春夏秋冬・22

花の命が尽きるまで

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。5月下旬、朝顔の種を蒔きました。この何日かで茎や葉が急速に大きくなり、慌てて支柱を立てました。殺風景だったベランダが少し明るくなりました。花の咲く日が楽しみです。

 私はいま大阪に暮らしております。交通量の多い市内を、車で走っているときには、街路樹の緑にホッとしながらも、ことさら植物にこころが向くことはありません。

 ですが、車を離れて歩いてみますと、あちらこちらで植物を目にして、いつもは気づかなかった世界が開けてきます。

 路地に並ぶ草花のプランター、鉢植えの観葉植物、玄関前のグリーンカーテンなど、意外と街中でも小さなスペースを利用して緑が植えられています。

 名前も知らない雑草が踏まれては立ち上がり、コンクリートを突き破って鮮やかな花を咲かせている姿に、その生命力に、感動することもあります。

 植物は私たちが生きる上で欠かすことのできない存在です。緑を目にするだけで心身の疲れが癒され穏やかな気持ちになります。それは、おそらく、植物には命があり、植物は全ての生命の源であるからではないでしょうか。植物に命を感じる。植物は、そばにいるだけで心を潤してくれるのです。

 お内仏のお花も、そうですよ。以前、ご門徒さんから、「お供えのお花にドライフラワーは縁起が良くないのですか?」と尋ねられたことがありましたが、お内仏のお花には、造花ではなく生花を用います。それは、縁起の良し悪しではなく、そこに命を感じるということが大事だからです。

 『大谷派寺院年中行事』という本の「立花についての心得」には、「仏花には四季折々の色花を挿し交ぜる。トゲ針のあるもの、つるに咲く花は用いない」と記されています。

 春から夏へと季節は移り、道端に咲く花も変わってきました。仏花は、花屋さんで求めるものと決まったものではありません。庭や道端に咲いている花を摘んでもいいのです。来年また花を咲かすことができるようにして、命をお裾分けしてもらう。それも大切なことですね。

 植物は気温の変化に敏感です。お内仏のお花も、夏場は、どうしても持ちが悪い。水も傷みやすくなり、まめに変えたりはしなければなりませんが、花が枯れたからといって、すぐに新しい花に変えることもないかもしれません。どんなに美しい花でもやがては枯れてしまう。そのことに頷いてからでもいいのでしょうね。

 仏花は仏様の方ではなく、我々の方を向いています。おかげで、花の命が尽きていく様を見せていただくことができる。日々お内仏の前にお座りになり、命が移りゆく姿を見ておられますと、何かお感じになられることがあるかもしれません。もしかしたらそのことがご縁となり、命の方に目を向けた生き方が始まっていくことが、あるかもしれませんね。

南無阿弥陀仏
合掌

                              釈了徹