春夏秋冬・25

すがたにおもう

 こんにちは。お彼岸が明け、だんだん暖かくなってまいりました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。近年は気候が大きく変わってまいりましたので四季が二季になってしまったかのように感じられます。

 2月初旬、お世話になっている大阪のお寺の先代のご住職が亡くなられました。亡くなられる一週間前にお会いした時は普段とお変わりなかったので、訃報を聞いた時はしばらく信じられませんでした。亡くなられる三日ほど前に体調を崩されその後お亡くなりになられたとのことです。最後まで周囲にいつも通りの姿を見せつづけておられたことに、ただただ頭が下がりました。

 先代のご住職は多くを語られる方ではありませんでしたが、ご自身で決められたことを貫徹しておられた姿にいつもすごいなぁと励まされていました。ご門徒さんとお話しさせていだだく中で、先代のご住職がお寺の周りを毎日お掃除なさっておられる姿を見ていたという話に何度も遇わせていただきました。そのように人の心に伝わっていくことというのは言葉超えた部分なのかもしれません。

 お釈迦様のお弟子さんに周梨槃特(しゅりはんどく)という方がおられました。周梨槃特は物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられなかったそうです。皆に蔑まれ、己の愚かさが無性に悲しく泣き続けていたところ、お釈迦様がこうお伝えになられました。

 「周梨槃特よ、自分自身の愚かさを知る者は、むしろ智者なのだ。本当の愚か者は、自分自身の愚かさを自覚できない者なのだよ」。「この布切れで精舎の汚れを拭き取りなさい。この精舎をきれいに保ち続けること。埃を払わん、垢を取り除かんと唱え続けなさい。そしてこの言葉を暗誦できるようになりなさい」。

 その言葉を聞き、お釈迦様の慈悲に感動した周梨槃特は来る日も来る日も精舎を掃除し、埃を払わん、垢を取り除かんと唱え続けました。どれだけの月日が流れたでしょう。喜び勇んで、無我夢中に励んでいる周梨槃特の姿は皆の目には別人にうつっていたようです。精舎の汚れだけではなく周梨槃特自身のこころの汚れが取り除かれていった。そのことからお悟りを開かれたと言われています。

 周梨槃特の存在は常に私を照らしてくれています。何か大きなことを成せずとも知識や才覚がなくとも開かれた場所がある。歩むべき道というのは私が気づいていないだけでいつも目の前にあるのかもしれません。また先代のご住職のいつも変わらない姿にも安心(あんじん)をいただいていました.。皆一人ではありません。必ず先を歩いておられる方がいるのです。

合掌

                         釋了徹