春夏秋冬・23

言葉に思う

 暑さが少し和らぎ、風が心地よく感じられるようになってきました。早いもので、今年も残すところあと3ヶ月ほど。今年の夏は東南アジアより暑いと揶揄されていましたが、その言葉通りの暑さでしたね。40度という数字も恐ろしいことに聞き慣れてしまった感があります。夏から秋にかけて、お盆、お彼岸、報恩講と仏縁の行事が続きます。是非、共に聞法してまいりましょう。

 現代はインターネットが当たり前になり、様々な情報に触れることができ、時と場所を問わずたくさんの人とつながり合うことができます。ですが、SNSに縛られ、絶えず届くメッセージの返信に悩まされ、他人とのコミュニケーションに疲れてしまう人も少なくありません。

 常にオンラインで、一見繋がっているように見えても、大勢の中で感じる孤独ほど辛いものはありません。そんな流れに乗って流されていくだけでは本当の生きる道は見えなくなってしまいます。時には立ち止まり、自分に問いかけていく時間を持つことが必要ではないでしょうか。

 画面を離れ、自分の足で歩き、五感で感じる世界をまっさらな気持ちで受け止めていく。人間らしい生き方に立ち返ることが、自分自身の存在を肯定していくことに繋がると思います。

 例えば旅に出ると、その土地の匂い、目に入るもの、聞こえてくる音、感じるその全てが新しく、凝り固まった気持ちがほぐれ、少年のようなワクワクとした気持ちが湧いてきます。生きているってなかなかいいなぁと思える瞬間に出会うことはとても大切なことです。

 遠くに行かずとも、普段と違うことをしてみることから、新しい自分に出会うこともあります。誰かと話をする、いつもとは違うものを口にする。なんでもいいと思うのです。そんなこと言ってもなかなかないわ、と仰る方もおられるかもしれません。そんな時はどうぞお寺にお立ち寄りになってください。たわいもない話でも構いません。お茶でも飲みながら共に時間を過ごしましょう。

 お寺には掲示板があり法語が紹介されています。掲示板は時代を超えて、その村や町の人達のご縁が交わる場所でした。人が集まり、書かれている言葉に対して思ってることを言い合ったという話も聞いたことがあります。

 私もお寺の掲示板の前で立ち止まり法語を読ませていただくことがあります。時にスーッと心に染み入る言葉に出遇うことがあります。短い言葉でも人生を支えてくれる言葉に遇うことがあるかもしれません。教訓めいた言葉より、どなたかの心が揺さぶられた言葉には温もりがあります。

 自坊でも住職が週に1度、掲示板を張り替えています。その中で私がそうやなぁと頷いた言葉を一つご紹介して、結びといたします。

 「なくしたものの大きさは、あたえられていたものの大きさ」

 なくすまえに気づきたい、
 あたえられているものの大きさに……

 南無阿弥陀仏

                          釈了徹