春夏秋冬・35

遠慶宿縁(遠く宿縁を慶べ)

 先日、息子とご本山におまいりに行きました。阿弥陀堂と御影堂は葺き替えられた瓦屋根がとても美しく、参拝者を清々しく迎えてくれます。雨天だったというのもあり、参拝に来られている方は少なかったですが、ゆったりとおまいりすることができました。二人で堂内を巡り、参拝の仕方を伝え、仏様の話をしました。親から子へと伝えていけることは多くはありませんが、7歳になった息子が自然に手を合わせている姿を見て、貴重なご縁をいただいたなぁと感じました。

 ご本山に来させていただくと、晨朝勤行に通わせてもらっていた頃のことを思い出します。ご本山の晨朝勤行は、午前七時に、堂衆、準堂衆の方々が阿弥陀堂に入ってこられ、最後にご門主が内陣に出仕され、お勤めがあがります。阿弥陀堂では漢音阿弥陀経、御影堂では正信偈が勤まります。漢音阿弥陀経は、馴染みのある呉音の阿弥陀経と読みが違うため、お教本を見ていてもどこを読んでいるのかわからなくなってしまいます。通い始めた頃は、お教本を開き文字を追っていたのですが、いつしかお勤めの響きを傾聴するようになりました。声の響きが重なると、倍音が波動のように私の身体を包み込みます。お念仏の有り難さは、頭のおしゃべりが鎮まった時に感じられるものなのかもしれません。

 私が晨朝勤行に通うようになったきっかけは、声明作法を教わりに行っていた東光寺の藤澤先生との出会いにあります。先生は毎朝堂衆として晨朝勤行に出仕されていました。先生のお勤めを傾聴したく、通い始めたことが最初のご縁でした。先生は私に、声明はその人その人の声を見つめ続けていくものと教えてくださいました。一に声、二に節、三に拍子、ただ声自慢になってはいけない、節を器用に真似するだけでもいけないと、江戸時代の文献などを用いて、今我々の所まで伝わっている声明作法の大切さを伝えてくださいました。今はもう先生から直接教わることはできませんが、教えていただいたことを後に伝えていければと思っています。

 「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり。」

 このことばは親鸞聖人が「教行信証」の結びに書かれたことばです。七高僧の一人である中国の道綽禅師が著した「安楽集」からの引用です。「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は先人の生きた道を問いたずねよ」というこの呼びかけは、ただ単に先輩と後輩がお互いに大事にしましょうという意味だけではなく、数限りない迷いの人々が、仏の願いによって生かされていることに気付き、一人残らず救われてほしいという大乗仏教の根本の願いを表明することばです。

 お念仏の救いには思いもおよばないほど広大なご縁がはたらいていることを、親鸞聖人は教行信証の総序で「遠く宿縁を慶べ」と呼びかけてくださっています。ご本山に来させていただくたび、聖人のおことばが心にしみる今日この頃です。

 有り難きご縁を慶ぶ 遥かなるご縁に慶ぶ
 南無阿弥陀仏
 合掌
                           釋了徹