咽頭部にあるBスポットというセンサー細胞を介して情報が脳に伝達され、身体の恒常性機能が高まる、というのが尿飲療法家の考え方である。

 だが、薬効の源は尿そのものにあるのではなく尿中の「情報」にあるとすれば、何とか尿を飲まずに「情報」だけ摂取したいと考えるのが人情というものだろう。現に、そういう欲求に応えて「情報転写機」なる装置がいくつか発売されている。磁場共鳴現象を利用して尿中の「情報」を水に転写するというものだが、残念ながら原理を理解する能力に欠け、効果のほどはわからない。ただ、「情報」が水に影響を与えるということは、どうやらありそうだ。

 以前、江本勝『水からの伝言』という写真集を見たことがある。水を凍らせて結晶構造を撮影したものだが、予想されるように、結晶は水が清澄なほど力強い美しさをもち、汚染が進むにつれてグロテスクに崩壊していく。面白いのは、水に音楽を聴かせたときの結晶だ。クラシックやヒーリングミュージックを聴かせると表情豊かな美しい結晶をむすび、ヘビーメタルを聴かせると結晶構造がバラバラに壊れてしまった。それは純粋に音響振動の影響かもしれないが、水に文字を見せるという実験もなされている。

 水を入れた2本のガラスビンに、それぞれ「ありがとう」「ばかやろう」とワープロ書きしたラベルをはって一晩置き、その結晶を調べたものだ。すると、「ありがとう」の水は美しく均整のとれた結晶をのばし、「ばかやろう」の水は結晶構造が崩壊していた。江本氏は言霊的な解釈をしているが、むしろ、ラベルを作成した人のその言葉に対する精神的な波動が水に伝わったと考えたほうが納得いくように思う。もしそうだとすると事は重大だ。

 人体の70パーセントは水でできている。その水に、自らの秘やかな情動情報が伝わらないはずはあるまい。「水清ければ魚住まず」などと嘯いていると、おのが命を縮めることにもなりかねない。水は、ちゃんと聴いているのだから。