春夏秋冬・34

後生の一大事を心にかけて

 蓮如上人が書かれたお手紙の中に、「白骨の御文」と呼ばれる一通があります。このお手紙では、私たちの一生のはかなさが切々と説かれています。私たちは百年すら元気な姿で過ごせるものでもなく、朝目覚めたとしても、日の暮れる頃には白骨になっていることだってあり得ます。最後の時を迎えるのは、年配者が先で若年者は後になるという約束もありません。この御文は、それが私たちのありさまなのだということを確かめたうえで、「たれの人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」という言葉で締めくくられています。

 今朝目覚めたようにして明日の朝も目覚めることが出来る保証など、どこにもありません。それでもやはり、いのちのことを考えるのは、先延ばし先延ばしにしてしまっています。明日のことはわからないということは、頭ではわかっていますが、そのことが我が身のこととして腹に落ちておらず、ついつい後回しになってしまうのです。

 この、亡くなっていくということ、愛する家族とも別れていかなければならないということ、このことを我が身のこととして受け止めていくことができる時があるとすれば、それは大病を患った時、また、大切な人が亡くなった時です。

 六月半ば、妻の親友が急性心筋梗塞で亡くなり、お浄土に還られました。家族ぐるみで交際し、大切な時間を共にしてきたかけがえのない友人です。彼女には幼い子供が3人います。仲の良い家族で、子供たちはお母さんのことが大好きです。遠くに住んでいても時間を見つけては関西に遊びに来て、うちに泊まっていってくれました。会えばいつも笑顔が絶えませんでした。本当に家族共々大切に思っていた方でした。今でもまだ信じられません。目を閉じれば、涙とともに彼女の素敵な笑顔が浮かんできます。

 私はその知らせを聞いた時、何も言葉が出ませんでした。胸の奥から何度も何度も波のようなものが押し寄せ、脈拍が早まり、緊張に包まれました。その事実を信じたくなかったのだと思います。見上げると空は晴れていました。しかし、私が感じる世界は暗く、重たく、そして冷たくもありました。亡くなっていくということが腹に落ちていなかったのは、他の誰でもなく、私自身でした。

 頭に浮かんだのは子供たちのことでした。会いにいくべきか妻と話しましたが、今は行くべきではないと感じました。それは、子供たちが亡くなられた姿のお母さんに会っていないと聞いたからです。子供たちには、お母さんの最後の姿は、お棺の中の姿ではなく、いってらっしゃいと笑顔で送り出した姿のままであってほしいというご家族の願いがありました。

 本来、お棺の中の姿にあわせていただくことは、亡くなっていくといういのちの厳粛な事実を見せていただく大切なご縁ですが、最愛の人を失い、子供たちのことを気遣い、そう決断した友人の思いも理解できました。短い時間の中で決めていくことは本当に大変だったことでしょう。

 私たちの最期の時は、いつどんな形でやってくるかもわかりません。彼女は、「あなたも死ぬんよ」と身をもって私に教えてくれました。蓮如上人がお伝えになられた、「後生の一大事」とは、まさにそのことではないかと思います。

 私たちのいのちはすべていただきものです。つまり南無阿弥陀仏のいのちです。私のいのちは南無阿弥陀仏のいのち。私の努力など到底届かない、ご縁によって生まれ、ご縁によっていのち終えていく。私たちはそういういのちを生きている。南無阿弥陀仏のいのちを生きている。それが私たちのいただいているいのちの真実です。

 時が来たら、彼らに会いに行きたいと思っています。今はただ、子供たちがお母さんの願いを受け止めながら育っていかれることを、こころより念ずるばかりです。

合掌
南無阿弥陀仏
                       釋了徹